* 喧嘩したり、噛んだり、縛ったり、お道具使ったりします。苦手な方はここで引き返してくださいね!























 暗く澱んだ雲が空を覆いつくす、どんよりとしたある日。

 は副長室の前の縁側に膝をつき、障子越しにそっと声を掛けた。

「失礼します。お茶をお持ちしました」
「おう」

 応える声を聞いてから、障子を開く。ちょうど土方はスカーフを結び直して身支度を整えているところだった。

「お出掛けですか?」
「あぁ、まぁな」

 土方の受け答えは短く、素っ気ない。厳しい眼差しからは切羽詰まったような雰囲気が感じられて、はできるだけ土方の邪魔にならないよう息を詰めて急須から茶を注いだ。

「悪ぃけど、もう出なきゃならねぇから下げてくれ」
「一杯くらい飲んでいかれたらどうですか? せっかくですから」
「時間がねぇんだよ」
「あんまり焦っているといいことありませんよ。急がば回れって言うでしょう」

 に笑顔を向けられて、土方は言葉を詰まらせた。先人の残した言葉は多くの場合正しい。土方は仕方がなさそうにため息を吐くと、どかりと腰を下ろしてずずずと茶をすすった。腰に差した刀が畳にあたって硬質な音を鳴らす。

「ゆっくりできなくて悪いな」
「いいえ。私もこれから出掛ける用事があるので」
「へぇ、そう」
「土方さんはお仕事ですか?」
「まぁな。お前は?」
「買い物です。大江戸デパートまで」
「大江戸デパート?」

 途端に、土方の表情が曇った。その唐突な変化に、は首を傾げる。ただでさえ鋭い土方の目が、親の仇でも見つけたように強い光を帯びる。

「何でまたそんなところに?」

 土方は睨み付けるような目をしながら言う。

「何でって、だから、買い物ですよ。デパートに行くのに、他に理由があります?」
「そんなことは分かってるけどよ。その、なんだ。そこじゃねぇと駄目な理由でもあんの?」

 大江戸デパートの何が土方をこんなに不安にさせているのだろう。には、何が何やらさっぱり分からない。

「どうしてもってことないと思いますけど、そこで待ち合わせしてるんです」
「待ち合わせって誰と?」
「銀さんと」

 言うなり、土方の顔が曇った。

「なんでまたあいつと?」
「お登勢さんのお誕生日プレゼントを選びたいんですって。見繕うの手伝ってくれって頼まれたんですよ」

 土方は難しいことを考えるような顔してお茶を飲み干した。

 は、なんだか嫌な予感がして膝に乗せた手をきゅっと握る。土方は銀時を毛嫌いしていて、が銀時とちょっと顔を合わせただけでいつも嫌な顔をする。やきもち焼き、とがからかうと、そんなことはないと真っ向から否定するが、それはただ意地を張っているだけのことだ。どんなプライドが土方にそういう行動を取らせているのかは分からないが、はそういう土方の性分には呆れるのを通り越してほとほと嫌気が差していた。

 心配しなくても、銀時とは何の関係もないと、いったい何度口にすれば土方は納得するのだろう。

「なぁ、悪いこと言わねぇから、今日は屯所でじっとしてろよ」

 だというのに、土方は大真面目な顔をしてそんなことを言う。はもはやため息も出なかった。

「銀さんと買い物に行くくらい、いいじゃないですか」
「そういうことを言ってんじゃねぇんだよ」
「じゃあ何が言いたいんですか?」
「その、アレだ。大江戸デパートなんて人の多いとこ行って、スリにでもあったらどうすんだよ」
「銀さんが一緒ですもの。大丈夫です」
「なんだか雲行きも怪しいしよ」
「傘を持っていきます。もう、本当、何なんですか? 一体」

 なんだか腹が立ってきて、はつい語調を強めてしまう。部屋の時計を見ると、そろそろ準備をしなければ待ち合わせの時間に遅れてしまいそうだった。

「土方さん、お仕事なんでしょう? 私もそろそろ出ますから」
「おい、ちょっと待てよ」

 立ち上がりかけたの腕を、土方はとっさに掴んで引き留める。はその手を見下ろして、土方を睨み付けた。

「離して」

 土方は答えず、黙っての腕を掴んだ手に力を込める。を睨み返すその目は、訳の分からないことを言ってを困らせている人間と同じとは思えないほど強い光を宿していて、はほんの少し気圧されたが腹に力を入れて気合いを入れた。

 土方に力付くで言いくるめられるなんて、そんなことは絶対に嫌だった。

「頼むから言うこと聞けよ」
「嫌です。どうして土方さんにそんなこと言う権利があるの?」
「別にそんな話してねぇだろうが」
「土方さんが銀さんを嫌いなのは知ってますけど、それを私にまで押し付けるのはやめてください!」
「あいつに会うな、だなんてそんな極端なこと言ってねぇだろ!? 今日ぐらい屯所で大人しくしてろって言ってるだけだろうが!?」
「それとこれとどこが違うの!?」
「全然違うわ!」
「違くない! 土方さんは、自分の好き嫌いを私に押し付けようとしてるだけじゃない!」
「だから! そんなこと言ってねぇだろうが!?」

 の腕が軋むほど、土方の手に力が入る。痛みに顔をゆがめながらはそれを振り払おうとしたが、抵抗すればするほど土方の力は増すばかりだ。

 とっさに、は空いた手を振り上げたが、その手も何なく土方に捕まってしまった。

「ちょっと……っ!」

 そのまま力負けしたは、土方に押し倒され両腕を畳に縫い留められてしまった。土方の体にぶつかった湯呑が盆の上で倒れて高い音が鳴る。

 土方はの体の上に馬乗りになって、眼光鋭く言い放った。

「お前が行かねぇって言うまで離さねぇからな」
「はぁ?」

 本当にわけが分からなくなって、は目を白黒させる。いくら銀時を嫌っているとはいっても、土方がここまでして自分を引き留めようとする意味が分からない。

「何を馬鹿なこと言い出したの?」
「馬鹿じゃねぇ。真面目に言ってんだ」
「そんなこと大真面目に言うこと自体どうかしてるわ」

 無茶だとは分かっていたが、は必死の抵抗を試みた。両腕は全く自由にならなかったので、足なら動くかと力を込めてみたけれどビクともしない。土方の両膝が骨盤をがっしりと挟み込んでいるせいだ。さすが、喧嘩慣れしている男は違う。せめて気持ちだけは負けていられないと土方を睨み返すけれど、の身動きを封じて完全に優位に立った土方にはなんの効果もなかった。

 切れ長の鋭い瞳は、怒りを湛えて獣のように光っている。ふと、その影が濃くなった。その分瞳の光の強さが増す。

 ぎらりと光る、獲物を狙う獣の瞳。

 土方はを押さえ込んだまま、その首筋に歯を立てた。

「いやっ……! やめて……っ!」

 犬歯が肌に食い込むのを感じて、は鳥肌を立てて身をよじる。けれどやはり土方の腕力の前ではなすすべがない。やがて土方が顔を上げた頃には、首筋にくっきりと土方の歯型と赤い痕が残ってしまっていた。

「これでしばらく人前には出られねぇだろ」

 と、土方は得意げに言う。

 は潤んだ瞳で、精一杯の力で土方を睨み上げた。

「……ひどい」
「何とでも言え。言うこと聞かねぇお前が悪い」

 その言葉に、は目の前が真っ赤になるような怒りを覚えた。かっと頭に血が昇って、理性が効かなくなってしまう。

 は土方のことを慕っているし、こんな状況でなければ喜んで体を差し出すこともできるけれど、の意思を無視した一方的なやり方をされるのは心の底から嫌だった。土方は独占欲が強いところがあると感じたことはこれまでにも何度かあったけれど、まさかここまでされるとは。

「土方さんなんか大嫌い」

 は心からの嫌悪を込めてそう吐き捨てた。

 土方は目元をぴくりと痙攣させたが、不快感をあらわにするわけでも、ましてや腕の力を緩めるでもなく、落ち着き払った態度で静かに言う。

「大嫌いでかまやしねぇから、今日は屯所を出るな」

 と、その時だった。

 障子の向こうで閃光が走る。少し遅れて空が割れるような雷鳴が響いて、その余韻がまだ消え去らないうちに土砂降りの雨が降り出した。空は夜のように暗くなり、雨は執拗に地面を打ち付けて騒がしいほどだ。

 ふたりはお互いに睨み合ったまま雨空の騒音に耳を傾けていたが、沈黙を破ったのはの一言だった。

「土方さん。そこを退いて。待ち合わせの時間に遅れちゃう」

 雨音にかき消されそうな声だったが、土方の耳にだけはそれはしっかりと届いた。土方が唇を噛み締めて次の言葉を探していると、土方の胸ポケットの中から携帯電話の着信音が響いた。

 土方は少し迷ったが、の頭の上に両手を重ねて置いて片方の手だけで押さえつけてから、非難がましい目で睨み上げてくるの目を見つめたまま、通話ボタンをプッシュした。

「もしもし?」
『あ、土方さん? 今どこですか?』

 電話の相手は沖田だ。この突然の雨で電波が弱っているのか、少し音が遠い。

『もうすぐ時間ですよ。どこで油売ってるんです?』
「あー、そうだな」

 にも、かすかに漏れ聞こえてくる沖田の声は聞こえていた。急いで出掛けなければならないのは土方も同じなのだ。は早く行ってしまえと、顎をしゃくって訴える。

 けれど土方は、沖田の呼び出しにも、の訴えにも耳を貸さなかった。

「悪ぃけど、今、手が離せねぇ。そっちはお前に任せる」
『手が離せねぇって、何かあったんですかぃ?』
「気にすんな、こっちの話だ。じゃぁな」
『あ、ひじか……』

 沖田の声を無視して電話を切ると、土方はそれを背中に向かって放り投げた。携帯電話は畳の上を滑って部屋に隅に追いやられた。

 は嫌味っぽく目を細めて言った。

「仕事サボるなんて、税金泥棒って言われても文句言えないわね」
「お前、嫌味言ってられんのも今のうちだぞ」

 そう言うと、土方は首に巻いたスカーフを解き、それでの手首を頭の上で縛り上げてしまった。抵抗する間もない手際の良さで、はなすすべもない。

「ちょっと! もういい加減にして! 私が何したっていうの!?」

 土方はようやく自由になった両手を軽く振りながら、優越感に歪んだ視線でを見下ろす。

 その視線にぞっとして、は体をすくませた。原因は何なのかさっぱり見当もつかなかったが、どうやら土方の逆鱗に触れてしまったことは間違いなさそうだった。






つづく




20171016



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