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 作戦は滞りなく成功した。うまく行き過ぎて、寒気がするほどだった。

 沖田に殺され、粛清されたと装った銀時は、スナックお登勢の二階の空き部屋に身を隠していた。江戸を離れてできるだけ遠くに逃げ、姿をくらますべきではないかという銀時の意見は、松平はそれを許さなかった。

 銀時の風貌はただでさえ目立つ。綿毛のような白い髪をなびかせて街道を歩くだけで、粛清されたはずの真選組副長が生きていると噂になるかもしれない。ほとぼりが冷めるまでは江戸の片隅に姿を隠す方が、少なくとも松平は安心できるらしい。そうは言っても、隠れ場所が屯所から徒歩二十分の場所とは、恐れ知らずなことである。

 この世にいるはずのない人間を匿わなければならないお登勢には、はなはだ迷惑に違いないが、銀時が知らないうちに話は通っていたらしい。

 騒がしい夜の街を、闇にまぎれて逃れてきた銀時を、お登勢は何も言わずに迎え入れてくれた。強い酒が欲しいとうそぶいた銀時を、いつものように𠮟りつけることもせず、よく冷えた水を差し出して悲しげな顔で笑っていた。

 ひとり、暗い部屋の中に閉じこもる暮らしは、想像していたよりも辛いものだった。

 生まれたときから、一か所にじっとしていた試しがない人生だった。身を隠すこと以外に何もすることがない、というあまりに無為な状況は、銀時の精神をじわじわと蝕んだ。心の中に潜む黒い獣が、うめき声を上げながら心臓に鋭い爪を立てているような苦しさに、何度大声を上げそうになったかわからない。

 そんな時、の顔を思って叫び出したい衝動をこらえた。心の内の黒い獣と取っ組み合って無理やりねじ伏せ、恐ろしい声を上げる口をふさぐのはひどく骨が折れる格闘だったが、の微笑みを思えばなんとかこらえられた。

 自分がここで大人しくしてさえいれば、の身の安全は守られる。心がくじけそうになるたび、銀時は自分に何度もそう言い聞かせた。

 薄暗い部屋でひとりのたうち回ってはうめいている銀時を、お登勢はひとりで店を切り盛りする忙しい身の上でありながら、足繫く見舞ってくれた。声もかけずに、おむすびとお新香を置いていくだけのことがほとんどだったが、ときどき思い出したように、外の世界の様子を知らせてくれた。

 真選組隊士が一名、局中法度違反により粛清されたことは大きなニュースになっていたが、なぜか銀時の名前は伏せられていた。

 隊服のまま賭博場に出入りし、酒に酔っては粗相をし、あまつさえ女を取り合って仲間と一騎打ちをした男の噂は流れているが、誰もその男の素性や名前には興味がないらしい。

 素行の悪い男がひとり、この町から消えて清々した。下手な攘夷浪士よりよっぽどたちが悪かったから安心した。真選組は、その粛清以来、ぐっと評判が上がったらしい。隊内の不穏分子を始末し、毒出しが済んだことで、ようやく幕府直属の機関としての信頼を勝ち得た。銀時という犠牲の上に、真選組はこの江戸の町で確固たる地位を築いたのだ。

 攘夷戦争に参加してきた時から、退却する本隊のしんがりを務めるのは銀時の役目だった。仲間を守るためにこの身を危険にさらし、いざとなれば犠牲になることも厭わない。そのことで、銀時の心には何の感情もわいては来ない。今も昔も変わらず、同じことをしているだけだ。

 攘夷戦争の後、当てもなくさ迷い、たどり着いた墓地の裏でお登勢に拾われた。

 では真選組を追われた後は、どこへ流れて行けばいいのだろう。



 お登勢以外の人間と対面したのは、事件からおよそ三カ月ほど経った頃だった。時の流れには全く無頓着な暮らしを送っていた銀時にそれを知らせたのは、地味な顔をした訪問者だった。

「うわ、こりゃまた、ひどい暮らしぶりですねぇ」

 埃っぽく薄暗い部屋で、煎餅布団に寝転がる銀時を見下ろしたのは、髪を尻尾のようにひとつに結んだ山崎だった。据えた匂いに鼻をつまみ、部屋を舞う埃を手で払いながら、山崎は渋い顔で言った。

「まぁ、こんなことだろうとは思ってましたけど、あれからもう三か月ですよ? もう少し人間らしい暮らしをしたらどうなんです?」
「一体どの口が言うんだよ。てめぇらが始末した人間によ?」

 伸びた髪の隙間から胡乱な目をのぞかせる銀時は、髭が伸び、肌は垢じみて、まるでホームレスのようだった。白い髪にも艶がなく、埃がからんで灰色に汚れている。カーテンを閉め切ってあるせいで部屋は薄暗く、白い肌がますます病的に青白く見えた。
 
 山崎は埃で汚れた足袋を不快そうに見下ろしながら、口を尖らせて文句を言った。

「今更恨み言を聞かせないでください。それに、松平のとっつぁんや局長達が命じたのは死の偽装であって、こんなふうに自堕落な暮らしを送れとは言ってないですよ」

 銀時は鬱陶しそうに眉間に皺を寄せる。

「おいおい、わざわざ死人に説教しに来たのか? 監察も暇になったもんだな」
「そんなわけないでしょ。こんな埃だらけの薄汚い家、冷やかしでだって来たくありませんよ。局長からの伝言を持って来たんです」

 いぶかしく目を細めた銀時を見下ろす山崎の目は、いかにも喜ばしい知らせを運んできたと言わんばかりに微笑んでいた。

「世間の騒ぎもだいぶ落ち着いてきましたし、人気の多い場所を避ければ外出してかまわないとのことです。ただし、真選組の隊服を連想させる黒い服は避けてください」

 銀時は肘をついてのそりと起き上がり、眉間の皺を深くする。

「なんだそりゃ? 行き場のない引きこもりに情けでもかけてるつもりか? 悪いが、もう関係のない組織の指図を受ける義理はないぜ。ここから出て行きたくなったら、その時は自分の判断で出て行くさ」

 卑屈なもの言いをする銀時に物おじせず、山崎は呆れた顔をして腰に手を当てた。

「じゃぁ聞きますけど、どうして今までそうしなかったんですか? あなたのことだから、本気で江戸を離れようと思ったなら、誰に何を命じられようと勝手にそうするでしょう?」

 山崎の馴れ馴れしいまなざしに、銀時はひどく胸がむかついた。ついこの間まで、鬼の副長と呼ばれて恐れられる銀時にまったく頭が頭が上がらなかったくせに、たった三カ月でずいぶんな変わりようである。

 膝を立てて座り直す銀時の手は無意識に刀の柄を探っていた。だが、廃刀令のご時世に真剣をたずさえるわけにはいかず、屯所を出る時にも持ち出しを禁じられたことを思い出し、思わず舌を打った。山崎の腰にある刀が、ひどく恨めしい。

 山崎は続けた。

「しおらしい人間になったふりして、廃人同然のようになってまでここに身をひそめていたのは、こちらからの連絡を待っていたからじゃないんですか? たとえば、さんの近況とか?」

 銀時は鋭く目を光らせて卑屈に笑った。

「……元気でやってんのか? それとも、俺が消えちまってびーびー泣き暮らしてるとでも言うんじゃねぇだろうな?」
「その通りですよって言ったら、もう少し素直に話を聞いてもらえます?」

 気色ばんで腰を浮かしかけた銀時を手を上げて制して、山崎は静かに語った。銀時の死にひどくショックを受けたは、屯所の離れで寝付いてしまっている。だが、銀時を通じてを狙っていた攘夷浪士の手からを守るためには、むしろその方が都合がいいらしい。

「医者には定期的に屯所に通ってもらってます。こういうことは、時間が心の傷を癒すのを待つしかないということですけど、僕もそう思いますよ。さんは見た目ほどか弱い女性じゃありません。食事もまともに取れず、ひとりでは起き上がることができない状態でも、心の中ではつらい現実に折り合いをつけようと戦っているはずです。そんなこと、僕よりもあなたの方がよくわかっているはずですよね? たとえ、二度と会うことは叶わないとしても、そんなさんに恥ずかしくないような生き方をしようとは考えないんですか?」

 銀時はうつむいて、垢じみて皺のよった布団の上で拳を握りしめた。こんなに腹が立つのは、山崎の言うことがいちいち的を射ているからだ。
 がどれほどの苦しみの中にあろうと、自分にできることはもう何もない。無力な自分がほとほと嫌になる。だが、この状況を招いたのは他でもない自分自身なのだった。

 山崎の静かな声は、針で刺すように銀時を責めた。

「もう一度言います。これからは、人気のない場所ならば外出してもかまいません。真選組の隊服を連想させる黒い服を着るのは避けてください。これからどう生きるかはあなたの勝手ですけれど、あなたのために苦しんでいるさんに恥ずかしくない生き方を選んでくれるよう、祈っていますよ」



 山崎の訪問をきっかけに、お登勢の来訪が増えた。山崎は局長からの伝言をお登勢にも伝えたらしい。外へ出るきょかを得たにもかかわらず、部屋を出るどころか布団から起き上がろうともしない銀時を、お登勢は無理やり布団から転がして𠮟りつけた。

「いつまで死んだふりしてるつもりだい? あたしゃ、死人に部屋貸すような酔狂な趣味は持ち合わせちゃいないんだよ」

 布団から滑り落ちた拍子に腰を打った銀時は、いてて、と腰をさすりながら涙目でお登勢を見上げた。黒い着物に赤い紅を引いた唇、真っ青なアイシャドウがまるで毒蛇のように毒々しく、蛇に睨まれた蛙のように、銀時は身動きができなくなる。

「……何しやがる、くそばばぁ」

 腰に手を当て仁王立ちしたお登勢は言った。

「それはこっちのせりふだよ。まったく、いつまでそうやっていじけてるつもりだい?」
「ばばぁには関係ねぇだろ」
「馬鹿言ってんじゃないよ、大ありだよ。この部屋、一体誰のもんだと思ってんだい」

 スナックお登勢の二階に位置するこの部屋は、長い間空き部屋になっていた。わずかばかりの家具がそろっているが、水回りは古い。畳は日焼けし、障子は破れている。銀時がここに身を隠してから一度も掃除をしていないので、部屋のそここに、白い埃が生き物のようにふわふわと身を寄せ合っている。

 お登勢は部屋を一瞥して言う。

「そもそもこの部屋は、借り手を探してたところだったんだよ。あたしだってもう若くないんだ。家賃収入を老後の足しにしようと思ってたのに、まったく当てが外れちまったねぇ」

 銀時は返す言葉が見つからず、むっと口を引き結ぶ。銀時は、あの雪の日にお登勢に拾われた時、約束したのだ。老い先短いあんたの人生、死んだ夫の代わりに守ってやると。真選組に入隊したことで、その約束を守ったつもりでいたが、今となってはそれも反故にしてしまったようなものだ。

 銀時が何より苛立つのは、自ら申し出た約束を破りかけている自分自身だった。お登勢は危険をかえりみず、ここに銀時を匿ってくれた。

 一度ならず二度までも、銀時の命を繋いでくれたのだ。

 これ以上、お登勢の優しさに甘え続けるのは、銀時の魂が許せなかった。

「……家賃を払えば文句ねぇんだな?」

 うっそりと、挑むような口調で言った銀時を、お登勢は試すような目で見返した。










20220419