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 と付き合うことになった。土方がそう報告すると、近藤は目を真ん丸にして驚いた後、満面の笑みを浮かべて祝福してくれた。

「そうか! おめでとう、トシ!」

 近藤らしく、裏表のない真っ直ぐな笑顔。
 土方は気づまりな思いがして、目を伏せる。

「近藤さん。何か、おかしいと思わねぇのか?」
「おかしい? 何がだ?」
「前に話しただろ。俺はあいつに惚れてるふりしてたんだって」
「あぁ、それはもちろん覚えているが、ちゃんと付き合う気になったっていうことは、気持ちが変わったってことなんだろう?」
「それは……」

 そうだけどな、と土方は言葉を濁す。近藤に悪気はないのだろうが、こうも手放しに祝われると気持ちが落ち着かない。

 ずっとを騙して離れに閉じ込めていたのは、他でもない土方だ。はそれを許してくれたけれど、土方の罪悪感はまだ完全には消えていない。から銀時を奪った、その事実は決して変わらないのだ。を悲しませてしまった、どんな理由があっても、自分だけはそれを許してはいけないと思う。だから、無条件に幸せと喜びに身を浸す気分にはなれないのだ。

 そう伝えると、近藤は眉を八の字に曲げて、考え込むように顎髭を撫でた。

「トシの言いたいことは分かるがな、ちゃんはそういうこともちゃんと納得してくれたわけなんだろう? その言葉を信じてやればいいんじゃないのか?」
「そうかもしれねぇけど、胸に刻んで、絶対に忘れちゃならねぇことはあるだろ。自分のしでかしたことなら、なおさらだ」
「だからといって、せっかくちゃんを手に入れたんだ。その幸せを、ちゃんと味わうことは悪いことじゃない」
「幸せなことだとは思ってる。けど、どうしてもこう、な」

 はぁ、とこぼれたため息は、ちょうどよく吹いてきた風にさらわれた。その風に乗って、軽やかな女の笑い声が響いてくる。の声だ。

 中庭を挟んで向こう側の縁側に、その姿が見えた。隣には隊士がひとり寄り添っている。橋本だ。洗い終わったシーツだろうか、腕の長さほどに積み上げた白い布を抱えていた。荷物持ちでも買って出たのだろう。何の話をしているのかは分からないが、よほど盛り上がっているらしく、土方と近藤がふたりを見ていることにはちっとも気づいていないようだ。

「あんな風に笑っているちゃんを見るのは、ずいぶん久しぶりだな」

 近藤は自分のことのように嬉しそうに、しみじみと言った。

「良かった。本当に、良かったな」

 近藤とは対照的に、土方は不安そうに眉をひそめる。

「なぁ、橋下はあれからどうだ?」

 あれから、というのは、橋下がの寝込みを襲った殺人未遂事件のことだ。銀時を敬愛するあまりに引き起こした事件だったが、近藤の説得によって心を入れ替え、以前にも増して真面目に任務に当たっていると聞く。

 とはいえ、の隣に並んでいるところをみるとさすがに胸がざわついた。

「あぁ、そのことなんだが、あいつは謝ったそうだぞ」
「謝ったぁ?」

 土方は思わず声を裏返した。
 近藤はうんと大きく頷く。

「なんでも、総悟に仲介を頼んだそうだ。橋下としても、きちんとけじめをつけたかったんじゃないだろうかな」
「けじめって、本人は悪い夢だと思ってたんだぞ。それが本当は現実に起きたことだって蒸し返したりして、どういうつもりだ?」
「総悟もその点は不安だったそうなんだがな。話してみたら、案外、驚きはしなかったそうなんだ。もしかすると、ちゃんもうすうす感づいていたのかもしれないな」

 土方は手のひらでごしごしと顔をこすった。

 には、嘘もごまかしもなく本当のことを話してほしいと口酸っぱく言われている。必ずそうすると約束したが、この場合も約束を破ったことになるんだろうか。焦げ付くような不安が胸をよぎる。

 無意識に猫背になった土方の肩を、近藤がバシンッ! と大きな音を立てて叩いた。

「まぁ、そう考え込むなよ! どうだ、今夜はパーッと飲まないか!? 小さな悩みなんて、飲んで忘れっちまえよ!」
「悪い、今夜はと約束してるんだ」
「なんだそうか! 楽しんで来いよ! はっはっはっ!!」

 近藤が一体何を面白がっているのか、土方にはさっぱり分からなかった。



「あぁ、そのことなら、橋本くんから直接聞きました」

 土方の心配をよそに、は全く平気な顔をしてそう言った。

 責められることを覚悟して身構えていた土方は肩透かしを食った形になって、思わず問い詰めるような口調になってしまう。

「お前、それを聞いてなんとも思わなかったのか?」

 ふたりがいるのは、酔客で賑わう居酒屋だ。客と店員の大声が店中に響き渡り、酒と料理の匂いが充満している。土方としてはもっと落ち着いた静かな店を選びたかったのだが、が「人の集まる賑やかな店に行きたい」と言うので、その希望を尊重したのだった。ずっと離れに閉じ込められてひとりきりでいたから、人恋しい気分なのかもしれなかった。

 お猪口を揺らして冷酒の波紋を楽しみながら、はゆっくり答えた。

「薄々、気づいてはいたんです。夢だと思うには生々しすぎましたし、後から考えれば、やっぱりあれは現実だったんじゃないかなって、なんとなく思ってたので」
「怖くなかったのか?」
「そりゃ、もちろん怖かったですけど、橋本くんが正直に話してくれたおかげで、かえってすっきりしました。やっぱり、自分が置かれている状況を正しく理解できないって、苦しかったですから」

 土方は思わず眉をしかめる。

「すまなかったな。あの時はあぁする方がいいと思ってたが、俺が間違ってたな」

 は慌てて首を横に振った。

「私こそ、ごめんなさい。蒸し返すつもりじゃなかったんです。もうなんとも思ってませんから、そんな顔しないでください」

 土方は人差し指の腹で眉間をごしごしと擦る。

「ならいいんだが」
「橋下くんはいい子ですね。素直で誠実で、一生懸命で」

 はふふふと、嬉しそうに笑った。

 その頬がほんのりと赤く上気している。少し酔っているのだろうか。とさしむかいで飲むようになってまだ日が浅いから、酔っぱらうとどうなるのかまだはっきりしない。もしかするとまだ遠慮があって、土方の前では控えているのかもしれない。それとも、店内が人いきれで蒸し暑いからだろうか、それなら何か冷たくてさっぱりしたものでも頼んでやろうか。

 そんなことをぼんやり考えていたら、は小鳥のような仕草で小首を傾げた。

「土方さん? どうかなさいました?」
「……いや、何でもねぇけど」
「そんなにじろじろ見て……。私の顔に何かついてます?」
「だから、なんでもねぇって」

 それでもは気になるのか、自分の頬をぺたぺたと触って何かついていやしないかと念入りに確認している。その少し不安な、土方の表情を伺うようなまなざしから目を離せない。さすがに気まずくなって、土方は喉を反らせて酒を煽り、無理矢理に縫い留められた視線を引きはがした。



 帰り道には、いい月が出ていた。

 夜空を突き通すように高く伸びたターミナルの真上に腰かけるように、少しだけ欠けた月が見えている。がそれをやけにおもしろがったので、月がよく見える場所を探して散歩をした。酒に火照った体を冷ますにはちょうどいい。

 柳の枝が川面に向かってしな垂れている水路沿いをぶらり、ぶらり、と歩きながら、がふと言った。

「実は私も、土方さんに、謝らなくちゃならないことがあるんです」

 は、土方よりほんの少し遅れて斜め後ろを歩いている。土方は肩越しに振り返って耳を傾けた。

「なんだ?」

 は土方の顔色を伺うように上目遣いになって言う。

「聞いても、怒りません?」
「それは内容によるけどよ」

 とは言ったものの、土方がしたことよりもひどいことを、がするとは土方にはとても思えない。土方は煙草を指に挟んで促す。

「話してみろよ」

 は前髪を触り、着物の胸元を引っ張って直し、内向きのつま先をたっぷり五秒も見つめ、それからやっと口を開いた。

「土方さんが、私の部屋に仕事を持ち込んで、寝泊まりしていたことがあったでしょう?」
「あぁ」
「あの時、たった一度だけなんですけれど、その……。土方さんにお出ししたお茶に、薬を混ぜたことがあるんです」

 が何を言っているのか分からず、土方は黙り込んだまま目を見張った。指先の煙草の先から、灰が砕けてさらりと落ちる。風が火を煽って、赤い炎がじりりと音を立てて燃えた。

「……どういうことだ?」

 動揺を隠せず、土方の声はわずかに上ずった。

「変な薬じゃなくて、ただの睡眠薬です。いつも枕元に置いていた、あれ。飲みすぎてすっかり効かなくなっちゃって、余ってたんです。あの時は、土方さんに少し、腹を立てていたというか……。だって、嫌だって言っても無理やり部屋にあがって来るし、仕事を手伝わせてって頼んでも駄目の一点張りだし。何も私の言うこと聞いてくれないんですもの。何か、仕返ししたくなっちゃって」

 そういえば一度だけ、おかしな眠気に襲われたことがあったような気がする。スイッチを切るように強制的に深い眠りに突き落とされたような、経験したことのない眠気だった。仕事に追われて疲れていたことは事実だし寝不足でもあったが、それを差し引いても何かがおかしかった。あの時、が眠気覚ましにと濃い茶を淹れてくれたが、あのせいだったのか。

「……やっぱり、怒ってますか?」

 が不安そうに言う。

 土方ははっとして、とっさに煙草を咥えた。が、ぼうっとしている間にすっかり短くなってしまっていて、慌てて携帯灰皿で火を消す。

「いや、そうじゃない。怒ってなんかない。ただ、驚いた。全然気づいてなかった」
「仕返しって言いましたけど、土方さんにゆっくり休んで欲しいって気持ちも、少しはあったんですよ」
「少しかよ」
「ふふっ、あの時は、ですよ。本当です」

 秘密を話して楽になったのだろうか、は肩の力が抜けたような顔をして笑っていた。

 が笑う顔を、ずいぶん長い間見ていなかった。近頃、仕事に復帰してからはいつも穏やかに微笑んでいたが、それは周りに心配をかけまいと少し無理をして作っている笑顔だったのかもしれない。

 今、土方の目の前で笑っているは、胸を震わせ、目尻を下げ、頬をほんのりと赤く染めている。心がくすぐられて、自然と生まれてきた笑顔だと分かる。

 がまた心から笑える日が来たのだ。そう考えるといっそ感動的ですらあって、知らないうちに睡眠薬を盛られたことなどほんの些末なことに思えた。

「本当に、ごめんなさい。許してもらえますか?」

 が言う。きゅっと、小さな両手を握りしめながら、少しだけ眩しそうに目を細めて、土方を真っすぐ見つめる勇気をもてないまま。

 土方は答える代わりに、の尖った顎を掴んで口づけをした。

 同じ酒を飲んでいたはずなのに、の唇からはほんのりと甘く温かないい匂いがした。              












20200720