不審者が出て困っているという通報を受け、真選組ではとある百貨店の見廻りを強化することになった。

 その日、見廻りに当たっていたのは土方と山崎だ。

 きらびやかな照明に照らされた店内は、主に女性向けの商品が陳列されていて、当然女性客が多い。豪華な着物、甘い香水の香り、着飾った人間ばかりが行き交う店内で、真選組の黒い隊服はいかにも物々しい。ふたりが通路を行こうとすると、モーセが海を割るように人の波がふたつに割れる。露骨に煙たいような視線を向けられてどんな顔をすればいいのかも分からない。

「因果な仕事ですよねぇ」

 と、山崎は曖昧に微笑みながらつぶやいた。

 土方はそれよりも、全館禁煙の店内で煙草を咥えることもできないのが気に食わなかった。口に何も咥えていないだけで気持ちが落ち着かない。

 それを見かねたのか、山崎は「俺、上の階を見回ってきますねー」と言って、そそくさとエスカレーターを昇って行ってしまった。煙不足で苛立った土方のとばっちりを受けないためだろう。

 土方はあらかじめ決めておいたルートをたどっていたが、ふと、ある店の前で足を止めた。アクセサリーを扱うきらびやかな店舗だ。

 ショーケースに飾られていたかんざしが目に入る。明度の高い緑色の海を閉じ込めたような蜻蛉玉が飾られたかんざしだ。それを見た瞬間、土方の脳裏に遠子の顔がちらついた。珍しいことだった。土方は仕事中、仕事以外の事は極力考えないようにしている。

 おかしいな、と思った瞬間、店員が「何か気になるものでも?」と営業スマイルを浮かべて身を乗り出してきた。

「こちらは今日入荷したばかりの新商品でして、有名な職人が作った一点ものなんですよ、派手さはありませんがこの蜻蛉玉の繊細な細工が素晴らしいでしょう。この技を持っている職人は今の時代にはほとんどおりません、さすが真選組の副長殿、お目が高い! 恋人への贈り物ですか? お包みしますよ、包装代はサービスさせてください!」

 そうしてそれは、あれよあれよという間に土方の手の上に乗っかってしまったのだった。

「あれ、副長買い物したんですか?」

 合流した山崎が呑気な顔をして言う。その言い方に無性に腹が立って、土方は拳を山崎の肩に打ち込んだ。



 土方は重いため息を吐く。

 目の前には、繊細なリボンをかけた小さなプレゼントボックスがあった。

 仕事道具しかない殺風景な部屋の真ん中に、ちょこんと鎮座するそれの似つかわしくないことといったらない。目障りなので押入れの中に押し込んでみたけれど、それはそれで気になって仕事が手につかなかった。仕方なく、机の上に持ってきて腕組みをして睨みつけている。

 土方は自分のしでかした想定外の事態に混乱していた。

 そもそも、何をしたくてこんなもの買ってしまったのか、土方自身にも分からなかった。遠子に贈る以外に使い道はないわけだからそうするしかないのだけれど、計画があったわけではない。

 誕生日プレゼントにでもしようかと考えてみたが、遠子の誕生日を思い出せず、情けなさに眉間に皺を寄せる。履歴書を見れば分かることだがわざわざ倉庫に行かなければならないし、そこまでするくらいなら直接聞いた方が早い。遠子との付き合いはそれなりに長いのだ、今更それを聞くのはいくら何でも失礼だろう。それに、その日があんまり先だったらその日が来るまでずっと気をもんでいなければならないことになるし、こんなことに頭を悩ませて仕事が手につかないという状況を打破するためにもさっさと渡してしまった方がいい。けれど、なんの準備もなくこれだけひょいと渡してしまうのも風情がないし、百貨店の店員いわくとてもいい品らしいから、それなりの贈り方をしてやらないと格好がつかないんじゃないだろうかとも思う。

 土方が頭を抱えてうなだれていると、ほとほとと足音が聞こえてきた。土方は慌てて包みを文机の下に隠し、もっともらしく筆を持ち直す。

 想像通り、ひょこりと顔を見せたのは遠子だった。

「ご苦労様です。吸殻ありますか?」
「おぉ、頼む」

 包みを隠しておいて良かったと、土方は内心ほっとした。と同時に、いや待てよと疑問も浮かぶ。

 仕事中とはいえ、今、遠子とふたりきりだ。渡すチャンスなのではないか? 

 けれど、吸殻を回収しにきたこのタイミングではムードがなさすぎるだろうか。せめて何か、気の利いたことを言った方がいいだろうか?

 あれこれと考えてみるけれど、全くいいアイデアは浮かばない。ニコチンの力で何かいい考えが浮かばないだろうかと、土方はすがるような気持ちで煙草に火を着けた。

「お忙しそうですね」
「今日中に終わらせときてぇんだよ。明日休みだからな」
「そうなんですか。何かご予定でも?」
「別に何もねぇけど」
「それじゃ、ゆっくり休めますね」
「お前は明日も仕事か?」
「えぇ、明日は市場に仕入れの相談へ行ってきます」
「そっか、忙しそうだな」

 難しい事を考えすぎて肩が凝った気がして、土方はこきりと首を傾けた。いやにいい音がして、遠子は心配そうな顔をして笑った。

「あんまり無理なさらないで、早く休んでくださいね」

 その気遣わしげな声に、土方は複雑な気持ちになった。仕事とは全く関係のないことに頭を悩ませて気疲れしてしまっただけなのに、いかにも雑務に追われてくたくたになっているような振る舞いをして、全く何をやっているのだか。

 気まずさをごまかすために筆を取り直して墨を含ませる。書くべき文字もなく硯の上に滑る筆は、浜辺に打ち上げられてなすすべもなくのたうち回る魚の尾ひれのようで、それは頭を抱えてじたばたともがく土方にそっくりだった。

「それじゃ、失礼します」

 遠子が膝を引いて立ち上がろうとする。土方は慌ててそれを引き留めた。

「なぁ。明日は、仕事何時に終わる?」
「夕方には終わると思いますけど」
「なら、飯でも食いに行かねぇか?」
「あら、いいんですか?」

 遠子の表情がぱっと明るくなった。

「だから誘ってんだろうが」
「嬉しいです。連れてってください」

 遠子が嬉しそうに頷いて、土方は口元がにやけてしまいそうになるのをなんとか堪えた。ふたりで食事に行くのは久しぶりだった。何かと騒がしいことばかり起こるこの屯所では、顔は見れてもなかなかゆっくり話もできないのだ。

「じゃ、明日な」
「はい」

 それまでには、何かいい策が思いつくといいのだが。土方は祈るような気持ちで思った。



 仕事を片付けるのに真夜中過ぎまでかかり、数時間だけ眠っていつも通りに目を覚ます。身支度を整えて、早朝の稽古。しばらくひとりで木刀を振っていると、眠そうに眼をこすりながら、若い隊士達が顔を見せ始める。素振りをはじめる隊士達に発破をかけたら、土方の稽古は終わりだ。申し出があれば手合わせのひとつやふたつしてやることもあるが、今日はそもそも休日だ。早々に道場を出る。

 顔を洗って着替えをして食堂に行ったが、遠子はいなかった。台所仕事は人に任せて、別の仕事でもしているのだろう、掃除か洗濯か、どちらにせよ、顔を見ずに済んで助かったと、土方はほっとした。今はどんな顔をして話をすればいいのか分からなかった。

 手早く朝食を済ませて部屋へ戻ると、鉄之助が茶器を持って顔を見せた。

「俺ァ今日休みなんだから、わざわざ淹れに来んでもいいんだぞ」

 いかにも鬱陶しいという態度を隠さずに土方は言ったが、鉄之助はまったくめげずに笑った。

「いいえ! 毎日やらないと忘れてしまうので! 練習させてください!」

 鉄之助の淹れる茶はまずい。いったいどういう淹れ方をしたらあんなに渋い味になるのか、そばで見ていてもちっとも分からない。鉄之助なりに丁寧に淹れているようだが、やっぱり今日も眉根が寄るほどまずくて、土方は渋い顔をしてなんとかそれを飲み込んだ。

「今日は、屯所でゆっくりされるんですか?」
「いや、出掛ける」
「では、お伴します!」
「てめぇは素振りでもしてろ。今のままじゃいつまでたっても現場に出れねぇぞ」
「けど俺は副長の小姓ですから」
「頼むから、今日はひとりにしておいてくれ、一緒にいられても邪魔なんだ」
「あ、もしかして遠子さんとデートですか?」

 ずばりと言われて、土方の眉間の皺が一段と深くなった。それが図星を刺されたためだと鉄之助にも分かったのだろう。

「それじゃお伴するわけには行きませんねぇ」

 と、鉄之助は餅のように白くて丸い顔を緩ませる。物わかりのいいふりをした大人ぶった態度に土方はいらいらしたけれど、いくつも年下のがきにあたるほど大人気ないつもりはないのでぐっとこらえた。

「分かったんならさっさと出ていけ」
「あれ、でも遠子さんはお休みじゃないですよね? さっき洗濯物干しているところ見ましたよ」
「話を聞けよ。約束は夕方からなんだよ」
「あ、なんだ、そうなんですね、それまでに遠子さんのお仕事片付くといいですね」
「お前、本当にいい加減にしろよ」

 このままではらちがあかない。土方は手近にあった帳面を一枚破きとって走り書きすると、鉄之助の目の前にそれを突き付けた。

「この店、この時間に予約しとけ。席はふたつな」
「あ、この店知ってます。佐々木家の父がよく愛人を連れて行ってました」
「いい加減黙らねぇとその口二度ときけねぇようにしてやんぞ」

 ようやく口を閉じた鉄之助は、それでも楽しげに笑っていた。土方が遠子とデートをしてどうして鉄之助が喜ぶのか、なんだかからかわれているような気がして無性に腹が立った。



 昼前に屯所を出て、行きつけの定食屋で昼食をとる。

「おばちゃん、いつもの」
「はいよ、土方スペシャル一丁。あら、土方さんってばどうしたの? ひどい顔して」

 馴染みの女将に目を丸くしてそう言われ、土方はげんなりした。昼飯くらい誰にも構われずに静かに取りたかったが、どうやらそうもいかないらしい。

「なんでもねぇよ、ちょっと疲れてるだけだ」
「そういえば、制服じゃないところ見るの久しぶりね」
「近頃忙しくてな、久々のオフなんだ」
「そう、ゆっくりしていってね」
「そうそう、人間働いてばっかりはよくないよ。たまには息抜きもしないと」
「年がら年中息抜きしかしてねぇてめぇに言われたって説得力ねぇんだよ」

 坂田銀時は、温かいあんこがてんこ盛りになったどんぶりを口にかっこみながら、死んだ魚のような目をして言う。
 土方はぐったりとため息を吐いてうなだれた。

「どーした? 荒れてんな」
「なんでもねぇよ」
「なんでもねぇって顔してねぇぞ、鏡見たか? 目の下のくま、えぐいぞ」
「てめぇと違って俺は忙しいんだよ」
「へぇへぇ、暇人にお役人の苦労は分かりませんよ」
「だったら黙ってろ、飯食いながらしゃべるな、あんこ飛んでんだよ」
「あぁ、悪い」

 銀時は、テーブルに落ちたあんこの粒を箸を持った指でつまんで、口に放り込んだ。まったく下品だったらありゃしない。土方だって屯所で食事をしていれば同じことをするかもしれないが、自分のことは棚に上げて土方は目を細めた。

「それにしても、せっかくの休日に定食屋でひとり飯ってのはどうなの?」
「どういう意味だよ?」
「や、深い意味はねぇけど。彼女とデートでもすりゃいいじゃん」
「あいつは仕事だよ」
「へぇ、そりゃ残念だな」

 爪楊枝で、歯の間に挟まった小豆の皮をしーしー言いながら取っているのが、胸が悪くなるほど気持ちが悪い。炊き立てご飯の上でとろりととろけるマヨネーズの味を噛みしめるふりをして目を逸らす。

「お前だってそうだろうが」
「別に、俺はひとりもんだし。新八は家で飯食うって言うし、神楽にいたっては、そよ姫様んとこ遊びに行ってるからきっと俺よりいいもん食ってるよ」
「あぁ、そういやそんなこと聞いたな」
「なんだ、土方くん知ってたの?」
「姫様がお忍びで外出するときには、真選組が護衛につくこともあるからな。姫様の動向は耳には入ってくるんだよ」
「実際のところあのふたりどうなの? 本当に仲良いの?」
「なんだよ、藪から棒に」
「いやね、保護者としては心配なんだよ。姫様みたいな生粋のセレブと一緒にいて神楽が肩身の狭い思いしてないのかと思ってさ。あいつは根っからの貧乏体質で下品で粗野だからさ、価値観とか嗜好が合わなかったりしないのかね?」

 その原因の一端は明らかにお前にあるんじゃないのか、と言ってやりたかったが、話の腰を折るのが面倒だったのでやめた。

「価値観や嗜好がどうかは知らんが、仲は良いんじゃねぇの? 最近まで、姫様には同じ年頃の友達なんかいなかったからな。前はいかにも深層の姫らしく大人しくて清楚なお方だったけど、あいつと知り合ってからは護衛の俺らにも手に負えねぇくらいのお転婆だよ」
「うわ、それ絶対神楽の影響じゃねーか」
「俺が言うことじゃねぇかもしれねぇけど、別にいいんじゃねぇの。姫様とはいえ、やんちゃはガキの内にやっといた方がいい」
「そりゃ分かるけどさ、それは俺達みたいな凡人の理屈だろ。姫様にその常識が通用するかね?」
「俺が知るか。今言ったのは一般論だ」
「んだよ、冷てぇな。人がこんなに悩んでるっつーのによ」

 悩んでいるのはこっちだっつーの。という言葉を、土方はなんとか飲み込んだ。



 結局、待ち合わせの時間まで無為な時間を過ごしてしまった。暇つぶしに見た映画も、本屋で立ち読みをした雑誌も、内容がちっとも頭に入ってこなかった。

「今日、本当にお休みだったんですよね? 大丈夫です?」

 待ち合わせ場所で顔を合わせるなり、遠子は気づかわしげにそう言った。

 疲れた顔を見せてはいけないと思うものの、何の悩みもないふりをしてへらへら笑う気にもなれず、土方は煙草を吸う手で顔を半分隠してごまかした。

「なんでもねぇよ、ちゃんと休んだっつーの」
「ならいいんですけど」

 遠子は土方の隣について歩いて来たけれど、人目を気にしているのか、土方と肩を並べないようにほんの少し斜め後ろを歩いていた。いつもの着物、いつもの巾着、いつもの髪型、少しも気取らない雰囲気で、そんな遠子を見ているとプレゼントひとつでこんなにも心乱れてしまう自分がいっそうみっともなく思えてきた。

 結局、一日がかりで考えてなんの妙案も浮かばなかった。

 落ちこむ土方にさらに追い打ちをかけたのは、件の店に席が取れていなかったことだった。鉄之助が時間を間違えて予約していたらしい。土方は目元を手で覆って、眉間に浮いた青筋を隠した。こういう大事なことを鉄之助に頼むのではなかった。あいつがひとつの仕事こなすのに何も間違いをおかさないことはないと分かっていたのに。情けないやら恥ずかしいやらで、遠子の顔をまともに見ることもできない。久しぶりにふたりきりで過ごせる夜なのに、出足からこんな失敗をして、格好悪いったらない。

 土方は絞り出すような声で言った。

「……すまん」
「仕方ありませんよ。他のお店探しましょ」

 遠子はそう言ってくれたけれど、その声がどんなに穏やかで優しくても責められているように聞こえる。

 あてもなく夕暮れが近づく街を歩きながら、土方は情けなさが極致に達して、もはや自暴自棄な気持ちになってきた。何も取り繕う気持ちも起きず、煙草に火を着けて一服する。遠子は大人しく土方の後をついてくる。

 なんだかもう、なにもかもがどうでもいい。そもそも、どうしてこんなことになったのだ。ただ、遠子にかんざしを渡したかっただけのことなのに、何をこんなにも悩む必要があったんだろう。一日がかりでぐるぐると考え込んでも堂々巡りをするだけで何の成果も生み出させなかった。ほとほと馬鹿らしい。

「ねぇ、土方さん」

 ふと、遠子が土方の袖を引いた。

「なんだ?」
「あそこ、市が立ってますよ」

 遠子が指を差した方を見ると、寺の参道沿いに露店や屋台、掛茶屋が立ち並んでいた。夕方になって店仕舞いをはじめている店もあるが、まだ人通りも多く賑わっている。どうやら、今日は縁日らしい。

「少しだけのぞいていきませんか?」
「もう終いなんじゃねぇのか?」
「ちょっとだけ、ね」

 遠子がうきうきと目を輝かせるので、土方は袖を引かれるまま参道に足を踏み入れた。

 子どもから年寄りまで、賑やかな人出だ。地元に馴染んだ縁日なのだろう、金物屋や花屋、八百屋までが露店を出している。さすがにこの時間になると品ぞろえも寂しくなっているが、店主はみな清々しい顔で呼び込みの声を上げていた。
 遠子は瀬戸物屋の露店の前で足を止める。こげ茶色の布地の上にずらりと並んだ陶器の食器の中から、遠子は渋い色味の湯呑を選ぶ。

「こういうの、どうですか?」
「どうって?」
「土方さんの湯呑、足が少し欠けちゃってるでしょう」

 それも鉄之助の粗相のひとつだ。言われなければ気づかないほど小さな欠けだからあまり気にせずに使い続けていたのだが、さすがに遠子は気づいていたらしい。

「別に、茶が飲めれば何でもいい」
「せっかくなんですから、見るだけでも」

 遠子が湯呑を差し出してくるので、手に取って眺めてみる。深い色をした焼き物で手のひらにずっしりと重い。確かに、足が欠けた湯呑で飲む茶より、こういう湯呑を使えば鉄之助の淹れるまずい茶もなんとか飲めるかもしれない。無造作に張られた値札には驚くほどかわいらしい数字が書き込まれていて、0の数を数え間違えたのかと思うほどだった。
 遠子が別の湯呑を手に取ると、店主が「ふたつ買ってくれたら負けてやるよ」とセールストークを繰り出してくる。

「どのくらい負けてくれます?」

 遠子はいたずらっぽく笑ってそれに答えた。

「そうだね、これでどう?」

 店主が指を三本立てたのがどういう意味なのかは分からなかったが、遠子が満足そうに笑ったから、そうけち臭い負け方ではないのだろう。

「どうですか? 土方さん」
「そうだな」

 湯呑を見下ろしながら、土方は全く別のことを考えていた。

 誰かに物を贈ろうというとき、値段とか包装とか、ましてやそれを渡すための場所とか時間とかは土方が思うよりずっと些末な問題で、相手のことを真に思っているのであればそれは露店で安売りされてる湯呑ひとつでもかまいはしないのだ。その証拠に、遠子が自分のために選んでくれた湯呑を手に持っているだけで、土方は満足していた。

 結局、湯呑は買わず、ふたりで露店を冷やかして歩いた。品物を指差してあれがかわいいだとか、これは使いやすそうだとか思いつくまま話すのは楽しいひとときだった。

 日も落ちかけた頃、閉店間際の掛茶屋でたたき売りされていた団子と茶を買った。朱色の布を張った長椅子に並んで、暮れなずむ空と、だんだんと人通りが少なくなっていく寺の参道を眺めながら、土方は何気なく懐に片手を差し込んだ。

「これ、やる」

 自分でも驚くほど落ち着いた気持ちで、土方はそう言った。遠子は茶を体の脇に置いてから、まるで空いた食器を下げるような気安でそれを受け取った。

「何ですか?」
「まぁ、なんだ。さっきのぞいた雑貨屋で買った」
「えぇ? いつの間に?」

 遠子が半笑いになるのも当然だった。明らかに嘘だと分かる嘘なのだ。

 口から勝手にこぼれ落ちるでまかせは、くだらないプライドの欠片だ。

 遠子の前で格好をつけたい、みっともない恥ずかしい真似はしたくない。自慢に思ってもらえるような男でありたい。けれど、それを意識すればするほどうまくいかない。そういう自分の性分は今日一日で嫌というほど理解できた。

 思い返せば昔からそうだった。女のこととなると途端にぐずぐずと悩んで、考えすぎて、もっとスマートにこなしたいのにちっともうまくいかない。みっともなくて情けない思いを何度も繰り返してきた。

 遠子もきっと、とっくにそれを分かっている。分かった上で、こうして隣に座っていっしょに茶を飲んだりしてくれるのだ。

 豪快に団子を横食いした土方は、横目で遠子を見やってぎょっとした。遠子は十字架を捧げ持つようにかんざしを持ち、何かこらえるような顔をしてぐっと唇を噛んでいた。少し強い風が吹いてきて、飛ばされそうになった包装紙を土方は慌ててつかむ。

「あぁっ、すいません……!」
「どうした? ぼけっとして」
「いや、だってあの……」

 遠子はいまさら照れくさそうに風に乱れた髪を耳にかけ、土方の目を見ずにしどろもどろに言った。

「こんなの、初めてじゃないですか」

 遠子は我慢ができなくなったように笑い出した。日差しに暖められた掛茶屋の腰かけのような、ほんのりと温かい笑い声だった。聞いているだけで体の奥からほかほかとして、つられて土方もひっそりと口角を持ち上げた。

「うれしい」

 遠子はかんざしを宝物のように胸に抱く。ひとりごとのような言い方だったので、土方は何も答えずにそっと煙草に火を着けた。

 東の空は夜の裾がたなびくような群青色が広がり始めている。

 吐いた煙が、空に昇ってそのまま雲になるようた。

 その中に光り輝く一番星を見つけて、土方はなんだか得をしたような気分になった。







20191006