4
夜が明ける前に地上へ戻った土方さんを見送って部屋に戻ると、銀さんが酔いつぶれて眠っていた。
一緒にいたのは、高尾だった。
「おかえり、椿。いつものお客帰ったの?」
「何してるんですか?」
「椿がいつまでも戻って来ないから、代わりにお相手して差し上げてたのよ」
高尾は普段の着物姿で、化粧もほとんどしていない。花魁の夜明けは、仕事終わりで化粧も崩れて着物もはだけているものなのに、ずいぶんしゃっきりした格好をしている。
「もしかして、昨夜はお休みされてたんですか?」
「急に月のものが来ちゃってね。でも、お酌くらいはできるから」
どれだけ飲んだのか、銀さんは気を失ったようにぴくりともしない。その間抜けな寝顔を覗き込んで、恥ずかしい気持ちになった。身内の恥を見られているようで、顔から火が出そうだ。
「ごめんなさい、この人、酒癖が悪いでしょう、嫌なことされませんでした?」
「全然。これくらい他の客と比べたらかわいいものよ。それにこの人、椿の話ばかりしてたわ。妙なお客に捕まってやしないかって心配してた。いい人ね」
「それはどうかしら」
「照れちゃって」
「そんなんじゃありませんってば」
高尾は、百戦錬磨の花魁とは思えない、ただの町娘のような顔をして笑った。
銀さんは私が朝ご飯を食べて仮眠を取ってお風呂屋へ行って戻ってくるまでこんこんと眠り続けた。昼もずいぶん過ぎた頃にやっと目を覚ますと、頭がガンガンすると蚊の鳴くような声で訴えてきて、私はお酒が弱いくせにあんなに飲んだらそりゃそうでしょうよと、鏡に向かって化粧を直しながら、なげやりに答えた。
「今日も雪かきのお仕事があるんじゃないの? 昨日の夜も降ったみたいよ」
「神楽と新八がなんとかしてくれんだろ、俺がいなくてもあいつらならしっかりやるよ」
「せめて連絡くらいしたら? 心配かけちゃだめよ」
鏡越しに見やると、銀さんは青い顔をして、胸元をはだけたまま、真っ赤な絹布団の上に突っ伏していた。四肢には力が入っておらず、顔だけを私の方に向けている。
鏡越しに目が合って、とっさにそらしてしまった。このシチュエーション。
なんとも言えない色っぽい空気が流れて、気まずい。相手は子どもの頃からお互いをよく知っている銀さんなのに、一体どうしてしまったんだろう。胸の辺りがむかむかする。
「どっか出掛けるのか?」
「お祭りで出す屋台の下見に行くの。それから、例の犯人捜しよ」
「やめといた方がいいんじゃねぇの? お前が真選組の人間だってバレたら斬り殺されたって文句は言えねぇんだぞ」
「そうならないようによく気を付けるわ、ご忠告ありがとう」
銀さんは大きなため息をついた。あんまり大きな音がしたものだから驚いて振り向いたら、銀さんは重そうな体をのっそりと布団の上に起こしていた。
「ちょっと待ってろ。俺も行く」
「雪かきは?」
「なんとかなんだろ」
「日輪さんに怒られるわよ、月詠さんにも」
「いいから、ちょっと薬か何かない? 頭痛くて気持ち悪ぃ」
だったらそのまま寝ていればいいのに、とは思ったけれど、口には出さなかった。どうやら銀さんは私のことをとても心配してくれている。それを無下に断るのは悪いような気がした。
結局、私は銀さんに弱いのだ。誰よりも優しくしてあげたいし、頼られたら助けてあげたい。誰かに甘えたり、寄りかかったりするのがとても下手くそな人だ。そんな銀さんを突き放すのは、私にはとても難しいことだ。
「待ってて。何かもらってきてあげる」
祭りの日が近づくにつれて、吉原の町はさらに活気づいていた。
雪が積もった白い道、垣根には色とりどりの扇が飾りつけられて、きらきらと眩しい。日が高いからまだ火は入っていないけれど、軒下に赤い提灯が等間隔に並んでいる。誰か手の器用な人が作ったのか、雪灯篭を表玄関に構えている店もある。その隣に、子どもが作ったらしい大小の雪だるまが並んでいるのが可愛らしかった。
銀さんは、冷たい空気に触れて少し気分が良くなったらしい。赤い半纏を着て、私の半歩前を歩いていた。
「まだ祭りも始まってねぇのに、すごい人出だな」
「日輪さんが喜ぶでしょうね。きっと本番も盛り上がるわ」
「お前はどこで屋台出すんだよ?」
「中央通りの一角に、屋台村を作るんですって」
「人目は多そうだな」
「吉原に入った人はみんな通る道だしね」
「お前ひとりでやんの?」
「まさか。百華の皆さんが、町の見廻りをしながら交代で手伝ってくれるの」
「あいつらもよく働くな」
「そういうなら銀さんが手伝ってよ」
「俺は食うほう専門だよ」
「働かざる者食うべからず、って言うじゃない」
「働いてるよ。この道、一日かかって雪かきしたの誰だと思ってんだ」
「知らないみたいだから教えてあげるけど、雪は降るたびに積もるのよ。終わりのない仕事なの」
「っは! どうせ春になったら溶けてなくなるんだからもう放っておいたらいいんじゃねぇ? 雪を解かすのは太陽の仕事だろ、俺が太陽の仕事取る必要ねぇじゃん」
「太陽が雪を溶かしてくれるのを待ってたら、春が来る前に道が埋もれちゃうわ、特に今年はね」
「ったく、太陽め、仕事さぼりやがって、今に見てろよ、こんちくしょう」
曇り空の向こうで白く淡く輝いている太陽を見上げて、銀さんは目を険しくした。眩しくて目をすがめているのだとは分かるけれど、まるで本気で太陽に喧嘩を売っているようにも見えて、おかしかった。
「どうやって太陽に仕返しするのよ、もう」
こらえきれずに笑ってしまった。
道端には、この寒さだというのに小さな露店がぽつぽつと出ていた。吉原を訪ねてくる客に向けて女物の小物や髪飾りを売っている露店で、遊女への土産にと男性客が買い求めるのだ。春ならば生花も並ぶが、今は冬なので簪や櫛、小物入れなどが売られていた。
そんな露店をひやかして歩いていたら、あっという間に時間は流れた。
茶処「ひのや」に立ち寄って日輪さんに挨拶をし、店先で休憩することにした。
温かいお茶とみたらし団子。石油ストーブが赤々と燃えて温かく、お湯の沸いたやかんから、しゅんしゅんと湯気が立ち上っている。
「椿」
と、銀さんが呟いた。
その視線を追いかけると、ちょうど向かいの引手茶屋に立派な椿の生垣があった。真っ赤に色づいた侘助椿だ。白い雪をかぶってもなお、その花びらはふっくらと瑞々しい。
「きれいね」
「そうじゃなくて」
「え?」
「お前の名前なんだろ」
「そうだけど、それが何?」
「いや、別に。自分で決めたのか?」
「日輪さんと貸座敷の女将さんと相談してね。花魁はみんな、花とか星とかのきれいな名前をつけるから、私にもいい名前をって。季節に合っていていいでしょ?」
「それはどうだろうな」
「気に入らない?」
銀さんは団子の串を咥えて揺らしながら、頬杖をついている。何か真面目なことを考えているようにも見えるけれど、銀さんのことだから分からない。
「椿って、侍にとっては縁起の悪い花なんだよ」
「どうして?」
「花が散るときに、花の付け根からボロッと落ちるだろ。あれがまるで首を斬られたように見えるって言われてたんだ」
「銀さんでもそんな話信じてるの?」
「別に信じてるわけじゃねぇけど」
「気になるなら、いつも通りに名前で呼んでくれていいけど」
銀さんは椿の花を睨むような顔をして、答えなかった。
本当に、何を考えているんだろう。ついさっきまで二日酔いで痛む頭を抱えながらひっきりなしにえずいていたくせに。まぁ、考えても仕方がない。銀さんの頭の中を好き勝手に想像することは簡単だけれど、予想が当たらなかったときにがっかりしてしまうからやめておこう。
それよりも今、こうして銀さんとふたり並んで、美味しいお茶とお団子をいただきながら、冬の寒さや雪の冷たさにも負けずに咲き誇る美しい花を眺めていられるのは、なんて穏やかで楽しいんだろう。縁起が悪いと、銀さんは言うけれど、そんなことはとても些細なことに思えた。
銀さんの横顔を横目で見やりながら苦笑した。
「何をひとりで笑ってんだよ?」
「別になんでも。ただ、デートみたいだなって思って」
銀さんとはとても長い付き合いだけれど、こんなに長い時間をふたりで過ごすのは初めてのことだと、私はこの時初めて気が付いた。
「何を呑気なこと言ってんだよ」
と、銀さんは呆れた顔をして目を細くした。
銀さんとふたりでいる時間があまりに自然で、気取りがなく楽しかったおかげで、私は大変なことを忘れていた。貸座敷に戻ったところで、土方さんと鉢合わせてしまったのだ。
張見世の前で腕組みをして立っていた土方さんは、私が今まで見た中で一番怖い顔をして私を睨んだ。銀さんではなく、私を。
「おぉ、真選組の鬼副長さんじゃねぇか。こんなところで奇遇だな」
銀さんがやけにさっぱりした口調で言い、私をかばうように、土方さんと真正面から向き合った。
「てめぇこそ、こんな昼間っから花魁連れ歩いて、いつの間にそんなに羽振りが良くなったんだ?」
「この天気のおかげでどこに行っても仕事にゃ困らねぇんだよ。そっちこそ、警察が毎日吉原で女遊びとは、さすがお役人さんは違うわ。庶民の税金っていう財布を握ってるだけはある」
「ちょっと、銀さん。言いすぎよ」
とっさに銀さんの袖を引いたけれど、あっさり振り払われてしまった。銀さんはずいと土方さんに睨みを利かせて詰め寄った。
「事実だろ。金どころか、女まで自分の都合のいいようにしか扱わねぇ野郎だとは思わなかったけどな」
「何が言いてぇんだ? てめぇ」
「分かってるはずだろ」
「あ、あの!」
電気が走ったようなしびれを感じて、私はとっさにふたりの間に体を割り込ませた。銀さんと土方さんは顔を合わせればいつも喧嘩ばかりしているけれど、今日のそれはいつもと様子が違う。嫌な予感がした。
「ふたりとも、寒いでしょう。まずは中に入りましょう。ね?」
どうにか笑顔を作って、ふたりの胸に手をついて無理矢理体を引きはがしたら、ふたりは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
貸座敷に上がるには、腰に差している刀を見世の者に預けなければならない。これは見世側が、商売道具である花魁を守るために定めた作法だ。得物を手放した銀さんと土方さんは、手持無沙汰な様子で宴会場のひとつに通された。急な来客だというのに、女将さんは、「吉原の救世主がうちの見世に来てくれるなんて、こんなにありがたいことはない」と言って、快く応じてくれた。
外出着から花魁の衣装に着替え、ようやく宴会場に顔を出した頃には、ふたりの喧嘩はさらにヒートアップしていた。
向かい合って酒を飲みながら、思いつく限りの悪口雑言をまき散らしていて、お酌をしている女将は作り笑いを浮かべているが、目が全く笑っていなかった。
私はひとまず土方さんの隣に腰を落ち着けたけれど、土方さんはちらりと一瞥を寄越しただけで何も言葉はかけてくれなかった。私はここにいるのに、ふたりの目に私は映っていない。そのことに気づいて、私はそそくさを腰を上げて部屋を出た。誰にも止められなかったし、もしかしたら気づかれもしなかったかもしれない。
一体、何なんだろう。いつものふたり喧嘩とは何かが違う気がした。
お互いの言葉尻を捕えて、売り言葉に買い言葉、言葉の応酬、そして収集がつかなくなってしっちゃかめっちゃか、というパターンが銀さんと土方さんの喧嘩だと思っていた。今日のそれはもっと、お互いの弱点をひたすら突き、確実にダメージを負わせようとしてお互いが死力を尽くして戦っているようで、刀は持っていないけれど、言葉の刃で相手を斬り殺そうとでもしているようだった。
とても、見ていられなかった。喧嘩をするほど仲が良いとは、あのふたりのためにある言葉だと思っていたのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
「椿? どうしたの?」
ふと、声を掛けられて顔を上げると、高尾がいた。部屋の襖を少しだけ開いて、私を手招きしている。少し迷って、私はそれに応じた。このままひとりで自分の部屋に戻っても何をしたらいいか分からなかった。
高尾の部屋は、二間の続き部屋になっていた。手前は三段重ねの絹布団が主役の仕事部屋で、奥の部屋は生活用品のそろった居間だ。表通りに面した窓があって、この寒さのために締め切ってあるが、通りを彩る赤提灯の灯りが障子越しに照り返している。薄暗い部屋に、オレンジ色の行燈の灯りが温かい。
「急な宴会だとは聞いたけど、いなくていいの?」
「なんだか付け入るすきがなくて。私がいてもいなくても変わりないみたいだし、あんな口喧嘩、聞いてられないから逃げてきちゃいました」
「仕事放棄はいけないわね」
「怒られるかしら?」
「女将さんはあなたのおかげでたんまりお金はもらってるからね。多少のことは大目に見てくれるんじゃない」
「なんだかあのふたり、いつにも増してすごく険悪なの。たぶん、私のせいだと思うわ」
「あら、もしかして三角関係?」
「そんなんじゃないんだけど、あぁ、どうしよう。訳が分からなくなってきちゃった」
こんがらがった頭を抱えて困り果てた私を見て、高尾は笑った。優しく背中を撫でてくれて、子どもにするように頭を撫でてくれる。きめの細かい白磁の肌、真珠の表面を取り出して張り付けたような爪、体を近づけると着物に焚き染めた香のかおりが鼻先をくすぐった。
「そういう時はね、何にも考えずに寝ちゃうのが一番よ」
「でも、私、戻らないと……」
「ここに来るって誰にも言ってないんでしょう? かくまってあげるわよ」
「でも、まだ今日の報告もしてないのに……」
「椿は真面目ねぇ」
高尾は笑いながら、私の頬に両手を添える。その笑顔があんまりきれいで、そんな場合ではないのに、つい見とれてしまった。高尾はそれを見計らったのだろう、突然、私の着物の襟を掴んでずるりと下に引き下ろした。
「ちょっと? 何するの?」
「いいから、もう寝ちゃいましょう。何事も考えすぎるのはよくないわ」
「でも、」
「いいから観念なさい!」
長襦袢を体に巻き付けただけの格好で、強引に腕を引かれ、布団の上に押し倒されてしまった。三段重ねの絹布団は体の重心が不安定になるほどふかふかで、まるで雲の上に乗ったような心地がした。
「どう? 寝心地いいでしょ?」
高尾は私の隣に寝転んで、自慢げに笑った。
「そうね」
「もう二度と起き上がりたくなくなるでしょ」
「……そうね」
「それじゃ、もうこのまま寝ちゃいなさいな」
「……でも」
「そんなに心配しなくても、あなたが何もしなくたって状況は勝手に変わるわ。あなたにとっていい方に転ぶか悪い方に転ぶかは分からないけれど、近いうちに結果は出るわよ。だから、今は休みなさい」
なんだか、もう全て分かっているような口ぶりだった。
もしかして、銀さんから何か聞いたのだろうか。私の話ばかりしていたというけれど、一体どんな話を聞いたのだろう。あまり恥ずかしい話でないといいけれど、銀さんのことだからそういうことばかり話していそうな気がする。
「私も経験あるのよ。三角関係」
「そうなの?」
「そりゃぁね、これでも売れっ子の花魁だから。モテてしょうがないのよ」
「その話、聞かせて」
「別に大した話じゃないけどね、馴染みの客がふたり、私を取り合って地上で大喧嘩したらしいのよ」
「どんな人だったの?」
「さぁ、実はよく知らないの。身の上話とかしなかったしね。でも、ふたりとも悪い男じゃなかったわ。このご時世に帯刀してたから、もしかしたら幕臣だったのかもしれないわね」
「それで、どうなったの?」
「さぁね。喧嘩したって噂を聞いて以来、ふたりとも来ないわ」
地上で大喧嘩をしたというふたりはおそらく、殺された侍とその下手人だろう。この話は、私が高尾から聞き出さなければいけない話だ。
「おなじみの客が通ってこなくなると心配になるって言ってたわね。それはその人達のことね」
高尾は、ふたりの男の内ひとりがすでに死んでいて、もうひとりは殺人犯として追われていることを知っているんだろうか。知っているなら、こんなに穏やかな顔をしていられるとは思えないけれど。
「自分のお客同士が争うのは、やっぱり嫌なもの?」
「そりゃね、いい気はしないわよ。でも、男って馬鹿だから、こっちが何言っても聞きやしないわよ。花魁を取り合って何になるんだってね、こっちは金で男に買われるただの商品だっていうのに」
「でも、馴染みには情が湧くって言ってたじゃない。馬鹿だなんて言って、それで済む程度のものなの?」
「まぁ、私が原因で人が喧嘩してるなんていうのは、気分のいいことではないわよね」
「うん。私もそう思う」
「同じ女に惚れたんなら惚れた者同士、仲良くやればいいのに」
「それは無茶な話なんじゃない」
「男ってどうしてあんなに独占欲が強いのかしら」
「そうね」
「俺にはお前しかいないとか、好きだ愛してるだとか、散々言われてね。まぁ、それが商売だから本気になんかしなかったつもりだけど、嬉しかったわ」
「少しも、その気にならなかった?」
「もちろん」
「本当に?」
「本気なのは椿の方でしょう」
「え?」
「恋愛ごっこしてる私でさえ良心が痛むんだもの、本気で男を好いている椿は、きっと何倍も辛いんでしょうね」
ふと、寒気を感じてくしゃみをした私の背中に、高尾はそっと打掛を掛けてくれた。牡丹の花をあしらった豪華な打掛は少し重かったけれど、高尾の体温がまだ残っていてほのかに温かかった。
「寝ましょう。難しいことを考えるのはまた明日、ね」
20200413(再録)