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「だあ! 何やってんだ神楽てめぇ!」
銀時の大声で、万事屋のガラス引き戸ががたがたと震えた。
「んなでっかい握り飯にぎってどうすんだよ!? タッパに入んねぇだろうが!」
「何言ってるアルか!? おにぎりは大きければ大きい方がいいに決まってるネ!」
甲高い声を上げて叫ぶ神楽は、自分の顔より大きなご飯の塊を握りしめている。銀時はご飯粒のついたまま指差して怒鳴った。
「お前だけが食うんじゃねぇんだぞ! ったく、食い意地張りやがって!」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。ちょっとくらい大きいおむすびが混ざっても! せっかくのお花見なんだから、喧嘩はやめましょうよ!」
こちらも、ご飯粒まみれの手を伸ばして、ふたりの間に割って入ったのは、割烹着をつけ、律儀に三角巾までつけた新八だ。
万事屋の狭い台所にぎゅうぎゅう詰めになった三人の前には、ほかほかと湯気を上げる炊き立てのご飯と海苔、梅干しや昆布、高菜、鮭、色とりどりの具材が並んでいる。
今日は、スナックお登勢の面々と合同の花見だ。お登勢の采配に寄り、万事屋は弁当用のおむすびと場所取りの役を仰せつかっている。神楽の腹のためにあつらえた五合炊きの炊飯器がここぞとばかり活躍し、重箱の半分にはよく言えば個性的な、悪く言えば不揃いなおむすびが並んでいる。
整った三角形のおむすびは新八作で、それよりひと回り大きい武骨な俵型のおむすびは銀時作。銀時の腕をかいくぐって隙あらばつまみ食いをしようとする神楽が作るおむすびはその数倍はある。大きすぎて米粒がまとまらず、形が崩れるたびに力任せに固めているので、ひと口食べるのにも難儀しそうなできである。
神楽が満足げに完成させたおむすびを横目に、銀時はやれやれとため息を吐いた。
「もうお前、もうこっちはいいから。定春と先に言って場所取りしてろ」
神楽は少し渋ったが、春の陽気に誘われてうずうずしているらしい定春に誘われて、番傘片手に意気揚々と出発して行った。
「いい場所取っといてくれるかなぁ、神楽ちゃんと定春」
「何言ってんだ。こういう時こそ、あのでかい図体を役立てる時だろうが。中途半端な場所選んでやがったらババァに何言われるかわからん。年寄りはそういう細かいところうるせぇんだよな」
新八は濡れた手を布巾で拭いながら、眉を下げて笑う。
「大丈夫ですよ。確かに、神楽ちゃんは花より団子かもしれませんけど、時間もまだ早いですし、いい場所はまだ空いてますよ」
「だといいがな」
神楽の握ったおむすびは、重箱に入らなかった。仕方なく、銀時はアルミホイルを大きく破き、手のひらで丸めて皺を寄せてから、巨大なおむすびをなんとか包む。巨大な銀色の球体になったおむすびは、まるで巨大な鉄球である。ずいぶん物騒な弁当になってしまった。
「銀さんって、見かけに似合わず意外と家庭的なところありますよね」
ぽろりとこぼすように、新八が言った。
「あ?」
「あぁっ、すいません!悪い意味で言ったんじゃないですよ!」
新八は少し考える間を置いて、言葉を選びながら続けた。
「初めてここに来た時は、男のひとり暮らしって感じで道具もそんなにそろってなかったんで、てっきり料理はしないのかと思ってたんですけど、おむすびの形は綺麗だし、それにそのアルミホイル。そうやって皺を寄せとくと海苔がくっつかないんですよね。そういうことさらっとやってるの見ると、前にもどこかでやってたのかなって」
「……別に、これくらい普通だろ」
「そんなことないと思いますけど。どこで覚えたんですか? 誰かに教わったとか?」
新八の無邪気な眼差しを、銀時は真っ正面から受け止めることができず、しゃもじや釜を洗う素振りをしながらうそぶいた。
「……さぁ、どうだったかな。忘れた」
新八にも神楽にも、万事屋をはじめる前に何をしていたのかは話していない。銀時の意志を慮ってか、お登勢も何も言わないでいてくれている。あまり血生臭い話を子供に聞かせるべきではない、という点でお登勢とは考えが一致しているのだろう。
そもそも、銀時が真選組に籍を置いていたことは公にできないことだから、これからも話すつもりはない。皺くちゃにしたアルミホイルでおむすびを包むことを教えてくれた女のことも、だ。
むっと口をつぐんでしまった銀時に、新八はわざと明るく言った。
「それじゃ、僕もそろそろ出ますね。姉上の作るお弁当、運ぶ手伝いしなきゃならないんで」
「お前、あいつのダークマターデリバリーすんのかよ?」
「仕方ないでしょ、姉上も張り切ってるんですよ。こっちの重箱はよろしくお願いしますね!」
取り残された銀時は、重箱をスクーターに縛り付け、ひとり花見会場にむかってスクーターを走らせた。
あれから長い時間が経った。
白髪の真選組副長のことを覚えている人間は、もうこの江戸にはいない。今、真選組副長と言えば、咥え煙草の鬼副長・土方十四郎で、攘夷浪士どころか、隊士達や市井の人々にも恐れられている。鬼副長と恐れられていたのは銀時の方だったのに、その恐怖を全て土方が引き受けたような形だ。それを思うと悔しい、とまでは言わないが、どことなく複雑な思いを消しきれず、今でももやもやした気持ちが消えないのはさすがに未練がましいだろうか。
つい先日、攘夷戦争以来、桂小太郎と再会したとき、攘夷浪士の集会所になっていた池田屋で久しぶりに顔を見たが、見事に知らないふりをしてくれた。いや、もしかしたら本当に銀時だと気づかなかったのかもしれない。ズンボラ星人の指定ジャージなんてふざけた格好をした白髪の男など、どこぞの星から流れ着いた天人とでも思っただろうか。いや、その腕一本で真選組をまとめ上げている土方は、さすがにそこまで馬鹿ではないだろうか。
だが、池田屋に突入してきた隊士達は、銀時の知らない顔ばかりだった。あれから隊士の入れ替わりが相当あったのだろう。銀時の顔を知っているものもそう残っていないだろうし、その手前で余計な詮索はできなかっただろう。
真選組にとって、銀時の存在は完全に闇に葬られたのだ。
かくいう銀時も、あの頃には想像もしなかった暮らしを今は送っている。
ノリで掲げた万事屋銀ちゃんの看板の下に、どういう運命のいたずらか、寂れた道場の侍かぶれと、絶滅危惧種の天人娘と、食費ばかりかかる白い巨大な毛玉が集まってしまった。
毎夜、攘夷浪士と切り結んでいたあの日々と比べると、まるで夢を見ているような、平穏でふざけた日々が、今では日常になってしまっている。
まったく、人生とは、何が起こるかわからない。
ときどき、町で
の姿を見かけることもあった。記憶にある姿より少し面立ちがやつれたようにも見えたが、スクーターを転がしながら遠目に見かけただけだから、気のせいかもしれない。そうだ、気のせいだ。昔と変わらず元気にやっているはずだと、その姿を見るたびに銀時は自分に言い聞かせていた。
毎日こつこつ働いて、たまに町で買い物をして、笑って、そうやって普通に生きて、健やかに暮らしてくれてさえいたら、それでいいのだ。自分のことは死んだものとして、忘れてくれた方が、
はきっと幸せに違いないのだから。
今でもときどき、山崎がやって来る。新八が家に帰り、神楽と定春が熟睡した真夜中に忍んできては、
の近況を知らせてくれる。その代わり、銀時は何でも屋の仕事をするうちに小耳に挟んだ攘夷浪士の情報や、怪しげな浪人の目撃情報を流している。
そんなつもりはなかったのに、結局、山崎という駒を通して土方にうまく使われていると思うと面白くはなかったが、まぁ、これもあの騒ぎを引き起こしたことの代償かと思ってこなしている。だが、それももうそろそろ、終わりにしてもいいのかもしれない。
の近況を知ったところで、銀時にもうなんの利もないのだから。
お登勢やキャサリン、たまやお妙、いつの間にかできた顔馴染み達と花見なんかするようなじぶんになるとは。ましてや、自らの手で弁当をこしらえて、巨大な重箱を抱えてスクーターを転がすようになるとは、あの頃は想像もしなかった。そんな自分を、「万事屋銀ちゃん」の坂田銀時として覚えている人間も増えた。
たぶん、自分はこのままここで、生きていくことになるのだろう。
薄い青空の下、春の陽気に心躍らせるようにかろやかな足取りの人々が道を行き交っている。絶好の花見日和、銀時と同じ目的の者も多いようだ。
笑顔の花咲かせる人の流れをそれとなく眺めながらスクーターを走らせていると、ふいに、見覚えのある顔が目に入り、銀時は目を険しくした。
歩道を向こう側から、
が歩いてくる。いや、よく似た他人だろうか。髪型や帯の締め方の癖がよく似ている。まさか気づかれるはずはないと思いながらも、銀時は顎を引いてヘルメットを目深に被り直した。
山崎の話では、
がひとりで外を出歩けるようになったのはほんの数ヶ月前だという。それまでは長いこと屯所に篭りきりで、体調が回復して出歩けるようになってからも、隊士が付きそったり、尾行するなりしていたらしい。攘夷浪士に狙われている可能性があったからだが、その脅威に怯える必要はもうなくなったということだ。
もし、
に再び脅威が襲うことがあるのなら、それは銀時が再び
の前に現れた時だ。攘夷浪士に目をつけられるきっかけになった死人が舞い戻ってくるなど、絶対に避けねばならない。
だが、銀時の不安は杞憂に終わった。よく見れば、それは本当に他人の空似、
とは全く別人の女だった。
ほっと安心した銀時は、ぼんやりとしたままスクーターのハンドルを左に切った。
次の瞬間、後方から飛び込んできた人影とスクーターの前輪がぶつかる鈍い感覚が、銀時の腕から全身に伝わる。あ、と思った瞬間にはすでにスクーターは横転し、人影と新八と神楽が丹精込めて作ったおむすびが宙を舞った。
20220718