うり を やぶる











 任務を終えて江戸に戻ってすぐ、屯所で宴会が開かれた。

 土方が江戸を離れている間に、武器を不正輸入していた真犯人を逮捕したのだ。その逮捕劇に重要な役目を果たした山崎は、特別功労賞を授与され、その特別ボーナスでさんざんおごらされていた。

 はテーブルの間を縫うように歩いて、隊士達に給仕して回っている。以前と変わらぬてきぱきとした働きぶりで、すっかり元の通りだ。いつもと違うのは、その後ろを鉄之助がついて回っていることだった。
「本当に、すいませんでした!!」
そもそも、が土方と関係をこじれさせたのは、鉄之助が土方にが星野と密会していることを告げ口したことがきっかけだった。
 はまだそれを許していないらしい。

「謝って済むなら警察はいらないと思うのよねぇ」

 鉄之助に盆を持たせ、その上に空いた皿とグラスを積み重ねていきながら、は静かに応酬している。顔は笑っているし、物腰も穏やかだが、弓形にしなる目元には言いようのない冷たさが宿ってる。

 鉄之助はすっかり委縮していたが、なんとか反論した。

「で、でも、さんのためを思ってやったことなんですよ」
「その気持ちは嬉しいし、感謝もしてるけど、私が怒っているのはそういうことじゃないのよ」
「え!? そうなんですか!?」

 金魚の糞のようにの後ろに付いて回っている鉄之助に、隊士達は同情の眼差しを向けるが、ここできちんとの許しを得ておかないと明日からの生活に不安を残してしまうことは分かっている。何せ、屯所の台所事情はが掌握しているのだ。鉄之助に助け出すのはもう少し待たなければならない。

「はじめに約束したわよね、絶対に誰にも話さないって。どんな理由があれ、その約束を破ったことに私は怒ってるのよ」

 はビールジョッキを片手にふたつずつ持ちあげると、鉄之助の盆の上にずしりと乗せた。その重みに、鉄之助の腕が沈む。

「そ、それは、でも、……」

 言い返せずに黙り込む鉄之助に、はさらに大皿を持たせて厨房に追いやった。

 その一部始終を見ていた沖田が、ぼそりと呟いた。

「いくら言ったって、また同じような事態が起これば鉄は同じことをしますよ。鉄は真選組隊士であって土方さんの小姓なんだから」

 そういう沖田も、との約束を破って土方に居場所を知らせたことを、江戸へ戻る汽車の中でさんざん責められたばかりだ。鉄之助と違って要領のいい沖田の場合、の機嫌をとるためと分かるやり方で平身低頭謝ってことを収めていた。

「あいつもそれくらいは分かってるよ」

 土方はきっぱりと言った。鉄之助に同情しないわけではなかったが、それで真選組から追い出されると言うわけでもないし、若いうちの苦労は金を払ってでもしろととも言う。それに、せっかくといいところに落ち着いたのだから、わざわざ鉄之助をかばってこの関係に新たなヒビを入れる危険を冒す気はさらさらなかった。

「さすが、トシはちゃんをよく分かってるな」

 近藤が言った。からかいでもなくひやかしでもなく、本心から出た言葉だった。近藤の声には全ての人を有無を言わさず納得させてしまうような不思議な力がある。
 沖田はそれで納得して、仕方がなさそうに肩をすくめた。

「分かっててあぁしてるんなら、さんも人が悪いですね」
「気が済むまで好きにさせてやれよ。いろいろ苦労したんだから」
「苦労させた張本人がそれを言いますか」
「まぁまぁ。もうオチはついたんだからいいじゃねぇか」

 近藤は満足げに言って、喉を反らせて笑った。

 酔いの回った隊士にけしかけられて、原田が上着を脱ぎ始めた。切腹をしたにも関わらず死に損ねた経験のある原田は、腹を横断する傷跡を持っていて、それを人の口に見立てて腹踊りをするのが十八番だ。宴が盛り上がってきたときのお約束で、盆を空にして戻ってきた鉄之助もさっそくそれに駆り出されていく。やっと差し伸べられた助け舟に、鉄之助は喜んで飛び乗った。

「お酒、足りてますか?」

 と、が土方のそばに膝をついた。その手元には瓶ビールが五本、盆の上に並んでいた。

「あぁ、もう一杯くれ」

 グラスを差し出すと、は手際よく栓抜きを使って蓋を開ける。とくとくといい音をさせて、金色の液体と白い泡をいいバランスで注いだ。近藤にも同じように酒をつぐ。

「あまり、若い奴をからかってくれるなよ、ちゃん」

 近藤の笑い交じりの訴えに、はビール瓶を抱えたままさわやかに笑った。

「あら、あれくらいからかった内に入りませんよ。約束は守りましょうって、子どもにも分かることを話してるだけじゃありませんか」
「はっはっは! 確かに一理あるな!」

 近藤はにグラスをすすめて、自らビールをついでやる。は恐縮しながら一口だけ口をつける。

 わっと笑い声が上がった。ばらばらと自然発生した手拍子が自然とひとつにそろう。そのリズムが頂点に達した時、原田と鉄之助が手足を揃えて踊り出した。歌が得意な隊士が踊りに合わせて歌い出し、隊士達が合の手を入れる。

 広間がひとつになったような一体感。その高揚感にただひとり飲み込まれず、土方は横目でを見やった。

 は手で拍子を刻みながら、目の端に涙を浮かべて笑っていた。ついさっきまで鉄之助に小言を並べていたのが嘘のように楽しそうで、腹を出して踊る鉄之助も安心したのか、ますます激しく体を揺らし、隊士の爆笑をさらっている。それに嫉妬した近藤は服を脱ぎ棄てながらその輪の中に入って行く。

、酒くれ」

 土方はの耳元で声を張り上げた。はすかさず瓶を傾けながら何かを言ったが、隊士達の手拍子と笑い声に紛れて聞き取れない。土方はぐっとに体を寄せた。

「何だよ?」

 は土方の耳に向かって叫んだ。

「私、鉄くんにいじわるしすぎちゃったと思う?」

 手拍子と歌に紛れてどうせ誰も聞いていないと分かっているからか、初めからくだけた口調だ。それが想像以上に嬉しくて、酒の力も合わさって気が大きくなる。

「あれくらいでへこたれるような奴だったら、はなから真選組でやっていけねぇよ」
「本当にそう思う?」
「あぁ」
「なら良かった。でも、あとでちゃんと許すって言うわ」

 そう言うと、はビールで唇を湿らせた。土方を見つめたまま、ちろりと舌を見せて唇を舐める。その困ったような艶っぽい視線。

 土方には分かっていた。近藤が下着を放り投げて素っ裸になって隊士達に絡んでいるから、は目のやり場に困って土方を見ているのだ。この視線にはそれ以上の意味はない。分かっていることだが、気持ちが高まるのを抑えきれない。

「もっとお酒を持ってきますね」

 と、の唇が動く。膝を後ろに滑らせて立ち上がろうとしたの手を、土方はぐいと掴んで引き止めた。の耳元に唇を寄せて、ふたりきりで目覚めた朝に交わした約束の言葉をささやく。そのたった一言に、は目を丸くした。

「今!?」

 声を届けるためではなく、思わず出してしまった大声だった。土方も負けじと声を張る。

「約束しただろ」

 は不満そうに眉を寄せる。呆れて言葉も出ない様子だったが、なんとか捨て台詞だけは吐き捨てた。

「こんなところで、信じられない」

 は空いた盆で土方の肩を叩くと、ぷりぷりと立ち上がって台所に引き上げてしまった。が広間を出ていくまでじっとその背中を見送った土方は、沖田が不思議そうな顔をしてこちらを見ていることに気づいた。

「何だよ?」
「土方さん、何言ったんですか?」
「別になんでもいいだろ」
「なんでもいいですけど、ただ、さんは約束を守っても怒るんですね」

 沖田はが出て行った入口の方を見やって嘆息した。

「女の考えることは分かりませんねぇ」
「それは同感だな」

 土方は言って、が置いていった飲みかけのグラスを見下ろした。

 の言葉を借りるなら、こんなことはからかった内に入らない。前戯のようなものだ。本当の楽しみはこれからだと、もきっと分かっているだろう。

 約束は守るためにあるのではない。お互いを信じていること、そしてお互いを決して裏切らないことを証明するためにあるのだ。抱き合って眠り目覚めた朝、土方はを信じることに決めた。は決して自分を裏切らない。

 普段の土方なら口が裂けても使わない言葉を約束した。気持ちを言葉にすることが苦手な土方に、それでもその言葉を望んだが信じるにたる自分であろうと思った。祈りのようなその想いは、この体にしっかりと刻み付けられている。ちょうど、が爪を立てて残した手の甲の傷跡のように。

 未来に何が起こるかは誰にも分からない。どんなに固く決意をしても約束を破るかもしれないし、傷つけ合うこともあるかもしれない。それでも大切に愛していこう。

 土方は、が置き忘れたグラスに自分のグラスをぶつけて、高い音を鳴らした。そのかすかな音色は騒がしい笑いと歌と手拍子に紛れて誰にも聞こえなかった。










(やぶる【破る】 元の形をなくすこと。破瓜は処女膜がやぶれること。)


20181210