そもそも、土方は最初から反対していたのでした。

お妙に何度も何度も振られ続け、それでも恋を諦めきれなかった近藤が森の魔法に頼ろうとしたことも、猟師達すら立ち入ろうとしない森の奥深くへ入り込むことも、得体の知れない城で一夜を明かすことも、城の中を面白半分に探索することも、嫌な予感しかしませんでした。

けれど剛毅な性格の近藤は、土方の不安など意に介さず豪快に笑って言いました。

「そんなに心配しなくても大丈夫さ! ここはただの森で、ただの城だ!」

ところが、ここはただの森でも、ただの城でもなかったのです。

城の探索をしている最中、迷路のようになった庭を抜け、城の裏手にある湖のほとりで一休みしていた時、近藤の様子がおかしいことに気がつきました。どこかぼんやりとしていて、覇気がありません。さんざん歩き回って疲れてしまったのかと思いましたが、近藤の顔色は青ざめ、瞳から生気が失われて行くような気さえしました。

「近藤さん? どうした? 大丈夫か?」

その時土方は、湖の底で白い靄が渦を巻くのを見ました。何か悪いことが起こる前兆のように思え、土方はとっさに近藤の腕を引き、その場を立ち去りました。湖から離れると、近藤の意識はすぐにはっきりとし、すっかり元に戻ったように見えたのもつかの間、雨が降り出しました。次第に強くなる雨の中、どうにか森を抜けて街に帰り着いたはいいものの、雨はそれから1週間も降り続き、川の決壊を防ごうと奔走していた自警団のメンバーは、土砂災害に巻き込まれて多くが命を落としました。

土方もそのうちの1人でしたが、命を落とした者と違っていたことは、決壊した川で溺れ気を失い、気がついた時には、野獣の姿に身をやつし城に囚われていたことでした。はじめこそ状況を把握することができず、気が狂ったように昼夜問わず森じゅうを駆け回ったりしたものでしたが、だんだんと状況が飲み込めてきました。

ここはただの森でもなければ、ただの城でもなかったのです。

次第に、森の魔法に呪われたのだと、土方は思うようになりました。あの湖で近藤が正気を失いかけたようになった時、それを遮ったのは土方でした。森の魔法が近藤を呪おうとした時、それを遮ったのは土方だったのです。きっとそのせいで森の怒りを買ったのだと土方は考えました。

ある時、土方は思い至って湖に飛び込んでみたことがあります。白い靄がかかって視界ははっきりしませんでしたが、近藤は湖の底に囚われていました。それを見て以来、土方はどうにか近藤を救おうと手を尽くしましたが、野獣の手では近藤の手を引いて湖から引き上げることもできず、誰か人をここへ呼んで近藤を助けてもらおうと森へ出ても、猟師に命を狙われ命からがら逃げる羽目になりました。

どうすることもできず、八方塞がりな日々を送り5年が経った頃、現れたのが銀時でした。

どういう魔法がかかっているのか、年がら年中薔薇が咲き誇る城の庭に、土方はなんの興味もありませんでしたが、薔薇1輪手折った銀時を食ってやると脅したのは、城と森に閉じ込められた鬱憤を晴らすための八つ当たりでした。

だから、がひとり城に現れた時、土方はただただ驚きました。「必ず戻れ」と銀時を脅しつけたのは自分でしたが、身代わりの女が送り込まれてくるとは思いもよらなかったのです。

死んだ魚のような目をしたあの男ならいざ知らず、殺されることを覚悟しながらも、恐ろしさに震えるを見て、その喉元を掻っ切ってやろうという気は起きず、土方はを持て余しました。5年もの間この広い城でたったひとり生きてきた土方にとって、は城に迷い込んで帰り道を見失ってしまった野良猫のようでした。

野良猫のように城の仲を徘徊するだけならまだ我慢もできたのですが、仲良くなろうとしたり、一緒に寝ようと理由をこじつけたり、の言うことなすこと、すべてが土方を戸惑わせました。

がこの城にやってきて、何もかもが変わりました。は土方を恐れませんでした。ひとりきりで退屈するどころか、庭を散歩しては花を愛で、楽しそうに鼻歌を歌い、家族の話をしては嬉しそうに笑いました。5年間もたったひとりで生きてきた土方にとって、はまるで太陽のように輝いて見えました。

が城にかかった魔法を解く鍵を持っていたことは、二重の驚きでした。バラのペンダントがシャンパンに溶けた日、雨も降っていないのに森の中で小さな崖崩れが起きました。の鏡があの湖に落ちた日、大きな崖崩れが起きて森に隠されていた城が日の元にさらされてしまいました。がこの城へきてから、魔法がどんどん弱まって行きました。

もしかしたら、が魔法を解いて近藤を助けてくれるかもしれない。そう思った矢先の事でした。

銃で撃たれたと気づいたのは、その身が湖に沈んで、意識が遠のく最中のことでした。森に出たとき、自分を狙っていた猟師がいたことを思い出し、きっとそいつが城まで攻め入ってきたのだろうと思いました。近藤を助けるためにできることをしようとしてきたのに、こんな風に終わりがやってくるなんて、信じられないような気もしました。

白い靄のような湖に沈んでいく中、不思議な光と水泡を見て、土方は薄く目を開きました。薔薇のペンダントがシャンパンに溶けたように、湖が金色に染まり、湖そのものがシャンパンになってしまったかのように、そこからふわふわと泡が湧き上がっています。息ができないせいで意識ははっきりしませんでしたが、湖にが落ちて、薔薇のペンダントがシャンパンに溶けたように、自身が湖に溶けてしまいそうに水泡に包まれていました。が湖に溶けて消えて無くなってしまうかもしれない。そう思うと、急に不安になって、土方はとっさにの手を取りました。

のポケットの中では、薔薇の刻印が押されたナイフがじゅわじゅわと音を立てて湖に溶けていました。そこから発生した泡が、と土方を包み込んで、やがて湖を水泡で満たしました。



***




が目をさますと、そこは城の寝室でした。いつも通り、魔法で清潔に整えられた寝室でした。けれど隣にいたのは野獣ではなく、見知らぬ人間の青年でした。その瞳の色は野獣と同じ闇のような黒でした。

「あなたと会うのは初めてね」

が微笑んでそう言うと、土方は面白くなさそうに目を細めました。

「前にも会ってるぞ。街で」

「あら、そうなの?」

「あぁ。お前は確か、同じ年頃の男達と一緒だった。花かなんか、買ってたような気がする」

「先生の誕生日だったのかしら。そんなこともあった気がするわ」

土方は苦々しく唇を噛むと、絞り出すように言いました。

「……お前の先生が死んじまったのは、俺たちのせいだな。すまねぇ」

は野獣にしていたように、土方の頬を優しく撫でて言いました。

「あなたが謝っても先生は帰ってこないわ。でも、あなたは違うでしょう?」

土方ははっとして起き上がり、辺りを見回しました。寝室の床の上で、近藤が一糸まとわぬ姿で倒れていました。駆け寄って首に手を当てると、脈は規則正しく動いていました。そのことに安心してため息をつくと、がベッドからシーツを剥ぎ取って、近藤の体を覆いました。

「良かったわね」

土方の背を撫で、は微笑みました。

「お前のおかげだな」

「私は何もしてないわ」

「いや、お前が城へ来なかったら、俺はまだ野獣のままで、近藤さんも湖に沈んだままだったろう」

土方はそう言って、を抱きしめました。

「ありがとう」

は土方を抱きしめ返して、耳元で囁きました。

「ねぇ。私、あなたの名前をまだ知らないの。教えてくれる?」



***




それから雨は1週間降り続き、森の何箇所かで土砂崩れが起きましたが、街に大きな被害は出ませんでした。

なぜが城の魔法を解くことができたのか、はっきりしたことは分からないままでしたが、がことの経緯を坂本に説明すると、坂本は商品の中から古い本を取り出して言いました。

「極東のある島国には、三種の神器というものがあってな、王が持つ鏡、玉、剣は特別な力を持つらしい。おおかた、の持っていたペンダント、鏡、ナイフが、森の魔法に気に入られたと考えるのが妥当じゃろう」

「なんの力もない、ただのペンダントと鏡とナイフなのに?」

「森の魔法の好みは、人間には理解できんのじゃろうなぁ」

そう言って、坂本は大きな声で笑いました。

は街に戻り、元どおりの生活に戻りました。ただひとつ変わったことは、野獣から元の人間の姿に戻った土方と会う時間が増えたことです。ただ、5年前の大嵐の原因が、主に近藤と土方にあると知った高杉、銀時、桂は彼らをひどく恨み、近藤と土方が率いる街の自警団とは事あるごとに衝突する犬猿の仲になったので、と土方の仲はあまり歓迎されませんでした。

仕方がないので、ふたりは森の城でこっそりと会うようになりました。

城はもう2人のために食事を用意したり、薔薇の花を年中咲かせてはくれず、すっかりぼろぼろの廃墟になってしまいましたが、むしろその方が2人の身の丈にはあっていました。元はしがない町娘と喧嘩にめっぽう強いだけがとりえの男なのです。

「俺が思うに、城は森の魔法の餌場だったんだと思う」

が作ったサンドウィッチを齧りながら、土方は呟きました。

「森は人を食べちゃうってこと?」

土方の隣で、はお茶を飲みながら言いました。

「あの大雨で死んだ奴らはそうだったと思う。俺や近藤さんはそれの食い残しだな」

「でも、私は大丈夫だったじゃない? それはどうして?」

「俺がいたからだろ。森の魔法の落ち度はそこだな。俺を野獣なんかにしちまって、野放しにしたから、城の魔法を解いちまうお前に手出しできなかったんだ」

「つまり、野獣のあなたが私を守ってくれていたってことね」

「結果論だけどな」

「守ってくれて、ありがとう」

が微笑んでそう言うと、土方は照れくさそうに口をへの字に曲げました。

森の奥深く、温かな太陽の光が降り注ぐ廃墟で、永遠にも思える穏やかな時間は静かに過ぎていきました。




20150420