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「おい、ばばぁ。ちょっくら邪魔するぜ」

 久しぶりに、スナックお登勢の暖簾をくぐった銀時を見て、お登勢は顔をしかめた。

「あんた、どっから入ってきてんだい?」

 銀時が押し上げた暖簾は、店と住居を隔てるためにかけられた暖簾だった。裏口からこっそり入ってきたらしい。暖簾の隙間からのぞき見える姿は、ひどく汚れている。

「また、何かやらかしたのかい? 面倒事持ち込むんじゃないよ」

 口では迷惑そうに言いながらも、お登勢は心配そうに目を細める。

 銀時は苦しそうに顔をゆがめて笑った。

「大丈夫だ、うまくまいたからな。悪りぃけど、しばらく匿ってくんねぇか? あと、救急箱、貸してくれ」
「ったく、しょうがないねぇ」

 お登勢は店の様子をちらりと見やって、濡れた手を拭った。客は野球中継に夢中で、誰も銀時には気づいていない。

 お登勢は素早く暖簾をくぐって店の奥に入ると、救急箱を持ってきて銀時に押し付けた。

「仕事中だからね、自分でやりな」
「へぇへぇ、分かってるよ」

 改めてよく見ると、銀時は本当にひどい姿だった。真選組の隊服は土埃と血で汚れ、ところどころ裂けている。明らかに刀傷だ。銀色の髪には血が滲み、毛先から雫が重く滴り落ちる。

 銀時は三和土にどっかと座り込むと、痛みに顔をしかめながら上着を脱ぐ。原形をとどめないほど汚れたシャツを見て、お登勢は重い溜息をついた。

 店に戻ったかと思うと、すぐに戻ってきて、グラス一杯の酒を銀時の足元に置いた。

「痛み止めだよ。気休めくらいにはなるだろう」

 へっ、と銀時は笑った。

「ツケといてくれるか? 財布落としちまったみたいでよ」
「薬代も上乗せしとくからね」

 馬之助と三倉の葬式が執り行われて以来、攘夷浪士の活動はますます激しくなっていた。銀時がひとりで町を歩けば、金魚の糞のように浪士がついてくる。人気のない路地に入れば、あっという間に囲まれてしまう。

 まるで釣り針にぶら下がったミミズのようだ。つまり、浪士を釣り上げる餌なのだ。

 攘夷戦争で共に戦ったかつての同志を、いとも容易く斬り捨てた。既に袂を分かった仲とはいえ、情けのかけらもないやり方は浪士達の激しい怒りを買った。そのおかげで、銀時は真選組はの中でも、人一倍恨まれるようになってしまった。

 元々、ひとり夜の道を歩いては浪士を斬り捨てるようなことをしていたが、ここ最近は度が過ぎている。幕府の犬ではなく、銀時個人を付け狙っていることは明らかだった。

 それでも別に、銀時はかまわなかった。馬之助を斬り殺したのはまぎれもない事実なのだし、その落とし前をつけることになるだろうと予想もしていた。

 ただ、毎夜毎夜、休む間もなくしつこく狙われるのには適わない。嫌なら、日が落ちてからは屯所に引きこもっていればいいのだが、そうすると別の人間につきまとわれることになる。どちらを選んでも面倒なことに変わりはなかった。

 たったひとりで攘夷浪士の囮になることを、銀時は納得して、受け入れいている。そのおかげで、攘夷浪士の検挙率も上がっているし、誰も文句はないはずだ。

「ったく、我ながら、よくこんな面倒くせぇ仕事選んじまったもんだよな」

 銀時は、自分の体に窮屈そうに包帯を巻きつけながらぼやいた。

 これからのことを考えると、ついため息がこぼれてしまう。攘夷戦争時代、英雄・白夜叉と呼ばれ恐れられてはいたけれど、あの頃は血気盛んな十代だった。今もそう年を取ったとは思わないけれど、あの頃とはもう何もかも違う。

 もう二度とこの手の中に大切なものは入れないと決めた。なのに、真選組、お登勢、そして……。守らなければならないものがいつの間にか増えてしまった。

「本当に、何やってんだかな、俺ぁ……」

 にわかに、店のほうが騒がしくなった。攘夷浪士が追ってきたのだろうか、銀時は重い腰を上げて、指先で暖簾をそっとめくる。そして、思わず後ずさった。

 がいた。

 スナックには珍しい女のひとり客に、他の客達が色めき立っている。こっちへ座れ、いやこっちに来いと袖を引かれるのを、お登勢がしっしと犬のように追い払って、離れたカウンターに座らせた。

 お手拭きを受け取りながら、壁のお品書きを見ているの目を盗んで、お登勢が銀時に目配せをする。

――こっちへ来て、隣に座りなよ。

 お登勢がそう言っているのが銀時には分かったけれど、反射的に首を横に振った。

 ここのところ、銀時はずっとを避けている。銀時のそばにいれば、が攘夷浪士に狙われてしまう。それを避けるためにも、できるかぎり近づかない。そう決めたのだ。には、真選組の隊士が常に張り付いて、陰に日向に護衛している。わざわざ銀時が隣にいる必要はない。

 それを露ほども知らないお登勢が、じっと銀時を睨んでいる。その視線から逃げるため、銀時は奥に引っ込んだ。

 三和土に足を下ろしたまま、板の間にごろりと寝転がる。薄暗い天井を見るともなしに見上げながら、少し熱を持ってしんしんと痛む体を感じた。

 今夜は、大勢を相手にしすぎた。疲れていた。もう何も考えたくなかった。

 そう思うのに、頭の中がじわじわとうずいてどうしても休まらない。

 お登勢は、銀時がここいることを、に告げ口したりはしないだろう。どんなにくだらない頼みでも、ないがしろにしたりしない。そういう義理堅いところがあるお登勢の性分を、銀時は信頼している。

 なのに、近くにがいると感じるだけで、こんなにも不安な気持ちになるのはどうしてか。暗い天井でいっぱいの視界の中に、今にもの顔が入り込んできそうな嫌な予感が、どうしても消えない。

 答えは簡単だ。銀時は、が怖いのだ。

 は自分の立場もわきまえず、何でもかんでも知りたがる。銀時が馬之助を斬った理由、のそばに近寄らない理由、銀時が何を考えているのか、頭の中の隅々までつまびらかにしたがる。

 ただ、純粋に銀時を思い、心配してくれていることは分かっている。それが鬱陶しい。思春期の子供を持った母ちゃんか、と言ってやりたい。押し入れの奥に隠した秘蔵の春画を発見されてしまうように、銀時がずっと隠し通してきた秘密を暴かれてしまうかもしれない。

 暖簾の向こうから、の声が漏れ聞こえてくる。女の声は、男の声よりもよくとおるのだ。ほんのりと酒に酔った、やわらかく、それでいて温かみのある声が、今は邪魔くさくて仕方がなかった。

 と、その時だ。
 銀時が脱ぎ捨てた上着の中から、くぐもった着信音が聞こえた。

 銀時は痛む体をこらえて腕を伸ばし、手探りで携帯電話を引っ張り出す。画面を見ると、真選組のもうひとりの副長の名前が白く光っていた。

『お前、今、どこにいる!?』

 通話ボタンを押すなり、電話口で怒鳴られる。銀時は思わず、携帯電話を耳から離した。

「お前、いきなり怒鳴るなよな。こっちは大勢の浪士に追っかけ回されてくたくたなんだからよぉ」
『自業自得だろうが、無茶しやがって』
「おかげで大量に釣れただろ?」
『あぁ、新記録だ。今夜は忙しくなる。だからさっさと戻ってこい』
「嫌だよ、面倒臭ぇ。言っただろ、もうくたくたで動けねぇって。あとはお前らでよろしく頼むわ」
『馬鹿言ってんじゃねぇよ!』

 あまりの大声に、音が割れた。唾を飛ばしながら怒鳴る土方の姿が見えるようだ。

 銀時はできるだけ腕を伸ばして携帯電話を遠ざけ、耳に指を突っ込む。土方の説教はもうとっくに聞き飽きていた。こうなったら、言いたいだけ言わせておくに限る。

「あんた、ちょっといいかい?」

 ふと、暖簾をめくってお登勢が顔を見せた。
 銀時はうなるように答えた。

「なんだよ? 何度言われても、には会わねぇぞ」
「分かってるよ、何を意地張ってんだか知らないけどさ。そんなことより、あの男、あんたのとこのお仲間かい?」

 お登勢に手招きされ、銀時は痛む体に鞭打って立ち上がる。暖簾の隙間から覗き見ると、の隣、席を三つ開けたカウンター席に、人相の悪い男が座っていた。体を斜めにしてテレビの野球中継を見ているふりをして、こっそりの様子をうかがっているようだった。

「いや、知らねぇな」
「ついさっき入ってきた客なんだけどさ、ここいらじゃ見ない顔だし、腰に刀差してるし、なんだか物騒でね」
「たぶん浪士だ。この近くで真選組の一斉検挙があったところだから、逃げてきたんだろう」
「ならあんた、さっさと捕まえとくれよ」

 お登勢は銀時の胸を叩いてたきつけたが、銀時ははっきりと首を横に振った。

「俺はの前に出ていくわけには行かねぇんだって」
「何なんだい? その妙なこだわりは?」
「ほっとけよ、こっちの話なんだから」

 お登勢のあきれ混じりの溜息は、ひどく重かった。

「話したくないことを無理に話せとは言わないけどさぁ、何にせよ、このままあの子をひとりにするわけにはいかなよ。せめて、送ってやったらどうだい? どうせ帰るところは一緒なんだろ?」
「だから、あいつとは一緒にいられないんだって。何度も言わせるなよな」

 と、電話口の声がひと際大きくなった。

 銀時は暖簾の隙間から目をそらさないまま携帯電話を耳に戻す。

『てめぇ、聞いてんのか!? あぁ!?』
「はいはい、聞いてる聞いてる。ところでちょっと確認したいんだけどさ」
『はぁ!?』

 土方の怒鳴り声は、お登勢にも聞こえたようだ。怪訝そうに首を傾げている。

 銀時はまだ何か言っている土方の声を押しのけて言った。

「今、の護衛は? どうなってる?」
『山崎に張り付かせてるが、どうかしたのか?』
の隣に、浪士風の男がいるんだ。逃げて、を追ってきたのかもしれねぇ」
『山崎の姿は見えないのか?』
「店の中にはいない」
『何をやってんだ、あいつは……』

 おそらく、浪士の騒動に手間取ってを見失ってしまったのだろう。が毎晩、どこへでかけるか、いちいち確認しているわけでもないだろうし、まさか今夜、浪士の一斉検挙が行われる現場の近くまで足を延ばすとは思わなかったのだ。

 銀時はやりきれず、ぐしゃぐしゃと頭をかいた。

 状況を察してか、お登勢が何も言わずに店に戻っていく。何か気の利いたことを言ってくれたのだろうか、浪士との間に盾になるように、カウンターに座った。

「なぁ、ちょっと頼みがあんだけどよ」
『あぁ!? お前、この期に及んでまだ言うか!?』
が今、スナックお登勢に来てる。迎えに来てやってくれ」

 そこでやっと土方が静かになった。

『つまり、お前も今そこにいるってことだな』
「……」

 沈黙が、何よりの答えになった。

『だったら、お前が連れて帰って来いよ』
「俺はに近づかないって決めただろ。浪士っぽいのもそばにいるし、できねぇよ」
『だったら、なおさらだろ。今は、お前が一番近くにいるんだ。守ってやれ』
「……できねぇよ、んなこたぁ」

 唇を嚙み締めながら言った言葉は、ぎりぎりと軋んだ。

 言われなくても、そうできるものならそうしている。けれど、浪士の強い恨みを買っている今、銀時のせいでに悪意が向けられでもしたら取り返しがつかない。

 土方がそれを分かっていないわけはないのに、どうしてそんなことを言うのか。

 電話の向こうに、銀時の苛立ちが伝わったのだろうか、ため息の気配がした。

『分かった。俺が迎えに行く。言っておくが、これは貸しだからな』

 銀時は返事もせず、電話を切った。

 それから数分して、新たな客がやってきた。

 カウンターに居座っていた浪士は、真選組の隊服を見た途端、顔を隠すように背を向けて小さくなる。土方はそれを尻目に、銀時を探している体を装って、すっかり酔ってしまったを連れて帰っていった。









20210701