日が昇り、朝日に照らされた屯所は、凄惨な状況だった。廊下を這う血痕、襖や障子に飛び散った血飛沫。建具が壊れ、壁にはところどころ、刀傷が走っている。

 馬之助と三倉の遺体は、屯所内にある遺体安置所に移された。隊士として殉職した体を装うため、遺体の処置をしなければならないからだ。

 担架で運ばれていくふたりを見送っていた銀時の肩を叩いたのは、真選組局長・近藤だ。

「よぉ。ご苦労だったな」

 近藤の豪快な笑顔の奥には、深い労わりが滲んでいた。近藤の懐の広さはまるで、どこまでも広がる海のようだ。

 ほっと息を吐いた銀時は、うねる天然パーマの中に手を突っ込んでぐしゃりとかき混ぜた。すっかり乾いた返り血が、赤いフケのようにぱらぱらと落ちた。

「予想以上に手こずっちまった。騒ぎを大きくして悪かったな」
「なぁに、怪我人が出なかっただけで上々だ」
「だが、大した収穫はなかったぜ。沖田が多少粘ってくれたが、何も吐きやがらなかった。今ここで報告してもいいか? いい加減眠てぇし、さっさと風呂にも入りてェ」
「トシと山崎がもうすぐ来るはずだ。悪いが、それまで少し待っていてくれ」

 近藤に促され、空いていた会議室に入る。部屋の隅にどっかと腰を下ろすと、ちょうど沖田がふたりの後を追うようにやってきた。

 その姿を見て、銀時は目を細める。

「なんだお前、もう着替えてきたのか? ったく、ちゃっかりしやがって」

 沖田は丸い目をぱちくりと瞬いた。

「何言ってんですかぃ? 俺ぁ今まで遺体処置の指示出してたんですよ。着替える暇なんてありませんよ」
「だって、お前その格好……」

 沖田はさわやかな朝を迎えたばかりのような、こざっぱりした格好をしていた。三倉に致命傷を負わせたのは沖田だというのに、返り血ひとつ浴びてない。

「……末恐ろしいガキだな、お前は」

 沖田は銀時が何に感心しているのか理解できないらしい。首を傾げて近藤を見る。近藤は苦笑いをして肩をすくめ、銀時に目配せをした。

「総悟は昔からこうなんだ。落ち込むなよ、こいつと比べりゃ、大概の奴は凡人だ」
「この程度で落ち込むほどかわいい人間じゃねぇよ、俺ァ」
「確かにな」

 近藤がしけた空気を吹き飛ばすような声で笑った。今日の屯所は、いつになく重苦しい雰囲気に包まれている。遠くまでよく響く近藤の笑い声は、隊士達を強く励ますだろう。

 沖田は肩をすくめると、銀時の隣に腰を下ろして足を伸ばし、首を左右に傾けて凝りをほぐした。百戦錬磨の天才とはいえ、常とは違う任務に疲れが出たようだ。

「失礼します」という声と共に、隊士達がやってきた。ビニール袋を両手に下げていて、弁当や飲み物が入っている。

「今日は、食堂を閉めざるを得ないからな。急ぎ、用意させたんだ」

 近藤はそう言いながら、ペットボトルを一本ずつ、銀時と沖田に手渡した。

「こいつはありがてぇ。ちょうど、腹が減ってたんです」

 沖田はさっそく弁当を広げ、口を使って割り箸を割った。

 銀時はペットボトルのキャップを捻りながら、眉根を寄せる。食堂を閉めることになったのは、食堂を預かっている人間が倒れてしまったからだ。

 粛清の現場に居合わせてしまったは、銀時が馬之助を斬り殺す瞬間を目の当たりにし、ショックで倒れてしまった。幸い、怪我はないそうだ。着物が血で染まっていたのは、食堂の前で息絶えた三倉の血に足を取られて転んでしまったためらしい。

 三倉に止めを刺した土方にそう聞いた時、銀時は心の底から安堵した。思わず大きなため息が零れ、そのまま脱力して座り込んでしまったくらいだ。

 は土方に介抱され、離れに運ばれていった。おそらく、まだ目を覚ましてはいないだろう。

 無事だと分かっていても、血塗れのの姿がまぶたの裏に焼き付いて消えない。そこに、今でも夢に見る過去の苦い記憶が重なった。血と泥と、無力な自分のどうしようもない心もとなさ。胸に大きな穴が空いたような虚しさに襲われ、銀時はとっさにペットボトルの水を勢いよく飲み下した。冷たい水が、胸の空洞を満たす。

「ここにいたのか」

 そこへ、ようやく土方と山崎がやってきた。沖田とは対照的に、土方は全身返り血で汚れていた。その手には、血で染まった大判の布を丸めて抱えている。その布の柄に見覚えがあって、銀時は思わず眼差しを険しくする。

ちゃんの様子はどうだ?」

 近藤の問いかけに、土方が答える。

「気を失なったままだ。当分、目は覚まさないだろう。しばらく様子見だな」

 沖田が魚のフライを口に咥えたまま言う。

「少しは話、聞けなかったんですか?」
「いや、混乱してて、ほとんど会話にならなかった」
「それじゃ、あんな時間に食堂で何してたのかも分からないんですね」
「そうだな。だが、そのおかげで命拾いした。もし離れで寝ていたら、三倉に先を越されてただろうな。があんな時間に食堂にいたとは、三倉も予想外だったらしい。を探して無駄に駆け回って、残り少ない体力を消耗しちまったんだと思うぜ。止めを刺した時、ほとんど抵抗しなかった」
「こんなことなら、はじめの一太刀で斬り殺しておけば良かったですね」
「いや、攘夷浪士に関する手掛かりはどんなに小さなものでも必要だ。結果はこうなっちまったが、方針を間違ったとは思わない」
「おい、お前の持ってるそれは何だよ?」

 土方と沖田の会話に割って入った銀時は、土方が手に持っている布をびしっと指差す。土方はふいを付かれたような顔をして、丸めた布を軽く持ち上げた。

「あぁ、これか? の着物だ」

 銀時は思わず声を荒げた。

「気ぃ失ってる女の着物引っぺがしてきたのか? とんだセクハラだな」

 面食らった土方は、しどろもどろに言い訳をした。

「んなこと言ったって、こんな血塗れのもん、着せたままにしておけねぇだろ。目が覚めた時にショック受けさせたくねぇし」

 土方は着物を山崎に押し付け、「これ、クリーニングに出しといてやれ」と命令する。山崎は代わりに濡れタオルを差し出し、土方はそれで汚れた顔を拭った。

 銀時はそれを横目で見ながら、口をへの字に曲げた。

「目が覚めた時に、素っ裸でもショックだろうよ。このむっつり助兵衛野郎」
「ちゃんと着替えさせたわ! 人聞きの悪いこと言うな!」
「まぁまぁ、落ち着け。ふたりとも。今は言い争ってる場合じゃないだろうが」

 近藤が両手を上下させてふたりをなだめる。近藤の言い分はもっともだ、ふたりは互いを睨み合いながらも大人しく従った。

「幹部が集まったところでもう一度確認しておきたい。山崎、頼む」

 近藤に命じられ、山崎が頷いて一歩前に出た。

「はい。作戦通り、荒木田と三倉を酔わせて屯所の裏口に誘い込むところまでは順調に進みました。予想外だったことは、三倉がさんに手をかけようと動いたことです。その目的は、はっきりと聞き出せませんでしたが、おそらくさんを人質に、なんらかの取引をしようと画策していたのではないかと思います」
「取引、か。トシはどう思う?」

 土方は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけながら答えた。

「攘夷浪士との取引になんぞ、俺達が応じるわけがないだろう。それくらい相手も分かってるはずだと思うがな」

 白飯をかき込みながら、沖田もそれに同意する。

「俺もそう思います。さんは利用価値が高いように思われてますが、ただの家政婦でしかないんです。大した情報は持ってない。そこらへんがどうにも解せねぇ」
「ちょっといいか?」

 銀時は苦々しい気持ちで、片手を上げた。浪士組に入隊した時から、このことは決して話すまいと心に決めていた。けれど、の命がかかっているとなれば、背に腹は代えられない。

「それについては、俺が原因だと思う」
「お前が? どういう意味だ?」

 土方が気色ばんで、銀時の方に身を乗り出す。近藤はそれを、腕を上げて諫める。

「銀時、詳しく話せ」

 銀時は喉を潤そうとして、ペットボトルがとっくに空になっていることに気づいた。仕方なく、水滴が残っているだけのペットボトルを見つめながら言った。

「俺は、攘夷浪士に恨みを買っている。ガキの頃、攘夷戦争に参加してたんだ。それが今や、幕府の犬の成り下がってお上に尻尾を振っている。恨まれて当然だよな」

 近藤が言う。

「だが、それだけなら俺達だって立場は同じだ。お前ひとりが恨まれる道理はないだろう」
「攘夷浪士のまとめ役が、ガキの頃からの知り合いなんだ。俺も、もな」

 近藤と土方、沖田が顔を見合せた。銀時の個人的な人間関係を知るのは初めてだったし、それを銀時自らがそれを告白したことも意外だった。銀時は強い覚悟を決めている、そのことが言葉の端々から伝わってくる。

 銀時は続ける。

「あいつは、昔馴染みを裏切って幕府に寝返った俺に復讐してぇのさ。だからを狙う。は俺の弱点になる、それが今回のことで向こうにも伝わったと思う」
「つまり、お前に対する私怨が原因なんだな」

 土方が一歩前に出る。怒りをぶつけるように、銀時を睨みながら。

はそのことを知ってるのか?」

 銀時は土方の鋭い眼差しを睨み返しながら、首を横に振った。

「知らねぇはずだ。少なくとも、俺からは話してない」
「そういえば、さんが荒木田とふたりで話してたって報告がありましたっけね」

 沖田が確かめるように言うと、山崎が頷いた。

「もしかしたら、その時に何か聞いてるかもしれませんね」

 近藤が大きく首を振った。

「いや、そうだとしたら、銀時が恨まれていると知ったにも関わらず、俺達に何も報告しなかったことになる。あのちゃんに限ってそれはありえないだろう」

 近藤の意見に、全員が無言で同意した。

 は、銀時に復讐するための餌として狙われている。命の危機にさらされていることを、は何も知らないのだ。

さんに、伝えるべきではないでしょうか?」

 控えめに主張したのは、山崎だ。

「命を狙われているんです。黙っているわけにはいかないでしょう」

 沖田が反論する。

「そんなことしたら、かえって怖がらせちまうだけなんじゃねぇか? こんな事件が起きたばかりだし、同じようなことがまた起こるかもしれねぇと思いながら生活させるのは、さすがに不憫だろ」
「でも、それじゃ危機感を持つこともできないじゃありませんか。あまりに無防備ですよ」
「こんな事件の後だぞ、嫌でも危機感は持つだろ」
「自分が置かれた状況を知らずにいるなんておかしいです。きちんと伝えるべきです」

 山崎と沖田の対立に、近藤が割って入った。

「トシ、お前はどう思う?」

 土方は煙を吐き出してから答える。

「本人に、選択の余地は与えるべきだと思う」
「つまり、どういうことだ?」
「今回の件を踏まえて、まだここで働くつもりがあるか確認する。こんな危ない目に合ったんだ、もうここにはいられないと言うかもしれない。その時は、松平公の屋敷に戻せばいい。屯所にいるよりは安全なはずだ」
「もし、屯所に残ると言ったら?」
「護衛をつける。銀時の言うとおり、敵があいつを狙ってるんなら、あえて泳がせれば敵の動向を掴めるかもしれねぇ」

 山崎は露骨に顔をしかめて怒鳴った。

「そんな! 何も知らせない上に、攘夷浪士を釣る餌にするって言うんですか!? 局長! そんなことを許していいんですか?」

 近藤は伸びた髭の感触を確かめるように顎を撫でた。

「山崎の言う通り、ちゃんを危険な目に合わせるわけにはいかねぇ。そのためにも、一刻も早く攘夷浪士を捕らえなけりゃならねぇが、相手の出方が分からねぇ以上、作戦の立てようがねぇ。事情を話して、極力、屯所から出ないようにしてもらうのはどうだ?」

 土方は強く反対した。

「そういうわけにはいかねぇ。あいつは定期的に松平公の屋敷に出向いて、屯所の内部事情を報告している。それを止めさせたら、松平公に怪しまれる」

 松平には、荒木田と三倉を粛清した事情も、報告しないと決めた。攘夷浪士の侵入を許してしまったなど、真選組の信用を損ねるような報告はできないからだ。

 沖田がうんと頷く。

「それを防ぎたいなら、何も知らせずにこっそり護衛をつけるしかないですね」
「そうだな。銀時、お前はどうだ?」

 近藤に水を向けられて、銀時は一度、ぎゅっと唇を引き結んだ。自分が何をしなければならないかは分かっている。を守るためにはそうするしかない。決意は固いのに、胸が捻じれるように痛む。

 銀時は喉から絞り出すように言った。

「事情を知ったら、沖田の言うとおりビビらせちまうだけだろう。身を守る手立てが、あいつにはない。こっそり護衛をつけて、普段通り生活させるのが一番だと思う。……その上で、俺ァもうに関わらねぇ方がいいだろう。一緒にいるところを浪士に見られたら、ますますの身が危うくなる」

 銀時は土方を横目で見やると、ほとんどやけくそで、焚き付けるように笑った。

「隊士立ち入り禁止の離れに入った挙句、の着物剥ぎ取った。婦女と妄りに交際することなかれ。この法度に違反した罪で、お前には切腹してもらわにゃならんところだが、こういう事態だ。ことが収まるまでを命に代えても守ると誓うなら、その罪、不問にするってのはどうだ?」

 土方は苛立ちと呆れが入り混じったような顔をして、銀時を睨み返す。

「てめぇは小姑か? いちいち小言挟まねぇと気が済まねぇのかよ?」
「言っただろ、てめぇが作った法度に殺されねぇように気をつけろって。その救済措置を提案してやってんだよ、俺は。実際のとこどうなんだよ? を守れるのか? 守れないのか? どっちだ?」

 土方は両手で拳を握りしめ、半ば意地になって叫んだ。

「女ひとり守れねぇで侍が名乗れるか!」
「だ、そうだぜ、局長。これで決まりだな」

 銀時と土方のやりとりを呆れ顔で眺めていた近藤は、銀時を見つめる目を静かに細めた。

「だが、銀時。ちゃんとは昔馴染みなんだろう。なのに、事情も知らせずにちゃんから離れるつもりか? 本当にそれでいいのか?」

 銀時は唇を歪めて、無理矢理笑おうとした。哀れみとも、同情ともつかない近藤の言葉は銀時の空っぽの胸に空っ風を拭き込むようだった。

 二度とここに大切なものを入れてはいけない。それを失った時の途方もない虚しさを、銀時はすでに知っている。大切なものは、手の届かない遠い場所に置いておいて、離れた場所から眺めるのが一番いいのだ。

「いいもなにも、を守るためだ。俺がやることはこれまでと何も変わらねぇ。攘夷浪士を叩き斬る。それだけだ」

 が笑っていてくれるなら、鬼にでもなんでもなれる。そう思うと、銀時は腹の底が震えた。

 返り血に濡れた銀時が浮かべる笑顔に、ぞっと寒気を覚えたのは、近藤だけではなかった。








20210308