13













 道場には、隊士達の掛け声と竹刀がぶつかり合う音が響いていた。

 誰よりも遅く道場に現れた銀時は、控えめながらも刺すような冷たい視線を四方八方から浴びせられる。大方、予想通りの反応だったから動揺はしないが、気分のいいものではない。

 床の間を見やると、土方がひとり、あぐらをかいて座っていた。近藤の姿は見えない。あぁ見えて忙しい男だから不思議ではないが、期待が外れた気持ちがしてため息がこぼれた。近藤の無神経なおおらかさが、ここにあってくれたらと思わずにいられなかった。

 銀時はしぶしぶと、睨みつけるような鋭い視線を寄こす土方の隣に腰を下ろして、言った。

「言われた通り、顔を出してやったぜ。これで面目は立っただろ?」
「来て座っただけじゃねぇか。なめんなよ」
「他のところで人一倍働いてるんだ。少しは労われよ。稽古なんざ、俺がいなくてもなんの問題もないだろ」
「基本的な勤務態度のことを言ってんだよ。どんな理由があれ、夜勤でもねぇのに、昼過ぎまで寝てる奴があるか。そういうところから信頼を失うことになるんだ。だいたいお前はな……」

 悲鳴に近い雄たけびが天井にこだまする。それが道場中のあちこちで起こるものだから、土方の声は途切れ途切れになる。それをいいことに、銀時は土方の言ったことを聞き逃したことにした。

「人のことガキ扱いするのは結構だけどさ、そういうお前はどうなんだよ?」
「俺がどうしたってんだよ?」

 銀時は気だるいしぐさで頬杖をつき、挑発するように土方を睨んだ。

「ちゃんと飯には誘えたのか?」

 その瞬間、土方の目元にさっと赤みが差した。

「……なんでお前が知ってんだよ?」

 銀時は嘲笑を浮かべて言う。

「沖田から聞いた。沖田は山崎から聞いたってさ」
「あのおしゃべりめ」

 噂の張本人は、たった今、若い隊士のひと太刀をはじき返して壁に叩きつけたところだった。手加減しろと、何度言ってもいうことを聞かない。

 とはいえ、今は沖田の乱暴な稽古は、銀時にはありがたかった。近頃、悪いうわさが絶えない銀時が道場に現れたことで、隊士達は気もそぞろ、竹刀を振るう腕に戸惑いを隠せていない。探るように銀時を盗み見る隊士には、すかさず沖田の竹刀が向けられた。まるで何かのお仕置きのようだった。

「今日は一段とはりきってんな、沖田くんは」
「お前がだらしねぇから、ちゃらんぽらんのあいつまで真剣にならざるを得ないんだよ」
「むしろ、お前が女に現を抜かしてるせいじゃねぇの? 油断してるところこれ幸いと、副長の座を狙ってんだよ」
「抜かしてねぇ。くだらねぇ憶測をするな」
「で? 飯は? 行ったの?」
「……あぁ、行ったさ。一緒に酒飲んで飯食ったよ。それがなんだよ?」

 いかにも、忌々しそうな言い方だった。恋にうぶな男は、揶揄されると熱くなるらしい。

 苛立ちを露わにしていても、端正な横顔だ。きりりとしたまなざしは役者と例えても違和感がない。この目に見つめられたら、女などあっという間に骨抜きになってしまうだろう。も、土方の魅力にすっかりやられてしまっただろうか。

「べっつにー。ひとりじゃ食い物の好みも聞けないような男が、果たして上手くやれたのか気になっただけだ」
「余計なお世話だ。飯食って酒飲むだけで、上手いも下手もねぇだろうが」
「それがあるのが男と女だろ。分かってねぇな」
「分かってねぇのはお前だろ」
「は? 何がだよ?」

 土方が呆れた顔で銀時を睨む。銀時は思わずむっとした。

「何だよ? はっきり言えよ?」
「言わねぇと分からねぇのか?」
「だから、何なんだって?」

 土方はこれ見よがしにため息をつく。そのあてつけがましい態度は銀時を苛つかせた

「お前のことばっかりしゃべってたよ」

 土方の口調は、悔しそうでもあり、どこか諦めてもいるようだった。低い声は人目をはばかってのことか、それとも、苛立ちを押し殺そうとしてのことだろうか。

「お前が、日に日にボロボロになっていくのを見てられねぇってさ。隊の中で浮いているのも気にしてるし、それに、お前に避けられ続けて傷ついてる」
「……あいつが自分でそう言ったのか?」
「そうじゃないが、話を聞いていれば分かる」

 銀時は知らず知らずのうちに強く拳を握りしめていた。土方の涼しい横顔に、腹が立って仕方がなかった。

 土方は続ける。

「隊服のまま酔いつぶれたり、賭博場に出入りしたりしてようが、お前のことだから必ず理由があるはずだから、軽々しく処罰してくれるな、だとよ。良かったじゃねぇか、事情は察してくれてるみたいだぜ」
「まさかお前、あいつに話したんじゃないだろうな?」
「んなわけねぇだろ。お前の行動が分かりやす過ぎるんだ。町中で噂にもなってる。あいつを避けたって意味はねぇって、これでよく分かっただろ」

 観念しろ、とでも言いたげに、土方が銀時をしかと見据えた。

「そうやっていつまでも、逃げ回っていられると思うなよ」

 銀時はうつむいたまま、じっと唇を噛み締めている。膝の上の拳は小刻みに震えていた。

 銀時が攘夷浪士を釣り上げるための餌として単独行動をしていることは、隊の中でも幹部にしか知らされていない。

 隊士どころか、一介の家政婦でしかないが知る必要はないことだ。余計な情報を与えれば、それだけ危険が増す。

 桂がと話したがっている。銀時が到底足元にも及ばないほど頭が切れる桂のことだ、どんなに警戒を厚くしても、きっとわずかな警備のすきをついて簡単にをさらってしまうだろう。

 なぜを巻き込もうとするのか、その理由は銀時以外にない。を危険な目に合わせているのは、他でもない銀時なのだ。

 だから、そうしたくもないのに距離を置いて、顔も見ず、話もせず、遠くから見守ることに徹している。その決意と覚悟を、逃げているの一言で否定される。

――俺がどんな気持ちでこんなことをしてると思ってやがる……。

「……せっかくのデートだっつーのに、他の男の話ばっか聞かされちゃたまらねぇか」
「あぁ?」
「どう考えても、脈なしだもんな。だからって八つ当たりすんなよ、迷惑な奴だな」

 土方は目元をビクンと痙攣させた。声が、一段と鋭さを増す。

「おい、今なんつった?」
「脈なしで落ち込んでるからって、俺に八つ当たりするなっつったんだ」

 銀時の瞳が、赤い光を放って土方を射抜く。ふたりの視線がぶつかったところに、火花が散る。

「色恋に疎い男はこれだから。あぁ、そうか、お前もしかして振られたことないんだ? そのツラだもんな。女に困ったことなんかなさそうだもんな?」
「お前、一体何の話をしてやがる? 俺が言いたいのは、あいつがお前を心底心配してるってことだ。その気持ちを少しはくんでやれと言っている。八つ当たりなんかしてねぇ」
「どうだかな、顔に書いてあるぜ、鏡見てみろよ。あいつが簡単になびいてくれなくてやけになる気持ちは分かるけどよ。それで、俺に塩を送るってのは違うんじゃねぇの? 俺とは近づかねぇ方がいいって、全員一致で決めただろ。それを何度も何度も蒸し返しやがって、しつけーんだよ。お前のストレス発散に付き合ってやるこっちの身にもなりやがれ」

 土方の唇がわなわなと震え、銀時の声を遮った。

「てめぇ……! 人をからかうのもいい加減にしろよ! まるで俺が理性を失ってるような言い方しやがって、俺はてめぇの代わりにあいつを守ってやってんだ! 誰かがやらなきゃならねぇ仕事だ!」
「んなこと言って、こんなことになる前から、お前、あいつにちょっかい出してたじゃねぇか。気づいてねぇとでも思ってたのか? 人前であんなに分かりやすく口説いといて?」
「あれは隊士達への牽制だ! 屯所の風紀を守るためだ! そうでなけりゃ誰が人前で女口説くなんて恥ずかしい真似するか!」

 その時、銀時は何か太いものが千切れるような、ブチンッ、という音を確かに聞いた。

「……つまり何か? 牽制とか、風紀とか、そんなくだらねぇもんのために、あいつに気のあるふりしてたっていうのか?」

 土方は憤りも露わに言う。

「あぁ、そうだ。それがあいつのためにも、真選組のためにもなることだ」
「本気でそう思ってんのかよ?」
「あぁ」

 土方は、本気でに惚れているのだと思っていた。沖田もそう言っていた。あれだけ付き合いの長い沖田が言うともっともらしく聞こえたし、あの近藤ですら疑っていなかった。

 けれど、元々、土方は色恋には疎い方だ。本気で惚れた女とは目も合わせられないほどうぶなところがあって、を食事に誘うのにも難儀していた。そんな男が、どうして人前で平気でを誘ったり、手を握ったりできたのか。その意味を一度たりとも考えなかったことに、銀時は憤りをとおり越して呆れかえった。

 土方は鬼の副長。真選組いち、頭の切れる策略家なのだ。

 銀時は震えるほど強く握りしめた拳をほどくと、その手で木刀を握りしめ頭上に振り上げた。








20210815