11
が布団の中で寝返りを打って、布団の山がもぞりと動く。
土方は気配でそれを感じ取って、書類から目を上げた。
「
? 眠れないのか?」
は土方に背を向けるようにして横向きに寝転がっている。後頭部だけが見えていて、表情は伺えない。
「いえ、すいません、お仕事の邪魔をして」
「謝らなくていいけどよ。邪魔でもねぇし」
「……でも、すいません」
は心底申し訳なさそうにそう言って、掛布団を肩まで引き上げた。
枕の上を流れる黒髪が行燈の光を浴びて、まるで幻想の世界を流れる川のようだ。土方は少しの間その光にほんの少しだけ見とれ、仕事に戻る。
なぜ、土方が
の部屋で仕事をしているのか。
ことは、この日の夕方に遡る。
「あの、土方さん」
一日に一度の様子伺いにやってきた土方は、去り際に
に袖を引かれて引き留められた。
「なんだ、どうした?」
驚きを隠せず、土方は目を見張る。
は不安そうな顔をして俯いているものの、土方の裾を握る手の力は強かった。近頃はお粥一人前を平らげられるようになってきて、わずかながら力もついてきたのだろう。順調な回復に安堵するとともに、その必死さに不安がよぎる。
「あの、こんなことお願いするのはお門違いなのかもしれないんですけど……」
「遠慮するな。言いたいことがあるなら言え」
土方は
と目の高さを合わせ、力づけるように言った。
を責任をもって支えると、固く決意したばかりだったし、欲しいものひとつ思いつけない
がやっと差し伸べてきてた手には、全力で答えてやりたかった。
が、
の訴えには正直、肩透かしを食ってしまった。
毎晩眠れなくて手持無沙汰だから、何でもいいから気が紛れることはないかというのだ。
きっと、悪夢が原因なのだろう。
の寝込みを襲った橋本は、今も隊士として働いている。屯所内で刃傷沙汰を起こしかけたのだから、本来ならば切腹ものなのだが、近藤の温情で1カ月間の便所掃除の罰を受けることで水に流すことになった。橋本も深く反省していることだし、騒ぎを大きくしないためにもその方がいいだろうと土方も納得した。
一方、
はというと、あの出来事は悪い夢だったと信じきっている。事実を明らかにすべきかとも考えたが、現実に自分の命を奪おうとした人間がいて、その男はまだ身近にいると知ることの恐ろしさと天秤にかけて、どちらが
のためになるのかは分からなかった。それは、土方の判断できることではない。
どちらにせよ、恐怖心を抱えて震えている
を、真夜中にひとりぼっちにさせておくわけにはいかない。
土方は考えた末、夜通し
のそばについていてやることにした。
それを聞いた時の
の反応は、もちろんかんばしくはなかった。
「あの、そういうことをお願いしたわけではないんですが」
「けど、誰かそばにいたら少しは安心できるんじゃねぇのか?」
「そこまでご迷惑をおかけするのは……。お仕事もあるのに、お休みする時間が無くなっちゃいます」
「休む時はちゃんと休む」
「あの、私は、眠れないときに何か内職でもできればと思っただけなんですけど……」
「けど、怖いんだろ?」
それをはっきりと突きつけると、
はびくりと肩を震わせて顔を強張らせた。
あれこれと理由を探して土方を拒否しようとする
の言葉を、土方は全て無視した。少し強引だったかとも思ったが、構わなかった。
の言い分は全て土方の仕事や体を気遣うもので、土方と夜中にふたりきりになりたくないとは、一度も言わなかったのだ。
土方は早速その夜から、書類束を離れに持ち込んだ。
が使っている小さな座卓を借りて仕事をしながら、すぐ隣で布団に横になっている
の様子を見守る。顔は見えないが、どうやら眠れていないようだということは分かる。
きりのいいところまで書類を片付けた土方は、手を休めて
の背中に膝を向けた。
「おぉ、まだ眠れねぇか?」
「……起きてます」
は小さな声で答えると、ゆっくりと体を起こす。足を崩して座り、長い髪を胸の前に垂らす。土方に対して体を斜めにして、向こう側に目を反らしている。
「薬は? 飲んだのか?」
「飲みましたけれど、近頃あまり効かなくて。体が慣れちゃったのかもしれません」
「そうか。昼間は寝れてるのか?」
「あまり」
「そうか、そりゃ疲れるな」
「でも、毎日横になっているだけですから。あの、お仕事で何かお手伝いできることはありませんか?」
「何を言ってる?」
土方は思わず口を真横に曲げた。
「んな具合悪そうなのに、頼めるわけねぇだろ」
は食い下がった。
「でも、こう、眠れないと、手持無沙汰で……。何かして気を紛らわしたいんです」
「お前はゆっくり体を休めろよ」
「でも、」
土方はやおら手を伸ばすと、
の顎を掴んで自分の方を向かせた。行燈の明かりを浴びた
の表情はいかにも病人のそれで、弱々しく、目の下には黒いくまが浮いている。
は土方の手を振り払って、襟元を直した。
「そんなツラしてるやつに、仕事なんか任せられねぇよ」
「やめてください。そんな言い方」
「眠れねぇならそれでもいいから、横になって休んでろ」
「でも……」
口から出かかった言葉を、
はとっさに手で口を塞いで押し留めた。その必死な仕草が痛々しくて、土方は膝を擦って
の近くにいく。布団に片膝を乗せて、腕を伸ばす。
は土方の手を、じっと睨みながら黙っている。
「悪い夢を見たくないから、眠りたくねぇんだろ。その気持ちに蓋をするために、何か仕事でもして気を紛らわそうとしてんだろ」
土方が静かに言うと、
の瞳が潤んだ。涙が零れ、雫が
の膝に落ちる。それは浴衣にいくつものシミを作り、とめどなく落ち続けた。
「あのな、自分の気持ちを見ないふりするな。なかったことにすんな。怖いなら、怖いって言えばいいじゃねぇか。何を遠慮することがある?」
はぐずっ、と鼻をすすりながら答えた。
「だって、怖くて眠れないなんて、そんな子供みたいなこと言えない……」
「子供みたいでいいんだよ。お前は本当に、怖い思いをしてるんだから」
土方は座卓に手を伸ばしてボックスティッシュを取る。それを
の目の前に差し出すと、
はティッシュではなく、それを持つ土方の手を握った。
は嗚咽をこらえながら、ひきつった声で言った。
「どうして、土方さんは私にここまでしてくれるんです?」
その問いかけにどう答えていいものか、土方の頭の中にいくつかの言葉が渦巻いた。副長としての責任があるから、脱走ほう助の容疑を未解決のままにはしておけないから。そのどれも真実ではあるのだが、どこか言い訳じみていてしっくりこない。いい加減な答えを返したくなかった。
が土方を見る。
その、潤んだ瞳。
黒い宝石が温かな橙色の光をはじいてゆらりと揺れる。
言葉は自然と口をついて出た。
「お前は、俺の女だ」
はため息とも苦笑いともつかない声を出して肩を揺らした。
「まだ、そんなこと言うんですか」
「悪いかよ」
「私、断りました」
「そうだな」
「ならどうして」
「それじゃ聞くが、なんでお前は俺をこばまないんだ?」
土方は
が掴んだ手をわざと持ち上げて見せた。
「この手は、お前の方から、握ったんだ」
挑発するようにそう言うと、
はとっさにその手を引こうとする。土方はそれを許さず、力を込めれば折れてしまいそうなほど細い手を反対にぐっと引いた。バランスを崩した
はいとも簡単に土方の腕の中に転がり込んでくる。
抵抗はしなかった。
優しく肩を撫でて、涙が止まらない
を慰める。そうしているうちに、行燈の中で揺れていた蝋燭の火が消えてしまった。蝋の焦げ付く臭いが深い闇を連れてくる。目が慣れないうちは簡単に動けそうになく、土方は
を抱いたまま身動きひとつしなかった。
やがて、腕の中で
がつぶやいた。
「私、土方さんに裏切られたことは忘れられません。でも、土方さん以外に、私の気持ちを分かってくれる人はいないと思います。こんな、中途半端に、頼ってごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
土方は何も言い返せず、一層強く
を抱きしめた。
こんなにも強く抱き合っているのに、ふたりの間には大きくて深い溝が横たわっている。それは裏切りの記憶と、ひとりの男の死の匂いに満ちていて、簡単には埋められそうにもない。
土方は何も言わず、
を抱く腕に力を込めた。
から信用されていないことなど百も承知だ。恨み、憎まれて当然なのだ。ただ、辛く苦しい時にそばにいることを許してもらえるだけで、ありがたいと思わなくては。
けれど、
の言葉のひとつひとつがナイフのようにぐさり、ぐさり、と胸に刺さって、本当に切り刻まれるように痛かった。
20200510