花魁の朝は遅い。
 
 朝帰りのお客が帰った後に朝食を取り、部屋を掃除してから昼寝をする。午後はお風呂屋さんに行ったり、髪結いに来てもらったりして、夜の仕事に備えて身支度を整える。

 というのが、いつもの吉原の昼間の風景らしいのだけれど、今年の冬は一味違っていた。

 吉原は少し前まで、昼も夜も天井を閉じた文字通りの地下街だった。その吉原でこれだけの大雪が降るのは初めてのことで、町中が真っ白に染まるのも歴史上初めてのことらしい。
中には生まれて初めて雪を見たという者もいるらしく、町中の人が皆、子どもに戻ったように浮かれていた。
 
 本気を出した大人ほど、行動力のあるものもない。この大雪を利用して、数週間後には祭りを催す予定だというので、吉原で働く者は、引手茶屋も貸座敷も芸者も、誰も彼もが昼も夜も忙しく働いていた。町中が活気に溢れ、その熱でこの大雪も溶けるんじゃないかと思えるほどだった。

 昼過ぎに風呂屋へ行くと、大浴場は閑散としていた。みな、祭りの準備のためにたくさんの仕事を抱えて、ゆっくり湯につかる暇もないらしい。大きな湯船をひとり占めしてゆうゆうと手足を伸ばしていると、がらりとガラス戸を開く音がした。

「なんじゃ、お前も来ていたか」
「あぁ、月詠さん」

 百華の頭領である月詠さんは、よく鍛え上げられ均整の取れた体を手拭い一枚で隠していた。軽く体の汚れを落としてから私の隣に来ると、体に溜まった疲れを一気に吐き出すようなため息を吐きながら肩まで湯につかる。

「お仕事、お疲れさまです」
「お前もな。慣れぬ場所で花魁の真似事など辛かろう。今日は他に人もおらぬし、ゆっくり休むといい」
「ありがとう」

 月詠さんは私の事情を全て理解して、吉原の貸座敷に間借りする段取りを付けてくれた。侍殺しの犯人探しも、自分の仕事の合間を縫って手伝ってくれている。

「今の名は、椿といったか?」
「そうよ」
「では、椿。首尾はどうじゃ?」
「まだなんとも」
「まぁ、一日二日ではな。では、花魁の仕事の方はどうじゃ?」
「真選組の副長が買ってくれますけど、まわしも取れないし、あんまり優秀な花魁とは言えないと思うわ」
「そうか、それは残念じゃな」

 私は捜査のためにやってきた期間限定の花魁だ。普通の客は取らないと月詠さんも分かっているくせに、私を気遣って冗談を言って笑わせてくれる。そんなささいな気遣いが、嬉しかった。

「月詠さんも忙しそうね」
「まぁな。特に今は祭りの準備でてんてこまいじゃ」
「みんなすごく忙しいみたいで、びっくりしちゃったわ」
「そうじゃろう。この町の人間は祭り好きなんじゃ。春夏秋冬と、季節ごとの行事があってな。今年は吉原が解放されて以来初めての冬だから、気合いが入っておるんじゃ。雪灯篭作りに、垣根の飾り作りに、それから、この雪道で花魁道中をやりたいという大見世があってな」
「雪道で高下駄なんか履いたら、滑るでしょう。危ないわね」
「あぁ、だから今必死に練習しておる。わっちらはその警備と見物人の整理をせねばならん。まったく、猫の手も借りたい忙しさじゃ」

 忙しなく行きかう町の人々を毎日眺めていたけれど、そんなにも手が足りていないとは思いもよらなかった。話を聞いていると、なんだか血が騒いでくる。

「良かったら、私も何かお手伝いしましょうか?」
「しかし、お前も犯人探しで忙しかろう?」
「逆に言うと、それしかすることがないの。何かやらせてくれない? その方がこっちの仕事もはかどると思うし」
「そうか? そこまで言うなら、知恵を貸して欲しいことがあるんじゃが……」

 月詠さんは湯船の縁に腕をついて、湯の中で大きく体を伸ばした。その背中には見るにも明らかな傷跡があって、私はこっそり息を飲んだ。新しいものではない。打ち身や切り傷の痕は、一部の肌の色を濃くしたり、子どもの落書きのような白い線となって月詠さんの体に残っている。

 月詠は百華の頭領として、その腕っぷしの強さに敵う者はおそらくこの吉原にはいない。これまでにいくつの死線をくぐり抜けてきたのか、私には想像も及ばなかった。

 少なからず動揺している私には意を介さぬ様子で、月詠はお湯で柔らかくなった爪の甘皮をいじりながら言った。

「今度の祭りは、女や子どもにも開けたものにしたいと日輪が言うておってな。吉原を訪ねてくるのはいつもは男ばかりじゃが、吉原が解放されてずいぶん経つことだし、もっと稼ぎを上げるためには男ばかりを商売相手にしていても限界があるからな」
「日輪さんはそんなことまで考えてらっしゃるの」
「頭のいい女なんじゃ。そうでなければ、この吉原をひとつにまとめあげることなどできんさ。そのためにも、何か策はないか? 子どもや女を祭りに呼べるような工夫など」
「そうねぇ。定番だけど、お汁粉や甘酒でもふるまうのはどう?」
「汁粉や甘酒か」
「難しいかしら? 予算は安く上がると思うけど」
「だが、吉原の仕出し屋では扱ってはおらんな」
「作り方は簡単よ。人手さえあればなんとかなると思うけど」
「それなら、お前がやってくれんか?」
「いいの?」
「吉原の遊女は料理には不慣れな者ばかりだからの。腕が達者なお前がやってくれると助かる」
「じゃぁ、ぜひやらせてくださいな」

 いくら花魁の振りをしても、身に染みついたものは消えない。私は真選組の家政婦で、毎日台所に立つのが仕事だ。吉原へ来ても、どうやらそれは変わらないらしい。

 月詠さんとふたりで風呂屋を出て、その足で茶処「ひのや」に行き、日輪さんと相談して甘酒とお汁粉の手配する段取りを付けた。甘酒は祭りの当日までに仕入れてもらうことにして、お汁粉は小豆を煮るところから私が引き受けることになり、貸座敷の台所の一角を貸してもらうことにする。
とんとん拍子にことが運んだ。

 あんこを炊くのは久しぶりだったから、うまくできるかどうか不安だったけれど、思いのほかうまくいった。日輪さんや晴太くん、月詠さんにはもちろん、貸座敷の旦那様や女将さん、花魁達にも味見をお願いしたら意外なほど好評だった。人探しのために花魁の振りをしているだけで、なんの稼ぎも上げられない私を親切に迎え入れてくれたこの貸座敷に、ほんの少しでもお返しができたなら良かった。もちろん、松平様からいくらかのお礼はお渡ししているとは聞いているけれど、それだけでは私の気がおさまらなかったから。



「と、いうわけなんです」
「祭りの準備を手伝わせるためにここに寄越したわけじゃねぇんだけどな」

 予想はしていたけれど、やっぱり土方さんはいい顔はしなかった。

「いいじゃありませんか。犯人だって人間なんですから、お腹を空かせてお汁粉の屋台に並んでくれるかもしれませんよ」
「そんな簡単な餌で犯人が釣れたら警察なんかいらねぇんだよ」
「こっちの仕事もちゃんとしますから、やらせてください。お願い」
「けどな……」
「ところで、今日、ここの花魁達にお汁粉を振る舞ったんですけれど、意外と好評でしたよ。少しお近づきになれた気がします。もっと仲良くなれれば、犯人に近づけるかもしれませんよ?」

 この提案は、土方さんを説得するにはいいアイディアだったようだ。殺された侍が馴染みにしていた花魁は、この貸座敷で一番の売れっ子の花魁だという情報は、今日土方さんが得てきた情報だった。源氏名を高尾と言って、ちょうど私の隣の部屋をあてがわれている

 貸座敷で一度馴染みの花魁を作ると、他の花魁は買えないという一夫一妻のルールが、吉原にはある。毎日私を買っている土方さんが高尾に直接会うのはもう難しい。

「やれるか?」

 私は胸を張って答えた。

「えぇ、やります」
「……本当は、やらせたくねぇんだけどな。どうせ、俺がやめろっつったってお前はやるんだろう」
「分かってるなら、話は早いですね」

 面白くなさそうに眉をしかめて、土方さんは勝手にしろとぼやいた。

 今夜も土方さんは、比較的早い時間にここへやってきて、私の話を聞き終わると煙草を吹かしながら窓の外にちらちらと目をやっている。時々携帯電話が震えるたびに、短いメールを返している。外にいる隊士と連絡を取り合いながら、捜査を進めているんだろう。昨夜は窓際に腰を落ち着けて一睡もしなかったけれど、今夜もどうやらそうなりそうだ。

「眠らなくても平気なんですか?」
「屯所に戻ったら休む。今は任務中だ」

 そうは言われても、気になるものは気になる。
 
 部屋の半分を占めている真っ赤な絹布団が、ここでは私が主役だと言わんばかりに大きな存在感を持って、ふっくらと横たわっていた。ここは吉原遊郭の貸座敷で、部屋には花魁とその客のふたりきりだというのに、土方さんは昨日から私に指一本も触れていない。任務中だとは言え、せっかく、ふたりきりなのに。

 少し、寂しかった。

 期待していたつもりはないし、土方さんは任務に集中すると私のことは見向きもしなくなる。その集中が切れるタイミングはいつもばらばらで、まさかという場所で体を求められたこともあるけれど、まさにそのためだけに用意された部屋では逆に萎えるタイプなんだろうか。それとも、時折、隣の部屋から壁越しに甘い囁き声や吐息が漏れ聞こえてくるのが気に障るんだろうか。

 どちらにせよ、私がこの作戦に参加すると決まってから、土方さんはずっと機嫌が悪い。

 この作戦そのものに納得してないということもあるだろうし、私が花魁の真似事をしていることも、祭りの準備を手伝うことも、嫌でも隣の部屋から他人の喘ぎ声が聞こえてくることも、きっと、何もかもが気に食わないんだろう。

 私が土方さんの機嫌を取って上げられればいいんだけれど、それはとてつもない難題だ。その原因の半分は私にあるのだから。

「眠いんなら、先に寝ていいぞ」
「私も、昼間にたくさん寝られますから。付き合いますよ」

 火鉢の炭を動かして、火を大きくする。貸座敷の本来の目的通り体を重ねれば少しは違うのだろうけれど、ただ膝を突き合わせているだけでは体が冷えてしょうがない。

「寒くありませんか?」
「別に。お前は?」
「少し」
「そんなに着込んでるくせに?」
「見かけほどじゃないんですよ」

 少し大げさに前襟を掻き合わせて肩をすくめたら、土方さんは招くように片腕を伸ばしてきた。膝を滑らせて、その足の間に体を入れたら、着物の袖で体を包むように抱きしめてくれた。

「お前、これしか着てねぇの?」

 土方さんは私の胸元を覗き込んで目を丸くした。

 緋縮緬の長襦袢を桃色の布を巻いて止めて、肩から縞模様の胴抜きを羽織っただけだ。張見世では色鮮やかな友禅で着飾る花魁も、座敷に上がるときには客が抱きやすいようにかけは脱ぐ。けれど真冬の、しかも特大の寒波に襲われている吉原で、客に抱かれる以外の目的で花魁をしている私には辛い衣装だ。

「まさかこの格好で外で歩いてるんじゃねぇだろうな」

 一体何を想像したのか、土方さんは的外れなことを言って眉間の皺を深くした。

「そんなわけないでしょ」

 冷え切った手で、土方さんの首筋をそっと撫でてみる。その冷たさに、土方さんは鳥肌を立てながら体を震わせた。

「おい、やめろよ」
「土方さんが変なこと言うから」
「ガキか」
「そっちこそ」

 ふたりで抱き合って、少しだけ笑った。






20200413(再録)