prologue





ここへきてからもう一週間になる。薬臭い清潔な白い病室にも、まずくて量の少ない病院食にももう慣れた。違和感があるとすれば、左手首に包帯を巻いているだけなのに一日中ベッドに縛り付けられているということだ。
人は頻繁に来るけれどそれは看護婦とか医者で、見舞いの客はこれといってない。そして医者といっても傷を見る外科医ではなく、精神科医がほとんどだ。よく顔を見るのは、白髪混じりの老医師だった。その人について、覚えていることはあまりない。どんな会話をしたのかも忘れてしまった。

そもそも、なぜ入院なんかしているのかも理解できなかったのだ。傷はまだ治っていないけれど、寝ていなければならないような傷ではない。精神科医が担当になっている理由もよく分からない。自分自身が鈍いのかとも思ったが、考えても考えても答えは見つからない。

今は七月の半ば。もうすぐ夏休みが始まる。東京の灰色の町も陽炎に揺れて、人々が活気づく季節だ。けれどここは空気が滞っていて気分がよくない。ひとつの場所にひとりで居続けるのも気が滅入る。

「東京選抜のマネージャー、やってみない?」

そんな頃、入院してから初めてやってきた見舞客は姉の玲だった。

「マネージャー?」

ぼんやりと聞き返すと、にこりと笑ってひとつ頷いた。

「今度私がコーチすることになったチームなんだけど、協会からの人手が足りなくてね。監督も是非って言ってくれてるし」

「なんで私が? それに、まだ退院できないと思うけど……」

「主治医の先生にお話はしてあるわ。二、三日様子を見て、大丈夫そうだったら一時帰宅を認めてくれるって」

どう? といわんばかりに首を傾げてくる玲は、どこから沸いてくるのか、説明しがたい自信に溢れていた。それが私にも、まるで飛び火したみたいに乗り移る。様子を見ると言っても元々体調が悪いわけではなかったし、何よりここを出て行きたかった。出て行ける理由があるならなんでもよかった。私はほとんど無意識に小さく頷いた。

これが、始まりの日。



20070225 修正