17
草生寺は、屯所から徒歩で10分ほどの距離にある寺院である。こんなに近くにゴールがあるのなら、今日一日あちこち駆けずり回った苦労は一体何だったのだろう。そう考えると気持ちをくじかれそうになったが、土方はなんとか気力を振り絞ってそこへ向かった。
草生寺は、真選組が粛清した浪士の亡き骸を引き取り、菩提を弔っている。幕府に楯突く攘夷浪士のために馬鹿にならない金を使うことに意を唱える者もいないではないが、まさか遺骸をそのまま打っ棄っておくわけにはいかないし、信心深い老人などは死者を弔う心掛けを評価してくれる。真選組はただでさえすぐに刀を抜く荒くれ者のイメージが強いから、こういう戦略は大切だ。
ちょうど、寺の門を閉めようとしている坊主と鉢合わせて、土方は女をひとり見なかったかと尋ねた。坊主は指を差して場所を教えてくれた。
墓地は、寺の境内のすぐ隣にあった。日はすでに落ち、薄闇が空から幕を下ろそうとしていた。闇の幕に覆われようとしている墓地はやはり不気味で、土方は背中に薄ら寒いものを感じずにはいられない。なんとか、気力を振り絞ってきょろきょろと
の姿を探す。
墓地の片隅に、一風変わった墓石があった。一般的なものよりも少し小さな作りで、供養塔という文字が彫り込まれている。真選組に討ち取られた攘夷浪士を供養するためのものだ。
はそこで、両の手を合わせて目を閉じ、静かに祈りを捧げていた。
墓地は舗装がされておらず、通路には砂利が敷き詰められている。不揃いの石塊を踏みしめるとザクザクと音が鳴り、それに気づいた
は目を丸くした。
「土方さん? こんなところで何してるんですか?」
「それはこっちのせりふだ」
土方は大声を上げたいのをぐっとこらえ、押し殺した声で言った。
「昼までには戻るっつって出て行ったのに、連絡もしないでこんな時間までほっつき歩いてるなんて、一体どういうつもりだ?」
は不愉快そうに眉をひそめる。
「なんで土方さんがそのことを?」
「食堂の連中に聞いた。体調崩して、診療所で休んでたそうじゃねぇか。もう大丈夫なのか?」
「そんなことまで、どうして知ってるんですか?」
「ちょうど診療所の前を通りがかってな、松本先生から聞いた」
何か癪に触ったのか、
の表情が険しくなる。土方を拒絶するようにふいと目を逸らし、つっけんどんな口調で言う。
「別に、子供が迷子になったわけじゃないんですよ。そんなに騒ぐようなことじゃないでしょう」
「お前な、皆にどれだけ心配かけたと思ってんだ?」
「ちょっと予定が変わっただけです。家政婦さん達にはちゃんと謝りますけれど、そんなに心配かけるようなことをしたつもりはありません」
土方はむしゃくしゃして舌打ちをする。
は自分の立場を分かっていない。攘夷浪士に狙われていた、それを隠したのは他でもない土方だ。洗いざらい、話すべきなのだろうか。それで
の意識が変わるなら方がいいのかもしれない。けれど、それを話してしまうと、芋づる式に銀時の選択をも明かさねばならない。それだけは、どうしても避けなけばならない。
とはいえ、こう物分かりの悪いことを言われると腹が立って仕方がなかった。子供扱いするなと言われても、裏の事情を知らない
は土方にとってそれと似たようなものだった。危機に対して無知で無防備で、黙って言うことを聞いてくれれば何も問題がないのに。
一日中休みなく
を探し回ったツケで疲れが溜まっているから余計に苛立ちが募る。
土方はひと呼吸置いて、供養塔を見やった。
が誰のために祈っていたのかは想像に難くない。
「あいつの墓参りか?」
銀時の名前は出さなかったが、土方の意図は伝わったようだ。
は苦い顔をして眉を寄せた。
「場所が知りたかったなら、まだるっこしいことしないで俺に聞けば良かっただろ」
「土方さんに聞こうにも、私のことずっと避けてるんですもの」
「俺は別に避けてなんか」
いない、とは言えなかった。そんな言い訳はさすがに無理があるだろう。
の顔を見たくなかった、声を聞きたくなかった。
に近づけば近づくほど心が乱れる。決して手に入れることのできない相手だと分かっていてそばにいるだなんて、土方には無理だった。
喉から手が出るほど、
が欲しくてたまらない。この想いは叶わぬ願いだ。夢の中の幻だ。そんなものに手を伸ばすような、虚しい真似をするのはもう嫌だった。
がぼそりと言う。
「私がここに来たかったのは、自分の気持ちに整理をつけるためです。銀さんにちゃんとお別れを言わないと、前に進めないと思って」
が銀時にどんな別れの言葉を送ったのかは、土方には分からない。そこは決して土足で踏み込んで荒らしてはいけない場所だと思う。
そう考えるのと同時に、土方の中に仄暗い怒りが湧いた。銀時を思っている
は、今にも薄闇の中に溶けて消えて行ってしまいそうに儚い。亡霊に心を奪われたように心ここに在らずだ。死んでもなお
の心を掴んで離さない銀時が、憎たらしくて仕方がなかった。
「用が済んだんなら、さっさと帰るぞ!」
土方は無意識に声を荒げてしまう。
は大声を出した土方を鬱陶しそうに睨んだ。
「急に大声出さないでください。何を怒ってるんですか?」
「別に怒ってねぇよ。ただ、お前にさんざん振り回されて疲れてるだけだ」
「私は探してくれなんて頼んでませんし、そもそも土方さんに指図される筋合いありません。先に私を避けたのはそっちでしょう? 振り回されてるのは私の方ですよ」
「病み上がりのくせに、また道端でぶっ倒れたらどうする気だ? いいから言うことを聞けよ!」
「だから、子供扱いしないでください! 屯所まですぐですし、大丈夫です!」
「あぁ、そうかよ。そこまで言うなら勝手にしろ! 俺は知らねぇからな!」
土方は唾を飛ばしながらそう怒鳴ると、勢いよく踵を返す。乱暴に足を踏み込んだものだから、その勢いで砂利が跳ね上がり、激しい足音を立てた。
これでいいのだと、自分に言い聞かせる。全て丸く収めるには、できるだけ
から離れなければ。もうこんな思いをするのはこりごりだ。今は苦しくても、いつかきっと忘れられる。
こんな薄気味悪い夜の墓地になどこれ以上一秒だっていたくない、速足で砂利を踏みしめていた、その時だった。
「土方さん!! 待って!!」
のこんな大声を聞いたのは一体いつぶりだろう。純粋な驚きに、土方は思わず目を見張って振り向いた。
砂利を蹴り立てながら、
が早足で土方を追ってくる。
近くにつれ、
の表情が明らかになり、土方はますます唖然とした。
ははらはらと涙をこぼして泣いていた。流れる涙を拭うそぶりも見せない。ひょっとすると、自分が泣いているということにも気づいていないのかもしれない。その表情があまりに切羽詰まっていて、土方はおろおろしてとっさに言葉が出なかった。
「ひとつだけ、教えて下さい!」
が叫ぶように言う。
「どうして、私のこと避けるんですか? 私、何かしましたか? だったらそう言ってください!」
「……お前、何を言ってる?」
「だって、銀さんもそうだったんです!」
その言葉に、土方は頭を殴られたような気分になった。
「ある日突然、私のこと避けるようになって、話したいことも聞きたいこともたくさんあったのに、何も教えてくれなくて……! そのうちあんなことになって、今はもう会うことも声を聴くこともできません! 私、怖いんです! そのうち、土方さんまでそうなっちゃうんじゃないかって!」
「考えすぎだ。まさかお前は、俺が粛清されるとでも思ってんのか? そんな馬鹿な話はないぜ」
「そうじゃありません!」
は涙に濡れた顔を上げた。
顎の先から滴り落ちた涙の雫が、白い光を放ち上がら砂利道に落ちた。それは瞬きの間に消えてしまう流れ星のようにかすかな光だったが、土方の目にそれはスローモーションのように見えた。
「土方さんが好きです!」
土方の心臓が大きく跳ねた。
の濡れた瞳が真っすぐに自分を見つめていた。
「ずっと前から、好きでした。でも、あんなことがあって、許せなくて、気持ちがぐちゃぐちゃになってどうしたらいいか分からなくて……。ずっと、突き放してばっかりで、酷いこと言ってごめんなさい。私のこと、もう面倒くさくなったんなら、それでもいいですから……。でも、もう銀さんの時みたいに後悔したくないんです! 話をしてください! お願いだから……」
の言葉は最後まで続かなかった。
砂利を蹴立てて駆け寄った土方が、その腕で強く
をかき抱いたからだ。
20200601