16
土方はまず、松平の屋敷へ向かった。見舞いをもらった礼をするならば、
はまずそこへ向かうはずだ。
「
さんなら午前中にいらしてましたけど、もうとっくに帰られましたよ」
と、屋敷の門を守る男が言った。話を聞けば
ともよく知った仲らしく、森田と名乗った。
「どこに行くか聞いてないか?」
「さぁ、そこまでは。体調が悪そうだったので声をかけたんですけれど、後は屯所に戻るだけだからと大丈夫だと」
「そうか。それじゃ戻る途中で何かあったんだな」
「もしかして、まだ戻っていないんですか?」
「あぁ」
「それは心配だ。どこかで倒れたりしていなければいいんだけど」
土方は森田に自分の携帯電話の番号を渡して、何か分かったら連絡するように言いつけた。森田は、仕事仲間に呼びかけて心当たりのある場所を探してみると請け負ってくれた。
土方はひたすら思い当たる場所を巡った。行きつけの定食屋、商店街、家政婦の斡旋所、神社、公園……。どこにも
はいなかった。たびたび山崎から定期報告が入ったが、そのたび期待外れの情報しか入って来なかった。
江戸中を駆けずり回っているうちに、あっという間に日は傾いてしまう。橙色の光が西から強く目を焼いた。額に汗をかきながら夕日の眩しさに目をすがめた土方に、山崎からの報告は絶望的な響きを持って聞こえた。
『すいません、土方さん。手掛かりはやっぱり見つかりません。屯所にも戻ってないですし』
「そうか」
『巡回中の隊士に通達を出します。攘夷浪士が関わっている可能性も含めて周知しますけど、いいですよね?』
「あぁ、頼む。俺はもう少し心当たりを探してみる」
そうは言っても、思いつく場所はもうほとんど残っていなかった。必死に頭をひねるが、疲れもたたって何も浮かばない。そもそも、
の馴染みの場所などよく知らないし、友人関係も把握していない。分かったつもりでいて、
のことなど何ひとつ分かっていなかったのだと思い知らされる。
の看病を理由にあんなに長くふたりきりで過ごしていたのに、こんなことになるなら、もっとよく話をしておけば良かった。
「ったく、どこ行きやがったんだあいつは……!」
つい歯ぎしりをしながら悪態を吐いてしまい、その瞬間、すれ違った子どもが火が付いたように泣き出した。きっと鬼のように恐ろしい顔をしていたに違いないが、それを取り繕う余裕もなかった。
土方はあてずっぽうに歩き回りながら、
と話したことの中に何か手掛かりはなかったかと頭を振り絞った。こんなことを考えても無駄なのかもしれない。万が一、攘夷浪士の手にかかっていれば、ただ歩き回って探し出せるような場所にいるはずがない。
けれど、土方には、
は自分の意志で姿を消したように思えた。根拠などない。昨夜、障子越しに話したあの不安そうな声。それだけが手がかりだった。
「あぁ! くっそ!!」
これだけ探しても手掛かりひとつ見つからないじれったさに、思わず大声を上げた時だった。
「土方さん? どうしたんですか?」
名前を呼ばれて、振り向く。生垣の向こうから誰かが顔を見せていた。夕暮れの薄暗さに顔がよく分からないが、よく目を凝らしてみれば松本医師の助手だった。
「なんでお前がここにいる?」
虚を突かれてぼんやりした声を出した土方に、助手は当然のような顔をして言った。
「何でもなにも、ここは診療所ですもの」
見上げれば、目の前に「松本診療所」という薄汚れた看板が立っていた。松本医師はいつも屯所に通って来てくれているから、土方が自ら診療所へやって来たのは初めてだ。
頭に血が上り、額に汗を浮かべている土方を気遣って、助手は言う。
「少し、寄っていかれます? 冷たいものでもお出ししますよ」
休みなく江戸中を走り回り、くたくたに疲れていた土方は、その言葉に甘えることにした。
土方は診療所の待合室に通された。今日の診療はもう終わっているようで、部屋の中は閑散としている。窓から差し込む西陽で、照明の落ちた待合室は一面橙色に染まっていた。
「麦茶しかありませんけど、どうぞ」
奥の方から、助手が汗をかいたグラスを持ってきてくれた。
「あぁ、すまねぇな」
ろくに休みもせずにあちこち駆けずり回っていたせいで喉が渇いていた。土方はひと口でそれを飲み干してしまう。
助手は空になったグラスを受け取って苦笑いした。
「お忙しそうですね。何か大変な事件でもあったんですか?」
「事件では、ないんだが。ちょっといろいろあってな」
「そうですか。ひとり言であんな大声出すなんて、よっぽど難しい事件なんでしょうね」
「いや、事件というかな……」
土方の口は重かった。助手からは以前、
のことをよく気をつけて見ていてやれと口を酸っぱくして言われたことがある。順調に回復しているように見えても、ほんの些細なきっかけで心が折れてしまうことがある、そういうことのないように目を光らせていろと言われて、土方は必ずそうすると約束をした。今のこの状況を伝えたら、助手に責められるかもしれない。
けれど、今はもうそんなことを言っている場合ではなかった。土方は恥を忍んで口を開いた。
「実は、
を探してたんだ」
「
さんを?」
「昼までには屯所に戻ると言って出かけて行ったんだが、まだ戻っていないんだ。ずっと探してるんだが見つからなくてな」
「
さんなら、ここに来てましたよ」
「はぁ!?」
驚きのあまり、土方は椅子を蹴倒して立ち上がる。
助手はその勢いに思わず後ずさった。
「どこだ!? どこにいる!?」
「やだ、土方さん、落ち着いてください。
さんはもう帰られました」
「なんだよ、入れ違いかよ! っていうか、なんでここに来てたんだ!? 具合でも悪かったのか!?」
助手はまぁまぁと言いながら倒れた椅子を直し、土方の肩を押して椅子に戻す。
そして、ほんの少し真面目な顔をして言った。
「実は、
さんとは今日、町でたまたま会ったんです。お昼より少し前だったかな。河原で休んでらしたんですよ。お声がけしたら、少し顔色が悪かったので、診療所で少しお休みになってはいかがですかってお誘いしたんです。ずいぶんお疲れだったみたいで、午後いっぱい診療所のベッドで休んで行かれました。松本先生にも診察していただきましたし、体の方は大丈夫ですよ」
「そうだったのか。親切にしてもらったのに、怒鳴ってすまねぇ」
「いいえ、こちらこそ、ご連絡差し上げればよかったですね」
「
がここを出たのは?」
「そうですね、もう半刻ほど前でしょうか」
それならば、きっと今頃は屯所に帰り着いている頃だろう。土方は体中の空気が抜けるような息を吐いて、肩を撫で下ろした。一日中振り回された苛立ちより、今は安堵の気持ちの方がずっと大きかった。
「邪魔して悪かったな」
「いいえ。
さんには、何かあったらまた気軽にご相談くださいと、伝えてください」
「あぁ、分かった」
「土方さん」
と、深い声に呼ばれて振り返る。奥の方から姿を見せたのは松本医師だった。
「先生、すいません。うるさかったですか?」
と、明らかに土方の大声を指して助手が言う。
土方は椅子から腰を上げて頭を下げた。
「場所もわきまえず大声を出して、失礼しました」
松本医師は穏やかに笑いながら手を振った。
「いいえ、いいんですよ。むしろ、ちょうど良かった。土方さんにお伝えしたいことがあったんです」
「何でしょう?」
松本は助手に目配せをする。助手はそれで全てを察して、軽く会釈をして奥に下がった。
それを確かめてから、松本は言った。
「今日、
さんが見えたんですよ」
「はい、聞きました。休ませていただいたそうで、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
「そんなことはいいんです。お伝えしたいことと言うのは、
さんが少し妙なことを仰っていたのでね。お耳に入れておいた方がいいと思いまして」
「妙なこと?」
松本は人差し指の腹で眼鏡を押し上げるて言った。
「彼女にこんなことを聞かれました。真選組が粛清した攘夷浪士の遺体の行方についてです」
「それは……」
「もちろん、私は詳しくは存じ上げません。けれど、噂は聞いたことがあります。身元の分からないものについては、どうやら草生寺という寺で預かって荼毘に付し、菩提を弔っているそうだと。この街に住んで医師などしていれば、自然とそういう噂話は耳に入ってくるものです」
「それを、
に伝えたんですね?」
松本は鷹揚に頷いた。
「土方さんには、お伝えしておいた方がいいかと思いましてね」
松本医師の笑みに、土方はぎゅっと胸が詰まった。詳しいを話したわけでもないのに、何もかも見透かされているような気がする。自分の醜さ、恥部、どうしようもない愚かさ。そんなもの全て受け止めて、背中を押してくれているようだった。
松本医師は随分前にこう言った。「土方さんが彼女を支えてあげてください」と。土方が深々と頭を下げると、松本はあの時と同じように、優しく土方の二の腕を叩いてくれた。
20200525