すきまから のぞく
「星野源右衛門と申します」
男は輝くような白い歯を見せて笑い、そう名乗った。
今時珍しい本多髷に、紋付き袴。着物は素人目で見ても上等なもので、それを着こなす男の幅の広い肩や胸板はまるでファッションモデルのように絶妙なバランスを持っている。机に置かれた名刺の肩書は、星野呉服商営業部長だが、それにしては随分若い。
「あの、私にどんな御用でしょうか?」
はぽかんと目を丸くしてそう言った。突然訪ねてきた見知らぬ男にこんなに親しげに話しかけられて、どういう顔をしていいか分からないらしい。
「私を覚えておられませんか?」
星野は笑顔のまま、不躾でない程度に身を乗り出して
に自分の顔をよく見えるようにした。
は少し背をのけ反らせたが、瞳を左右に動かしながら必死に記憶を探っている。
「なんなんだよ、あの男? 一体何者だ?」
土方はそうぼやきながら細く煙草の煙を吐き出した。
「星野呉服商と言えば、江戸で知らない人間はいない超有名呉服店ですよ。幕臣のセレブはもちろん、そよ姫様の着物も季節ごとに卸してるって聞いたことがあります」
鉄之助はその丸い体を小さくして、精一杯声を殺して答えた。
土方と鉄之助は、細く開いた襖の隙間から応接間をのぞき込んでいる。それをしようと言ったのは鉄之助で、土方ははじめこそ仕事で忙しいだの侍たるもの立ち聞きなどできないだのと御託を並べて反対はしたが、「こいつが
さんとどういう関係なのか本当に興味ないんですか!?」と、鉄之助に怒鳴られてとっさに言葉が出なかったのだ。鉄之助に力で負けるわけがない土方が、鉄之助に手を引かれるままほいほいとここまで連れて来られてしまったことに、土方の意思が全く関係してないとは決して言えない。
土方は隙間に片目を押し付けるようにしている鉄之助を見下ろして、半ば呆れながら言った。
「お前は何でそんな詳しいんだよ?」
「星野家は佐々木家にも出入りしてましたから。あの男、確か跡取り息子ですよ」
「そんな奴が
に何の用だ?」
は頭の中の引き出しを片っ端から開けて男の記憶を探ったらしい。けれどついにその欠片も見つからなかったらしく、眉をㇵの字にして申し訳なさそうに肩を落とした。
「ごめんなさい。本当に失礼なんですけれど、どうしても思い出せなくて……」
星野はそれで気を悪くしたふうでもなく、口を大きく開けて快活に笑った。
「もう5年近く前のことですから、仕方ありません。けれど、さすがにこれは忘れてはいないでしょう?」
星野が懐から取り出したものを見て、
はもちろん、襖の向こうの土方も鉄之助も目を見開いた。
黒地の名刺だ。縁には赤い椿の花が散り、金の箔押しで装飾がされている。白抜きで印刷された文字は下の名前だけだ。やけに年季が入っていて、名刺の角は折れ曲がってぼろぼろになっていた。
「明らかに風俗嬢の名刺ですね」
「言われなくても分かる」
は名刺を手に取ると、懐かしいような照れくさいような顔をして目を細めた。
「こんな古いもの、よく見つけられましたね」
星野は真っ直ぐに
の目を見つめると、今にも感極まって泣き出しそうな顔をした。今すぐにでも
の手を握りたいという思いを、膝の上にこぶしを握り締めて耐えているようだった。
「5年前、あなたが突然お店をやめられてしまった時、僕がどんなに落ち込んだかはきっと想像もつかないでしょう。本当はすぐにでもあなたを探したかった。けれど、あの頃の私はあらゆる面において半人前でした。呉服商の跡取り息子とはいえ、まだまだ修行中の身で、金も仕事も時間も私個人の自由にはできませんでした。だから早く仕事を覚えて一人前になって、きっといつかあなたを探しに行こうと決意したのです。けれど、1年ほど前に急な病を経験しまして生死をさまようことになってしまいまして」
「あら、そうなんですか。お体はもうよろしいんですか?」
「はい、ありがたいことによい医者に恵まれました。ただ、死の縁に立たされた時、頭をよぎったのはあなたのことだけだったのです。あなたにもうひと目会わずして死ぬことはできないと思いました。まだ一人前とは言えませんが、こうして社内でも地位を得て、どこへ出ても恥ずかしくない男にはなったつもりです。こういっては何ですが、自分で自由に使える財産も増えました。それを使って、あなたを探させていただいたのです。手掛かりはあなたが昔勤めていた店の名刺だけでしたが、こちらも運よく、勤勉で腕のいい調査員に恵まれました。時間はかかりましたが、ようやくあなたを見つけることができた。……本当のお名前は、
さんとおっしゃるのですね」
星野は言葉を区切ると、熱っぽい視線で
を見つめ返した。
は照れたように目を伏せ、ほんのりと頬を染める。
土方は今にも襖を引いて部屋に乗り込んでしまいそうな自分を抑えるために、両手をポケットの中に突っ込んで拳を握りしめていた。そのせいで、いつの間にか背後に黒山の人だかりができていることにちっとも気が付かない。
「え、
さんって昔風俗やってたの?」
「なんだよ、お前知らなかったのか?」
「噂じゃ、結構な売れっ子だったらしいぞ」
「ってことはあの男、当時のお客ってことか? あんないいとこの坊ちゃんが風俗遊びなんてするんだな」
「いいとこの坊ちゃんだから、そういうところに遊びに連れ出してくれる金持ちがお友達にたくさんいるんだろうよ」
「それにしても、興信所まで使って探してただなんてなぁ」
「あれはよっぽど惚れこんでるってことですよねぇ」
「おい、山崎」
土方の呼び声に、人だかりの中から山崎がひょこりと顔を出す。土方は後ろ手に手招きをすると、山崎は土方に耳打ちをするくらいの距離に立った。
「あの男、星野呉服商の跡取り息子に間違いないか?」
「はい。そう思います」
「調査員が
を調べてたって話は知ってるか?」
「すいません、俺の耳には入ってませんでした。ただ、興信所の調査員が家政婦の斡旋所に来たという話は聞いていたんですが、まさかこういうこととは……」
土方は襖の隙間から目線を逸らさず、勢いよく煙草の煙を吐き出した。
は家政婦として屯所に勤めはじめる前、風俗店で働いていたことは土方も知っていた。山崎に
の身辺を調べさせたときに分かったことだった。どうしてそんなことをしたのかと言えば、過激派の攘夷組織・鬼兵隊には、女だてらに赤い弾丸と恐れられる銃の使い手、来島また子がいるからだ。たったひとりの家政婦とはいえ、何の疑いもせずに
を真選組に受け入れることはできなかった。
とはいえ、それで分かったことと言えば、下品な言葉をもじった風俗店の店名だけだった。肩透かしを食らったことをよく覚えている。
風俗にもいろいろと種類がある。ソープランド、ファッションヘルス、キャバクラ……。星野と
が出会ったのはどんな業態の店だったのだろう。
なんにせよ、星野がこれだけ熱心に
を探し求めていたところをみると、体の関係がなかったとは土方には思えなかった。つい生々しい想像をしてしまう。
もし、ふたりが出会った場所がキャバクラだったら、きっと狭いソファに並んで膝をつき合わせて話をしたんだろう。
は今より派手な着物を着て、華やかな化粧をしていたに違いない。
の作った酒に舌鼓を打ち、星野はおかしなことを言って
を笑わせたりしたのかもしれない。金持ちの道楽息子ならきっと羽振りも良かったはずだ、
にとっても店にとっても上客だっただろう。気心が知れた仲だったなら同伴出勤も、それ以上のこともしただろう。
それとも、ヘルスだったとしたら。
の座っている場所は星野の隣ではなくその膝の上だっただろう。星野の袴の紐をほどいて、着物の割れ目からその細い手を差し込んで、星野の一物に指を絡めただろう。星野は
の帯を解いただろうか、
の細い肩から着物を滑り落とし、きめの細かい白い肌に触れたのだろうか、口付けをしたのだろうか。
の指に体をゆだねて、その体液で
を汚したのだろうか。
はそうされて、笑ったのだろうか。
それとも、ソープだったのなら。
は何も身に着けずに星野の体の上にまたがったのだろうか。いやらしい水音をわざと浴室に響かせるようにして、自分で腰を振ったのだろうか。星野の体に濡れた自分の体をこすりつけて、くんずほぐれつ交わったのだろう。
一体どんな顔して、どんなことをしたら、5年も忘れられないほど強烈な記憶を星野の体と心に刻み付けることができるんだろうか。
と、その時、土方が咥えていた煙草から重力に耐えきれなくなった灰が落ちた。それは鉄之助の五分刈りの頭にぽとりと落ちて、つんざくような悲鳴を呼ぶ。火種を消そうと頭を押さえて飛び上がった鉄之助が襖に衝突し、その勢いで枠から外れた襖が応接室の卓の上に倒れた。
襖の上で大声を上げなら転げまわる鉄之助と、部屋の外にたむろしていた野次馬を見やって、
と星野は目を丸くする。
土方はふたりを一瞥し、一服すると、平静を装って一言だけ言った。
「逢引するなら、よそでやってくれ」
(のぞく【覗く】 物陰からかいま見ること。)
20181001