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今年の江戸は、数十年ぶりの大雪だ。一晩の間に積もった雪は、昼の間に溶け切らずそのまま折り重なるように積もって町を真っ白に染めている。吉原の町も例外ではなく、地下街という町の性質上、日の当たる時間が短いせいか、地上よりも大量の雪が降り積もっていた。
張見世の中から見渡す吉原の町は、ただ眩しい。往来を行きかう人々に押し固められ、真っ白に凍った道、雪化粧をした街路樹、屋根に積もった雪。熱い火の色と淫靡な桃色の灯りが彩る吉原の町を、雪はさらに底から明るく照らし出している。吉原桃源郷とはよく言ったものだ、見るもの全てがきらきらと美しく輝いて、この世のものとは思えなかった。
ひょっとしたら、私は夢を見ているんじゃないかだろうか。目が覚めたら、真選組屯所の離れの、あの飾りっ気のない小さな部屋で寝転んでいるのかもしれない。料理をして掃除をして洗濯をして、そんな普通の毎日に戻るのかもしれない。
格子の向こう行きかう人々を眺めながらそんなことを考えていたら、こちらをじっと見つめる馴染みの顔を見つけた。その切れ長の瞳に睨み付けられ、私はようやく現実に引き戻された。
部屋に入るなり、土方さんは開口一番に文句を言った。
「お前、あんまり張見世で色目を使うなよ」
「色目なんて使ってません」
「ひやかしの客、じろじろ眺めまわしてたじゃねぇか」
「人探しのためにここにきてるんですから、見ないわけにいかないでしょう。土方さんこそ、こんなに早い時間に見世に上がっちゃっていいんですか?」
「うるせぇ、情報交換が先だ」
土方さんは窓を少し開いて外の様子をうかがい、携帯電話でメールか何かを送ってからようやく腰を下ろした。この寒いのに着流し姿で、割れた裾から見える素肌が寒々しいったらない。
禿が熾しておいてくれた炭を火鉢に移して、ふたりの間に置く。酒の準備もしてあるけれど、きっとそれに手を付けることはないだろう。なにせ、土方さんも私もまだ任務中だ。
土方さんは煙草に火を着けて一服し、言った。
「で、今日の首尾はどうだった?」
真選組の家政婦として働く私が、どうして吉原の花魁になったのか。話は一週間ほど前にさかのぼる。
近年まれにみる大雪に見舞われた江戸の町は、どこもかしこも真っ白な雪に覆われていて、もちろん、真選組屯所も例外ではなかった。
警察庁長官・松平片栗虎が屯所を訪ねてきたのは、屯所の雪かきがひと段落して、ようやく駐車場に車を入れられるようになったころだった。
「忙しいところ悪いな」
と、松平様が声を掛けたのは、むつかしい顔をして腕組みをしている近藤さんや土方さんではなく、お茶出しをしていた私の方だった。
「いいえ。松平様こそ、足元が悪い中、わざわざお運びいただいて」
「お前さんの顔が見られるなら、おじさんは雪が降ろうが槍が降ろうがどこへだって行ってやるよ」
「まぁ、相変わらずお上手ですね」
「これは土産だ。俺の故郷の美味い菓子でな、柚餅子というんだ」
「いつもありがとうございます。すぐに用意してお持ちしますね」
「いや、いいんだよ、それはお前さんに買ってきた土産なんだから。後でゆっくり味わってくれよ」
「では、お言葉に甘えて」
「おい、とっつぁん。御託はいいからさっさと本題に入れよ」
この日の土方さんは、いつになく機嫌が悪かった。
松平様のこの調子はいつものことなのに、何をそんなにかりかりしているのか、この時の私にはちっとも分からなかった。
「実は、折り入って頼みたいことがあってな」
近藤さんが、土方さんをなだめながら口火を切った。
「私にですか? 何でしょう?」
「実は先日、侍がひとり斬り殺されるという事件があってな。遺体には、太刀を浴びて動けなくなったところを息絶えるまで殴り続けたような痕があった。その状況から判断するに、おそらく犯人は殺しを楽しむ愉快犯だと、俺達は考えているんだが、そいつはどうやら吉原に逃げ込んだらしんだ」
「吉原、ですか」
「あぁ。しかし、俺達警察はあの町には入れないことになっていてな。そこから先の行方がどうしても分からない」
「と、言いますと?」
「本来、吉原の町は存在そのものが違法だ。が、とある事情があって幕府には黙認されている。殺人事件の捜査とは言え、吉原に警察が入ることは、吉原自警団・百華が許さないんだ。それに、そんなことをしたら、火の粉をかぶるのは俺達も一緒だ。だが、凶悪な殺人犯をこのままのさばらせておいては真選組のメンツにも関わる。そこで、考え付いたのは今回の作戦なんだ」
「お前さんには、花魁として吉原に潜入してほしい」
松平様の言葉に、私は目を真ん丸に見開いた。
「はぁ?」
「人相書きを渡すから、犯人を探してくれ。客を装って隊士がお前さんのところに通うから、そいつに町で得た情報を伝えるのがお前さんの任務だ。その情報をもとに犯人を捜し、生きたまま捕らえて吉原の外に連れ出してお縄を頂戴する。とまぁ、こういう作戦だ」
「お話は分かりましたけれど、私なんかがお役に立てるでしょうか? 情報収集をしようにも、勝手が分かりませんよ」
「大丈夫、心配することはない。事前にいろいろと教えてやれるし、実は、百華の頭領には、もう話はつけてあるんだ。表立っては動けないが、いろいろとサポートしてくれることになっている」
近藤さんは私を安心させようと、始終笑顔を絶やさずに話してくれたけれど、土方さんは口をつぐんだまま、じっと自分の膝の辺りを見下ろして何も言わなかった。
松平様はいつもと変わらぬ表情で、煙草に火を着けた。
「吉原がまだ地上にあった頃は、あそこは幕府公認の遊郭だったんだ。そしてその管理の一部は警察が担っていた。吉原を取り仕切る三役は警察庁長官に許諾を得てあの遊郭を運営していたんだ。その頃の名残で、警察庁長官の権限はまだ少し有効だ。どうか、力を貸してくれねぇか?」
というわけで、私はこうして貸座敷の一室に間借りし、花魁の真似事をすることになったのだ。。
土方さんはこの作戦には大反対で、作戦が本格化した今もあまりいい顔はしていない。それでも約束通りに見世に通ってくるところは、律儀というか仕事熱心というか、冗談でもいいから私のことを心配しているからだと一言言ってくれればこちらも気が楽になるのに、
「本当はこんな手は使いたくねぇんだよ」
と、愚痴ばかりこぼしている。
吉原に入ってしまった以上、もう後には引けないのに、不機嫌な顔ばかり見せつけられるこちらの身にもなって欲しいものだ。
「今更そう言われても困ります」
「お前はただの家政婦なんだから、真選組の任務には関わらせねぇと前に言ったよな」
「忘れたわけじゃありませんよ」
私が真選組の任務に一切関わらないという決め事は、私が真選組屯所で働きはじめた時からの約束だった。
けれど、ただの家政婦でしかない私でも、何かの役に立てるというのなら、できることはしたかった。花魁として吉原に潜入するなんて、他の隊士の誰にもできないことだ。
「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。吉原には月詠さん達もいるし、真選組もお客に紛れてきてくれているんでしょう?」
「それはそうだけどな……」
「ひとりで無茶な真似は絶対にしませんから。約束します」
土方さんはむっと唇を尖らせて黙り込んだ。
真選組の鬼副長と恐れられている男とは言え、警察という大きな組織の中から見れば立場は弱い。今回の作戦も、きっと松平様に押し切られて仕方がなく従っているんだろう。土方さんの心配を取り除いてあげることは私にはできそうにないけれど、せめて一緒にいるときくらいは少しでもくつろいで欲しくて、火鉢を近くに引き寄せた。
火にあたりながら、今日一日の報告をした。
人相書きに当てはまるような人物は見つからなかったこと。この貸座敷で働いている花魁に挨拶がてら話を聞いてみたけれど、心当たりのある人は見つからなかったこと。明日からはもう少し範囲を広げてみようと思っていること。
土方さんは煙草を吸いながら、ときおり相槌を打ちながら耳を傾けていた。
「初日にしちゃ、上出来だな」
「そちらはどうですか? 何か分かりましたか?」
「あまり進展はない。犯人捜しは、百華の頭領にも話は付けてあるから、お前ひとりで無茶な真似はするなよ。何かあったらすぐに俺に知らせろ」
「はい」
「しかし……」
ふと、土方さんは肩を落として目を細めた。
「何ですか?」
「いや、うまく化けたもんだなと思ってな」
「あら、失礼ね。人をお化けみたいに」
とはいえ、土方さんの言うことも、分からなくはない。 屯所で働いているときは、動きやすい木綿の着物を着て、髪も簡単に束ねるだけ、化粧も血色をよくするためにほんの少し頬紅を差す程度だけれど、花魁ともなれば、緋縮緬の長襦袢に絹の着物、日本髪をきちんと結い上げて、化粧もしっかり施している。男の人の目には別人のように映るのかもしれない。
「似合いませんか?」
冗談めかして聞いてみたら、土方さんはぷかりと煙草を吹かしながら的外れなことを言った。
「張見世で、お前がどこにいるのか分からなかった。どいつもこいつも同じ顔に見えた」
「でも、分かったんでしょう?」
「俺を見て笑ったからな」
「笑わなくちゃ分からなかったんですね。じゃぁ、この着物の柄を覚えていてくださいな」
私は片袖を持ち上げて着物の柄がよく見えるようにする。白地に真っ赤な椿が刺繍された豪華な着物だ。
「私の名前にちなんで、松平様があつらえてくださったんですよ」
「名前?」
「源氏名。椿、っていうんです。聞きませんでした?」
「まぁ、聞いたけどな」
土方さんはなんとも言えない顔をして口をつぐむ。
本当は、いつもよりずっとおめかしをした私を少しでもいいから誉めて欲しかったけれど、あまり高望みはしないことにした。
毎晩、土方さんが私の部屋に足しげく通ってきてくれる。たったそれだけのことで、こんなに嬉しくて楽しい気持ちになれるんだから。今はこの幸せを十分に満喫することにしよう。
20200413(再録)