水色の空に綿菓子をちぎったような雲がふわふわと漂っている。太陽に温められた瓦屋根はほかほかと温かく、ついうとうとしてしまう陽気だ。

 銀時は睡魔に身を任せまどろみながら、くわっと大きな欠伸をした。

 昨夜は、あまり眠れていなかった。明け方近くに屯所に戻り、軽く腹ごしらえをしてからひと眠りしようと思っていたのに、攘夷浪士の取り調べやら、つまらない会議やらに引っ張り出されて仮眠をとる暇もなかったのだ。

 剣術の稽古を抜け出してやっと人心地ついた午後、清々しい空を仰ぎ見る屋根の上でようやくひとりになれた。

 江戸の空は、昔と何ひとつ変わらない。子供の頃から見慣れた変わらないものにこんなに心を和まされるだなんて、すっかり年を取ったなぁと自虐的な気分に浸っていると、カンッ、と瓦を蹴る高い音がした。

「本当にここに居やがったな」

 声の主を振り返って、銀時は思わず、「げっ」と嫌な顔をした。

 真選組副長、土方十四郎が、スパーっと煙を吐きながら銀時を睨んでいた。

「白昼堂々こんなところで居眠りとは、いい度胸じゃねぇか」

 銀時は苦笑いをしてとぼけた。

「居眠りじゃねぇ。これはあれだ、最近この辺りが雨漏りするっていうからよ、修理しようとしてたんだよ。いやぁでも、こういうのはプロに任せないとだめだね、もうお手上げ状態で頭悩まされてたところ」
「雨漏りなんて話は聞いてねぇ。でまかせ言うな」
「嘘じゃねぇって。ほら、見ろよ。ここちょっと濡れてんだろ」
「それぐらいで雨漏りなんかするか! 第一、この屯所は新築なんだよ! 舐めんなよ!」

 土方は額に青筋を浮かべて怒鳴ったが、銀時はそんなことはどこ吹く風と、平気な顔でひらひらと片手を振った。

「あぁ、嫌だね。冗談の通じない奴は。上司に金出して建ててもらった屯所の自慢話なんて、犬の餌にもなりゃしねぇよ。あ、でもお前らはそれで飯にありついてるんだったな。幕府にぶんぶん尻尾振ってもらった大事な大事な屯所だもんな。そりゃ自慢したくもなるか」
「それはお前だって同じだろうが」
「……まぁな」

 銀時はくるくる巻いた銀色の髪をくしゃりとかき上げた。今日はどうも気分がくさくさしている。寝不足のせいだろうか、それだけが原因ならどんなにいいことか。

 土方が瓦を鳴らしながら、銀時の隣に立った。

「なかなかいい眺めだな」

 屯所は平屋建てだが、周りに背の高い建物がないので、見晴らしがいい。西には遠い山並み、東には空を貫くターミナルと高層ビル群。見上げれば、羽を広げた鳥と一緒に異境の船が飛び交っている。銀時に言わせれば、それはそれはやかましい景色だった。

「何か用かよ? ただ景色を見に来たわけじゃねぇんだろ?」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ。こんなところで何してやがる? 景色眺めてる暇があるなら働け。副長のお前には仕事が山ほどあるだろ」
「勘弁してくれよ、いくら何でもまともな休みなしでやってられるかよ。俺はお前みたいなワーカーホリックじゃねぇんだ」
「てめぇが夜中にあちこちうろつき回ってんのは、仕事じゃなくお前の勝手だろ。休みが取れねぇっていうなら、まずその徘徊癖を直しやがれ。それとも何か? もう認知症始まってんのか? それならさっさと施設にぶち込んでやろう、両手足ふんじばって動けねぇようにしてやる」
「誰が白髪の爺だ! これは生まれつきの地毛だ! 今どきそんなことやったら虐待で訴えられんぞ! 天下の真選組がんなことして、許されると思ってんのか!?」
「昼間っから呑気に日向ぼっこしてるお前が言っても全然説得力ねぇんだよ!」
「なんだ! やんのかてめぇ!」
「上等だ! 表出ろ!」
「もう出てるっつーの!」

 ふたり同時に腰の獲物に手をかけた瞬間、足元に雀が止まった。ピチチッと鳴きながら、きょろきょろとふたりを見比べたかと思うと翼を広げて庭木の方へ飛んでいく。その呑気な来訪者に毒気を抜かれ、ふたりは同時に獲物から手を離してまった。

 土方は胸ポケットから煙草を出して火を付ける。銀時も胸ポケットから棒付き飴を取り出して包装を破る。それぞれにとっての精神安定剤である。

「俺がここにいるって、誰に聞いた?」

 銀時が言う。
 土方は正直に答えた。

だ」
「やっぱりな」
「何で分かる?」
「本当に、って枕詞を使っただろ。つまり、情報源が確かじゃなく半信半疑だったってことだ。俺が屋根に登るところを見た誰かに話を聞いたんなら、そういう言い方をするはずがない。お前はその情報の信憑性を確かめるために屋根に登ったんじゃないのか?」
「それとと、何の関係がある?」
「あいつは近頃、妙な動きしてるからな。お前も気に掛けずにはいられないんだろ」

 土方は感心したように瞬きをしてから、大きなため息をついた。煙草の煙が雲のように広がって、青空に溶けるように消えた。

「その洞察力は仕事で使って欲しいもんだぜ」
「お前が気づいてねぇだけでちゃんと使ってるよ」
「どうだかな」

 は家政婦として屯所に住み込むようになる前は、松平片栗虎の屋敷で奉公していた。浪人を寄せ集めて結成された真選組で働きたがる者がなかなか集まらず、松平公直々の下命で派遣されたのだという。

 今でも松平の屋敷には頻繁に出入りしていて、月に二、三度出かけて行っては、手土産を持って帰ってくるのが通例になっていた。

 が屯所で見聞きしたことを松平公に報告していることは、まず間違いがない。一介の家政婦が警察庁長官という幕府の重鎮にしょっちゅう呼び出される理由は、他に考えられないからだ。松平公はを通して真選組の動向を監視しているのだ。

「松平公が俺達の行動に目を光らせているのは、近藤さんも承知の上だ」

 土方は険しい顔で言う。

「なにせ、真選組が生まれた経緯が経緯だ。どんな立派な武勲を立てても、完全な信頼を得るには足りない。そのための唯一の手段は、任務を完璧にこなし続けることだ。不祥事を起こすことは許されない。それが真選組という組織を守るために俺達に課せられた使命だ。実際、気の遠くなるような話だがな」

 銀時は自虐っぽく笑った。

「その監視役として送り込まれたのが、しがない家政婦ひとりだなんて、俺達も舐められたもんだよな」
「古今東西、家政婦は壁の耳であり障子の目なんだよ。市原悦子を知らねぇのか? これ以上の適任がいるか」
「まぁ、悦ちゃんは確かにいい仕事するけどよ、はなぁ……」

 言葉を探して言い淀んだ銀時に、土方は珍しく同意した。

「それについては俺も同意見だ」

 銀時と土方が問題視しているのは、にどの程度の自覚があるのかということだ。

 土方は眉間に皺を寄せながら思い返す。

「この間、茶と一緒にえらく高そうな茶菓子持ってきたから、どこで手に入れたのか聞いたんだよ。あいつ、松平公にもらったって平気で答えて笑ってやがった。ひとりじゃ食べきれないから皆に分けてるんだとよ」

 銀時は毒を吐かずにはいられなかった。

「それ、絶対に情報に対する対価だろ? うまいもん食わせてやるから、真選組の裏事情探って来いって言われてんのに、それをお前に振る舞うって、こんなこと言いたくねぇけど、あいつ馬鹿だろ。全く救いようのねぇ馬鹿だろ」
「たぶん松平公は、あいつが小細工や芝居はできないと判断して、裏事情は話してないんじゃねぇかな。どう思う?」
「ありうると思うぜ、あいつは昔っから小細工とかできねぇ奴だからな。松平の狸爺も分かって使ってるんだろ」
「そんな奴の情報収集が、役に立ってんのかね?」
「俺が知るか」

 は勤勉で真面目な家政婦で、浪人上がりの粗野な男供を相手によくやっている。人当たりも良く、いつも朗らかに笑っていて、疲れた顔は滅多に見せない。そばにいると不思議と心が軽くなる、そんな魅力がにはある。隊士達の信頼を集めている他ならぬ理由だ。

 だからこそ、壁の耳になり障子の目になり、松平の手足となって働くのに向いてるはずがない。銀時に言わせれば、完全なる人選ミスだ。

「松平の狸爺、一体何を考えているのやら」

 銀時は肘に頬杖をつきながらため息をつく。
 土方は気を取り直して言った。

「何を考えているにせよ、俺達のやることは変わらねぇ。日々、粛々と任務をこなすことだ。真選組は今、過渡期にある。江戸での足場を確かなものにするためにも、軽率な行動は慎まなけりゃならん。分かってるだろうな?」

 土方にじろりと睨まれ、銀時は頬を引きつらせた。

「誰がいつ軽率に行動したよ? 言いがかりはやめてくんない?」
「好き勝手にふらふら出歩いて、気ままに浪士と斬り合うのは軽率といわねぇのかよ?」
「別に気ままじゃねぇし。向こうが俺を見つけて喧嘩ふっかけてくんだって。いくらなんでもそれは言いがかりだよ、土方くん」
「後ろめたいところがないんなら、詳しい報告書を出しやがれ。毎度毎度尻拭いさせられる身にもなれってんだよ」
「別に頼んでねぇよ」
「お前な、今の話聞いてまだそんな態度取るつもりか?」

 土方の堪忍袋の尾が切れそうになるのを見計らって、銀時は鬱陶しそうに耳を塞ぐ。

「あーはいはい、分かったよ。報告書出せばいいんだろ、出せば」

 昔から、銀時はこういう手合いに弱かった。

 戦場の小鬼として生まれ落ちた銀時は、世間の常識に疎い。二親、またはそれに変わる大人に常識を教え込まれた人間ならば当然持っているはずのものさしを持っていないのだ。物事を判断するときの基準は、自分の内側から発される直感のみが頼りだった。

 直感にしたがった行動を糾弾したり、正そうとする人間が、昔から銀時の周りに絶えない。

 吉田松陽、高杉晋助、桂小太郎、お登勢、そして土方十四郎。

 どうやら、自分はそういう人間に目をつけられる定めらしい。鬱陶しくて敵わないが、定めならば逃れられるものでもない。

 銀時は重い腰を上げて立ち上がると、両腕を天に向かって伸ばして、首の骨をぽきりと鳴らす。気持ちのいい音がして、ほんの少し、気持ちが前向きになったような気がした。

はどうする?」
「あの様子じゃ、泳がせといても問題ないだろう。好きにさせとこうぜ」
「俺も高級茶菓子食わせてもらえねぇかなぁ」
「部屋で雑務を片付けていると、茶と一緒についてくるぜ。そうだ、お前にも事務仕事回してやろうか? そうすりゃ食い放題だ」
「それは御免被る。机に縛り付けられて身動き取れなくなるなんて、死んでも遠慮すらぁ」

 心底うんざりして答えると、土方は呆れた顔をしてかすかに笑った。














20201026