みつに なぐさめる










 酔客で賑わう居酒屋のカウンターに、土方と近藤はいた。

 酒に酔った男達の無遠慮な大声と笑い声、誰も見てないテレビから流れる音楽と声。食欲をそそる酒と料理の匂いが充満した店内は、熱気がこもって蒸し暑い。

「お疲れさん」

 近藤は金色の液体が白い泡を立てるグラスを、土方の持つグラスにぶつけて高い音を鳴らす。そして、たった一口でグラスを飲み干すと軽快な息を吐きながら笑った。

「どうした、トシ。遠慮しないで飲めよ」

 土方は難しい顔をして小さく首を横に振る。

「戻ったらまだ仕事が残ってるんだ。酔えねぇよ」
「近頃、根を詰めすぎなんじゃないか? きちんと休むことも仕事の内だぞ」

 近藤が勢いよく土方の背を叩き、バシンっと景気のいい音が鳴る。その勢いで酒がこぼれてしまい、近藤はそれだけのことに声を上げて笑った。

 近藤は、土方の気を紛らわせようとしてわざわざこの席を用意してくれたのだと分かってはいた。けれど、燃え尽きて黒焦げになったような気持ちはどんなにいい酒の力を借りてもそう簡単に立ち直るものではなかった。

 との一件があってから、三日が経っていた。あれ以来、土方はと顔を合わせていない。食堂にも洗濯場にも離れにも、屯所のどこにもはいない。長い休暇を取ったらしい。その行先は誰も知らされていなかった。

 取り調べがまだ済んでいないと言って引き留めることもできたが、土方はそうしなかった。次こそ冷静でいられる保証もなかったし、かといって別の隊士に任せることなど論外だ。自分以外の誰かの手がに触れるなんて絶対に耐えられない。

 近藤は酒を煽りながら四方山話を語っている。若い隊士達がめきめきと剣の腕を上げている様子を嬉しそうに語ったかと思えば、世話になっている警察庁長官・松平のお節介に愚痴をこぼす。そうかと思えば、思いを寄せる志村妙への熱い想いを烈火のごとく叫び出し、次の瞬間には叶わぬ恋心を嘆いて涙も流さんばかりだ。

 けれど、いくら話に集中しようとしてもうまくいかなかった。近藤の力強い声がちっとも耳に入ってこず、何とか言葉の隙間に相槌を打って話を聞いているそぶりしかできない。

 さすがの近藤もそんな土方の様子に気づかないわけもなく、労りを込めて土方の肩を叩いた。

「トシ。黙ってねぇでなんとか言ってくれよ」
「すまん。考えなきゃならねぇことが多くてな」
「じゃぁせめて何を考えてるか話してくれ。口に出してくれねぇと分からねぇだろ」
「別に、近藤さんに聞かせるような話じゃ……」
「星野源右衛門の攘夷浪士に対する資金援助の疑惑、だろ? 真選組の任務に関することなら俺にも関係がある」

 土方が目を上げると、近藤は笑みを消し、真剣な顔をして土方を見ていた。ついさっきまで惚れた女の話ばかりしていた男とは思えない変わりようで、土方は呆気に取られてしまう。が、瞬きひとつの間に元の笑顔に戻ってしまった。

「ま! 酒の席で仕事の話は無粋だな! けど、悩みがあるなら話してくれよ、俺とお前の仲だろ?」

 土方は妙な錯覚を覚えてぱちぱちと瞬きをした。

 近藤の豪快な笑い顔は子どもの頃とちっとも変わらない。武州の田舎で剣の腕を磨きながら喧嘩に明け暮れ、安い酒を酌み交わしながら夢を語り合ったあの頃に戻ったような気がした。

 土方はぐいとグラスを傾け、酒にかすれた声で言った。

「どうやってあいつを許したらいいのか、分からねぇんだ」

 について間違いなく言えることは、土方に隠れて星野に会い、たんまり贈り物を受け取って、手を握られて抱きしめられたということだ。土方のものさしで言えば、それだけで十分浮気と言っていいことだった。その上、星野には攘夷活動へ資金援助しているのではないかという疑いもかかっているのだから二重の意味で見逃せない。はそのどちらもを否定しているが、土方にはとても信じられなかった。

 に愛想をつかしたわけではない。以前のように、仕事の合間に他愛ない話をしたり、ふたりで飯を食いに行ったり抱き合ったりする仲に戻りたいと思っている。

ちゃんと仲直りしたいなら、まずは謝らないとな」

 土方は眉間に皺を寄せた。

「なんで俺が謝らなくちゃならねぇんだよ。浮気したのはあいつの方だろ?」
「だからと言って、取調室で乱暴していい理由にはならんだろう」
「俺は乱暴なんか……!」

 してない、と断言はできなかった。気持ちが高ぶったまま大声を出してしまったし、力任せにの腕を掴んでしまった。きっと、体に痣を残してしまっただろう、壁際に押し付けた感触がまだ手のひらに残っている。

 言葉尻を濁した土方を見やって、近藤は神妙な顔をして頷いた。

「先に謝った方が得だぞ」

 土方は答えなかった。
 近藤はつまみを頬張りながら、意味ありげに笑った。

「トシはちゃんのどこに惚れてるんだ?」
「なんだよ、藪から棒に」
ちゃんのいいところを思い出せよ。そうすれば考えも変わるかもしれんぞ」
「変わらねぇよ」
「いいから、言ってみろって」

 からかうような目をする近藤を無視して、土方はつまみを口に頬張った。気心知れているとはいえ、近藤はときどき訳の分からないことを口走るから困ってしまう。

 何か別のことを考えようとするけれど、そうすればするほどの顔が脳裏にちらついて追い払えない。

 の笑顔。年中枯れない花のように、いつ見るときもは笑っていた。働き者で、仕事の愚痴なんか今まで一度も聞いたことがない。水仕事で荒れた手を恥じていた。両手を握りしめるようにしてささくれ立った指を隠す仕草がかわいかった。細い手首は本気を出したら簡単に折れてしまいそうに細くて、小さな体を抱きしめるたびに何があっても守ってやりたいと祈るように思った。

 それがまさか、こんな形で裏切られることになるとは想像もしていなかった。

 土方はやけになり、喉をそらせてグラスの酒を飲み干した。一気に酒が回って、かっと体が熱くなる。

 近藤は苦笑いしながらも、追加の酒をふたり分注文してくれた。

ちゃんは何もやってねぇって言ってるんだよな? 信じてやれねぇのか?」
「あいつは、俺の目の前で星野と手を握り合って抱き合ってたんだぞ。そんなことされてどう信じたらいいんだ?」
「厳しいこと言うな」
「そういう近藤さんはどうなんだ? もし惚れた女が自分以外の男といちゃついてるのみたら許せるのか?」
「あぁ、許すよ」

 予想外の答えに、土方は目を丸くした。
 近藤はグラスの白い泡を見下ろしながら静かな表情で微笑んでいた。

「もしお妙さんが心から惚れた相手とそうしていたんだったら、それがお妙さんの幸せなんだとしたら、俺は許したいと思うよ。まぁ、傷つかねぇと言ったら嘘になるがな。惚れた女の幸せを願えるような、俺はそんな男でありたいと思ってる」

 そう言い切った近藤の表情はすっきりとしていて、いつもその惚れた女の周辺をストーキングしている者と同一人物とはとても思えなかった。土方を慰めるために口から出まかせを言っているのかもしれないが、長い付き合いなので近藤が嘘を吐けばすぐに分かる。

 近藤の人間としての器の大きさに感じ入り、土方は胸がつまった。近藤と比べて、自分の器の小ささに情けない気持ちが湧いてくる。かといって、すぐさま近藤に同調してを信じることはどうしてもできなかった。

「仮にあいつの言うことが真実だとしても、俺に隠してることがあると思う」
「ほう、何をだ?」
「星野とのことで何かある気がする。俺には関係ねぇって言ってたけど実際はどうだかな」
「関係ねぇっていうんならねぇんじゃねぇの?」
「とにかく、気になるんだ」

 そう言い切った土方に、近藤は何も言わずに頷いた。納得してはいないようだったが、土方の考えとしてそのまま胸にしまってくれたようだった。

 少しの間、ふたりは何も話さずに酒を飲み続けた。

 誰かがリモコンを操作して、チャンネルをザッピングしているのか、テレビの画面がぱちぱちと切り替わる。夜の報道番組、お笑い芸人が雛壇に並んで繰り広げるトーク番組、流行りのドラマ、有名なアニメ映画のチャンネルになってそれは止まった。客の誰かがチャンネルを戻せと騒いだが、他の大多数の客に反対されてしぶしぶ押し黙った。

 トレンチコートにボルサリーノハット、サングラスに髭をはやした豚が、古い型の受話器に耳を押し当てている。その受話器がぶるぶると震えて女の声で怒鳴った。

「何よ! 私を伝言板か何かだと思ってるの!?」

 画面が切り替わって、青いアイシャドウの美しい女の顔がアップになる。
 知らず知らずの内にテレビに見入っていた土方は、女のセリフを聞いて胸に杭を打たれたような気分になった。

「いくら心配したってあんたたち飛行艇乗りは、女を桟橋の金具くらいにしか考えてないんでしょう」

 そんなわけないじゃないか、と土方は心の中で思う。口には出さないだけで女を大切に思っているからこそ、自分は生きて無事でいると伝えるためにわざわざ電話をかけてきたのだ。桟橋の金具くらいにしか思っていない女のためにわざわざそんなことをするものか。

「あぁ、マルコ。今にローストポークになっちゃうから。わたし嫌よ、そんなお葬式」

 今にも泣き出しそうな顔をして頭を抱えるマダム・ジーナに、マルコ・パゴットがただ一言しか返せない気持ちが、土方には痛いほどよく分かった。

「飛ばねぇ豚はただの豚だ」

 男は戦わずにはいられない生き物だ。戦いを放棄する自分は自分であって自分ではない。

「馬鹿!」

 マダム・ジーナの最後の一言が、やけに耳に残った。

 もきっと、土方のことを女を軽く見る救いようのない馬鹿だと思っているのに違いない。

 そんなわけはない。
 を大切に思っている。
 だからこそ真選組の任務をないがしろにはできないのだ。
 が何と言おうと、星野の攘夷活動に対する金銭援助の証拠を押さえない限り、を許すこともできない。

 画面が切り替わって、コマーシャルが流れ出す。土方が目をやると、近藤は向こう隣の見知らぬ男と世間話に花を咲かせている。いつの間にか意気投合したらしい。

 土方は酒を飲み干すと、近藤に気づかれないように席を立って勘定をカウンターに置き、そっと店を出た。

 ひとりで屯所に戻り、夜勤の門番以外には誰にも会わずに部屋に帰る。明日も早くから仕事がある。仕事の疲れと酒の力ですぐに寝付けるだろうと高をくくって布団に入ることにする。

 ところが、なかなか眠気がやってこない。頭も体も疲れているのに、目が冴えて意識がはっきり立ち上がっていて、なんとか眠らなければとぎゅっと目を閉じてみたが、その瞼の裏にの顔が浮かんだ。

 両腕を拘束して壁際に追い詰めたは、見たことのない鋭い眼差しで土方を睨み上げていた。怒りで紅潮した頬、袖口から露になった白い二の腕の内側、耳にふわりと覆いかぶさる後れ毛が土方の吐息を浴びて揺れていた。

 あの耳元に唇で触れたかった。

 土方は瞼の裏に映るを空想の中で抱いた。他の誰にも触れないように、全力で腕の中に閉じ込めた。恨むような目をして土方を睨み上げるその瞳すら愛おしかった。

 無意識の内に、を求めて熱くそそりたったそれを寝間着の裾を割って自分で握っていた。の細く柔らかい指と手のひらと、熱い舌を思っただけで腰の奥からマグマのような熱が付きあげてくる。危うく布団と着物を汚しそうになったが、なんとか枕元のティッシュボックスに手を伸ばして白い精を受け止めた。

 息を荒げて暗い天井を見上げていると、底知れない虚しさに胸が締め付けられた。

 この屯所の屋根の下のどこにもがいないという事実が、寂しくて仕方がなかった。








(なぐさめる【慰める】 やさしくいたわって、心が引き立つようにすること。)


20181029