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その日、銀時がひとりで市中見廻りに出掛けようとしたとき、後を追ってきたのは荒木田馬之助だった。
「坂田副長! 待ってください! 僕もお供します!」
「はぁ? 何言ってんだよ、鬱陶しい。お前は金魚の糞か? 暇なら道場で素振りでもしてろ」
入隊試験の日、銀時は馬之助と手合わせをして、有無を言わさず打ち負かしていた。馬之助はまだ若く、体もできあがっていないし、経験も足りない。そんな馬之助が入隊できたのは、銀時に何度負けても決して挫けずに、何度でも立ち上がった根性を買われたからだ。
忍耐強いと言えば聞こえはいいが、言い換えれば、諦めが悪いということだ。
「副長のそばでいろいろと学びたいんです。ぜひ、よろしくお願いします!」
馬之助はしつこく食い下がる。まるで押し売りのセールスマンだ。
銀時は犬を追い払うようにしっしと手を振った。
「学ぶも何も、俺の評判は知ってるだろ。俺はな、ろくに仕事もせずにほっつき歩いて、道端で出くわした浪士を斬ってるだけ。しかも酒癖は悪いわ、口は悪いわ、こんなお巡りが許されるだなんて世も末だって、世間様に陰口叩かれるような男なんだぜ。お前みたいな未来のある若者が、こんな駄目な大人から学ぶなんてお母さんが許しませんよ」
「心配いりません、僕に母親はいませんから。それに、何を学ぶべきかは、副長の仕事ぶりをこの目で見て考えます。邪魔になるようなことは決してしませんから、お連れください。約束します」
どうやら、何を言っても無駄なようだ。銀時は大きなため息を吐くと、馬之助を無視して歩き出した。
傾き始めた午後の日差しの下、江戸の人々は賑やかに街を行き交っていた。商店街に買い出しに向かう女、公園を目指して一目散に駆けていく子供、肩をそびやかして歩く幕臣らしき男達、井戸端会議に花を咲かせる人々、犬の散歩をする腰の曲がった老人。
すれ違う人々をそれとなく観察しながら、銀時は人ごみをつっきっていく。真選組は江戸の市民にとって畏敬の対象だ。街を歩けば誰もが道を譲った。
「あの、坂田副長、お聞きしたいことがあるんですが」
馬之助が言った。
「邪魔しねぇんじゃなかったのか?」
銀時は冷たく突っぱねたが、馬之助は怯まない。
「せっかく一緒に見廻りしてるんですから、話くらいさせてください。それに、人に聞かれたくない話は歩きながらするのがいいと、ある人に教わりました」
「聞かれたくない話?」
思わず振り返った銀時に、馬之助は背伸びをして銀時に耳打ちした。
「僕のこと、覚えていませんか? 銀時さん」
入隊したばかりの平隊士が、気安く副長の名前を呼ぶ。銀時が顔をしかめ、うんざりとため息を吐いたのは、そんなことが理由ではなかった。
「こっちが知らねぇ振りしてやってたのに、自分から正体を晒すとはな。お前、覚悟はできてるんだろうな?」
銀時の手が刀の柄に伸びていることにも気づかず、馬之助は飛び上がらんばかりに喜びを露わにする。
「そう言うってことは、覚えていてくれたってことだよね! 嬉しいな!」
えくぼのある笑顔には全く嫌味がない。若々しく無邪気で、銀時はすっかり気を削がれてしまった。
「……笑ってる場合かよ」
結局、銀時は刀から手を離してしまう。こんなに呑気な顔をして笑っている男を無抵抗のまま斬り捨てたりしたら、それこそ寝覚めが悪いというものだ。
「ヅラに送り込まれてきたんだな」
「分かっていたなら、どうして最初からそう言ってくれなかったの?」
銀時のひと言で、すっかり昔の口調に戻ってしまった馬之助は、幼い頃の面影が残る顔でそう言う。
銀時はそんな馬之助の背中をばしりと叩いた。
「おい、副長に向かってどんな口のきき方してんだ。それに、俺達は今見廻り中だってことを忘れるな」
「あ、そっか、じゃない。……大変失礼しました」
馬之助は背筋を伸ばして初々しく敬礼し、銀時は慇懃に頷いた。
「どういうつもりで入隊したか知らねぇが、お前が思ってるほど、真選組は甘くねえぞ。間者として動くつもりなら、相当上手くやらないと生き残れねぇと思っとけ」
「……それは、忠告ですか?」
「昔馴染みの情けだ。ただし、二度目はない。勝手にやれよ」
「それは、つまりどういう事なんですか?僕が何のために真選組に潜入したのか、目的も聞かないんですか?」
銀時が無表情に睨みつけると、馬之助は緊張した面持ちでぎゅっと拳を握りしめる。その瞳の中に期待の気配を察して、銀時は心底うんざりした。どうせそんなことだろうとは思っていたが、その予想は外れていて欲しかった。
「ただ偵察に来ただけなら、わざわざ俺に近づく必要はねぇよな。ヅラに俺を斬れとでも言われたか? いや、お前程度の実力でそれはないな。説得か、それとも懐柔ってところか。ついでに真選組の内情を探って報告しろとでも言われてんだろ」
子供の頃からの馴染みの顔と相対すれば、銀時の態度も和らぐのではないか、もしかすると桂はそんな風に考えたのかもしれない。その作戦は、銀時にとって子供騙しにもならなかった。
「言っておくが、俺はそっち側に寝返る気は毛頭ない。お前がどれだけ努力しようが、どうせ時間と労力の無駄だ。早いところ諦めた方がいい」
「そんなこと、まだ分からないじゃないですか。僕の説得がうまくいかないだなんて、まだ何も始めてないのに、決めつけないでください」
「俺は、お前やヅラの、望み通りに動いてやる気はねぇ。それは絶対に変わらない」
馬之助は悔しそうに唇を噛む。どうやら、考えていることが全て顔に出てしまう性質らしい。そんなことで間者が務まるのか、銀時には甚だ疑問だった。
それとも、子供の頃によく面倒を見てやった兄貴分である銀時の前では、仮面を取り繕うことができないだけだろうか。
馬之助は唇をぎゅっと噛み締めてから、なんとか言葉を絞り出す。
「銀時さんは、僕がしようとしていることを分かっていながら、本当に何もしないつもりなんですか?」
「あぁ、そうだ」
「局長に報告もせず、見て見ぬ振りをして、真選組の情報が漏れるのをただ放置しておくと?」
「そういうことになるな」
「それはつまり、副長としての責務を放棄することで、桂さんには組みさないことの、交換条件にするということですか?」
銀時はため息をつき、人差し指でこめかみをこんこんと叩いて見せた。
「俺は、あいにくここが弱いんでな。面倒臭ぇことはよく分からねぇ。説得とか、引き抜きとか、交換条件とか、そういうまだるっこしい駆け引きは性に合わねぇ」
銀時はついと目をそらすと、逃れる場所を探すように空を仰いだ。どこからともなく現れた薄雲が太陽の前を横切り、地上にほのかな影を落とす。銀時は無意識に、刀の鞘をぎゅっと握りしめていた。
「俺の仕事は、江戸を守ることだ。街中で刀抜くような危ねぇ奴に出くわしたら、当然、応戦するさ。みすみす斬られたくはねぇからな。だが、その気もない奴とわざわざやり合う気にはならねぇ。お前が本気で、俺と喧嘩してぇって言うなら、その時は受けて立ってやる。だが、そうでないなら俺は無駄な仕事はしない」
馬之助はむっと口をつぐんで黙り込んでしまった。どうやって銀時を説得したものかと、頭を悩ませているようだった。銀時は頑固だから、簡単にはいかない。けれど、それを分かった上で真選組に入隊したのなら、たった一度失敗したからといって、諦めたりはしないだろう。
その真面目さと勤勉さには感心しつつも、銀時は内心、面倒なことになったと思っていた。
過激派攘夷志士の筆頭である桂小太郎が、間者を送り込んできた。そうと知ってしまった以上、看過できない。幹部に報告をして、どう対処するのか考えるのが当然の処置だ。
けれど、相手はあの馬之助だ。
子供の頃は、まだ小さかった馬之助の面倒を見ながらよく遊んでやったものだ。背丈も伸び、顔立ちもすっかり大人っぽくなったが、笑った時に頬にくっきり浮かぶえくぼが、あの頃の記憶を鮮明に思い起こさせた。
――みんなを守ってあげてくださいね。
そう言って、振り返りざまに笑った松陽と交わした約束は、今も銀時の中で生きている。松陽の代わりに、皆を守る。その皆の中には、もちろん馬之助も入っている。
――先生、
気がつけば、銀時は心の中でそう呼んでいた。問いかけに、答えはなかった。
それからは、当たり障りのない話をしながら見廻りのコースを回った。
馬之助はときどき考えごとをするように黙り込むことがあったが、それはそれで静かでいいかと、銀時は気に止めなないようにした。おそらく、どうやって銀時を説得するか考えていたのだろう。
その結論が出たのは、西の空がオレンジ色に暮れなずむ頃、屯所に帰り着いた時だった。
「副長、もうひとつよろしいですか?」
馬之助はそう言って、銀時を引っ張っていく。辺りに人目がないか慎重に視線を走らせ、身をひそめた場所は、今は使われていない会議室だった。
「何だよ? まだ何かあんのか?」
「最後にこれだけ、です。今日、副長に話したことを、僕は
さんにも話すつもりです」
その言葉を聞いた瞬間、銀時は馬之助の腕を掴んで捻り上げ、力任せに壁に叩きつけていた。
馬之助は壁に顔面を押し付けられ、蛙が潰れるようなうめき声を上げる。突然のことに何が起きているのか分からないらしく、目を白黒させて混乱してる。銀時が掴んだ腕を腰の裏に押し付けるようにすると、低く呻いた。
銀時は、そんな馬之助の耳元で声を低くした。
「つまり、そっち側に着くよう、あいつを説得するってことか?」
「そ、そうです。それが僕らの望みなんです。
さんは、住み込み家政婦として屯所で暮らし、松平公とも懇意だそうじゃないですか、利用価値は十分ありま痛たたたた!!」
馬之助の細腕が、みしみしと危うい音を立てる銀時の力なら、ひと捻りで折ってしまえる。馬之助がしようとしていることを考えれば、腕一本では安すぎるくらいだとさえ思えた。
は子供によく懐かれる性質で、馬之助もそのひとりだった。とてもよく可愛がっていたはずだ。それを思うと、馬之助の言葉はひどい裏切りに思え、腸が煮えくり返るような怒りが沸いた。
痛みに悲鳴を上げ続ける馬之助を、銀時は低い声で脅した。
「そう言えばこの前の夜、食堂で
と話してたな。もしかして、あの時に話したのか?」
千鳥足になるほど泥酔した銀時が、人目を避けるために食堂の勝手口から屯所に戻ったのは、ほのかに漏れる灯りの下に
がいると察したからだった。記憶は朧気だったが、あの時、
の隣に馬之助がいたことには気づいていた。
馬之助は壁に頬を擦り付けるようにして首を横に振る。
「い、いいえ。あの時はまだ言えませんでした。話そうとした時にちょうど副長が帰ってきたので」
「そうだったか、間に合って良かったよ。あいつがお前らに利用される前にな」
銀時は掴んだ腕をぐいと引っ張ると、馬之助の胸倉を掴んできつく睨みつけた。
「あいつにひと言でもその話をしてみろ、お前の正体バラして世間に吊るし上げてやる。切腹するなら、介錯は俺が務めてやろう。手元が狂ってひと息で死ねなくても自業自得と思えよ」
馬之助は青い顔で、喘ぐように言う。
「勝手にやれって、副長が言ったんじゃないですか」
「無関係な一般人を巻き込むほど好き勝手していいとは言ってねぇ。それはどっちの立場でも同じだろ」
「でも、
さんは、僕達と無関係なんかじゃないでしょうっ!?」
銀時は壁に叩きつけるように馬之助を突き飛ばす。馬之助は膝に手をついて激しく咳き込み、嫌な音のする咳をした。
銀時はそれを無表情に見下ろしながら、氷のように冷たい声で言った。
「勝手にやれと言ったのは嘘じゃねぇ。だがな、てめぇらの都合で
をだしに使われるのを、黙って見てるわけにはいかねぇ」
馬之助は何か言いたそうに銀時を見たが、銀時はそれを無視して部屋を出た。
怒りに身を任せて乱暴に扉を閉めた瞬間、廊下の暗がりの中に光るものを見つけて、銀時は息を飲む。あれだけ注意深く、誰も近くにいないと確かめたのに、どうして気づかなかったのだろう。
銀時の動揺を察したのか、暗がりの中から足音を立てずに姿を見せた山崎は、気遣いのこもった微笑みで銀時を手招きした。
20210117