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 が仕事に戻って以来、土方は食堂に寄り付かなくなった。

 食事は全て外で済ませ、山崎に命じてカップラーメンを大量に買い込み押入れを一杯にし、腹が減ったらそれで腹を膨らませた。正直に言ってひとりきりの食事は味気なかったし、賑やかな食卓が恋しくなることもあった。

 誘われて居酒屋に行くこともあったが、必ずと言っていいほどのことが話題になってしまう。病から復帰したばかりのは話題の的だった。自然、と長い時間を共にした土方が質問責めに合う結果になり、それに耐えかねた土方はその誘いも断るようになってしまった。

 仲間と過ごす時間が減ってやり切れない気持ちにもなったが、の味わった苦しみに比べれば何でもないことだと考えて耐えた。そもそも、マヨネーズさえあれば大概のものは苦も無く食べてしまえる性分なので、不自由を感じるほどでもなかった。

 土方を心配して声をかけてくる者も少なからずいたが、そのたびに適当なことを言って誤魔化し、誰にも本心は明かさなかった。一番付き合いが長く、深く心を許しあっている近藤にも、だ。

 への思いは、このまま自分の胸に留めて墓場まで持っていく。土方はそう硬く心に決めていた。



 ある晩のことだった。

 真夜中まで雑務をこなしていた土方の部屋に、足を忍ばせてきた者があった。いつもなら、その足音で誰がやってきたのか大体の想像がつくのだが、今夜はとっさに誰だか分からない。控えめで、静かな足音だった。足を踏みしめるのではなく、擦るように歩いてくる。歩幅が小さく、まるで女のようだ。

 そう考えて、土方ははっとした。

「土方さん、夜分遅くにすいません。少しよろしいですか?」

 障子の向こうから聞こえたのはの声だった。

 土方はとっさに居留守を使おうと考えた。けれど、土方の部屋には行燈の灯りが煌々と灯っていて、障子に土方の影がくっきりと写ってしまっている。素直に返事をするしかなかった。

「何の用だ?」

 あえて、冷たく突き放すような声を出すと、の声が強張った。

「あの、お忙しいところすいません。差し出がましいんですが、食堂にお見えにならなかったので、お腹を空かせてるんではないかと心配で……」
「平気だ。飯は外で食ってきた」
「そうですか、あの、余計なお世話かもしれないんですが、お夜食を用意してきたんです。良かったら、お仕事の合間にでもつまんでください」
「必要ない。悪いが下げてくれ」

 姿は見えないが、障子の向こうでが肩を落とす気配がした。の優しさを踏みにじるようなこと言って良心は痛んだが、叶わない想いに身を焦がすことに比べたら大したことはないと自分に言い聞かせる。

 煙草のフィルターをぐっと噛み締めていると、がしょぼしょぼと言葉を紡いだ。

「近頃、食堂にいらっしゃいませんね。山崎くんから聞きました、インスタント食品ばっかり食べてるって。それは、体に良くないです。体が資本のお仕事なんですから、きちんと栄養を取らないと」
「お前に関係ねぇだろ。俺は忙しいんだ、呑気に食堂で飯食ってる暇なんかないんだ。放っておいてくれ」
「食堂に来ないのは、私を避けてるからですか?」

 図星を刺されて、土方は言葉に詰まる。なんと答えればいいか考えあぐねていると、が続けて言った。

「土方さんが、私にもう用はないことは分かってます。でも、こんなにあからさまに避けるのはなぜですか? 以前は、気軽におしゃべりもしたし、食堂にだって毎日いらしてたじゃありませんか。私のせいで土方さんに不自由な思いをさせているなら、そう仰ってください。何かいけないことをしているなら、直します。言ってください」
「別に何でもない。お前のせいでもない。ただ、忙しいだけだ。それだけだ」
「なら、せめて食事を部屋に運ばせてください。私の顔が見たくないなら、他の誰かに頼みますから、食事はきちんと取ってください。お願いします」
「本当に大丈夫だから、頼むから放っておいてくれ」
「でも、」
「放っておけと言ってるだろうが!」

 土方の大声に怯んだのか、はやっと口を噤んだ。このまま黙って引き下がってくれ、土方はそう強く祈る。

 の顔を見るのも、声を聞くのも辛い。

 は、とても手の届かない遠い場所に咲いている美しい花だ。けれどその花は土方を恨んでいる。俺のものになれと訴えても決して手に入らなかった。あの頃はまだ自分の本当の思いに無自覚だったから平気で入られたけれど、今となってはもうその痛みを受け止められない。

 血で汚れた手、策謀に染まった体、偽りと嘘に塗り固められた自分は、あんなに純粋で素直なには釣り合わない。この思いは伝えられない。そんな状態でのそばにいるのはもはや拷問だ。

 早くこの場を去ってくれ。
 土方は歯を食いしばって祈った。

「……土方さん、言いましたよね。すっかり元通りになるって」

 が冷めた口調で言う。

「土方さんがそんな態度を取るなら、元に戻ることなんでいつになったって無理です」

 その言葉を最後に、着物の裾を捌く衣擦れの音がした。足音は遠ざかり、静寂がもどる。

 土方は立ち上がり、障子を引いたが、廊下の先には闇が広がるばかりですでにの姿はなかった。

 ふと足元を見ると、赤い糸で刺繍が施された花ふきんかかった盆が置いてある。めくってみると、おむすびが三つとたくあん、保温ポットが乗っていた。ポットを開けると温かな湯気とほうじ茶のいい匂いが立ち昇ってくる。

 土方はそれを部屋に引き上げ、たっぷりのマヨネーズとともに良く味わって食べた。おむすびの具は、どれも土方の好物だった。



 翌日。

 土方は空いた皿を自ら返しに食堂に行くことにした。と顔を合わせるのはやはり気が引けたけれど、ひと言、礼を言うのが筋だと思った。

 仕事の邪魔をしないよう、昼時を過ぎてから食堂へ向かう。厨房ではちょうど後片付けの真っ最中で、通いの家政婦達が懸命に働いていたが、その中にの姿はなかった。

「おい、はどこだ?」

 と、問いかけると、カウンターのそばにいた女が振り向いて答えた。

「お出掛けになってまだ戻ってません。昼食の配膳までには戻るって言ってたんですけど」
「そうなのか、連絡はあったのか?」
「いえ、さんは携帯持ってないですから」
「何かあったのかねぇ」
「病み上がりだし、心配よねぇ」
「どこかで倒れたりしていなきゃいいけど」

 女達が口々に言う。

 昼食までには戻るといっていたのだとしたら、もう2時間近く遅れている計算だ。土方は胸騒ぎがした。

「どこに出掛けたのか、知ってる奴はいるか?」
「詳しくは聞いてませんけど、お見舞いをくださった方に御礼のご挨拶に行くとか言ってましたよ」
「分かった。忙しいとこ邪魔したな」

 土方は食堂を出るとすぐ、携帯電話を取り出して山崎を呼び出す。

『はい、山崎です』
「お前、を見たか?」
さんですか? 今朝、出かけるところをちらっと見ましたけど、それが何か?』
「昼前には戻るって言ってたのに、まだ帰らねぇらしいんだ」
『昼前って、もう2時回ってますよ?』
「何か心当たりはないか?」

 山崎はつい先日まで、を狙う攘夷浪士の調査をしていた。そのことについては土方よりも詳しい。

『一応調べてみますけれど、どの浪士もすっかり手を引いたはずです。偶然知り合いと会って、長話でもしてるだけなんじゃ?』
「お前、が約束の時間も守らず、連絡も入れねぇずぼらな女だと思ってんのかよ?」
『そうは思いませんけど、でも……』
「いいから心当たりを探せ。俺も行く」
『えぇ? 土方さんもですか?』
「当たり前だ! 何か分かったらすぐに連絡しろよ!」

 昨夜、は土方の態度を責めた。その声色には苛立ちが滲んでいたが、同時に切なく寂しそうでもあった。

 あれは予兆だったのではないだろうか? 悪い予感が頭の中を駆け巡る。
 土方は乱暴に電話を切ると、その足で屯所を飛び出した。














20200525