12
「
さんって、何か食えない物ってあるんですか?」
そう銀時に尋ねたのは沖田だった。
銀時はしゃもじを握りしめ、思い切り眉間に皺を寄せる。
「そんなこと、本人に直接聞けよ」
答えがつい乱暴になったのは、激しい空腹が気持ちを荒ませていたからだ。
お櫃には、手のひら半分ほどの冷や飯しか残っていない。すっかり冷えきってしまっていて、カピカピに乾いている。米粒を最後のひと粒までかき集めても、茶碗一杯にも満たない。仕方がないので、鍋に残っていた味噌汁をご飯にかける。
もし
がここにいたら、「猫まんまなんて行儀が悪い」と優しく叱った後、何か軽いものを手早く作ってくれるだろう。が、あいにく、今日の食堂に
はいなかった。
がいない時間を見計らってやってきた銀時の自業自得だ。
「聞きたくても、今いないんですよ」
「だったら探せばいいだろ」
「そこまでするほど知りたいわけでもないんですって」
「だったらなおさら、俺に聞くなよな」
「何をそんなカリカリしてんですか? こなのただの雑談でしょ?」
銀時はじとり、と沖田を睨みつける。並みの人間なら、これだけで逃げ出してしまいたくなる鬼のような目だったが、沖田は涼しい顔をして首を傾げている。
銀時は大きなため息をつきながら、乱暴に腰を下ろす。厨房で、荷物置や踏み台にされている古い木の椅子が、銀時の体重を支えてギシリと鳴った。
の話となると、つい過剰に反応してしまう。どうしようもなく、意識している証拠だ。
「寝不足なんだよ」
銀時は大口を開けて、猫まんまをかきこんだ。
「また午前様だったんですか? 朝飯にも間に合わなくて、こんな時間に?」
時計の針は、10時40分を指している。まともな人間なら、労働に汗水流している時間である。
沖田は呆れた顔をして言った。
「また懲りずにスタンドプレイですか。いい加減、飽きません?」
「飽きるとか、そういう問題じゃねぇよ。これが俺のやり方なんだ。分かってんだろ」
「分かってますけど。銀時さんがこんなに仕事熱心だとは思ってなかったので、意外です」
沖田の言うことは、当たっている。本当はもっと、楽をして生きていきたい。面倒事は避けたい。酒をなめながら、日がな一日ごろごろ寝そべっていたい。できることならそうしている。それができない事情が、今はあるのだ。
「ま、俺には関係ないことですけどね」
沖田は銀時の隣に立つと、天井を仰いで首の関節をぽきりと鳴らした。人気のない厨房に、その音はのんきによく響いた。
「銀時さん、最近ずっとそんな調子だから知らないでしょうけど、
さん、最近すごく落ち込んでるんですよ」
「へぇ、そうなの?」
「みんなの前ではいつも通り、元気に振る舞ってますけどね」
「ならなんで落ち込んでるって分かるんだよ?」
「だって、あんなことがあったばかりなんですよ、無理してるに決まってます。その上、銀時さんにとことん避けられて、落ち込むなっていう方が無理でしょ」
銀時は口いっぱいにご飯を詰め込んで、沖田を見る。
真選組では、銀時に次ぐほどのちゃらんぽらんで、一番隊隊長を任されてはいるが、土方に言わせれば、「あいつは数に数えないくらいでちょうどいい」存在だ。剣の腕だけが取り柄の、やる気のないぼんやりした男だと思っていたが、
のことはやけに気にかけてくれているようだ。
感心したのもつかの間、沖田は面倒くさそうに口をへの字に曲げた。
「まぁ、これ全部、土方さんが言ってたことですけどね」
銀時は思わず肩を落とす。
「なんだ、結局あいつかよ」
「土方さんが
さんのこと気にかけてるって、銀時さんも知ってるでしょうに」
何をいまさら、とでも言いたげに、沖田は茶色がかった瞳を輝かせた。土方の恋路は、沖田にとってはかっこうのネタなのだ。新しいおもちゃを与えられた子供のように面白がっている。
「実は、
さんが食えない物を知りたがってるのも、土方さんなんですよね」
「なんだ、そうなのかよ」
「飯にでも誘おうとしてるんじゃないですか。山崎に命令して調べさせようとしてみたいで、その山崎から俺に話がきたんです。で、
さんのことなら、銀時さんが一番詳しいだろうと思って、こうして聞いてるわけです」
「思春期のガキじゃあるまいし、それくらい自分で聞けって言っとけ」
「だから言ったでしょ。土方さんってあぁ見えてうぶなんですよ。
さんが落ち込んでるからって理由を見つけたり、食い物の好みをいちいち確認しないと店も選べないような小心者なんです。少しは同情してやってくださいよ」
「一生やってろ、くだらねぇな」
こんな話を聞いていると、つい先日、スナックお登勢にいた
を、土方に迎えにこさせたことが悔やまれた。
あの時は、
に火の粉がかからないよう、一刻も早くあの場から連れ出すことが最優先だった。だから、ちょうど近くにいた土方に
を託した。
結果的に、土方に塩を送るような真似をしてしまったのかもしれない。そう考えると、なんだか馬鹿馬鹿しい気持ちになってくる。こっちは必至で攘夷浪士とやりあっているというのに。
土方が
を口説くのは勝手だ。好きにすればいい。
も土方のことを好きになってふたりが結ばれれば、これ以上のことはない。
には幸せでいて、いつも笑っていてほしい。
あの晩。迎えにやってきた土方を見た
の顔に浮かんでいたのは、笑顔ではなく、驚きと戸惑いだった。暖簾の陰から様子をうかがっていた銀時に、その表情は強い印象を残している。
思春期の子供のように不器用なやり方しかできなくても、土方の思いは本物だ。そう思う。
を守る力もある。土方に任せておけば、何も心配いらないと分かっている。
の気持ちは、どうなのだろう。
「あいつが嫌いな食い物はよく知らねぇ。出されたもんはなんでも食う」
銀時は茶碗を見下ろしながら独り言のように呟いた。冷や飯と味噌汁が混ざったぐちゃぐちゃの猫まんまは、もうほとんど味が分からなかった。
「酒もいける口だから、まぁ、ちょっといい小料理屋にでも連れてったら喜ぶんじゃねぇの」
「そうですか、伝えときます。あと、もうひとつ、土方さんから伝言なんですけど」
「まだあんのかよ」
「たまには稽古に顔を出せ、隊士達に顔を見せてやらないと、ますます孤立する、少しは立場を考えろ、だそうですよ」
真選組のもうひとりの副長である銀時は、直接の部下を持っていない。銀時の性格には、その身軽な立場が性に合っていたし、近藤局長も納得してくれている。
そんな曖昧な立場にあっても、以前の銀時は隊士達に慕われていた。特別なことをしているわけではなくとも、そこにいるだけで人を引き寄せる、簡単には説明できない魅力が銀時にはあった。少し以前なら、銀時が食堂や道場に現れれば、その周りに自然と人が集まったのだ。
けれど今は、人が集まる時間帯に食堂には行かないし、稽古の時間はいつも寝ている。
近頃は、攘夷浪士を釣り上げるためにひとりで夜の街を徘徊しているが、詳しい事情をよく分かっていない隊士達は、銀時が策略もなく、何も考えずにうろついているだけだと思っている節がある。好き放題に飲み歩き、隊服のままパチンコの玉を打ち、出合頭の浪士を斬り捨て、通報もせず放置する。そんな銀時を疎ましく思っている隊士達が増えていた。
人一倍、風紀を重んずる土方としては、憂慮する事態なのだろう。
「ひとりには慣れてるって言っとけ。お前と違って子供じゃないんだ、ともな」
銀時は茶碗の残りを勢いよくかきこんだ。
呆れたように肩をすくめる沖田の視線が、鬱陶しかった。
沖田ひとりなら無視したことだったが、局長・近藤が同じことを言い出したときには、さすがの銀時も辟易した。近藤は誰に対しても口うるさいことは言わない。だからこそ、ここぞという時のひと言に重みがある。
「よぉ、銀時! なんだか久しぶりだな!」
とはいえ、素っ裸で仁王立ちしながら言われるとありがたみも薄れるものだ。
広々とした大浴場にはもうもうと湯気が立ち込め、今日の一番風呂を味わいに来た近藤を歓迎した。
「どいつもこいつも、口をそろえて同じことばっか言いやがって……」
銀時は口元まで湯船に沈めて、愚痴をあぶくの中に隠した。
人目を避けて足を向けた先々に、待ち構えていたようにやってくる連中が必ずいる。まるで行動を読まれて、先回りでもしているようだ。鬱陶しいのを通り越して、なんだか呆れた気持ちにさえなる。
近藤は湯で体を流すと、湯船につかって銀時の隣に座った。
「一番風呂、先を越されちまったな」
「悪いな、局長を敬ってやれなくて」
「はっはっは! 何、かまいやしないさ」
近藤はちらりと銀時の体を見やる。新しい傷が増えていて、紫色に変色した打身や、ケロイドが生々しい。細かい切り傷には湯が染みるのだろう、銀時の眉根には深いしわが刻まれていた。
「最近はまた一段と、派手にやっているみたいだな」
「まぁな。聞いてるんだろ」
「あぁ。だが、お前にばかり負担をかけるような今のやり方は、どうにかしなけりゃならんと思っている」
近藤は湯の中にいても、まっすぐに背筋を伸ばし腕を組んで鷹揚にかまえている。堂々としていて、微笑んだ口元は不安や疑念など自分には関係ないと言っているようだ。
いつ見ても、惚れ惚れさせられる。近藤のことを評して、「男に惚れられる男」と言ったのは誰だったか、思い出せないのは誰もが口をそろえて同じようなことを言うからだ。
「お前には、いろんなものをひとりで背負わしちまってるな」
近藤が言う。
銀時は体中がひりひり痛むのを感じながら答えた。
「自分で蒔いた種だ。自分で刈り取るのは当然だ」
「お前のその考えは尊重する。だが、体がもたなくなったら元も子もないだろう。そうなる前に、もっと俺達を頼ってくれ」
「大丈夫だ、俺は頑丈なだけが取り柄だからな」
「それは分かっている。だが、胸に留めておいてくれ。俺は、いや俺達は、お前を助けたいと思っている」
「へぇへぇ。ありがとよ」
銀時は適当に返事をしながら、湯をはじいて立ち上がった。本当はもう少しのんびりしていたかったけれど、これ以上ここにいて、口うるさいことを言われてはかなわない。
浴室を出ていこうとする銀時の背中に、近藤が声を響かせた。
「たまには道場に顔を出せよ! みんなもお前に稽古をつけて欲しがってるぞ!」
近藤まで沖田と同じことを言う。隊士達との分断をよほど危惧しているらしい。
銀時は後ろ手に手を振って、すりガラスの引き戸を閉めた。
「こりゃ、言うこと聞いてやんなきゃな……」
大きな鏡に映った銀時の体は、浪士達の憎しみや恨みをその身ひとつで受け止めて、もうぼろぼろだった。
その傷を、隊服の下に隠し続けるのも、そろそろ限界なのかもしれなかった。
20210725