「デートって、何したらいいんだろう?」

 と、サイダーのペットボトルの蓋をひねりながら、景光は真顔で言った。炭酸が抜ける爽やかな音に、コンビニの自動ドアから流れる短いメロディが重なったことをなんとなく覚えている。

「どうした? 突然」

 降谷はペットボトルを傾ける景光の横顔に向かって言った。
 景光はサイダーを一口飲むと、それを降谷に手渡した。ふたりともこづかいが限られていたので、1本のペットボトルをふたりで分け合うのは、景光と降谷の子どもの頃から続く暗黙の約束だった。

「週末に会うことになったんだよ。けど、あんまり金もないし、どうしようかと思ってさ。彼女がどうしたら喜んでくれるのかも分かんないし」
「ヒロ、彼女できたのか。もしかしてこの間の合コンのあの子?」
「まだ付き合ってない。告白もしてないし、あれ以来会うの初めてだよ」
「へぇ」
「へぇってなんだよ、もっと興味持てよ」

 景光はそう言って笑いながら、降谷の肩を叩いた。

「もうとっくにくっついてるのかと思ってたんだよ。いい感じだったじゃないか」
「そんな簡単にいくかよ」
「なんでだよ? 俺はあの子もヒロのこと好きなんだと思ったけどな」
「どうしてそんなこと分かるんだよ?」

 降谷はあの日のことを思い返しながら、景光の隣で由梨から感じた印象を頭の中で整理した。

「人間の目は、好きなものを見ると瞳孔が開く性質があるんだ。好きな人が目の前にいると緊張するだろ。すると交感神経がはたらいて、瞳孔散大筋が動いて虹彩が縮む。それで瞳孔が大きくなって黒目がちになる。こうなると瞳がきらきら輝いて見えるんだ。あの日の彼女はお前を見るたびに瞳孔が伸縮してた。おもしろいなーと思ってたんだ」
「……ゼロ、お前女の子のどこを見てるんだよ?」
「最近人体に関する本を読んでだからつい。ヒロも読むか?」
「読まないよ。全く、ホームズ好きにもほどがあるな。もしかしてボクシングはじめたのもその影響?」
「テニスができなくなったからってのもあるけどな」
「俺、相談する相手を間違えたかも」
「何でだよ? 俺は、彼女は科学的に言ってもお前のこと好きだろうって言ってるんだ。自信持って行って来いよ」
「そんな想像通りにうまくいくかな?」

 景光は不安そうな顔をして、夕暮れの空を仰いだ。景光と降谷は長い付き合いになるが、そんな風に心細そうな顔をする景光はとても珍しかった。離れて暮らしているという兄の話をするときもこんな顔はしない。夕日の赤い光がその輪郭を縁取って、それがますます景光の抱える不安を深刻なものに見せた。

「大丈夫、きっとうまくいくさ」

 降谷はそう言って、元気づけるように景光の肩を叩いた。

「お前はいい奴だ。こんな優しい男に振り向かない女はいないよ、俺が保証する」

 景光はくすりと笑った。

「ありがとな、ゼロ。そう言われると元気が出るよ」
「本当のことだからな」
「振られたら慰めてくれよな」
「分かったよ」

 それからふたりで本屋に寄って、雑誌を立ち読みして流行りの店を物色した。景光のこづかいではとても手が出ないような店を見つけては大騒ぎして、結局は慣れたファストフード店に行くのが余計な緊張をしなくて済むだろうという結論になった。映画を見るのと美術館に行くのとではどっちが安上がりか散々議論して、彼女はウィンドウショッピングとカラオケとどちらが好きか、答えの出ないことを話し合った。

 景光と由梨の初めてのデートコースは、景光と降谷ふたりで決めたのだ。

「ゼロは、彼女が欲しいと思わないの?」

 必死に頭を悩ませて作り上げたデートコースと予算のメモを眺めながら、何気なく景光が言った。

 その質問にきっぱりと即答したことを、降谷は大人になった今でもはっきりと覚えている。

「思わないな」

 景光は驚くというよりむしろ呆れていた。

「どうして? ゼロはもてるのに。もったいない」
「もてても別に嬉しくない。あいつらみんな俺の顔しか見てないしな。正直に言って鬱陶しいよ」
「世の中のもてない男が聞いたらなんて言うか」
「今はボクシングが楽しいんだ。体は鍛えれば鍛えただけ強くなる。それをもっと実感したい」
「ゼロはどうしてそんなに体を鍛えてるの?」

 その質問に、当時の降谷はうまく答えることができなかった。誰よりも強くなりたいとか、それらしいことを言ってごまかしたような記憶はあるが、はっきりとは覚えていない。

 降谷は子どもの頃から喧嘩っ早くて、日本人離れした外見を冷やかされるたび、手を上げて大暴れする子どもだった。それを見かねた大人が降谷にスポーツをすることを勧めた。喧嘩をすることでしか発散できなかったいらだちを、スポーツを通して発散することを学んだことは、その後の降谷の人生にとって大きな影響を及ぼしている。中学生の時に肩を壊すまではテニスを、その後はボクシングを続けているが、大会に出て結果を残すことは目的ではない。子どもの頃、降谷を日々喧嘩に駆り立てたあの爆弾のようないらだちは、今でも降谷の腹の底でなりを潜めている。それは数年に一度の割合で首をもたげ、降谷に燃えるようなあの激情を思い出させるのだ。

 その正体がなんなのかを突き止めるためには、体を鍛えることが一番の近道だった。








20191006