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次の日は少し早起きをして、昼からあんこを炊いた。
祭りまであまり日がない。どれくらいのお客が来てくれるか分からないけれど、どれだけの人が来ても足りなくならないように用意しておかなければならない。
花魁達の朝食が済んだ台所で、ひとり大きな鍋の前に立つ。ぐつぐつと煮立つ小豆をじっと見下ろしていると、真選組屯所の慣れ親しんだ台所に立っているような気持ちになって、心がほぐれた。
「椿、何してるの?」
と、声を掛けられて振り向けば、そこにいたのは高尾花魁だった。長襦袢を体に巻き付けただけの格好で、すっかり下ろした髪は滝のように肩に落ちかかっている。化粧は落としていて眉毛がないから怒っているような顔をして見えたけれど、声の調子はさっぱりしていた。
「おはようございます、高尾花魁。あんこを炊いていたんですよ、うるさかったんならごめんなさい」
「いい匂いがするなと思っただけよ」
下駄をつっかけて土間に降りてきた高尾は、私の肩越しに鍋の中を覗き込んだ。
「へぇ、あんこってこうやって作るのね」
「簡単ですよ。やってみます?」
「私はいいわ、料理なんかしたら爪が折れちゃうし」
高尾はコップに水を一杯汲んで、細い喉を反らせる。その首筋にはたくさんの赤い花びらが散っていて、昨夜の仕事のありようを誇らしげに見せびらかしているようだった。
「お祭りで振る舞うんですってね」
「そうですよ。女性や子ども達にって、日輪さんが」
「今年のお祭りは賑やかになりそうね」
「高尾花魁は、何かするんですか?」
「いつも通り、お客のお相手よ。お汁粉食べに行きたいけれど、たぶん難しそうだから、たくさん味見させてくれると嬉しいわ」
「売れっ子の花魁は大変ですね」
「そんなことないわよ。ただ数をこなしているだけ」
「でも、いろんなお客さんが来るんでしょう? 全くタイプの違う人をきちんと満足させてあげられるのは腕のある証拠だと思います」
「お世辞がうまいわね」
内心、冷や汗ものだった。
仮にも同じ貸座敷で働く花魁同士、どんな客を相手にしているか、話の種にすることはあるだろうけれど、私はある特定の男について探らなければならないのだ。うまく話を持っていきたいけれど、勝手が分からない。こんなことなら、監察のプロの山崎くんにもっと話を聞いておけばよかった。
と、悩んでいたら、意外にも高尾の方から話をしてくれた。
「まぁ、でも、いろいろよ。男前もいれば、醜男もいる。上手いのがいれば下手なのもいる。筋骨隆々の強面の男がきたと思ったら、抱き合ってみれば子どもみたいに弱いところを見せてきたりするし、ひょろひょろの優男が、突然、怒鳴って殴りかかってきたりもする」
「そんな人の相手もするんですか?」
「そういう時は、うちではそういうサービスはできませんって、裸のまま外に放り出すの」
「あぁ、よかった。びっくりしちゃった」
「心配してくれてありがとう。まぁ、いろんな人がいるけれど、男ってみんなかわいい生き物よ。毎晩夜になると餌をねだってやってくる野良猫みたい。そう思ってれば、どんな男を相手にするにしてもそう難しいことじゃないわ。情が湧くっていうのかしらね、馴染みの客がぱったり通ってこなくなると、心配にもなるのよ。どっかで野垂れ死んだりしてないかしらって」
「そういう人はたくさんいるものなの?」
「そうねぇ、まぁ、それなりにね」
「それは、寂しいわね」
これ以上深掘りするには性急すぎる気がして、私はそのまま話を収めようとした。
ところが高尾はむき立てのゆで卵のような顔を私に近づけて、からかうように笑った。
「椿、あなた地上に男いるでしょ?」
その何とも言いようのない迫力に、私は体をのけ反らせて身構えた。
「なんですか? 急に」
「男に会えなくて寂しいなんて考えは吉原の女にはないわよ。呼んでもいないのにやってくるのが男よ。そんな言葉、男を喜ばせるため以外に使ったことないわ」
「そうなの?」
「ねぇ、どんな人? 自分の女が吉原に行くのを許す男って?」
なんだか困ったことになってしまった。真選組の鬼副長が、殺人犯の捜索のために身分を隠して、毎晩私の元に通っているだなんて、まさか言えるわけがない。
「そんな人いないわよ」
「嘘おっしゃい! 教えなさいよ」
さて、この窮状をどうしたものか。
考え込んでいた私の目の端に、白い雪のようなふわふわの頭をした男の姿が映り込んだ。赤いマフラーと耳当て、絶対に見間違うはずのない丸い猫背。寒さに鼻を真っ赤にしてくしゃみをした瞬間、こちらを振り返ったところで、目が合った。
高尾は私の視線の先に何があるのか気づくりなり、目を丸くして満面の笑顔になった。
「あぁ! 吉原の救世主様ね!」
「お前、こんなところで何してんの?」
勝手口から招き入れるなり、銀さんは目を丸くして言った。
「それはこっちのセリフよ。銀さんこそ何してるの?」
私は妙な誤解をされたことが気になって気が気ではなかった。しつこく食い下がってくる高尾をどうにか追い返したものの、意味ありげに笑いながら二階に駆けあがっていった高尾の後姿は、まるでいたずらを思いついた小娘のようで、毎晩何人もの男を虜にする経験豊富な女と同一人物とはとても思えなかった。
銀さんはあんこを炊いているかまどに手をかざして暖を取りながら答えた。
「俺はバイトで雪かきしてんだよ。このどか雪だろ、祭りも近いからって日輪にかりだされてよ。まったく、この寒いのにやってらんねぇよ」
「新八君と神楽ちゃんも来てるの?」
「まぁな。で、お前は何、その格好? いつの間に家政婦からジョブチェンジしたんだよ? ったく、教えろよな、水くせぇ」
「ばか。違うわよ。話を聞いて」
本当は、いけないことだとは分かっていた。
私は事件の捜査のために花魁に扮して吉原に潜入しているのだから、部外者にほいほいと簡単に情報をもらしたりしていいわけがない。けれど、相手が銀さんとなると、すっかり緊張感が緩んでしまった。
私が事情を説明している間に、体が温まってきたのか、銀さんはマフラーと耳当てを外して大きな音を立てて鼻をかんだ。
「この話、内緒よ。一応、極秘捜査なんだから」
「へぇへぇ、分かってるよ。ご苦労なこって」
「真面目に聞いてる?」
「聞いてるって」
言いながら、銀さんの目線はお鍋の中でちょうどよく煮えてきたあんこに注がれている。
「……良かったら、味見する?」
「え、いいの?」
と、言った銀さんの目は、大好物を目の前にした子どものように輝いていた。銀さんにとって、目の前の甘いあんこに比べたら、私の事情などどうでもいいことなのかもしれない。そう思うと、じわじわと腹が立ってくる。
お椀に柔らかく煮えたつぶあんをよそって、白玉を三粒落とす。銀さんはいただきますも言わずに、口の中一杯に白玉とあんこを頬張って、この上なく幸せそうな顔をしてリスみたいに頬っぺたを膨らませた。味つけはちょうどよさそうだということだけは分かった。
ふと視線を感じて振り返ると、柱の影に化粧っ気のない花魁達の顔が鈴なりになっていた。間違いなく、高尾の仕業だ。
楽しげな笑い声を上げながら逃げていく彼女達は、間違いなく私と銀さんとの仲を誤解しただろう。迷惑だとは思わないけれど、あまり気分は良くなかった。
「なぁ、これって今度の祭りで振る舞うのか?」
銀さんは私の気も知らず、勝手にお汁粉をおかわりしていた。
「そうよ。子どもや女性にも来てもらえるようにって、日輪さんがね」
「へぇそう。そりゃ助かるわ、ありがとな」
「何が?」
「祭りの日まで、俺の飯代が浮くからな」
つまり、毎日ここへお汁粉を山ほどたかりに来るということか。こめかみのあたりで何かが切れる音がして、私は反射的に微笑みを浮かべてみせた。怒りが沸点を超えると、むしろ笑えてくるのが私の昔からのくせだ。
「ねぇ、銀さん。いいこと教えてあげようか」
「なんだよ?」
「吉原の貸座敷にはどこにでも、このくらいの大きさのお鍋がたくさんあるのよ。何でか知ってる?」
「さぁ、なんで?」
「昔は毎日、これでふのりを煮ていたんですって。ちょうどいい硬さに煮るのが難しくて、上手に煮られるお女中さんは重宝されたんですってよ」
「ふのり? そんなもん何に使うんだよ?」
銀さんが口いっぱいにお汁粉を頬ばったところを見計らって、私はきっぱりと言った。
「あそこに使うローションよ」
銀さんは思い切りお汁粉を吹いた。ちょっとだけ、すっきりした。
そして、この夜、花魁・椿を買ったのは土方さんではなく、銀さんだった。
銀さんのことを嫌っているということはないけれど、私をだしに使ってただで飲み食いしようという魂胆が見え見えで、それを指摘したら、銀さんはとぼけた顔をしてうそぶいた。
「違うって。俺は誘われてきたんだよ」
「誰に?」
「高尾って花魁。金は自分が払うから会いに来てやれって。あーっと……」
「今は椿よ」
「つばき、な。そうそれ」
銀さんは手酌でぐいぐい酒を飲んで、あっという間に酔いが回ってしまったらしい。私はお酌をする気にもならなくて、脇息に肘を掛けてため息を吐いた。高尾が余計な気を遣ったせいで、本当に面倒なことになりそうだ。
「意外とさまになってんじゃんか。似合ってるよ」
「お世辞はいいわよ」
「いや、まじで。さすが、もとは水商売やってただけあるな。もしかして吉原でも働いてたことあんの?」
「まさか。吉原は身元のしっかりした女しか受け入れないわよ。私みたいな孤児が入れるようなところじゃないわ」
「入れるなら入りたかったか?」
「何を言ってるのよ」
「吉原の遊女になれば、うまくいけばどこぞの大名にでも見染められて一気に玉の輿に乗れたりしたかもしれねぇだろ」
私は、酔いに頬を赤く染めて、とろりとした目を宙に彷徨わせている銀さんを睨んだ。銀さんだって、私と土方さんの仲を知らないわけじゃないのに、よくそんなことが言えるものだ。
「そういうことには興味ないわ」
「それはそうとよ」
ふと、銀さんは潤んだ目を重そうに瞬きをする。そこに底知れない冷たさを感じて、私はとっさに襟を正した。窓か襖が締め切られていなくて、隙間風が吹き込んできたのかと思った。
「なんでただの家政婦が、侍殺しの犯人の捜索なんか任されてんの?」
「話したでしょ。警察の事情がいろいろとあるのよ」
「けど、こんなこと初めてだろ? お前が真選組の任務の関わるなんて」
「それはそうだけど、銀さん、何が言いたいの?」
胸の奥がざわついた。私の中の何かが大きな声で、この話は聞きたくないと叫んでいるような気がした。裾を握りしめた手が震えてしまいそうで、慌ててもう片方の手で握りしめる。
「あいつが、それを許している時点でおかしいと思うんだけどな」
「あいつって?」
「分かってるだろ」
「考えすぎよ」
「本気でそう思うか?」
「銀さん、酔っぱらってるからそんなこと考えるのよ。今日は、もうやめておいた方がいいわ」
徳利を引き離そうとしたら、私の手より先に銀さんの手が動いた。お酒で体温の上がった銀さんの手が、私の細い手首を掴む。
銀さんの目が、怖い。
「何かあったら遅ぇんだぞ」
「何かって、何よ?」
「お前、本当に何も疑ってねぇのか?」
「疑うも何もないわ。何かあっても、土方さんはちゃんと私のことを守ってくれるわよ」
疑わしそうな目をする銀さんを見つめ返して、私はきっぱりと言った。自分にも、言い聞かせるように。
「絶対に、大丈夫よ」
お手洗いに行くとでまかせを言って、どうにか部屋から逃げ出してすぐ、土方さんの待つ部屋へ行った。まわし部屋のひとつに通されていた土方さんは、落ち着かない様子で部屋の中を八の字にぐるぐると歩き回っていた。
「今まで何してたんだ!」
私の顔を見るなり、土方さんは大声で怒鳴って、力任せに私を抱きしめた。
着物の上からでも、土方さんの指が肩に食い込むのが分かる。痛くて仕方がなかったけれど、逃れたいとは思わなかった。
「先にお客がついちゃっただけよ、ごめんなさい。何もなかったから許して」
「本当か? 何もされなかっただろうな?」
「そんなに心配しないでってば」
少し無理をして笑い、土方さんの背中に両腕を回した。銀さんに掴まれたせいでできた右手首のあざに、決して気づかれないように。
20200413(再録)