番外編 たべすぎることをこばまない
鏡に映る自分の顔の輪郭をなぞる。見慣れたはずの頬の曲線が記憶とかみ合わない。鏡がゆがんでいる? まさか、ここは将軍御用達の高級温泉宿だ。一度目を閉じて視界をリセットする。これで十分と思えるまでそうしていてからゆっくり目を開けると、鏡の中の土方さんと目が合った。
「何やってんの?」
「いえ、別になんでも」
「朝っぱらから風呂入ってたのか」
「汗をかいたので。土方さんも入った方がいいですよ」
「俺はいいよ」
「これから将軍様と朝食なんですよ、ちゃんとしないと」
「なんで警備役の俺が将軍様と一緒に飯食わなきゃならないんだよ?」
「将軍様と姫様たっての希望で。家臣と親交を深めたいんですって」
「面倒くせぇな」
「そう言わずに、シャワーくらい浴びてください」
土方さんが風呂を使っている間に、着替えと身支度を済ませる。
着物はそよ姫様の世話係そろいのものだ。動きやすい素材で気に入っているけれど、いつもどおりに締めたはずの帯が心なしかきつい気がした。勘違いだということにして無視したら、後々取り返しのつかないことになるような予感がする。
そろそろ観念して認めなくては。帯の上からお腹を撫でてため息を吐いた瞬間、首筋を撫でられて肩が跳ねた。
「ちょっと、びっくりさせないでください」
「いちいち大袈裟だな」
土方さんはいかにもシャワー浴びたてという感じで、ベルトもシャツの前もくつろげたままだ。髪の毛先が濡れて束になっていて、肌に水滴がついている。
「体、拭いてください。風邪引きますよ」
「ちゃんと拭いたよ」
どうやら言っても仕方がなさそうなので、手近にあったタオルを問答無用で土方さんの顔に押し付けた。濡れた髪を拭って、胸板を撫でるように水気をとってやる。ついでにシャツのボタンも締めてあげるのはやりすぎなような気がしたけれど、土方さんもまんざらではなさそうだった。
「どうした? ため息なんか吐いて」
「どうもしませんよ」
「それにしては暗い顔してる」
「将軍様と朝食もいいですけど、もう少しふたりの時間を持てたらいいなって思っただけですよ」
「何だよ、俺には真面目ぶったこと言うくせに」
「本音と建て前は違うんです。それに、ここに来てから毎食毎食すごく豪華で、いつもお腹いっぱいで」
「好きなもんだけ食って残せばいいだろ」
「『国民が汗水流して収穫した食材で作ったものだから』なんておっしゃる将軍様の目の前でそんなことできると思いますか?」
「そういやお前、ここに来てから太ったよな」
と、土方さんの手が下に滑って私のお尻を掴んだ。思わず踵が浮いて、土方さんの胸に寄りかかってしまう。シャツのボタンに両手をかけたままだったので、かっと熱くなった頬を隠す術もない。
「そ、そんなはっきり言わなくても……!」
「なんだよ、そんなこと気にしてんのか? さっきからため息ついてたのはそれが原因かよ、くだらねぇな」
「くだらなくありません!」
つい大声を出してしまったら、すかさず土方さんに唇をふさがれた。同時に、指が食い込むほどきつくお尻を掴まれて、背筋がぞくぞくする。こんな朝っぱらから何をしているんだか、我ながら情けない。
食べすぎてふくらんだ私の体に触れて、土方さんは何を感じるんだろう。お尻どころか、お腹も顔も丸くなってしまって、自己管理ができないだらしない女だと呆れるだろうか。
土方さんの熱い唇や力強い腕を思えばそこまで卑屈になる必要はなさそうだけれど、それだけで自信を取り戻せるくらいなら初めからこんなことで悩まない。女心は女にだって扱いづらいものだ。
唇を重ねたまま、土方さんはふっくらと丸みを増した私の頬を撫でた。
「屯所じゃゆっくり飯食う時間もないもんな。むしろ健康的でいいんじゃねぇの」
「そう単純な話じゃないんですけど」
体を離す直前、土方さんはわざと私のお尻をぐっと下から持ち上げた。いいように体をもてあそばれて悔しい。でも、土方さんが満足そうな顔で笑うから不満を言う気にもなれないし、ここで何を言っても言い訳にしかならなそうで、そんなことをしたらますますからかわれるのに違いない。ここはぐっとこらえよう。
上着を羽織った土方さんの後について部屋を出て、エレベーターを待つ。
正直に言って、旅館の豪勢な朝食をこのお腹に収められる気がしないけれど、将軍様の善意の申し出を無下にするわけにはいかない。お腹を抱えて気合いを入れる私を見て、土方さんはからかうように笑った。
「そんな深刻な顔するようなことかよ」
「しますよ。将軍様と食卓を囲むってだけでも緊張するのに、胃もたれで吐くかもしれません」
「大丈夫だ。ゲロくらい将軍様も見慣れてっから」
「フォローになってませんよ」
チン、と高い音がしてエレベーターの扉が開く。ちょうどそよ姫様と沖田くんが乗り合わせていた。そよ姫様は朝からご機嫌で、今日の朝食の献立が楽しみで仕方ないらしい。つられて土方さんと沖田くんも、朝食の話題になった。
「俺ァそろそろガッツリしたもん食いたくなってきましたよ。ここのメニューは豪華ですけど山菜とか魚とかヘルシーなもんが多くて」
「昨日はすき焼き食っただっただろうが」
「あんなんじゃ全然足りないですよ。今夜は街に繰り出してがっつり系の店でも探しませんか。将軍様も誘ったらきっと喜ばれますよ」
「ちゃんととっつぁんの許可を取れよ」
「土方さんは行かないんで?」
「俺は別なもん食う予定があるから」
「別なもん? 何ですか?」
「そうだな。鮑とかかな」
と、土方さんが意味ありげな流し目を寄越す。私以外のふたりには意味が分からなかっただろうけれど、仮にも姫様の前で何を言い出すのか、私はにわかに信じられず目を見開いた。
「鮑? 海鮮料理、それとも寿司ですか? こんな山の中の寿司屋って美味いんですか?」
沖田くんが無邪気に聞き返す。その悪気のない言葉が私の胸にぐさぐさ刺さる。
「まぁな」
「もしかして、おふたりでデートですか?」
そよ姫様まで私に耳打ちをしてきてどう答えたらいいものやら、つい笑顔が引きつってしまった。
「まぁ、そんなところです」
「いいな。私も今度連れて行ってくださいね」
「いや、姫様にはまだ早いんじゃないでしょうか?」
「鮑なら食べたことありますよ。おいしくって大好きです!」
「そういう意味ではなくてですね……」
返答に困ってしどろもどろになる私とは対照的に、土方さんは必死に笑いをかみ殺している。人を困らせておいて一体何がそんなに楽しいのか、驚きといらだちがないまぜになって、私は口の中だけで悪態をついた。
土方さんの考えていることはさっぱり分からない。面と向かって太ったとか、子どもの前で卑猥な隠語を使うとか、(いやむしろ子どもの前だからか?)、それで私が喜ぶとでも思っているなら大間違いだ。
どんな仕返しをすれば一番効き目があるだろう。私はそれを一日かけてじっくり考えることにした。煮ても焼いても美味しい鮑も、時には牙を剥くことを土方さんに教えてあげなくては。
(拍手御礼夢、再録)
title by OTOGIUNION
20200914