大晦日。

 新しい年を迎えようと浮き足立つ市民とは対照的に、真選組は年末の激務に追われていた。この時期は毎年、歳末特別警戒実施期間として検問やパトロールを強化するのだ。この忙しさに紛れて悪さを企んでいる攘夷志士がいるという情報もある。市民と一緒に浮かれているわけにはいかないのだが。

「おい、総悟。近藤さん見なかったか?」

 パトロールの交代時間を待つ隊士達の控室である。

 屯所に戻るなり、土方は挨拶もそこそこに声を荒げた。隊服の上に、くるぶしまである黒のロングコート、黒い革の手袋で身を固めた土方は、それでも寒さに鼻の頭を赤く染めていた。

「見てませんよ。どうかしたんですか?」

 沖田は石油ストーブにあたりながら、ひょうひょうと答えた。

「いつまで待っても現場にこねぇんだよ」
「交代する相手がいないのに土方さんはなんでここへ?」
「山崎に代わらせた。この寒い中いつまでも突っ立ってられるか」

 土方はコートを脱ぎ捨てると、沖田の隣に立って石油ストーブに手をかざす。手袋をしていてもすっかり冷えてしまった指先にじわりと暖かさが伝わって、安心感にため息がこぼれた。ストーブの上に乗せたやかんからしゅんしゅんと温かい湯気が立ち昇っていた。

「心当たりはありますけど」

 と、沖田が呟いた。
 土方は煙草に火をつけながらそれを聞く。

「昼間、パトロール中に万事屋の連中に会いましてね、ちょっと立ち話したんですが」
「立ち話で済んだんだろうな」
「それは人聞きが悪い。いくらなんでもこの忙しい時に問題起こすほど俺も馬鹿じゃありません」
「そうかよ。で?」
「なんでも、今夜は年明けに合わせて真夜中から初詣に繰り出すそうですよ」

 土方は露骨に眉をしかめた。

「あいつらがどこに初詣に行こうがどうでもいい」
「土方さん、よく考えてくださいよ。万事屋が3人で初詣に行くって言うなら、あいつの姉貴もくっついてるに決まってるじゃないですか」

 沖田のいう姉貴、とは、志村新八の姉である妙のことだ。なるほど、そういうわけなら近藤も同じ場所にいるのに違いない。きっと彼女を歳末当別警戒している最中なのだ。

「ったく、あいつに当番を振った俺が馬鹿だった」

 土方は頭をかいてうなった。

「どこも人が足りてませんからね。来年はもっと使える隊士が増えればいいんですが」
「腕試しだっつって入隊したばっかりの新人使いものにならなくしたお前が言うな」

 と、その時。明るい声とともに扉が開いた。

「皆さん、お疲れ様です! これから食堂で年越し蕎麦を振舞いますので、お夜食に召し上がってくださいね。かき揚げもありますよ」

 隊士達を喜ばせたのはだ。隊士達はどよめいて一斉に席を立ってしまう。交代までまだ時間があるとはいえ、彼らは万が一事件が起きたときにすぐに現場に出動するための待機要員でもある。

「おい、お前ら。自分の仕事は分かってるんだろうな」

 土方は思わず声を上げたが、隊士達は「はーい」だの「分かってますよー」だの気の抜けたような返事をしてさっさと食堂に移ってしまった。

 呆れて舌打ちをする土方に微笑みを向けて、は去り際に言った。

「土方さんも沖田くんも、体が空いたら食べにきてくださいね」





 土方が食堂へ足を向けたのは、真夜中近くなってからだった。

 入れ替わりに食堂を出て行った隊士達が最後だったらしく、広い食堂でひとりテーブル拭き清めていたはいかにも寂しげだ。

「あぁ、土方さん。やっと来られたんですね。すぐにお蕎麦出しますから、座って待っていてください」

 花が咲くように笑ったは、土方が答える間も無く台所に戻ってしまう。土方は言われるまま、カウンターに一番近いテーブルの端に座った。

 時計を見ると、年が明けるまであと数十分という頃合いだった。近藤は戻って来ず、沖田はパトロールに出かけたばかりだ。山崎は近藤の当番を肩代わりしたために人の倍も働くことになってしまったから、今頃はきっと寒さに凍えていることだろう。

 一年の締めくくりは家族や恋人、自分にとって大切な人ととともに過ごしたいと思う気持ちは誰もが持っている。その気持ちを犠牲にして働く真選組の仲間達を土方は誇りに思っている。も同じだ。年末年始くらいゆっくり過ごしたいはずだが、嫌な顔ひとつ見せずによく働いてくれている。大晦日の夜食の提供は義務ではない。特にこの時期はひとりで屯所の家政を切り盛りしなければならないからなおのこと一苦労のはずだだ。

「お待たせしました」

 と、は笑顔を添えて蕎麦を持って来てくれた。ごぼうと人参とたまねぎのかきあげ、海老の天ぷら、蕎麦にはねぎとなるとが盛り付けられていて、立ち昇る湯気で目の前が霞んだ。

「どうぞ、召し上がってください」

 はたすきをほどきながら土方の真正面に座った。

「お前は、もう食ったのか?」
「私のことは気にせずどうぞ」
「食ってねぇんだろ」
「私はいいんですってば」
「どうせ麺残ってんだろ? 近藤さん戻ってきてねぇんだし」
「まぁそうですけど」
「気ぃ使わねぇで食えばいいのに」
「お腹すいてないんですよ」

 いつまでもこうしていてもらちがあかない。土方は無言で立ち上がると、台所に入っていって箸と椀と小皿を取ってきた。椀に蕎麦、小皿にかき揚げと海老天の尻尾のついた方を半分取り分ける。はそれを、猿が曲芸を披露するのを見るような目で見ていた。

「ひとりで食っても空しいからな」

 箸をそろえて差し出すと、は土方が想像していた以上に嬉しそうな顔で笑った。

「仕方がないですね、それじゃせっかくなので呼ばれます」

 土方はそれで胸の奥を温かくして、しばらく無言で蕎麦をすすった。土方のたてる豪快な音に比べ、は控えめで一口が小さい。さくりとかき揚げをかじる軽快な音、海老の天ぷらを食べた唇が油に濡れて艶っぽく光り、土方は思わずそれに魅入った。

 遠くからかすかに隊士達の笑い声が響いてくる。それを聞いて、が言った。

「みんなは控室で待機してるんですか?」
「当番の連中はな」

 土方はかき揚げを咀嚼しながら答えた。

「屯所で待機することも大切なお仕事なんでしょうけれど、なかなか暇を持て余しそうですよね」
「今夜はそろってテレビでも見てんだろ」
「やっぱり紅白?」
「さっきまではがき使観てたな。格闘技見る奴もいるけど」
「それじゃ、チャンネル争いになっちゃいますね」
「私闘は局中法度だ。そうなったら切腹だな」
「えぇ? チャンネル争いしただけで?」

 はころころと転がるような声で笑った。おもしろいことを言ったつもりはなかったけれど、の笑顔を引き出せたことが土方は嬉しかった。

 の笑い声が揺らした空気が肌を撫でる。ほどよく湿度のある食堂は居心地がよく、寒さに縮こまってい体が自然とほぐれていく。温かいもので腹が満たされたからか、思いがけず土方の体は反応した。


「はい」
「抱いていいか?」

 は蕎麦にむせて咳き込んだ。

 土方はコップに水を注いでやって、かすかに涙を浮かべながら目を丸くしているを見つめた。困った顔が可愛かった。

「え、なに?」
「二度も言わせるなよ」
「脈絡がなさすぎませんか?」
「やりたくなっちまったんだから仕方ねぇだろ」
「まだお蕎麦残ってるでしょう」

 土方は残りの蕎麦を一口でかき込むと、つゆで一気に流し込んだ。

「ごちそうさん」

 言うなり、立ち上がっての手を取る。の手は冬の冷気でくるまれたように冷たかった。水仕事に精を出していた証拠だろうがなんとなく哀れで、土方はの手を包み込むように握りしめる。

「仕事はいいんですか?」

 は言いながら、土方に促されるまま立ち上がった。

「もう終わった」
「でも、もし事件でも起きたら……?」
「それはその時に考える」

 土方はの腰を引き寄せて口付けをする。舌を絡めると、出汁のきいた蕎麦つゆの甘じょっぱい味がした。










ここから、R-18


20181231