11
スナックお登勢を出たその男は、人目を避けるように暗がりに身をひるがえした。酒に酔った様子もなく、そそくさと闇に紛れていく様はまるで盗人だ。けれど、真選組が大勢の浪士を引っ立てていった大事件に気を取られている町の人々は、誰ひとり気にも留めない。
明かりのない路地を進み、寂れた裏長屋を進む。その中でも特に薄暗いひと部屋に、男は音も立てずに滑り込んだ。
「戻ったか」
蝋燭を灯しただけの部屋に、黒い影が躍る。黒髪の美丈夫、狂乱の貴公子・桂小太郎だ。
「首尾はどうだった?」
男は桂の前に膝を付いて頭を垂れ、険しい口調で言った。
「はい。坂田銀時を追った同志達ですが、真選組の罠にはまり、挟みうちに遭い……。大多数が斬り捨てられ、生き残った者も検挙されました。私は、一般人を装ってなんとか逃げてきましたが、あと何人が無事でいるか……」
悔しそうに、男は畳を引っかきながらこぶしを握り締める。その手はこらえきれない憤りに震えていた。
「分かった。よくぞ、生きて帰ってきてくれたな」
桂が労りを込めてその肩を叩くと、男は叱られた子供のようにむせび泣いた。
目の前で大勢の仲間が捕らえられ、斬り殺される。自分の無力さを思い知らされ、どうしようもない無力感とふがいなさに打ちのめされる絶望感。
銀時にも、覚えがあった。忘れようとしても忘れられない痛みだ。
「いい加減、入ってきたらどうだ」
桂に呼ばれ、銀時は軋む木戸を開けて長屋の中に入った。
「なんだ、入れてくれんのか? 招かれざる客だろ」
男がふたりの間に立ちはだかるように、とっさに刀に手をかける。頬には滝のような涙の痕があって、瞼は赤く腫れている。これでは前もよく見えないだろうに、とことんうちのめされても戦う意気だけは失っていないらしい。
「よせ、白夜叉相手に、お前が敵うわけがない」
桂がはっきりと制するが、男は譲らない。
「しかし! ここを知られた以上は黙っておけません!」
「どうせ捨てる場所だ。いいから、お前は下がっていろ」
桂に命令されては、従うしかない。男は部屋の暗がり、明かりの届かない場所に下がって姿を消した。
銀時は靴を脱ぎながら、ぐるりとあたりを見回した。四畳半の一間で、障子はシミだらけ。あちこちから入り込む隙間風に、蠟燭の灯が揺れた。
「ここにあの人数押し込んでたわけじゃねぇよな。お前専用か?」
桂は平然と腕組みをして答えた。
「今夜のためだけの仮宿だ。重要な場所ではない。目を付けても無駄だぞ」
「わーってるよ。そんなつもりでつけてきたわけじゃねぇ」
「では、なんの用だ?」
銀時の瞳に、蝋燭の炎が反射する。赤味を帯びた瞳が、狂気をはらんで燃えるように輝く。
「なんで
をつけてた?」
銀時を睨み返す桂の目は、銀時に負けず劣らず鋭い。
「つけているのは、そっちも同じだろう」
「俺達がつけているのは護衛だ。ストーカーまがいの怪しい男じゃない。何を企んでる?」
「お前に分からないはずはあるまい」
銀時は舌打ちをして、思わず地団駄を踏んだ。
銀時が攘夷浪士を釣る餌として夜の街を徘徊したように、桂は餌としての
を求めている。真選組を、そして銀時を釣り上げるための餌として。
「まんまと釣られてくれたな。おかげで、やっとお前と差し向かいで話ができる」
銀時は桂とひざを突き合わせるようにあぐらをかくと、桂を下から睨み上げた。
「本気であいつに手ぇ出すつもりなら、今ここでお前を叩き斬ってやる」
「落ち着け。この俺が
に手をかけると、本気で思ってるのか?」
桂と
は、松陽の元で一緒に過ごした昔馴染みだ。銀時ほどではないが、同じ釜の飯を食い、長い時間を一緒に過ごした仲間のひとりである。
桂は人一倍、仲間思いな男だ。子供の頃からみんなのリーダーとして慕われていた。
桂が人望を集めているのは、仲間ひとりひとりの顔と名前をきちんと覚え、どんなに小さな働きでも見逃さず、労りを欠かさないからだ。リーダーが仲間への信頼を示せば、自然と仲間も信頼を返すものだ。桂はそれをごく自然に、ほかの人間には真似できないほどの精度でやってのける。
「
に手をかけたとして、俺にはなんの得もない」
桂は、一言一言を噛み締めるようにはっきりと言った。
昔馴染みである馬之助を斬った銀時を、浪士達は執拗に追い回している。情に厚く、涙もろく、怒りに流されやすい者達の集まりなのだ。
もし、桂が昔馴染みである
に手をかけたなら、そんな浪士達の反感を買うにきまっている。悪ければ、信頼を裏切ることにもなりかねない。
張りつめていたものが緩むのを感じて、銀時は肩を落としながらため息をついた。
「ひとまずは、その言葉を信じてやるよ」
「それを聞いて安心した。では、本題だ」
桂は居住まいを正すと、生真面目な顔をしてとんでもないことを言った。
「
と話がしたい。銀時、場を取り持ってはくれんか?」
「はぁ? んなことできるわけねぇだろ」
昔馴染みとはいえ、桂は一級の指名手配犯なのだ。話をするどころか、顔を合わせるだけでも無茶な話だ。
「あいつと何を話そうってんだ? 今更、昔話に花ァ咲かせるつもりか? ずいぶん呑気な過激派攘夷志士だな」
「それも悪くはないが、もっと大切な話がある。
にとっても悪い話ではないはずだ」
「悪者との話に、いいも悪いもあるかよ」
「銀時。お前、
には何も話していないらしいな」
桂の口調は、強い断定だった。確かな確信があるらしい。
「屯所に紛れ込ませた間者が調べたのか? それとも、部下がもうあいつに接触してるのか?」
どちらにしろ、嫌な流れだ。
桂は首を横に振り、長い髪が肩の上でさらさらと揺れた。
「お前は昔からそうだったからな。肝心なことは誰にも相談せず、ひとりで決めて、勝手に実行し、ひとりで重荷を背負いこんできた。どうせ今も変わってはおらんのだろう。まして、
は女だ。かばいだてこそすれ、背負った荷を分け合うなど、格好つけたがりのお前にできるわけもない」
「別に格好つけようとなんてしてねぇよ」
銀時はいつも、その時にできる最善の道を模索してきた。より多くの命が助かる道、傷つくものができるだけ少なく済む道。できるだけ多くの人の望みを救うことができる道。
そのために自分が犠牲にならざるを得ないこともあったが、それが最善であるならばためらう理由はなかった。
は、多くの人間にとっての望みだ。
真選組の家政を切り盛りし、たえず笑顔を振りまいて、戦いに疲れた隊士を癒してくれる。時には𠮟りつけられるときもあるけれど、それすら優しく、傷口に染み込む消毒液のような癒しの力を持っている。
――みんなを守ってあげてくださいね。
松陽が別れ際に言い残した言葉だ。松陽にとって、
は守らなければならない大切な存在だったのだ。
を、真選組と攘夷浪士、その戦いに巻き込み、利用したり、ましてや犠牲にするなどできるわけがない。そんなことをするくらいなら、銀時は喜んで泥をかぶる。
「お前と会うことが、あいつのためになるとは思えねぇよ」
「それはお前が決めることではなかろう。せめて
の気持ちを確認してほしい」
「自分の立場分かってんのか? お前は真選組が血眼になって追ってる指名手配犯なんだ。そんな極悪人と会うだけで、あいつにどれだけ迷惑がかかると思ってんだ?」
「ことの重要性については承知している。
の身の安全は保障するし、真選組の目を欺く方法もある。
の不利益になるようなことはしない、約束しよう」
「信じられねぇな」
「さっきは信じるといったではないか」
「それとこれとは話が別だ」
桂は端正な顔をしかめて、ため息をついた。一度こうと決めたらてこでも動かないのが、銀時だ。どこまでもきっぱりした口調は、決意の固さを物語っていた。
銀時は満身創痍にも関わらず素早く立ち上がる。赤い瞳は、かつての仲間を見る目とは思えないほど冷たかった。
「もう話すことはないな」
「……そのようだな」
「次に会ったときは、覚悟しとけ」
「それはこちらのせりふだ。手加減はせんぞ」
銀時は振り向きもせずに出ていった。
部屋の奥の暗がりから、泣きはらして目元を真っ赤に腫らした男が戻ってくる。銀時が出ていった戸を睨みつけながら、桂の背中に向かって言う。
「あの調子ではどう説得しても無意味です。やはり、白夜叉をこちら側に引き込むなど無謀なのでは?」
「俺達の説得では、な」
「それは、どういう意味ですか?」
たった今、旧知の友と決裂したばかりだというのに、桂の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「
なら、きっとあいつを説得できる。俺はそう思っている」
桂は、まだ何も諦めてはいなかった。
20210710