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 剣を握っていると、頭の中が真っ白になることがある。

 理性や思考が頭の中から追い出されて、脳からの指令を待たずに体が先に動く。考えなくても、どう体を動かせばいいのか分かってしまうのだ。

 目で見るよりも早く、耳で聞くよりも早く、研ぎ澄まされた感覚が全てを教えてくれる。あまりの情報量に悲鳴を上げる小さな脳の代わりに、丈夫なだけが取り柄の体は、枷を外された獣のようにいきいきと踊るように動く。

 これはめったに経験できることではないが、銀時はこの瞬間が嫌いではなかった。気持ちが良かった。今の自分なら、何倍も体の大きい天人も、巨大な大砲を積んだ軍艦も相手にならない。この調子なら、一度も勝てたことのない師匠から一本もぎ取れそうだとすら考えてしまう。

 傲慢な自信、俺は無敵だと叫びたくなるような興奮に踊らされて、目の前の敵を斬るためだけの夜叉になる。

 こんな気分を味わうのは、本当に久しぶりだ。

 ここまで激しく銀時を怒らせる人間は、本当に久しぶりだった。



 受けた剣戟の勢いのまま、道場の外へまろび出たのは、狭苦しい道場の中では満足に剣を振るえなかったからだ。力負けしたわけではない。土方を思い切りぶちのめしてやるために、最適な場所を選んだだけだ。

 角のない砂利が敷き詰められた広場には、騒ぎを聞きつけた隊士達が集まっていた。裸足のつま先で、砂利を掴むようにして足場を確かめる。太陽に温められて乾いた石は、丸く温かく、悪くない。

 ふと木刀を見下ろすと、中ほどから切っ先に向かってひびが入っている。銀時はそれをぽいと投げ捨てると、手の届くところに立っていた隊士の腰から真剣を抜いた。

 それと同時に、道場の入り口に土方が立った。土方の木刀も半ばから折れていた。土方は、銀時が刀を抜いて鞘を投げ捨てるのを見ると、かけつけたばかりの山崎から真剣を奪い取った。山崎が大声を出して止めたが、土方は聞く耳を持たずに悠々と階段を降りてくる。裸足で砂利を踏む足音が広場の下に響く。多くの隊士達が、固唾を飲んでふたりを見守っていた。誰もがあっけにとられて、身動きすらできなかった。

 階段を下りきった土方は、わずかに笑っているように、銀時には見えた。

 互いに抜身の刀を構える。
 睨み合う。
 ふたりを中心にして、隊士達が円形に囲んでいる。
 誰もが息を詰めていた。
 声を出すどころか、息をするのもはばかられるような緊張。

 合図は、土方の足元の砂利が崩れたかすかな音だった。同時に踏み込んだ瞬間、刀がぶつかって火花が散った。力比べになる。体重を乗せた刀同士が拮抗して、ガチガチと悲鳴を上げながら震える。

 刀越しに睨み合いながら、銀時は鬼のような形相で笑った。

「自棄になるじゃねぇか。図星か?」

 銀時の挑発的な声は土方を煽る。
 土方は歯を食いしばりながら答える。

「お前こそだろ」
「大人げねぇな」
「それはこっちのせりふだ」

 刀同士が押し合って、鋭い悲鳴が上がる。弾かれた勢いのまま振りかぶって、脇を狙う。逆手に持った鞘で防ぐ。

 頬をかすめた切っ先が、銀時の頬に赤い線を引く。そのかすかな痛みが、これがただの喧嘩の域を超えていることを実感させた。

 目の前にいる男は、もはや攘夷浪士と同じ、敵も同然だった。真選組副長という同じ立場で、ともに死線を潜り抜けてきた。ちっとも気が合わなかったし、喧嘩ばかりしてきた。けれど、守ろうとしているものだけは同じだと思っていた。

 銀時が何に変えても守りたいと思っているを、その気持ちをないがしろにする土方のことだけは、何があっても許せる気がしない。

 再び、刃がぶつかり合う。互いに押し合い、動けなくなる。

 土方の口元が、嫌味にゆがんだ。

「お前、ビビってんだろ」
「あぁ?」
「あいつと真正面から向き合うのが怖いんだ」

 銀時は力任せに刀を押し返す。土方はわずかに後ろに足を滑らせたが、持ちこたえた。

「ビビッてんのはてめぇだろ。今までの口説き文句、全部演技だったって、あいつにばらしたら苦労が水の泡だもんな」

 土方の怒りの表情に、一層凄味が増したのが、銀時には手に取るように分かった。さすが、鬼の副長と呼ばれるだけある。この顔にひと睨みされたら、並の男はひとたまりもないだろう。

 この怒りがどこから湧いてくるのか、本人にも理解できていないのだ。怒りの奔流を止められず、激情に押し流されるように激しい言葉がほとばしる。

「あいつを守る気のねぇ奴と比べりゃ、嘘吐きの方がマシだ」
「守る気がねぇのはお前だろ」

 と、銀時が踏み込んだところの砂利が崩れた。足元が揺らぐ。バランスが崩れ、思わず膝を付いてしまう。そのわずかな隙に、小手を打たれて刀を取り落としてしまった。あっ、と思う間もない。土方が刀を振りかぶる。刀身が光を弾いて、目を焼くほどに白く眩しい。

 時間にして、1秒にも満たない一瞬だ。けれど銀時には、コマ送りをするようにスローモーションに見えた。

 光が、黒い影に遮られる。太陽が月に食われるように。まばたきをする間に夜がやってきたような。

 何が起きたのか、理解できずに目を見開いた銀時は、バランスを崩して後ろに倒れそうになる。かろうじて後ろ手をついたが、体にのしかかってきたものは、その重さよりも激しい呼吸音で銀時を圧倒した。

 やけにいい匂いがした。太陽の光をたっぷり浴びた布団か、湯気を上げる炊き立てのご飯のような、温かく甘い匂いが。

「おい、何してる?」

 土方が低い声で言った。

 銀時より先に口を開いたのは、銀時をかばうように覆いかぶさる、だった。

「それはこっちのせりふです。何をしてるんですか?」

 体を起こしたが、銀時の目を見た。鼻先がぶつかりそうなほどの距離で、の瞳が険しい。肩が激しく上下していて、熱い息が銀時の鼻にかかった。その匂いにあてられて、銀時の激しい怒りは魔法のように沈下してしまった。

「お前には関係ない。どけ」
「刀を納めてください」
「どけと言っている」
「嫌です」

 しん、と静かな波が寄せるような気持ちが胸の奥から押し寄せてくる。

 がこういう顔をして、こういう言い方をする時は、誰が何を言っても無駄だ。相手が抜身の刃を持って、殺気をみなぎらせている男であろうと関係ない。

 銀時が土方を許せないように、にも、命を危険にさらしてでも、守り通したい矜持がある。それは、ふたりの師匠、松陽の教えだ。

 どこからか、松陽が見ているような気がした。いつもの笑顔を浮かべて、重い拳骨を振り下ろそうとしている松陽が。

 銀時はふっと溜息をつくと、手のひらに握り込んでいた砂利を落とした。土方が刀を振り下ろした瞬間に目元を狙って、砂利を投げつけてやるつもりだったのだが、その代わりに、の背中をぽんぽんと叩いてなだめてやった。

 が銀時の胸の内を探るように、眉をしかめる。

 雷が落ちるような近藤の声が降ってきたのは、ちょうどその時だった。



 認めるのは癪だったが、銀時の体は土方の木刀を受けた痣や、刀をかすめた切り傷があちこちに出来ていた。どれも大した傷ではないが、静かな医務室で人心地つくと、そのひとつひとつが地味に痛む。

 の手当てを受けながら、銀時は思いつく限りの憎まれ口をきいた。まるでいたずらがばれた子供のようだが、自分でも止められなかった。

 はただそこにいるだけで、否応なく松陽のことを思い出させる。何か悪さをしでかしたり、高杉と喧嘩をしたりして、松陽におしおきされたとき、いつもが手当てをしてくれた。ぷんぷんと頬を膨らませながらも、優しく慰めてくれたことをよく覚えている。

 こそばゆい気持ちとともに蘇ってくるのは、焼けつくような喪失感だ。

 松陽を失ったように、を失いたくない。

 それにしても、とふたりきりになるのは久しぶりだった。荒木田と三倉の葬式の日以来だ。そのせいかどうか、なんだか気まずくて、何を話せばいいのか分からない。

 話すべきことがたくさんあるような気がする。桂が会いたがっていること、土方がを口説いている裏には企みがあること。けれど、どれも言葉にならなかった。

 手当てを終えて、医務室から食堂に戻るの後をついていくと、が意外そうな目で銀時を振り返った。つい昨日まで、徹底的に避けられていた相手が、鳥のひなの後追いのようについてくるのだから、不思議に思うのも当然だろう。

 銀時は迷っていた。本当のことを話すべきか、このまま黙っているべきか。の身に迫っている危険は、もう目と鼻の先まで届いてる。また、逃げるようにと距離を置いてしまったら、もう取り返しがつかないかもしれない。

「銀さん、お腹すいてない?」

 むっつりと黙り込んでいる銀時の目の前に、は白いおむすびを差し出した。

 ぽかんとする銀時に、は自信なさそうに微笑んだ。

「あれだけ暴れた後だもの。少し食べたら?」

 そう言われてみれば、腹が減っているような気がする。

 銀時は小さなおむすびを掴むと、三口であっという間に平らげた。の小さな手で握られたおむすびは小さくて、なんだか物足りない。自然とふたつめに手が伸びる。

 それを見て、はほっとしたようだった。

 黙々とおむすびを食べる銀時のそばで、はお櫃に残ったご飯をせっせと握った。濡らした手に塩を取り、ご飯を乗せて、手のひらの中で転がす手つきがリズミカルで、つい見入ってしまう。

 お櫃の隣に、ちょうどいい大きさに切った海苔が重ねてあり、銀時は口を動かしながらもごもごと言った。

「これ、巻いてけばいいの?」
「え、まぁ、そうだけど……」

 戸惑うの前で、銀時は白いおむすびに、一枚ずつ海苔を巻いた。元々、手先は器用な方だ。皿の上に整然と並んだ裸のおむすびは、あっという間に黒いふんどしのような一張羅をまとう。

「ありがとう。助かるわ」

 いかにも慎重に言葉を選んで、は苦笑した。本当は他に言いたいことがあるような顔だった。もきっと、気まずいのだろう。

 しばらくの間、ふたりでもくもくと手を動かした。

 おむすびと言えば、桂のことが思い出された。子供の頃、一体何のつもりだったのか、お櫃一杯のご飯を持ってきては、道場の片隅に仲間をさそって、おむすびを握らされた。身寄りのないあいつなりに考えたコミュニケーション手段だったのかもしれない。水びたしの手で握ったおむずびが形を保てないほどぐちゃぐちゃだったり、とんでもない具(沢で釣ったザリガニ、食えるかどうかわからない野草)を用意したりして、何度もひんしゅくと笑いを買った。そうやって、桂はいつの間にか道場の仲間になっていた。

 も今、そのことを思い出しているような気がした。

「ねぇ、銀さん」
「ん?」
「……大丈夫?」

 たったひと言を、は喉の奥から絞り出すように囁いた。

「これくらい、かすり傷だ」

 銀時はごまかそうとしたが、当然、うまくいくはずはない。

「怪我のことじゃないわよ」
「じゃぁ、なんだよ?」
「それは……」

 自分から言い出したくせに、口ごもってしまった。

 もしかすると、も何か、気づいていることがあるのかもしれない。女という生き物は男より鋭いところがあるし、は一見、呑気なように見えて、勘が鋭いところがある。松平の狸にも情報源として頼りにされているのだし、真剣を振りかざす男の前に、平気で立ちふさがってわが身を盾にする肝っ玉もあると、今日知った。

 銀時を守ろうと、力いっぱい抱き着いてきたの細腕を、銀時はじっと見つめた。

――俺は、こいつのことを舐めていたのかもしれない。

「そうだな。あんま、大丈夫ではないかもな」
「え、そうなの?」

 押し殺していた不安が噴き出したように、の表情が陰った。今にも泣きだしそうな情けない顔に、銀時は思わず噴き出した。

「冗談だって。そんな顔すんだよ」
「冗談にしたってたちが悪いわよ。本当はどうなの?」
「お前に心配されるほどじゃねぇよ」

 銀時はおむすびに手早く海苔を巻きながら言う。裸のおむすびがなくなると、かたわらに置いてあったアルミホイルを適当な長さに切って、手のひらに押し込むようにして丸める。それを丁寧に伸ばしてから、できたてのおむすびを三つ、しわくちゃのアルミホイルで包む。

「なんか、昔っからくせでこうやってっけどさ、なんでおむすび包むときって一回、しわくちゃにすんだろうな?」

 銀時の疑問に、は首を傾げながら答えた。

「そうすると、アルミホイルに海苔がくっつかないのよ」
「へぇ、そうなんだ。はじめて知ったわ」
「ねぇ、それ今の話に関係ある?」
「いや、別にねぇけど」
「何よそれ」

 は肩を落としてため息をつき、やれやれと言わんばかりに頭を振る。

 銀時は、そんなの頭に手を置いた。後頭部の丸みをなぞるように、黒い髪の滑らかな手触りを楽しむように、ゆっくりと頭をなでる。頭の後ろで結い上げた髪の束を指先ではじく。

 が目を丸くして銀時を見上げていた。米粒のついた手が、中途半端な位置で宙に浮いている。

「美味かった、ありがとな」
「ただの塩むすびよ」
「弁当にすっから、もらってくぞ」
「それはかまわないけど、ねぇ、銀さん……」
「心配すんな」

 きっぱりとした銀時の言葉に、はぐっと押し黙る。反抗的に眉が吊り上がったが、その口が開く前に、銀時は苦笑した。

「って、どんだけ言っても、お前はするんだろうな」
「当り前じゃない。昔馴染みなんだから」

 銀時は後ろ頭をかきながら、必死に言葉を探した。右腕を持ち上げると、手当てをしてもらったばかりの脇腹がかすかに痛んだ。

「銀さん、本当に、大丈夫?」

 が同じ質問を繰り返す。

 銀時は、それがありがたかった。うまい言葉は、やっぱり見つからない。けれど、この質問に対する答えだけは、嘘偽りのない本心だからだ。

「大丈夫だ」

 根拠なんかは、ないのだけれど。








20210825