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江戸の町には、数多の攘夷浪士がはびこっている。
鬼兵隊を率いる高杉晋助などの大物は滅多に姿を見せず、その動向を探るのは至難の業だが、その他大勢の小物は、一体どこから湧いて出てくるのか、いくら斬ってもきりがなく、石を投げれば攘夷浪士に当たると言ってもいいほどというのが銀時の印象だった。
「真選組副長、坂田銀時とお見受けする。いざ、尋常に勝負!」
と、決まり文句をのたまって斬りかかって来る浪士を逆に斬り返し、ものの数秒で亡骸の山を積み上げた銀時は、ふらつく頭を抑えた。急に動いたせいで、勢いよく酔いが回ったのだ。
人が気持ち良く飲んでいるところに奇襲をかけるだなんて、戦の作法も知らないくせに侍を名乗るなと言いたい。
電信柱にもたれかかってひと息ついていると、闇の中で人影が動いた。銀時はとっさに刀の柄に手をかけたが、その正体に気づいた瞬間、その手を下ろして不敵に笑った。
「よぉ、お前か? 俺にこんな小物を差し向けたのは。伝説の攘夷志士・白夜叉の相手にしちゃお粗末な相手だったな。俺もずいぶん舐められたもんだ」
「馬鹿を言え、いくら酔っぱらっているとはいえ、お前に太刀打ちできるのは俺くらいのものだ。それを分かっていてもなお、立ち向かっていかざるを得ないほど、こ奴らの怒りは根深いものだったのだ」
夜空を覆う雲が動いて、人影に月明かりが差す。長い黒髪、藍染めの着流し、腰には一本の刀。女のように端正な顔立ち、力強い瞳。
桂小太郎は警戒する様子も見せず、両手を自由にしたまま銀時と対峙した。
「その理由が、お前に分からないわけはあるまい? 銀時」
銀時は唇を噛むように笑うと、道端に転がる浪士達を見下ろした。血飛沫を浴びてほとんど人相は分からないが、まだ若い。あの攘夷戦争に参加した世代ではなさそうだ。
「こんなに子供まで刀握らせてんのか? お前も人使い荒いな」
「こんな子供も容赦なく斬り捨てる、それが今のお前のやり方なのか?」
睨み合うふたりの間に、火花が散ったようだった。
銀時と桂は、かつての攘夷戦争で共に戦った仲間だった。子供の頃から同じ寺子屋で学び、苦楽を共にしてきた。戦争の後に別れたきり、互いの消息は全く不明だったのだが、時が流れ、真選組副長と攘夷志士として再会したことは、運命のいたずらというより他にない。
同じ師に学んだにもかかわらず、子供の頃からてんで違う方向を見ていた。昔からそうだったから、こうして道が違ってしまったことにはいちいち驚かない。ただ、とんでもなく厄介な男を敵に回してしまった、その事実を受け入れるために、相応の覚悟が必要だった。
銀時も桂も、互いと斬り結ぶ覚悟はまだ決まっていない。
「俺はこ奴らを止めに来たんだ。あと一歩で間に合わなかったがな」
桂は銀時との間合いを保ったまま、その傍らに立つ。
銀時は警戒を解かずに答えた。
「そいつは残念だったな」
「こいつらがなぜこんな無謀な行動に出たか、本当にお前には分からんのか?」
「攘夷浪士の考えることなんかいちいち考えてられるかよ」
銀時は亡骸のそばに膝をつき、肩を掴んで横に転がしてみた。顔の半分が血に塗れていたが、その顔立ちには見覚えがあった。攘夷戦争に参加していた頃、同じ部隊で見た顔だ。あの頃はまだ毛も生えそろっていない子供で、補給や怪我人の面倒を見るように命じていた。それがこんなに大きくなるほどの月日が流れたのだ。
そう言えば、この間の夜に銀時を襲った男もそうだった。銀時が幕府の犬になり下がったことを恨み、許せない者は、銀時が思うよりずっと多いらしい。
その筆頭である桂は、厳しい声で銀時を責める。
「袂を分かったとはいえ、昔の仲間に手をかけて、お前は良心が痛まんのか?」
「この程度で痛む良心があれば幕府に尻尾なんか振らねぇよ」
馴染みの顔を見ても顔色ひとつ変えず、にべもなく答えた銀時に、桂は額に手を当てて頭を振った。
「全く、高杉よりは話が分かる奴だと思っていたんだが、どうやら俺の思い違いだったらしい」
銀時は桂に見えない角度で亡骸の目元に手をかざし、開いたままの瞼を閉じてやった。恨みを晴らすことはできなかっただろうが、せめて安らかに眠って欲しい。
「銀時、せめて教えてくれ。お前はなぜ幕府方についた? 我々から松陽先生を奪った幕府に、他でもないお前がなぜ黙って従っていられる?」
銀時はその目に焼き付けるように足元を見下ろしている。その口元は固く引き結ばれたままだ。その唇が動いたのは、桂がその名前を口にした瞬間だった。
「
のためか? 今、真選組屯所で働いているそうだな」
銀時は思わず桂を睨みつけた。
「なんで知ってやがる?」
「俺の情報網を甘く見てもらっては困る」
「あいつが屯所で働いてんのは、ただの偶然だ。俺も浪士組に入隊してから初めて知った。俺が幕府方についてることと、あいつのことは何も関係ない。憶測で関係ない人間を巻き込むなよ」
銀時の本気を感じ取ったのか、桂は右足を引いて後ずさる。銀時のまなざしには、強い殺気が込められていた。これ以上踏み込んでは、覚悟もないのに刀を抜かなくてはならなくなる。今はまだ、その時ではない。
「今日はこれで退散するとしよう。
によろしく伝えてくれ。お前の昔馴染みは元気にやっているとな」
「誰が伝えるか」
桂が闇の中に溶けるように姿を消した時、月明かりも雲にさえぎられた。ますます深くなる闇の中、銀時はじっと足元を睨み下ろしたまま、動けなかった。
屯所に連絡を入れなければ、また土方にどやされる。亡骸の見分も、後始末も銀時ひとりではできない。隊士達の助けが必要だった。けれど、どうしても体が動かない。
かつて共に戦った仲間とはいえ、刃を向けられればやり返さねばならない。みすみす斬られてやるわけにはいかないし、銀時だって死にたくはない。銀時を斬ると決めた以上、返り討ちにされる覚悟があって向かってきたはずだ。無残に討ち取られたとしても、後悔はないだろう。
けれど、その死を自らの手で真選組に持ち帰るのは苦しかった。
とどのつまり、かつての仲間を斬ったという罪に真正面から向き合う勇気がないのだ。面倒だなんだと理由をつけるのは逃げ口上で、そうやって、臆病で情けない自分を隠している。
銀時は全て分かっていた。分かっていても、そんな自分を変えられない。
銀時は亡骸を放ってくるりと踵を返すと、夜中でも煌々と明るい夜の街に繰り出した。
酒が欲しかった。酔って、何もかも忘れて、全てなかったことにしたかった。
翌朝、屯所に戻った頃にはすっかり夜が明けていた。明けたどころか、朝食の時間は過ぎ、隊士達はとっくに仕事をはじめていた。
酒に飲まれて気を失い、ごみ捨て場に突っ伏して眠っていたところを近所の住人に発見され叩き起されてしまった。真選組の隊服と身分証明書でなんとか通報は阻止したものの、二日酔いで頭はがんがんするし、まったく散々だ。
「一体何をしたらそんなにぼろぼろになるの?」
ごみに汚れて異臭を放つ銀時を見て、
はほとほと呆れた顔でそう言った。
「別になんでもねぇよ」
「なんでもないのにどうしてボタンが取れたりシャツがぐしゃぐしゃになるわけ?」
「お前には分かんないだろうけどな、俺の仕事は激務なんだよ。シャツのひとつくらいすぐだめになるわ」
「毎日のようにそんな風になるの銀さんだけよ?」
「人一倍働いてる証拠だろうがよ」
「どの口が言うんだか」
そんなことは銀時も重々分かっている。けれど、二日酔いで痛む頭ではうまいの嘘が思いつかなかった。
文句を言いながらも、
は銀時のために朝食を一食分残しておいてくれた。温かい味噌汁が五臓六腑に染み渡り、思わずため息がこぼれる。
「はぁ、うめぇ。生き返るわぁ」
「ちょっと、銀さんってば。真面目に聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。やぁ、
ちゃんのおかげで助かったわ。できた家政婦だね。さすが松平公の屋敷で働いてただけあるわ」
「おだてても誤魔化されないわよ。何よ、
ちゃんって。昔はそんな風に呼んでなかったじゃない」
は銀時が伸ばした手の先から湯呑を奪い取ってずずずと茶をすすり、もの言いたげにじろりと銀時を睨む。この顔は本気で怒っている時の顔だ。大声で怒鳴ったり、手を挙げたりするより、静かな怒りを腹の底にたたえて言葉少なにじっと見つめる時の方が、
は怖い。
銀時はご飯を口の中にかき込むと、精一杯の誠意を込めたつもりで答えた。
「あのな、俺は一応真選組の副長なんだよ。馴染みだからって、昔と同じような馴れ馴れしい呼び方してたら隊士に示しがつかねぇだろ」
「ちゃん付けだって十分馴れ馴れしいと思うけど?」
「近藤局長はそう呼んでるだろうが。つまり、それが真選組の公式ルールっていうことだろう」
「いつ誰がそんなこと決めたのよ」
「そりゃ他でもない局長だろうが」
「もっともらしいこと言ってるけど、屁理屈よね」
「んなことねぇって。お前はいちいち感傷的になりすぎなんだよ。何もかも子供の頃のまんまでいられるわけないだろ。大人になれよ」
「酔いつぶれて朝帰りするような人に大人になれだなんて言われたくないんだけど」
「それとこれとは別の話だろうが」
「似たようなものよ」
と銀時がじっとりと睨み合っていた時だ。廊下からどたどたと激しい音がして、スパンッと引き戸が開いた。
「おい、銀時はいるか?」
土方の顔を見るなり、銀時は不愉快に目を細めた。
「おー、ここにいるぞー」
「そんなところで何をしてんだよ?」
「朝メシ食ってんだよ」
「今日は新隊士の選抜があるって知らせてただろうが!? さっさと道場に来い!」
「選抜なんてお前らが勝手にやりゃぁいいだろ? どんなのが入ったって俺ァかまやしねぇよ」
「馬鹿野郎! てめぇ仮にも副長だろ!? 真選組の実力を見せてやらねぇと示しがつかねぇだろうが!」
「んなもん局長がいれば十分だろうが。俺疲れてんだよ」
「ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと来い!」
その時、銀時の足のつま先に何かがぶつかった。振り返れば、
が何かを言いたそうにしてこちらを見ていた。責めるような目配せに、銀時の胸がざわつく。
「ったく、しょうがねぇな。分かったよ、行けばいいんだろ、行けば」
銀時は渋々立ち上がると、盆を返却台に下げ、汚れた皿を水につける。
飯を食って少しは気分も良くなったが、隊服は昨日のままだし、風呂にも入っていない。体中がべたべたする。けれど、土方のこの剣幕では道場へ向かう前に部屋に寄ることも許してくれないだろう。せめて洗顔と歯磨きくらいはさせてもらえないものだろうか。
銀時の背後で、
と土方が目配せをしているのが、気配で分かった。声を出さなくとも、互いの言いたいことが通じ合っている親密さが空中に滲み出して、何とも言えない雰囲気を作り出している。
こいつら、いつの間にこんなに打ち解けたんだろう。
銀時は一抹の居心地の悪さを感じて、わずかに振り返るのを躊躇した。足元がふらついて、どうして自分がここにいるのか分からなくなる。
「
も来るか?」
「あら、いいんですか?」
「どんな奴が入るか、お前も興味あるだろ」
「それじゃ、後でお邪魔させてもらいますね」
土方は、
のことを呼び捨てにする。いつからかは定かではない。気がついたらそうだった。土方が何を考えてそうしているのかは、銀時には全くの謎だ。
「おい、
」
わずかな反抗心にかられて、銀時はつい昔のままのやり方で
を呼んだ。
は目を丸くして銀時を振り返ると、何か信じられないものを見るように銀時を見る。
「ごちそーさん。ありがとな」
「あぁ、うん」
そういえば、桂も昔のままで
のことを呼んでいた。
変わったのは、自分だけなのだろうか。
20201102