ひみつを めくる











 星野源右衛門が三度屯所を訪れたのは、それからさらに三日後のことだ。

「副長、お客様がいらしてますが……」

 名刺を差し出した山崎は、目を横にそらしながら不安げな顔をする。近藤と膝をつき合わせて話をしていた土方は、名刺を見るなりあからさまに顔をしかめた。

ならいないぞ。お前も知ってるだろ」
「えぇ、そう伝えたんですけど、今日はおふたりにお会いしたいそうで……」
「え、俺もか?」

 近藤が自分を指差して目を丸くする。一体どういうことなのかと目線だけで問いかけてくるが、そんなことは土方の方が知りたかった。

「ふたりが忙しいのは百も承知、体が空くまで待ちますと言っていますが、どうしましょうか?」

 そこまで言われては仕方がない。土方は近藤と連れ立って応接室に向かった。

 初めて屯所を訪れた日、と差し向かいで座ったのと同じ場所で星野は待っていた。その後ろには、スーツの男がアタッシュケースを携えて正座している。

「大変お忙しいところ、突然申し訳ありません」

 星野は卓に額がつきそうなほど深々と頭を下げた。近藤と土方はこっそり視線を交わして小さく頷き合う。そして、近藤が努めて明るく言った。

「えーっと、今日はどういったご用件で?」

 土方は黙って煙草を咥えたまま、じっと星野の笑みを観察した。笑うと目が線のように細くなって、、その瞳の奥で何を考えているのか分からない。

 星野は白い歯を見せて笑いながら答えた。

「真選組のご活躍はいつも聞き及んでいます。江戸の平和のために危険な任務に励んでいらっしゃる皆さんに、私も常々感銘を受けておりました。そこで、私から個人的に寄付をさせていただけないかと思いまして、本日はお伺いしたのです」

 星野が視線で合図をすると、スーツの男が卓の上にアタッシュケースを乗せた。その中には、帯封でしばられた札束がぎっしり詰まっていた。

「どうぞ、お納めください」

 土方と近藤は目を見合わせる。予想もしなかった展開に、すぐに言葉が出てこない。かといって黙ったままでもいられないので、近藤が口元を引きつらせながらなんとか言った。

「い、いやぁ! これはこれは豪気なことで! さすが、天下の星野呉服商! 羽振りがいいとは聞いていましたが、まさかここまでとは!」

 猿芝居ならぬゴリラ芝居だったが、星野は気を良くしたらしい。

「江戸で暮らし、皆様に守っていただいている者としては当然のことです」
「いやいや、ここまでしてくださる方はなかなかおりません!」

 その時ちょうど、山崎が茶を持って部屋に入ってきた。屯所にあって場違いな札束の山を見て目を丸くした山崎は、土方の前に湯呑を置くほんの一瞬の合間に低い声で耳打ちした。

「例の使途不明金だと思われます」

 近藤と星野は豪快に笑い合いながら、まるで熱に浮かされたようにお互いを褒めちぎっている。このままでは勢いで寄付の話がまとまってしまいそうで、土方は大きな咳ばらいをして会話を遮った。

「どうした? トシ」

 近藤に鋭い視線を送ってから、土方は星野と真っ直ぐに向き合った。

「星野殿。単刀直入にお聞きしますが、この寄付にはどんな目的があるのですか?」

 星野の狐のように細い目がわずかに見開かれたのを、近藤も山崎も見逃さなかった。

「たった今お話しした通りです。私は純粋に真選組の活動を手助けしたいのです」
「では、その見返りに何を望んでおられるのでしょう?」
「見返りとは……。申し上げた通りこれは寄付です。見返りを求める気など一切ありません」

 土方は唇をひき結んで星野を睨む。静かに落ちた沈黙が、星野に対する信用の無さを雄弁に物語っている。星野も見かけによらず我慢強いところがあるらしく、一歩も引かずに土方を睨み返してくる。

 沈黙を破ったのは、険悪な雰囲気に耐えかねた近藤だった。

「星野呉服商と真選組は、これまでお付き合いがありませんでしたから。突然のことに我々も驚いているんですよ。どうしてうちにこんな大金を寄付してくださるのか、せめてそのきっかけだけでも教えてもらえはしませんかね?」

 星野は土方から目を逸らさないまま、肩を落として苦笑した。そして、種明かしをする手品師のように語り出した。

「こちらには、さんがお勤めでいらっしゃいますね?」

 土方は頬を引きつらせながら固い声で答えた。

「そうですが、それが何か?」
「彼女には昔、随分世話になりました。その感謝の気持ちを表したのがこの金です」
「でしたらこれはあいつに直接渡せばいいのでは? あいつは真選組隊士ではなく家政婦です。真選組に金を寄付してもあいつの懐には一銭も入りませんよ」
「ではお聞きしますが、私の気持ちだと言ってこの金を渡したところで、彼女が素直に受け取ってくれると思いますか?」

 土方はぐっと喉を詰まらせて黙り込んだ。に限って、どんな理由があれどこんな大金を受け取るとは思えなかった。

 星野は訳知り顔で頷いた。

「ご想像の通り、彼女には受け取ってもらえませんでした。それを言い訳にするつもりはありませんが、真選組の活動を援助することは、回りまわって彼女のためになると思っています」
「どうしてそこまでしてちゃんに……」

 と、星野はうっかりとしか言いようのないやり方で笑った。近藤の口からあんまり気安くの名前が出たのがおかしかったらしい。

「あぁ、すいません。つい、いつもの癖で」

 近藤は後ろ頭に片手をやりながら照れくさそうに言った。

「いえ、結構です。さんはずいぶん慕われているのですね。先ほど私をここに案内してくれた青年も親しげに名前を呼んでおりました」

 まるで自分が褒められたかのように、星野は嬉しそうだった。

 星野が笑えば笑うほどに土方の苛立ちはつのった。を思って微笑む星野の笑顔は驚くほど親密で、土方が知りたくもないふたりの穏やかな交流がそこから垣間見えるようだった。金で買ったり買われたりする関係だったはずなのに、それだけにとどまらない心の触れ合いがあったのだと想像できてしまうのが辛い。小さな棘がやたらめったらに刺さったように胸が痛かった。

 土方にとってせめてもの救いだったのは、が屯所を出ていってから一週間もの時間が経っていたことだ。日毎にほんのわずかづつ積み重なってきた冷静さが辛うじて土方を支えていた。

「星野殿。あなたは昔、あいつを金で買っていたと聞きましたが間違いありませんか?」

 土方の核心に迫るもの言いに、星野は居住まいを正した。

「はい」
「失礼を承知でお尋ねしますが、もしかするとこの金は、あいつを身請けするために用意したのではないですか?」

 開国して二十年余り、売淫御法度が施行されたことで事実上、人身売買は不可能になった。けれど法が整備されたとはいえ、長く続いた慣習は二十年やそこらで消えてなくなるものではない。吉原遊郭は幕府に黙認されながらつい最近まで存在していたし、地上でも風俗嬢の人身売買事件は枚挙にいとまがない。

 星野は静かな微笑みを浮かべ、否定も肯定もしなかった。眉間のしわをどんどん深くする土方から目を離さず、自分は何も間違ったことはしていない、そう言いたげに胸を張っていた。

「この金で、今度こそあいつを買おうって腹づもりだということだな?」

 煙草がじりりと音を立てて赤く燃える。
 土方はゆらりと立ち上がると、ひどく冷めた目をして星野を見下ろした。

「分かっていると思うが、ここは遊郭じゃない。は風俗嬢でもないし、真選組隊士でもない。誰の所有物でもない! 金にものを言わせて言うこときかせようとするなんざ糞食らえだ!! この下衆野郎!!」

 言葉の後半は空気がびりびりと震えるほどの大声だった。全力疾走した後のように息を荒げ肩を上下させて星野を睨み下ろす土方は、左手に持つ刀を金棒に持ち変えればまさしく鬼そのものだった。

 近藤は息を飲んで土方を見上げ、山崎にいたっては開いた口がふさがらない。ここまで激しい怒りをあらわにする土方を見るのは初めてだった。

 最初に口を開いたのは、そんな土方を見ても一向にひるまない星野だった。

「私は彼女を買う気などありません。それだけはどうか信じてください」

 星野は膝の上で両手を握りしめ、まっすぐに土方を見上げた。

「実を言いますと、私はさんに結婚を申し込んだのです」
「えぇ!?」

 声をあげたのは近藤と山崎だ。土方は驚かなかった。身請けという言葉を耳に心地よい言葉に置き換えただけにしか聞こえなかった。

「私はさんを愛しています。心から、幸せにしてあげたいと思っていました。だからこそ、彼女を身請けするために必死に金を稼いだのです。ところが、金が用意できる前に彼女は病を得て店を離れていました。ショックでした。探し出すためにこんなにも長い時間が経ってしまいました。5年もかけてやっと見つけたと思えば、彼女はここで家政婦の仕事をしている、しかも住み込みで昼も夜もなく働いて、きっと苦しい生活を送っているのに違いないと思いました。私が助け出してあげなければと思いました。
 私の妻になれば決して苦労はさせない、身を粉にして働く必要もない、私の隣で笑ってさえいてくれれば必ず私が守ってやると、そう言って結婚を申し込みました」

 星野はそこで言葉を切ると、話の結末を予感させるように目を伏せた。

「彼女は何と答えたと思いますか?」

 近藤と山崎が心配そうに目配せをする。土方はそれを無視して、顎をしゃくって先を促した。

 星野の笑みが切なそうに歪んだ。

「断られました、はっきりと。惚れた相手がいると。そして、ここでの仕事が好きなのだと、素敵に笑っていました」

 と、その時、襖の向こうから物音がした。大きなねずみでも駆けて行ったかと思ったが、ざわめきがあっという間に大きくなり勢いよく襖が外れて倒れ込んできた。その上になだれ込んできたのは、鉄之助や原田、屯所中の隊士達全員がここに集まっているのかと思えるほどの大勢の隊士達だった。

「ち、違うんです副長! これには深いわけが!」
「俺は止めとけって言ったんです!」
「ばか押すな!」

 隊士達が押し合いへし合いしながら、壊れた襖の上でもがいている。好き勝手に言い訳をして、かの有名な聖徳太子ならなんとか聞き分けられただろうが、土方には誰が何を言っているのやらさっぱり聞き取れなかった。

 星野がはじかれたように笑い出した。大口を開け、笑い皺の寄った目尻に涙を浮かべながら腹筋をひくひく震わせている。

「ほ、星野殿?」

 近藤が恐る恐る声を掛ける。星野は必死に笑いを収めてなんとか言った。

「みなさんを見ていると、彼女がこの真選組を大切に思う理由がよく分かります。まるでひとつ家族のようだ。私がいくら努力したところで、ここから彼女を奪うことはできないでしょう」

 星野は恭しくアタッシュケースを押しやると、拳を畳に押し当てて深々と頭を下げた。

「どうか、これを受け取ってください。彼女が愛し、大切に思っている真選組のためにこの金を使っていただきたいのです。誓って申し上げます。私には何もやましい気持ちはありません。彼女への感謝の気持ちを伝えたい。ただその一心です。どうか」

 土方は鍔を鳴らして刀を握りしめると、何も言わずに踵を返して部屋を出た。いくつもの視線が背中に刺さるのを感じたがかまわなかった。

 誰も後を追ってこないことを確認して、土方は胸ポケットから携帯電話を取り出す。その瞬間、待っていたように着信を受けて携帯電話が聞きなれたメロディで歌った。

 表示された名前は沖田だ。

『あ、土方さん?』

 状況を知らないとはいえいつにも増して呑気な声に、土方は腹立ちまぎれに怒鳴った。

「なんだよ、今こっちは忙しいんだ」
『なんでぇ、人が真面目に定時報告いれてるっつーのに。ちゃんと連絡しろって言ったのは土方さんでしょ』

 沖田は現在、極秘任務に就いている最中だ。警察庁長官・松平片栗虎に斡旋された仕事で、江戸から遠く離れた場所にいる。

「あぁ、そうだったな。で? 何かあったか?」
『何も起こらなさ過ぎて暇なくらいですよ。俺がわざわざ来る必要あったんですかね?』
「とっつぁんのご指名なんだから仕方ねぇだろ。楽な仕事だからって気ぃ抜いてやるんじゃねぇぞ」
『分かってますよ。まぁぼちぼちやります』

 沖田にとってのぼちぼちがどの程度のものなのか疑わしかったが、土方はそれ以上厳しいことを言うのはやめにした。今はそれどころではなかった。

 ふと思いいたって、土方は藁にもすがる思いで問うた。

「ところで、総悟。お前、が今どこにいるか知ってるか?」

 数秒の沈黙があった。携帯電話の向こうで布がこすれるようながさごそという音がする。やきもきした土方が口を開きかけた時、沖田が人を食ったような声で言った。

『知ってますよ。今、そよ姫と甘味屋でぜんざい食ってます』
「……はぁ?!」

 土方の悲鳴に驚いた雀が一羽、軒先から飛び立った。








(めくる【捲る】 薄いものを巻くようにして下のものを現す。)


20181111