あおく もえる
屯所の奥まった場所にある資料室。その一角を白熱灯の灯りが煌々と照らしている。
山崎はファイリングしていない書類束を整理しながら、隣に立つ土方をちらりと盗み見た。土方は古いファイルをめくりながら、いつも通り煙をくゆらせている。資料室はあまり換気がしっかりしていないので、天井の近くに白い雲ができていた。
「副長、それどうしたんですか?」
書類をめくる土方の手の甲に不自然な三本線が走っていた。ひっかき傷だろうか、かさぶたが半分はがれているところを見ると治りかけのようだが、かさぶたの下から現れた赤っぽい色の肌がかえって生々しかった。
土方の答えはにべもない。
「なんでもねぇよ。それより報告をしろ」
「はぁ。では、星野呉服商と星野源右衛門についてですけれど、攘夷浪士と関りが疑われそうな手掛かりは今のところ見つかってません」
「小さなことでも何かねぇのか?」
「手掛かりというほどのことでもないかもしれませんが、この不景気にずいぶん儲かっているみたいですね。幕府や幕臣相手の売り上げは変わりないようですが、最近新たに売り出した小間物の売り上げが業績アップにずいぶん貢献してるみたいです。巾着やアクセサリー類の売り上げが上々だそうで若い女性に大人気なんだそうですよ。実は、この小間物の制作を取り仕切ったのが星野源右衛門なんです。若くして営業部長にのし上がったのも、社長の息子だからというだけでなく、この手腕も評価されてのことだと思います。実際、取り巻きも多いみたいですね」
「で?」
「これと関係があるかはまだ分かりませんが、星野源右衛門の関りで、使途不明の金があります。ちょうど小間物が流行り出したころからです」
「どのくらいだ?」
山崎は書類に書き込まれた数字を指差して見せた。
「あくまでも星野源右衛門の私費ではあるんですが、身近な人間にも金の使い道が分からないんだそうです。何かにつぎ込んでいるのか、それとも貯めこんでいるのか、それすらも」
土方は眉根を寄せてじっと空を睨む。三口煙草を吸った後、土方は呟いた。
「確かこの間、埠頭で不正輸入された武器を徴発したな。そっちは何か分かったのか?」
「あぁ、そちらはまだ調査中です。なかなか目ぼしい手掛かりがなくて……、分かりました。そのつながりも視野に入れて調査します」
「あ、副長!! ここにいたんですね!?」
と、そこに、騒がしい音を立てて鉄之助が顔を見せた。よほど急いでいるのか、ピーマンの肉詰めのように丸い胸が上下し、額には薄っすらと汗が光っていた。
「探しましたよ!! すぐに来てください!! 今!! すぐに!!」
「今は忙しい。後にしろ」
「とにかく今なんですってもう!!」
鉄之助はどすどすと資料室に入ってくるなり、土方の腕を掴んでぐいぐいと引っ張る。力そのものよりも鉄之助の勢いに気圧された土方は、足をもつれさせながら鉄之助の後について行った。似たようなことがつい最近もあった気がするが、それを確かめる暇もない。
屯所の玄関先につくと、鉄之助は衝立の陰に身をひそめながら手招きをする。一応、そこそこ値の張る遠山霞の立派な衝立なのだが、まさかこんなことに使われるとは誰も思わなかっただろうと呑気なことを考えながら、土方も背中を屈めて鉄之助の後ろに立った。
「どうしたの? 鉄、そんなに珍しい客なの?」
野次馬のように後をついてきた山崎が言う。
鉄は唇の前に指を立ててシッとそれを制した。
土方は呆れた顔をしたが、鉄之助が見せたがっていたそれに気づいたときにはさすがに顔を強張らせてしまった。
屯所の門前に、黒塗りの車が一台停まっている。遠目から見ても分かる高級車だ。運転手だろうか、仕立てのいいスーツに白手袋をつけた男がトランクからせっせと荷物を運び出している。
その傍らに男女が一組立って話をしていた。女の方はこちらに背を向けていたが、見間違えるはずもない、それは
だった。男の方は、目を線のように細くして笑う顔が印象的な、星野源右衛門だ。その両手が
の手を固く握りしめていた。
「え、なにあれ? どういうことなの、鉄?」
「俺にもさっぱり分かりません! 車を降りるなりずっとあの調子なんです!」
「ていうか、
さん、今日は姿が見えないと思ってたらあの人と会ってたの!? まさかデート!?」
「そうみたいです。今日の昼頃あの車でお迎えが来たんですよ」
「なんでそれを報告しないんだよ! あいつは今内偵中だって鉄も知ってるだろ!?」
「すいません、
さんに口止めされてまして……」
「言ってんじゃん! 今!」
「たまたま
さんが帰ってきたタイミングで副長をここに副長がいたってこそにすればそれは約束の範囲内です!」
「屁理屈こねてるんじゃないよ! お前、仮にも副長の小姓だろ!?
さんと副長とどっちの言うこと優先させなきゃいけないかくらい分かんないのかよ!?」
「
さんにはとらやのどら焼きご馳走してもらったんですよ! 裏切れません! けど副長のことも裏切れないから、俺だって辛かったんですよ!?」
山崎と鉄之助の言い合いを、土方は半分も聞いていなかった。
新しい煙草を取り出してライターをカチカチやるが、こういう時に限ってなかなか火が着かない。いらいらする。なんとか火を着け煙を胸いっぱいに吸い込んで、体の中でくすぶっている何かよく分からないものを全て吐き出してしまうつもりで吐く。その煙に鉄之助がむせる。
と、その時、
の肩越しに星野が土方を見つけた。距離があったが、確かに目が合った。
星野は親しげな顔をして微笑み、会釈をする。何を伝えようとしているのか、せめてその眼差しから何か探れないかと土方は目を凝らしたが、その努力は胸の中にある苛立ちをさらに強く燃え立たせる結果となった。
星野は、土方が見ている目の前で
をぎゅっと抱きしめたのだ。
取調室は、季節を問わずいつも暗く湿っている。窓は天井に近い位置にひとつあるきりで、灯りを付けても部屋の四隅には影が残る。中央にスチール製の机があり、それを挟む形でパイプ椅子が二脚置かれている。
「どういうことか説明しろ」
土方はテーブルを回り込みながら言った。
は入り口の近くに立ったまま、気まずそうな顔をして床の一点を見下ろしている。
大量の荷物をここまで運んできた山崎と鉄之助は、あまりの空気の悪さに顔を見合わせたが、ここで助け舟を出そうと思えるほどの度胸はなかった。
はひとりごとのように言う。
「説明するも何も、見てのとおりです」
土方は紙袋の縁に指を引っかけて中を覗いてみた。星野呉服商の商品だ。包みの大きさから、おそらく山崎が話していた例の小間物だろうと思われた。その他にも菓子や酒の包みが山のようにある。
「仕事を休んで買い物デートか? ご丁寧に車で送り迎えたぁ、いいご身分だな」
土方は嫌味っぽく言う。
は目線を上げずに言い返した。
「それは誤解です」
「見てのとおりって言ったのはお前だろ」
「土方さんの目が偏ってるんでしょう。デートなんかじゃありません」
「じゃぁなんなんだ?」
はやっと目を上げると、意志の強い瞳で土方を見返した。
「個人的に用があったのでお会いしてきました。それだけです」
土方は探るように
を睨み返す。多くの被疑者を取り調べた経験が
の嘘を見抜くのに役立つかと思ったが、いつものように頭が回らない。その上、苛立ちは油を注がれた炎のようにますます大きくなってくる。
「お前達は外せ」
土方は
を睨み付けたまま、部屋の隅で体を小さくしていた山崎と鉄之助に命令した。
山崎は半歩前に出て抗議する。
「お言葉ですが副長、取り調べの際は最低でも二人以上の人員であたるようにと局長から言いつかっているはずですが……」
「いいから出て行け。立ち聞きもするなよ」
土方に強く言われ、ふたりはしぶしぶ部屋を出ていった。
は心もとなさそうな顔をしたが、ひとつ瞬きをした後には腹をくくったらしい。はっきりとした眼差しで土方と向き合った。
土方は顎をしゃくって言った。
「座れよ」
「このままで結構です」
は両手を体の前で組んでがんとして動かない。
土方は仕方なく、机に腰を半分預けて座り、煙草を持っていない方の手をポケットにしまった。そうしないと手に触れるもの全てが腹の中の炎に引火して燃え出してしまいそうに思えた。
「あいつは内偵中だってことは、お前も分かってたよな?」
土方は精一杯押し殺した声で言ったが、はしばしから火花が散っているような声だった。
はそれを避けるように少しだけ顔をそらして、目をすがめる。
「はい」
「会って、何を話した?」
「土方さんにお伝えするようなことは何もありません」
「それはお前が決めることじゃない。いいから教えろ」
「お話ししたくありません」
「それじゃ質問を変える。ふたりでどこへ行ってた?」
「呉服店へ行って、ドライブをして、お食事をしてきました。それだけです」
「本当に?」
「はい」
「お前の用ってのはなんだったんだ?」
「土方さんには関係のないことです」
「お前な……」
土方は呆れてため息をついた。
はまるで話す気がないようで、口調はこれ以上ないほどきっぱりとしていた。土方は分厚い壁に向かって拳をぶつけているような気分だった。この壁をどうやって打ち崩せばいいのか土方が頭をひねっていると、ふいに
が吐き捨てるように言った。
「逢引するならよそでやれって、そう言ったのは土方さんでしょう」
「はぁ?」
は目尻を釣り上げて土方を睨む。その両手は、体の横で肌が白くなるほど強く握られていた。
「私はあの時に用を済ませるつもりだったんです。なのに土方さんが立ち聞きなんかするから話の腰が折れて……。土方さんがあんな風に言うから、私は大人しく言うことをきいて差し上げたんです。それをどうして責められなくちゃならないんです?」
「俺は、犯罪の嫌疑がかかっている男に易々と近づくのは危険だと言ってるんだ」
「それは真選組の事情でしょう。何度も言いますけれど、私はただの家政婦なんです。お願いですから任務のごたごたに巻き込まないでください」
「お前を巻き込みたくねぇから、わざわざあいつに関わるのはよせと言ってるんだ。なんでそれが分からねぇんだよ」
「土方さんの妄想に付き合ってあげられるほど私は暇じゃないんです」
「あぁ? 何が妄想だって?」
「あの人が攘夷活動に手を貸してるなんて、そんなのは土方さんの妄想だって言ってるんです」
土方は眉間に深く皺を刻む。
が真選組の任務に口を出してくるなんて滅多にない。
鬼の副長としての顔が首をもたげる。
「お前に何が分かる。家政婦の分際で独自に調査でもしたのか? それがうちの監察の捜査に匹敵するとでも思ってんのか?」
土方はおかしいほど静かに言った。その声は怒気を含んで一段と深い。
は目を細めてしれっと言った。
「土方さんの妄想に付き合わされるみんなが気の毒ですね」
「必死に働いてる隊士を侮辱するな」
「土方さんは、私があの人をかばうから面白くないんでしょう? だからあの人に無用な疑いをかけて、私から引き離そうとしてるんです。そんなことしても意味なんかないのに」
「何が言いたいんだ?」
「自分で分かっていないところがますますみっともないことですね。土方さんはあの人に嫉妬してるんです、私があの人に抱かれたことがあるから!」
は髪を振り乱して怒鳴った。
土方は驚いて息を飲んだ。
のこんな大声を聞くのは初めてだった。
の手が小刻みに震えているのを見つめながら、土方はなんとか言った。
「おれは公私混同はしない」
「それじゃどうして山崎くんと鉄くんを締め出したんですか?」
が声を上げるたびに、その肩がかすかに上下する。そのせいで髪が乱れてきた。
そういえば、今日はいつもと髪型が違うことに土方はいまさら気が付く。簪を二本使ったまとめ髪で、毛先が人工的なカールを巻いている。よく見れば、珍しくきちんと化粧もしている。紅を引いた唇が土方の知らない生き物のように生々しい朱色をしていて、そこから漏れてくる呼吸が荒い。
土方は机から腰を上げて、
の眼と鼻の先まで距離を詰めた。
は土方を避けるように後ずさりをして、壁にぴたりと背中をつけた。
「近寄らないで」
上目遣いに土方を見上げてくるふたつの目の輪郭が、いつもよりくっきりしている。土方への苛立ちに燃えているその眼差しから、目を逸らせなくなる。
土方は
の顎を掴んで無理に上を向かせると、その瞳を間近からのぞき込んだ。
「こんなにめかしこんで会わなきゃならねぇような奴なのか?」
「土方さんには関係ないって言ってるでしょう」
は土方の胸を押し返して抵抗するが、笑ってしまうほど細くて非力な手だった。土方はその手首をつかむと、力任せに
の頭上に押し付けた。
「きゃっ……」
の腹に腰を押し付けて動けなくしてしまう。袖からあらわになった二の腕の内側が白く光って眩しくて、土方は何度も瞬きをした。体の中の炎がますます勢いを増して理性を焼き尽くしていく。
土方の力に敵うわけがないのに必死に体をよじって抵抗している。そのたびに
の息が上がって、後を追うように土方の呼吸も早くなる。
狭い取調室にふたりの呼吸音だけが響くなかで、土方は呼吸だけで
を責めた。
「いつもと匂いが違う」
は土方の視線を避けて、か細い声で反抗した。
「何も違うことなんてありません」
「あいつと何してきた?」
「話をしてきただけですってば」
「それが本当かどうか確かめるために人払いしたんだ」
「どうして」
「髪の毛の一本でもついてれば鑑識に回せる」
「……私があの人とそんなことしたって本気で思ってるんですか?」
「言っただろ、俺は公私混同はしない」
土方は
の額に自分の額をぶつけるようにしてその視線を捕えた。この時、
の瞳の中で炎が燃え上がるのが見えた。掴んだ手首から、土方の中で燃え滾っていた炎が
に引火したのかと思った。きりりと釣った目が赤い炎を宿し苛烈に光るさまは、抗えないほど美しかった。
土方が衝動的に唇を奪おうとしたとき、
は金切り声を上げて叫んだ。
「やめて!!」
と同時に、どんどんっと、扉を力任せに叩く音がした。
我に返った土方は、間合いを取るようにゆっくりと
から離れた。
「どうした? 一体何事だ?」
と、無遠慮に扉を開けたのは近藤だった。そのすぐ後ろには沖田が控えている。廊下のはしには、はらはらと成り行きを見守っている鉄之助と山崎の姿が見えた。ふたりが近藤を呼んだのだと察しがついた土方は、深呼吸をして答えた。
「なんでもねぇよ。事情聴取中だ、入って来るな」
「トシ、それにしてはお前……」
近藤は、壁際に立ち尽くしてそっぽを向いている
を見て言葉を切った。
は震えながら自分の二の腕を抱きしめていた。
これはただ事ではないと判断した近藤は、土方の正面に立ち決然と言った。
「総悟、
ちゃんを部屋まで送ってやっれ」
沖田はゴミムシを見るような目をして土方を睨みながら、
を部屋から連れ出した。その後を、心配そうな顔をした鉄之助が追いかけていく。うるさい足音が完全に聞こえなくなるのを待って、近藤が言った。
「何があったんだ? トシ」
まるで父親のような穏やかな声だった。
それを聞いた途端、土方の体から力が抜けた。へなへなとその場にしゃがみこんだとたん、重苦しいため息がこぼれる。
近藤が労わるように肩を叩いてくれたその優しさに、土方は涙が出そうになるのを必死でこらえた。
(もえる【燃える】 火がついて炎が立つこと。)
20181022