「ダイジョウブ。」は、全年齢バージョンと、R-18バージョンがあります。オチがちょっとだけ違います。
R-18バージョンはこちら。






















「それでは、新しい仲間の入隊を祝して! カンパーイ!!」

 近藤局長の一声で、盛大な宴会が始まった。今夜は、新たに入隊した隊士達の歓迎会だ。グラスを打ち付け合う甲高い音に、隊士達の雄々しい声が重なった。

 テーブルには瓶ビールがにょきにょきと林立し、大皿に盛りつけられた料理が所狭しと並んでいる。はテーブルの間をすいすいと歩き回り、給仕に徹していた。さっそく空になってしまったビール瓶を回収し、栓抜きを片手に王冠をとってやり、求められれば笑顔で酌をする。皿が開けばすぐに新しい料理を運び、冗談には気の利いた一言を返す。

さん、エプロンおニューにしたんですか?」

 と、沖田が言う。
 はちょんとエプロンの裾をつまんで笑った。

「松平様にいただいたの。ちょっと派手かしら」

 今夜、が身に着けているのは、卸し立ての白い前掛けだった。裾にはひかえめなフリルが付いていて、歩くたびに揺れるそれは波をたくみに操る魚の尾ひれのようで、テーブルの間を縫って歩くはさながら、岩礁のすきまを軽やかに泳ぎまわる一匹の熱帯魚のようだった。

「お似合いですよ。純喫茶のお給仕みたいで」
「ありがとう」
さん。お酒の追加もらえますか?」
「はい、ただいま」
さん、これ美味いですね」
「たくさんあるから、どんどん食べてね」

 美味い料理に美味い酒、そしての晴れやかな笑顔と軽やかな身ごなしが花を添えて、歓迎会はにぎやかに進んだ。





 宴会がひと盛り上がりした頃、近藤の発案で、二次会の会場に移動することなった。ほとんどの隊士達がかぶき町のスナック「すまいる」へくり出していき、夜勤の隊士が数名残っただけの屯所は閑散とする。

 もしも今夜、突然の重大事件など起きたらまずすぐには対応はできないだろう。これで真選組は本当に大丈夫なのかしらと、も思わないではなかったけれど、それは一介の家政婦には口出しのできないことなので心配したところで仕方がない。

 照明を半分落とした台所で、はひとり宴会の後片付けに居残った。汚れた食器を食洗器に並べてスイッチを押し、(警察庁長・松平片栗虎の好意により最近導入された。)汚れた布巾は洗剤を溶かした水につけおきし、空になったビール瓶をビール箱に詰める。酒豪でないと隊士にはなれない決まりでもあるのか、隊士達はそろいもそろって上戸ばかりで、空いたビール瓶は数えきれない。

 食洗器のうなる音、その中で渦を巻く水と泡、ビール瓶がぶつかってこすれ合う少し耳障りな尖った音、蛍光灯が切れかかっているのか、不穏な音をさせて点滅した。そろそろ替え時かしらと、が視線を上げた時、廊下の向こうから静かな足音が響いてきた。

「よぉ、ご苦労さん」
「あぁ、土方さん」

 明かりの届かない台所の入り口に立って、からは土方の顔がよく見えなかったけれど、土方がまだ隊服を着ていて、腰にも刀を差したままなのは分かった。

「みなさんと一緒に行かれなかったんですか?」
「近藤さんが飲み歩いてんのに、俺まで屯所を空けるわけにはいかねぇだろ」
「まぁ、律儀ですね」
「そんなんじゃねぇ」

 土方は台所の入り口に背を預けて、煙草に火を着ける。暗いところで赤い火がぽっと灯り、それが一瞬、土方の顔を照らした。眉間に寄った皺が深かった。夜の影がそう見せているのか、それとも土方が腹を立てるようなことでもあったのか、その一瞬ではには判断ができなかった。だから、何食わぬ顔をして笑った。

「あまり飲んでいらっしゃいませんでしたね」
「見てたのかよ」
「お給仕してれば分かります。飲み足りなかったんじゃないですか?」
「ほっとけ」

 土方は煙草の煙を吐き出しながら、台所の奥まで入ってきた。あてもなくぶらぶらと散歩をするような足取りがわざとらしい。ぴかぴかに磨き上げられた作業台に腰を預けるようにして立った土方を横目で見やって、は苦笑いした。

「台所で煙草は止めてください」
「もう片付け終わってんだからいいだろ」
「匂いが残るんですよ」
「これ一本だけ」

 火をつけたばかりの煙草はまだ長い。は仕方なく、流しの下から灰皿を取り出して土方の隣においてやった。

 はたらいに素手を浸して、つけ置きしていた布巾を洗う。土方の視線が気になったけれど、いちいち相手にしていてはいつまで経っても仕事が終わらないので無視した。

「悪かったな」

 と、土方が神妙な声で言った。は言葉の意味が飲み込めず、白い泡がたつ石鹸水の中で布巾をこすり合わせながら聞き返した。

「何がですか?」
「何がって、その、あれだよ。あれ」
「だから、あれって何ですか?」
「お前、本気で分かんねぇで言ってんのか?」
「だから、教えて欲しいんですけれど」

 水が冷たくてあっという間に指先の感覚がなくなっていくのが分かったが手は止めない。

 煙草の煙がの鼻先にまで流れてきて、そのいがらっぽい匂いに、は胸が熱くなるのを感じる。それをこっそり胸に吸い込んでひっそりと微笑みさえ浮かべたとは対照的に、土方は不機嫌そうな声で言った。

「さっき、若い連中に絡まれてただろ」
「絡まれたってほどでもありませんよ。こういう席ですし、あれくらい、なんてこと」
「あれくらいって……」

 呆れた声とともにため息の気配を感じて、は両手を水に浸したまま首を巡らせた。顔は見えなかったけれど、土方のため息をそのまま形にしたような煙草の煙の残滓だけは目の端に映った。



 宴もひときわ盛り上がりを見せた頃、はちょうど、若手の隊士達が集まっていたテーブルで給仕をしていた。酔いの回った赤ら顔に満面の笑みを浮かべてある隊士が言った。

さんって、屯所に来る前は風俗やってたって本当なんですか?」

 動揺しなかった、と言えば嘘になる。明らかに笑顔が引きつったし、ちょうどグラスに注いでいたビールの泡が全部死んでしまった。酔っぱらった隊士は誰も気づかなかったようだけれど、声が震えないようにぐっと腹に力を入れなければならないのが苦痛だった。

「そんなこと誰に聞いたの?」
「なんか、風の噂で」
「あ、俺も聞きました! 売れっ子だったんですよね!?」

 酒の力で大きくなった声が、この騒がしい宴の席でもひときわ大きく響いて、の背筋は凍った。

「どこのお店にいたんですか?」
「おい、そんなこと聞いてどうすんだよ?」
「そうだぞ! 今その店行ったってさんがいるわけじゃなし!」
「違いねぇ!」
「いやでも、実際さんがいる店なら俺絶対通いますよ!」
「それは褒めてるの?」
「もちろん褒めてますよー!」

 すっかり酔いの回ったその笑顔に、嘘も偽りもなかった。彼らには本当に悪気はなかったのだろう。それでも、は胸に太い杭を打たれたような気持ちになって、呼吸が浅くなるのを感じた。

 過去を恥じているわけではない。体を売ってでもここまで生きてこられてよかったと思っている。少なくとも、あの世界に身を置いていたからこそ死なずに済んだのだ。後悔はしていない。

 けれど、いくら酒の席の戯言とはいえ、こんなふうに乱暴に揶揄されるとやるせない気持ちになる。笑って受け流すことはできる。たったそれだけのことをするのに、どうして苦い薬を飲むような気持ちを味わわなければならないのだろう。



「どうして、土方さんが謝るんですか?」

 は笑って、視線を自分の手元に戻した。たらいに張った石鹸水の中、きんきんに冷えて感覚の鈍くなった両手が揺れていた。

「バレちゃったものはもうしょうがないですし、それにみんなちょっとした話の種くらいにしか思ってないですよ、きっと、すぐに忘れます」
「本気でそう思ってんのか?」
「はい」

 土方は煙草の煙を深く吸った。

 土方が二次会には行かずに屯所に居残った理由はふたつある。

 ひとつは、キャバクラなんかに行ったら最後、好きでもない女にまとわりつかれ、酒に酔った近藤を介抱し、その上若い連中が粗相をしやしないか絶えず目を光らせていなければならないからだ。それならばひとりで屯所に詰めている方がよっぽどましだ。

 そしてふたつめは、に対する隊士達のある会話を耳にしてしまったからだ。

 若い隊士が、給仕をしているにからんで口走った下世話な言葉を、土方も聞いていた。何せ声が大きかった。土方が聞いたということは、あの場にいた全員が聞いたことになる。

 が風俗で働いていたことを隊士達が知ったら屯所の風紀が乱れる、というのが土方の見解だった。単純で馬鹿な男は、己より立場や力の弱いものを相手に憂さを晴らそうとする傾向がある。は男より力の弱い女で、かつ、風俗で働いていたという経歴はの立場をより弱くするのには十分な条件だ。

 立場が弱い、力が弱い女を手籠めにするなんて、絶対にあってはならないことだ。ましてや、江戸の平和を守る特別武装警察である真選組がそんな狼藉を働いたとあっては大問題になる。

 けれど、実際問題、男というものは単純で馬鹿なのだ。日頃から局中法度の元に厳しく指導してはいるものの、万が一が絶対にないとは言えない。

 土方の予想を裏打ちしたのは、近藤に連れられてかぶき町に移動していく隊士達を、廊下の端で一服しながら見送っていた時だった。

「あの人、実際、体売ってたらしいよ」

 何人かの隊士がどやどやと連れ立って歩いていて、誰がそれを行ったのかは分からなかった。廊下の暗がりに立っていた土方に気づいているものはひとりもいないようだったが、土方は煙草を持った手を体の影に隠した。

「まじで?」
「だとしたら違法だろ。なんでそんな人雇ってんだろう?」
「さぁ、知らねぇけど」
「昔はその辺ゆるかったんじゃねぇのかな。真選組って、元は浪人の集まりだったって聞くし」

 人一倍顔を赤くして酒の勢いで身振りが大きくなっている隊士が、下品な笑い声を上げながら言った。

「もしかして、頼んだらヤらせてくれっかな?」

 聞いていた連中が、ひとり残らず声を上げて笑った。

「お前、あぁいうのが好みなのかよ?」
「いや、好みではねぇけど」
「お前は巨乳好きだもんなぁ」
「けど、こう激務が続くとさ、手近なところで処理したくなるじゃん」
「サイテーだな!」

 笑い声が遠ざかっていくの聞きながら、土方は静かに長く息を吐いた。

 が聞いたら、どう思うだろう。

 あの隊士達は、決して悪人ではない。普段は新人の面倒をよく見る気のいい男だ。仕事の実績も悪くない。近藤にも気に入られているし、土方に冗談を言ってくるだけの度胸も据わっている。

 そこが、問題なのだ。



 土方が謝るのは、確かにお門違いなのかもしれない。けれど、言わずにはいられなかった。の笑顔が痛々しい。慰めてやりたいのに、文句のひとつも言わないからそれもできない。

 は蛇口をひねって冷たい水を流し、洗った布巾をすすいでいる。少し前かがみになった背中、真っ白でひらひらした前掛けのリボンが帯の下を通って結んである。

 土方は短くなった煙草の火を消すと、の背中からシンクの縁に手を掛けた。の両腕の間に閉じ込めるようになる。

 うなじに土方のため息がかかるのを感じて、はとっさにたらいに張った水の中に両手を手首まで沈めた。

「あんなこと言われてまで、無理して笑うことねぇんだぞ」

 たらいの中で洗いかけのふきんを握り締めながら、は無理に微笑んだ。

「あそこで私が何か言ったって、空気が悪くなるだけですよ」

 たらいの中で感覚の鈍くなった手のひらを見下ろして、は思った。土方のささやきは優しく、労りがあった。だからこそは笑った。土方がこんなにも自分を気遣ってくれるだけでありがたくて、それ以上のことを望むのはもはや贅沢がすぎるように思えた。

「土方さんがそう言ってくれるだけで、私は嬉しいです。だからそんなに心配しないで」

 と、後頭部に土方の額がぶつかる。少しだけ前につんのめるような姿勢になったのうなじに、土方の声があたった。

「惚れた女があんな風に言われて心配しない男がいるかよ」

 布巾を握りしめる手に無意識に力がこもって、ちゃぷん、とかすかな水音が立つ。土方の唇がのうなじに落ちる。は肩をすくめたが、土方の両腕に閉じ込められて身動きが取れない。

 食洗機の唸る音との手元で鳴る水音が、薄暗い台所に響く。そこにの呼吸の気配が混ざる。そのかすかな気配は、土方の耳にしか聞こえない。

 ふたりの体が静かに熱を帯びていく。

 先に音を上げたのは、の方だった。

「土方さん、ちょっと待って……!」

 土方は唇をそっと離して、鼻先にぶつかるの後れ毛を見た。土方の呼吸に合わせてふわふわと揺れている、丸くカールした産毛。

 は音を立ててたらいから手を上げると、前掛けで水滴を拭いながら土方を振り仰いだ。

「もう一回、言ってくれません?」

 は切羽詰まったように吐息だけで言う。土方も吐息だけで答えた。

「何を?」
「今言ったこと」

 土方は口をつぐんで目を細めた。

「何でだよ?」
「もう一回言ってくれたら、また明日から頑張れる気がするんです。だから」

 はねだるように土方の頬を撫でた。

 冷水できんきんに冷えたその指先を、土方はとっさに掴んで自分の腰に回す。

「頑張らせたくねぇから、言わねぇ」

 そして、ぶつけるような口づけをした。の手は土方に促されるまま隊服の上着の中に入り、土方の背中ままで滑り込んだ。土方の体温がこもった上着の中、そのぬくもりにの冷え切った手が痺れるように温かくなる。指先がむず痒いような切ないような感じになって、は思わず隊服を力いっぱい握締めた。





 翌日の稽古は、いつにも増して激しいものになった。

「おら、気合い入れろ! 舐めてんじゃねぇぞこら!」

 土方の振るう竹刀が鋭い音を立てる。胴を打たれて昏倒した隊士は、小さな悲鳴を上げながらなんとか道場の隅に後退したものの、次に順番が回ってきた隊士は竹刀を構えた段階で腰が引けていた。胴着を付けずに竹刀を構える土方に、それでも手も足も出ない。

「トシの奴、今日は随分気合が入ってるなぁ」

 と、近藤が言い、

「いや、あれはどちらかというと荒れているんではないですか?」

 と、冷や汗をかきながら山崎が言い、

「夜勤なんか任されたのがよっぽど気に食わなかったんじゃねぇですかね」

 と、沖田が他人事のように言った。土方がひとりで隊士達の相手を買って出ているので、沖田の出番がなく暇をしているのだった。

さんはどう思います? 今日の土方さん」

 山崎に水を向けられたは、作り笑いを浮かべてとぼけた。

「仕事がたまってイラついてるんじゃない?」
さん、すいません、いいですか」
「はい、どうぞ」

 水浴びでもしてきたように汗をかいた隊士が、の前に膝をつく。差し出された右腕に大きなミミズバレができていた。小手を狙った竹刀が外れたらしい。氷水でよく冷やした手拭いを固く絞って腫れあがった腕に押し当ててやると、隊士は気持ちよさそうに息を吐いて目を細めた。

「あぁ、気持ちいい。ありがとうございます」

 は隊士の顔を見て、目を細めた。彼は昨夜、酒の入った赤ら顔で「のいる風俗店になら絶対に通う」と豪語していた彼だった。

「お疲れさま」
「はい。今日の副長、虫の居所が悪すぎますね!」

 自業自得でしょうにと、は笑顔の下でこっそり思う。土方にも大人げないところがあるが、彼もずいぶん無神経だ。土方を怒らせるようなことを自分がしただなんて想像もしていないのに違いない。

 はいっそばかばかしくなって、冷めた気分になった。ここで文句のひとつでも言えるなら言ってやりたい。けれど、そんなことをしてこの場の空気を悪くする度胸も、自分の立場を悪くする勇気もにはなかった。そんなことをするくらいなら、人形のように笑って何も感じないふりをしていた方がずっといい。そういう女がここでは求められている。

 それでも、もういいのかもしれない。こんなところにしかない幸せが確かにあるのだ。それを手に入れるために、多少の侮辱は甘んじて受けよう。

「それじゃ、これは名誉の負傷ね」
「痛ってぇ!」

 は微笑んで彼に言うと、手拭いに触れるふりをして傷口に爪を立てた。

「あら、ごめんなさい。大丈夫?」

 彼は涙目になりながら、それでも辛うじて痛そうな笑顔を返してきた。

 は心の中でざまあみろと思い、ちょうど隊士の面に竹刀を打ち込んで一本取った土方が全く同じことを思ったことを、ほんの一瞬交わった視線で感じ取った。










20180527