くちびる に はむ







 生身の刀身が太陽の光を反射して白く光る。そこに眼光鋭い瞳が映るのを確認して、土方十四郎は愛刀を垂直に立てて握り直した。真選組の幹部ともなると刀の手入れは刀鍛冶に任せている者も多いが、それで一度痛い目を見ている土方は、刀身がゆがみでもしない限りは自分で手入れをすることにしている。

 ほとほとと、控えめな足音が廊下から聞こえてきた。やがて、開け放したままのふすまの陰から顔をのぞかせたのは、屯所の家政婦として働いているだ。

「失礼します。お茶をお持ちしましたけど、いかがですか?」

 懐紙を唇に挟んだままの土方は軽く片手を上げて応えた。はそれだけで土方の意思を察して、何も言わずに敷居をまたぐ。

 土方は刀を鞘に収め、唇から懐紙を離してから静かに言った。

「ご苦労さん」
「土方さんこそ、ご苦労様です。これから大事なお仕事でもあるんですか?」
「別に、そういうわけじゃねぇけど。なんで?」
「随分丁寧にお手入れされてるから」
「刀は侍の魂だからな。それに、いざという時に斬れなかったら話にならねぇだろう」

 土方は刀を目の高さに水平に構えて、そのたたずまいをじっと見やった。真選組が幕府直属の警察機関のひとつに加えられたときに支給品として手に入れたものだが、それだけ長く愛用していると愛着も湧いてくるものだ。土方が刀をそっと畳の上に横たえるのを見て、は神聖なものを見るような目をした。

「ご立派ですね」
「そうか? 普通だろう」
「私のお友達には、刀は刃こぼれするまで使って、そのたび新しい刀を拾ってきていた人がいましたよ」
「なんだそりゃ、侍の魂をなんだと思ってやがる」
「そういう意味では侍らしくない侍でしたね」

 言いながら、はくすくすと思い出し笑いをした。まるで鈴が転がるような笑い声が耳に心地良くて、土方はの淹れた熱い茶をすすりながら耳を傾けた。

 女の笑顔なら、警察庁長官・松平片栗虎のお気に入りのスナック「すまいる」で見慣れているが、商売で客に笑顔を振りまく女達の笑顔はどうしても好きになれなかった。口元に張り付けたような笑み、大口を開けて腹を抱えて笑う仕草、厚く化粧を施した目はときどき死んだように光を失う。彼女達の仕事を否定するわけではないが、スナックという場に演出された笑顔にはどうしても好感が持てない。

 それに比べて、の笑い方には嘘がない。胸の内から湧き上がる喜びが、そのまま呼吸や表情に表れる。まるで花がほころぶように自然なの笑顔が、土方は好きだった。

 土方が茶を飲んでいる間、は古い友人の刀にまつわる思い出を話し続けた。いかにも、自分の中だけには止めておくのはもったいないと言わんばかりに楽しそうな顔をするから、土方は話の内容はともかく、その笑顔に目が釘付けになる。けれど、湯呑も空になったのにまだ話が終わらないから、いい加減にその口をふさいでやりたくなった。

「それで、銀さんったらあの時……」

 と、話のおちがつきそうになったところで、土方は脈絡もなくの腕を引いた。土方の膝の上に仰向けに転がったは、悦に入った笑みを浮かべる土方を見上げ、目をぱちくりさせて苦笑いした。

「土方さんってば、まだ話の途中ですよ」
「お前の話は長ぇんだよ」
「もう少しでおもしろいところだったのに」
「他にもおもしろいことはいくらでもあるだろ」

 土方はそう言うと、の胸のふくらみを指先でなぞった。は土方の胸をぐっと押し返して抵抗するそぶりをみせたけれど、土方を見つめ返すその瞳は挑発的だ。土方の指が山登りをするようにの胸の線をたどるスピードに合わせて、は吐息だけで囁いた。

「鬼の副長が、明るい内からこんなことしてるのがばれたら、問題になりますよ」
「ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ」
「仕事が終わるまで待てないんですか?」
「どうせお前は夜中まで仕事なんだろ」
「今日は夕方には終わりますよ」
「そうなのか、珍しいな」
「土方さんは?」
「急な出動がなけりゃ俺も早く終わる」
「それじゃ、これは夜まで待ってください」

 の胸の頂で土方の指が丸く円を描くと、は唇をほんの少し開いて喉の奥からため息をこぼす。それをすくい取るように土方が唇を重ねようとしたとき、廊下を踏みしめるどすどすという豪快な足音が響いてきた。

 慌てての体を離した土方は、とっくに空になった湯呑にわざとらしく口をつけ、は居住まいを正して髪を撫でつけながら、盆の上の急須と布巾の位置を直したりした。

「副長! お仕事中に失礼します! さんはこっちに来てますか?」

 と、元気いっぱいに顔を出したのは土方の小姓・佐々木鉄之助だ。

「あぁ、来てるよ」

 土方は鬱陶しそうに鉄之助を睨みながら吐き捨てる。はそれを横目で見やりながら、笑いを堪えて言った。

「なに? 鉄くん」
さんにお客です!」
「私に? どなた?」
「はい! 名刺を預かってきました!」

 名刺を差し出す鉄之助は、なぜか意味深な笑顔を浮かべている。首を傾げながらそれを受け取ったは、そこに記された名前を見てさらに深く首を傾げた。

 の肩越しに名刺を覗き込んだ土方は、そこにある名前が男の名であることに気づいて眉根に深い皺を刻み、鉄之助は険しい顔をした土方に睨まれるなりとぼけた顔をして肩をすくめた。





(はむ【食む】 口にくわえること。)


20180925