銀時と土方、ふたりだけの険悪な宴会は、真夜中を過ぎても続いていた。

 目の前に並んだ料理を片っ端から口の中に放り込んでいく銀時とは対称的に、土方は舐めるように酒を飲んで豪勢な食事にはほとんど手を付けていない。お互いを罵る言葉の応酬にはまったく手を抜かず、酌をする女将が口を挟む隙もない。

 どのくらいの時間をそうやって過ごしたのだろうか、ふいに、土方が女将に言った。

「椿はどうした?」
「お部屋で待っていると思いますよ。そろそろお休みになられますか?」
「いやいい、そのまま待たせておけ。お前も席を外してくれ」

 もりもりと寿司を頬張りながら女将と花魁を見送った銀時は、やけに怖い顔をして盃を睨んでいる土方を見やった。酒を飲んでいるにしては、その顔色はちっとも変わらない。どうやら、体を温める以上の量は飲んでいないらしい。

 銀時は口の中のものを飲み込んで、身を乗り出した。

「お前も、その名で呼ぶんだな」

 土方は銀時を睨み上げて、唸るように言った。

「こんな場所で、うかつに本当の名前なんか呼べるか」
「その辺の事情、話してくれる気あんのかよ?」
「お前のことだから、もう薄々気づいてるんだろ」
「警察の事情までは頭回んねぇよ」
「あいつから聞かなかったのか?」
「聞いたよ。侍殺しの犯人探しだろ。吉原の町は警察には捜査できねぇから、花魁に化けてお前らの代わりに犯人を探す」
「そこまで聞いてりゃ十分だろ」
「それだけじゃねぇんだろ?」

 銀時は頬杖を付きながら厳しく土方を睨み上げる。
 土方は盃を離して、真っ向から銀時に向き合った。

「何を見た?」
「今日一日あいつと一緒にいたら、後を付けられた。俺の見立てでは、どこぞのお偉いさんに雇われた興信所の探偵ってところか」
「探偵じゃねぇ、監察だ」
「あいつが何したっていうんだ?」

 土方は懐から煙草を取り出して一服した。立ち上る紫煙が、土方の迷いを表すようにゆらゆらと揺れて空へ消えていく。

「佐々木鉄之助の件を覚えてるか?」
「誰だっけそいつ?」
「俺の小姓だ。昔、とある攘夷党の小間使いなんかしていたことがあってな、危うく真選組がお取り潰しになるところだったんだぜ。っていうか、お前もあの時そこにいただろうが」
「あぁ、そうだったそうだった。そういやそんなことあったな」

 全く何も思い出していなさそうな顔で、銀時はうそぶいた。土方は額に青筋を浮かべて危うく怒鳴り散らそうになったが、それでは話が進まないのでなんとか耐えた。

「あの時、俺はお前が伝説の攘夷志士・白夜叉であると知った。あいつはお前とは昔馴染みなんだろう、そのことが原因で、あいつにも攘夷活動に関わった嫌疑がかけられてる」
「だから、それは昔の話だって言ってんだろうが。俺に罪がないのと同じか、それ以上にあいつに罪なんかねぇよ。それはお前だって分かってんだろ」
「当たり前だ。だから俺は隠し通そうとしたんだ。だが、上に気づかれた」
「上って誰?」
「警察庁長官、松平片栗虎」

 銀時は松平がどんな人物かは知らなかったが、土方の顔を見る限りろくなものではなさそうだった。

「お前の力でどうにかなんねぇの?」
「ならなかったから、こういう状況になってんだよ」

 自棄になったのか、土方は手酌で酒を注ぎ、一気に煽った。

「今、地上にはあいつの身代わりがいる。松平のとっつぁんが手配した忍だ。うまく化けているし、よほどのことがない限り正体がバレることはないだろう。そいつが今、警察に拘束されて事情聴取を受けている。あいつの部屋も家宅捜索された。少しでも攘夷活動に関わったと思われるような証拠品でも見つかればそれで終わりだ」
「あいつがそんなもん持ってるとは思えねぇ。どうせ、証拠不十分で不起訴になるだろ。どうしてわざわざ花魁の真似事なんかさせてる?」
「あいつが黒だと、俺達は知っているからだ」

 銀時は目を丸くした。つまり真選組は全てを知った上で、その身を守ろうとしているということだ。

「吉原の町にあいつを連れてきたのは、あいつが事情聴取を受けたとして、うまく言い逃れができるとは思わなかったからだ。あいつは取り調べには慣れてねぇからな」
「実際に攘夷活動に加担したわけでもねぇのに?」
「実際にやっていなくても、やったことにしやがるのが警察だよ」
「その警察とやらは何がしたいんだ?」
「攘夷浪士のスパイを、易々と屯所に招き入れた真選組に責任を取らせようとでもしてるんだろ」
「もしかして、侍殺しの犯人の件もでっち上げか?」
「それはない。俺が事件を担当したんだ。この町に犯人がいることは間違いない。あいつをこの町に隠す口実に使ったんだ」
「このこと、あいつはどこまで知ってるんだ?」
「お前があいつから直接聞いたこと以上のことは伝えてない」

 銀時は黙って、土方を睨んだ。
 つまり、命が危ういというのになんの事情も説明せず、吉原という檻の中に閉じ込めているというだけの話だ。その檻の中にいてさえ危険はあるのだというのに。

「お前さ、あいつのこと馬鹿だと思ってるだろ?」
「はぁ?」

 土方は目を吊り上げて銀時を睨んだ。

「急に何を言い出す?」
「別に、あいつが今どういう状況に陥ってるのか説明もしてやらねぇなんてさ。あいつは子どもじゃねぇんだぜ。どう考えたって馬鹿にしてるだろ」
「馬鹿にってなんだ、俺はあいつを守るために、やりたくもねぇ座敷通いなんかしてやってんだよ」
「で、毎晩部屋に通ってやりまくってんだろ? 自分の都合のいいように女使って、真選組の鬼副長は本当に偉いんだな」
「四六時中監視されてるっつーのにそんなことできるか! 馬鹿にしてんのはてめぇの方だろ!?」
「あいつは、お前のために、体を張って仕事してんだよ!! お前に自分の命、預けてんだぞ!! それをちゃんと分かってんのかてめぇは!?」
「んなことてめぇに言われなくても分かってるわ!!」
「だったらお前も! あいつに自分の命預けるくらいの覚悟みせてみろよあぁん!?」
「何にも知らねぇくせに分かったような口聞くんじゃねぇ!!」

 いつの間にか、ふたりは立ち上がってお互いの胸倉を掴んでいた。つま先に引っかかったお膳がひっくり返り、徳利が倒れて酒が零れる。けれど、ふたりともそれには全く構わなかった。ただ、お互いの燃えるような瞳を睨み合っていた。

 ふたり同時に振り上げたこぶしが空を切る。けれどそれは、相手の顔面にたどり着く前にぴたりと止まった。

 夜を切り裂くような悲鳴が、聞こえた。



 いつになく、深く眠った。

 この吉原の町に来てからずっと、自分でも気づかないうちに緊張していたのだと思う。慣れない仕事、着物、髪型、化粧。何もかもが新鮮で目が回るような日々だった。高尾の布団はそんな私の緊張を、優しく包んでほどいてくれた。
 
 不思議だった。まだ出会って間もない女性の、商売用の三段重ねの絹布団で一緒に眠ることが、こんなにも心地の良いものだなんて、何か特別な魔法がかかっているようにしか思えなかった。そのくらい高尾が隣で眠ってくれることは特別なことだった。高尾を買う男達はみんな、この心地良さに癒されたんだろう。

 深く深く眠った。けれど、それはそんなに長い時間ではなかったらしい。目が覚めたとき、部屋の中はまだ暗かった。

 この町の日の出は遅いけれど、その時間にもまだ遠いような気が、なんとなくした。少し寒くて、隣で眠っているはずの高尾の方に手を伸ばす。 けれど、指先に触れたのは、熱くてぬるりとした何かだった。

 電気が走るように意識が覚醒して、全身に鳥肌が立つ。何か良くないことが起こっているのが考えなくても分かった。怖くて目を開けられない。恐るおそる、鼻から息を吸ってみる。重くて熱い、生々しい生き物の匂いを感じて思わず身構えた。
この匂いはよく知っている。

 女の、血の匂いだ。
 
 その時だ。

 引きつった悲鳴が上がって、世界中の空気が鳴動した。驚きのあまり見開いた目に映ったのは、暗闇の中、踊るように体をよじらせ足をもつれさせながら部屋から逃げ出ていく男の影だった。ゆっくりと体を起こして、隣で眠っている高尾を見下ろした。こんな騒ぎが起きているというのに、高尾は表情ひとつ変えずに眠り続けていた。

 高尾の首は、そこからあふれ出る鮮血で真っ赤に染まり、絹布団を静かに濡らし続けていた。



 そこからのことは、よく覚えていない。

 悲鳴を聞きつけて、誰か来てくれたのだと思う。私は布団の上から引きずり降ろされ、誰かの腕に抱えられて自分の部屋に戻った。誰かがずっと抱きしめていてくれて、優しい言葉をかけ続けてくれた。真冬だというのにその人の体は少し汗臭くて、息からはお酒の匂いがした。高尾の血で汚れた私の指は、輪郭をなくしたように真っ赤に染まっていて、こんなに強く抱きしめられて着物を汚しては悪いなと思ったけれど、そんなことにも構わないでいてくれた。

 体に沿った黒い洋服の上に、白い着物。ふわふわの白髪。ようやく目に映るものを脳で処理できるようになってきたころには、すっかり夜が明けていた。

 隣の部屋から聞こえてくる土方さんと月詠さんの声だけが、なぜかはっきりと聞き取れるのが不思議だった。

「太刀傷じゃな」
「座敷の人間が、犯人の姿を見てる。俺も声だけは聴いた。若い男だそうだ」
「おぬしらが捜していた男と同一人物という可能性はあるか?」
「顔さえ見りゃ確認できる。今、俺の部下に追わせている」
「この町で勝手なことをするな。と言いたいところだが、ことは急を要する。警察の取り調べの前に、百華にも捜査はさせてもらうぞ」
「好きにしろ」
「それにしても、なぜこんなことに…。一度は惚れた女に手を掛けるとはな」
「おそらく、間違えたんだ」
「間違えた?」
「椿が牡丹の打掛をかぶって寝ていたから、高尾を椿だと勘違いして斬り殺した。が、やってしまった後に間違いに気づいて、取り乱したんだろう」
「犯人は椿を狙っていたということか?」
「その可能性もある」
「椿が花魁に扮して、この貸座敷で犯人を探していたことを知っていたかもしれんということか」

 心臓の音がばくばくとうるさかった。
 頭が回らない。
 土方さんが、月詠さんが、何を言っているのか分からない。
 自分の体が自分のものではなくなってしまったような気がした。
 心と体が真っ二つに引き裂かれて、ばらばらになって、四方八方、手の届かないところまで散らばってしまったみたいだ。
 それをどうにかひとつずつ拾い集めて、体の形を作る。
 つみきをひとつずつ積み上げていくように、私の体を思い出していく。
 肩、胸、腰、足。
 銀さんの腕の中にある私の体。
 体にまとっているのは緋縮緬の長襦袢だけで、少し寒い。
 声を出したい。
 喉に力を入れて、ようやく呼吸の仕方を思い出す。
 喉の奥から押し出した声は嗚咽交じりでみっともなかったけれど、銀さんが私の頬に両手を添えてくれた。
 それでずいぶん、体の輪郭がはっきりした。

 言わなければ、聞かなければ。

「銀さん、教えて。可能性のひとつってどういうこと?」



 ずいぶん日が高くなってから、やっと土方さんは来てくれた。

 銀さんが私の手に着いた高尾の血を拭きとってくれている最中で、髪は乱れたまま、着物も着替えていなかった。

「怪我したのか?」

 土方さんが心配そうに声を掛けてくれたけれど、顔を上げられなかった。わざと目を逸らした私の代わりに、銀さんが答えてくれた。

「汚れただけだ。なんともねぇよ」
「そうか」

 土方さんが私を見ているのが分かる。
 私は顔を上げずに問うた。

「どうして言ってくれなかったんですか?」
「何の話だ?」
「私が警察に疑われてるって」
「……おい、お前、話したのか?」
「こうなった以上は仕方ねぇだろ」
「余計なことするな」
「……余計なこと?」

 かっと頭に血が上ったのが分かって、こぶしを握り締めた。血を拭ってくれていた銀さんの手を巻き込んでしまったけれど、気にならなかった。乾いた高尾の血が手のひらの中でぱりぱりと崩れた。

「私のせいで高尾は死んだのよ! それが余計なこと?」
「そうじゃない、俺は……」
「どうして言ってくれなかったよ!」

 怒りに任せるままに叫んだら、声と一緒に涙が出た。

 高尾。優しくて、情け深い人だった。あんなにいい人が、どうしてこんなことで、私のせいで命を落とさなければならないのだ。

「少し話せるか?」
「いやよ。出て行って」
「頼む。大事な話だ」
「いやったらいや。顔も見たくない! お願いだから出て行って!」

 土方さんがため息を吐いたのが分かった。そんな小さな気配全てに腹が立った。



「風呂にでも行くか?」

 しばらくしてから、銀さんが誘ってくれた。

 まだ体に力が入らなかったけれど、髪が絡んで鬱陶しかったし、銀さんがきれいにしてくれたとは言え、手のひらにまだ気持ち悪い感覚が残っていた。

 銀さんが着替えを手伝ってくれ、荷物も全部持ってくれた。新しい雪が積もった真っ白な道を、銀さんの腕につかまりながら歩いた。けれど、太陽の光をはじいてぎらぎら光る雪道が眩しくて、眩暈がした。

「大丈夫か?」
「……ごめん、ちょっと辛い」
「あんまり辛いなら戻るか?」
「ううん、ちょっとだけ休ませて」

 路地に入って、手近にあったビール箱に手拭いを敷いて座り込んだ。銀さんは太陽の光を遮るように、私のすぐ隣に立っていてくれた。

 遠くから子どもの笑い声が聞こえる。この雪は子ども達にとっては格好の遊び道具なんだろう。

 私も子どもの頃、銀さんと一緒に雪まみれになって遊んだことがある。暗い路地から、眩しい世界を見ていると、懐かしい景色が脳裏に思い浮かんだ。

「昔、あんな風に遊んだよな」

 銀さんが言った。どうやら同じことを考えていたらしい。

「懐かしいわね」
「覚えてるか? 雪合戦をして、お前が高杉に勝ったこと」
「まぐれだったけどね、覚えてるわよ。高杉君に勝ったのはあれ一回きりだった。あの後、ずいぶんいじめられたわ」
「お坊ちゃんのプライドに触ったんだろう。ヅラが必死になだめすかしても聞く耳持ちやしなかった」
「本当に、意地悪で大嫌いだったわ」
「今も?」
「子どもの頃のことを根に持つほど心の狭い人間じゃないわよ。向こうはどう思ってると思う?」
「まぁ、あんまり触れられたくはないんじゃねぇの。おそろしくプライドが高い奴だからな」
「昔から面倒くさい人だったわ」
「そうだな」
「……こんな話してるから誤解されるのよね」

 膝を抱えて俯いた私に、銀さんはどこまでも優しかった。

「土方くんは分かってたことなんだろ?」
「そうだけど、まさかこんなことになるなんて思ってなかったわ。土方さんは誰にも言わないでいてくれたし、近藤さんや沖田くんもたぶん知ってるけど、私には何にも聞かないでいてくれた。気づいてないふりをしてくれてたんだと思う」
「どこから漏れたんだろうな」
「さぁ。私には分からないことが多すぎるわ」
「これからどうしたい?」
「……」

 そう聞かれたとたん、頭が真っ白になってしまった。
 これから先のことを考えると、目も耳もふさがれたようになってしまう。

 私の時計だけが昨夜から動きを止めてしまったようだ。夜は明けて、太陽はあんなに高いところに上っているのに。祭りに浮かれる町の片隅で、私だけ別の世界に放り込まれている。

 どうしたらいいんだろう。考えなくちゃいけないのに、頭の中のどこかが、もう修復できないくらいずたずたになって壊れてしまった。

 高尾。
 たった数日一緒にいただけだった。たったそれだけの縁だった。

 私の身代わりに死んでしまった。申しわけなくて仕方がなかった。どうしたら償えるんだろう。恨むなら恨んでほしいし、枕元に化けて出て祟り殺してくれたらどんなにいいかと思う。

「もし、真選組にいられなくなったら、俺がちゃんと守ってやっから。安心しろよ」

 顔を上げると、銀さんは眩しそうに目を細めながら、白く光る雪道を見ていた。

 子どもが雪玉を投げ合って遊んでいて、太陽の光を照り返して鏡のようにチカチカ光っている。銀さんの白い髪、その縁が逆光で淡く光って見えた。

「しばらくうちでゆっくりすればいいし、もし、警察がお前を追ってくるようなら、かくまってやる。ヅラに頼めば、江戸から逃げる算段もつけてくれるだろうさ、何せ、逃げの小太郎と呼ばれる男だからな。たとえ牢屋にぶち込まれたって逃がしてくれるよ」
「本当に?」
「あぁ。昔馴染みが困っているのに黙っていられる奴じゃない。それにあいつは、いつだって新たな同志を募集してるからな。知ってるか? あいつ、攘夷志士募集試験とかやってんだぜ」
「えぇ? 本当に?」
「お前も受けたらいい。元真選組の家政婦だ、きっと歓迎されるさ」

 冗談だとは分かっていたが、笑えた。笑うと少し体が温まって、元気が出てきた。

 立ち上がって、銀さんの肩に寄り添う。筋肉質だけれど不思議と柔らかい銀さんの体は、天然の湯たんぽのように温かかった。

「ありがとう、銀さん」







20200413(再録)