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それからの五日間は、驚くほど何事もなく過ぎた。
土方さんは毎日昼過ぎに吉原にやってきて、翌日の朝になったら地上に戻るというルーティーンを繰り返し、吉原の町にいる間はずっと私のそばにいてくれた。貸座敷の台所であんこを炊いたり、白玉を茹でたり、日輪さんと屋台の打ち合わせをしたり、高尾の密葬を手伝ったり、どこへ行くにも一緒だった。
あまり話はしなかったけれど、ずっとふたりでいた。
ときどき、監察の山崎くんや、銀さんが顔を出してくれた。山崎くんは監察として、見えないところで私を守ってくれているらしく、ほんの少し土方さんと話をすると風のように去ってしまったけれど、銀さんはちょくちょくお汁粉をごちそうになりに来た。どうやら神楽ちゃんや新八君の目を盗んで仕事をさぼってきているらしかった。
土方さんとは顔を合わせるたびに喧嘩になったけれど、それはいつも通りの売り言葉に買い言葉の平和な口喧嘩で、はたで聞いているだけで楽しい気持ちになった。
それに、銀さんが来ているときだけは、土方さんの緊張が少しだけほどけているようだった。銀さんがいるときには、板の間で昼寝をしていることもあった。そんな土方さんの顔に油性ペンで落書きをしようとした銀さんを止めるのは、少し大変だった。四六時中私を守って気を張り詰めて、口には出さないけれど、きっと疲れているんだろう。
夜は、必ず土方さんと一緒に部屋でくつろいだ。
営業を休んでいる貸座敷はとても静かで、ねずみが屋根裏を走る物音までよく聞こえる。もし、見知らぬ闖入者があったらすぐに気づけるだろう。それでも、土方さんは手の届く範囲から刀を手放さなかった。
「見張っててやるから、ゆっくり眠れよ」
「土方さんが寝ないなら私も起きてます」
「体もたねぇぞ」
「土方さんこそ」
とはいえ、することもなく手持無沙汰なものだから、暇つぶしにふたりで花札をした。
向かい合って座り、こいこいをする。ひとしきり勝負を楽しんだ後、手札に視線を落としたまま、土方さんが呟いた。
「お前、本当のところはどう思ってんの?」
「何がですか?」
「こんなことになって、後悔とかしてねぇ?」
「後悔って、何に?」
手札から顔を上げると、土方さんは眉根に深い皺を寄せて、じっと自分の手札を睨んでいた。何をかけているわけでもない、ただの花札にどうしてそんなに真剣になるのかと思ったけれど、どうやら全く別のことを考えているらしかった。
「例えば、真選組の家政婦になんかならなければ、こんな風に命を狙われることもなかっただろう、とかさ」
「どうしてそんな風に思うんです?」
「それが事実だろ」
「銀さんと昔馴染みっていう事実は消えないんだから、それが原因で命を狙われることも、もしかしたらあったかもしれませんよ」
「それじゃ、万事屋の野郎ともなんの関わりもなかったとしたら? 攘夷活動や、幕府ともなんの関係もなく、ただの一市民として生きていたとしたら?」
「そうなったらもう、それは私じゃない別の誰かさんだわ」
私が笑ったら、土方さんはため息を吐きながら、手札を膝の上に下ろした。次に札を引くのは土方さんの番なのに、手も伸ばさない。
仕方がなく、私も手札を下ろした。
「そんな、ありもしないことを言い出すなんて、土方さんらしくないですね」
「言いたくもなる。俺はお前に、真選組の任務にも関わらせたくなかった。なのに、関わるどころか敵の標的にさせちまうだなんて」
「私も、こんな風になるなんて思ってもみませんでした。私が、真選組の命運を握る存在になるなんて」
土方さんは、体のどこかが痛むような顔をして目を伏せた。
「本当にすまねぇと思ってる。俺がもっと、うまくやっていればこんなことにはならなかったかもしれねぇのに……」
「謝らないでください。私は少しも怒ってないんですから」
「けど、お前は何も悪くねぇのに、どうしてこんな目に合わなきゃならねぇんだ? 真選組に、俺達にこんなに深入りしなければ、こんな辛い思いさせずに済んだはずだ」
「土方さん」
とっさに、手を伸ばして土方さんの手を掴んだ。
土方さんが目を丸くして、私を見る。手札を持ったままの土方さんの手から、花札がするすると滑って畳に落ちた。
「こんなこと言ったら、怒られるかもしれないけど、私、嬉しかったのよ」
「何が?」
「私を、頼りにしてもらえたこと」
花魁となって吉原に潜入し侍殺しの犯人を捜す仕事を任されたとき、私は嬉しかった。何の力もない、ただの家政婦の私が、真選組のためにできることがある。そう言ってもらえたことが嬉しかった。
「私が生き残ることで、真選組が御取り潰しになることを防げるんだったら、私は絶対に、生き残ってみせるわ。ひとりで自分の身を守ることもできない私だけど、生きること、ただそれだけで、真選組を助けることができるなんて、私にとってすごく嬉しいことなのよ」
土方さんの手が、私の手をそっと握り返す。その指が、優しく私の指に絡んだ。
「怖くねぇのか?」
「そりゃ、怖いわよ。けど」
「けど?」
とっさに、言葉に詰まった。本当のことを言ったら、土方さんは呆れるだろか。けれど、土方さんの眼差しは、どこまでも優しく温かくて、嘘を吐く気にはなれなかった。
「けど、土方さんとこんなに長く一緒にいられるのは、初めてなんですもの」
もし、私がこの任務を断って地上でいつも通りの生活を続けていたら、この任務が片付かない間は土方さんとゆっくり話をすることもできなかっただろう。任務とはいえ、毎晩土方さんとひとつの部屋で、誰にも邪魔されずにふたりきりでいられる。いつもどおり屯所で生活していてはなかなか難しいことだ。
たとえこの命が危険にさらされようと、土方さんのそばにいられるなら、私にとってそれ以上に幸せなことは何もなかった。
「殺されるかもしれねぇっていうのに、呑気な奴だな」
案の定、土方さんは私が想像していた通りの呆れ顔をした。その顔がおかしくて、私は笑いながら、土方さんの手を力いっぱい握りしめた。
「もしそうなったとしても、好きな人の隣で死ねるんなら私は幸せだわ」
「縁起でもねぇこというんじゃねぇ」
土方さんが繋いだ手をぐいと引っ張る。その胸にすっぽりと納まった私の体を、土方さんは優しく抱きとめてくれた。
まるで、小さな子どもを宝物のように抱き上げるような、優しく力強い腕だった。
「そんなことは、俺が絶対にさせねぇ」
「はい、分かってます」
「生きて帰るぞ。そうすりゃ、いやでもずっと一緒にいられる」
「はい」
20200413(再録)