10
夜が明けた頃、ようやく
が寝入ったので、土方は離れを出た。戸締りをよく確認することは、忘れなかった。
見張りが橋本と玉置から交代して、由井と田房になっていた。ふたりは離れから出てきた土方を見てぎょっと目を丸くしたが、説明するのは面倒だったので挨拶だけしてそそくさと裏口から自室へ戻る。
隊服に着替えて顔を洗い、身支度を整えたところで、山崎が現れた。
「失礼します、副長。朝早くからすいませんが、お伝えしたいことが」
「おぉ、ちょうど良かった。俺も話しておきたいことがある」
「何でしょう?」
土方は後についてくるよう目で促し、歩きながら切り出した。
「昨日の夜、離れに誰か侵入したようなんだ。
は悪い夢を見たって言ってたが、状況からしてそうとは思えない。急いで調べるぞ」
「あ、そのことなんですが、離れに侵入した者が分かりました」
「なんだと?」
「実は、今、局長と沖田隊長が取り調べしてるんです。土方さんも来てください」
その足で取調室に向かう。
山崎はその隣の小部屋に土方を案内した。一方の壁に窓があり、隣の取り調べの様子が見えるようになっている。向こう側から見るとただの鏡にしか見えないマジックミラーだ。
沖田と近藤が向かい合っていたのは、隊士の橋本だった。
「なんであいつが?」
山崎が調書をめくりながら答えた。
「沖田隊長が気づいたんですが、橋本のズボンの裾が水と泥で少し汚れていたんです。犯人を追ったのだと言い張っていたんですが、泥と一緒にガラス片が付着していることを指摘したら、自分がやったと認めました」
「ガラス片って、水差しのか?」
「照合はこれからですが、間違いなさそうです」
つまり、見回りをするふりをして離れの庭に回り、雨戸から部屋に侵入したということか。
は何者かに追いかけられて首を刎ねられそうになる夢を見たと言っていた。それは夢ではなく、本当に現実に起きたことだったのだ。
「なんでこんなことを?」
「今、局長が尋問してます」
近藤は、青い顔をしてうなだれている橋本を厳しい眼差しで睨んでいる。
「そろそろ、話す気にならんか? 橋本」
「素直になったほうが楽だぞ。さっさと吐いちまいな」
隣に控えている沖田がそう凄む。
橋本はごくりと唾を飲み込むと、途切れ途切れに話し出した。
「許せなかったんです」
「一体、何がだ?」
「銀時さんを、あんな目に合わせたこと……」
土方は思わず、山崎と目を見合わせた。
隊士の口からその名を聞くのは久しぶりだ。誰が命令したわけでもないのだが、粛清された隊士の口にすることはタブーになっていて、そんな話は蒸し返してはいけないという雰囲気が体内に蔓延していることは、土方も感じていた。
親しく馴染んでいた相手を斬ったことなど、誰も思い出したくはあるまい。橋本は、その沈黙を破った。
「あの人があぁなった理由はお前も、重々分かってるだろう」
沖田が言い、橋本が言い返す。
「けれど、脱走の手引きをしたのは
さんなんですよね? 銀時さんは粛清されたっていうのに、どうしてあの女だけがのうのうと生きながらえてるんです?」
「その容疑についてはまだ捜査中だ。
さんの体の具合もあるし、そう簡単に結論は出せない」
「どうしてですか!?」
橋本が喉が切れそうな声で怒鳴った。
「真選組は、特別武装警察です! 攘夷浪士の即時処断を許可された組織ではないんですか!? あの女だけが温情を受けてそれを免れている意味が分かりません!」
「だからそれは……」
「銀時さんが粛清されるなら! あの女も罰を受けなければ! 当然の考えです! 僕の言うことは間違っていますか!?」
沖田は言葉を失い、助けを求めるように近藤を見る。
近藤は腕組みをしたまま厳しい顔をしていたが、おもむろに腕をほどき、膝頭に手をついて橋本に向き合った。
「橋本、お前の言うことはよく分かる。確かに、その考え方は間違っちゃいない」
「ちょっと、近藤さん?」
沖田が顔色を変えたが、近藤は続けた。
「俺達は幕府に拾われた。幕府を守るために、攘夷浪士を斬る。それに手を貸した者をも、斬る。それが俺達に与えられた任務だ。お前はそれを忠実に守ろうとしたんだな。真選組が掲げる真の道、お前はそれをよく理解してくれている。ありがとうな」
まさか礼など言われるとは思っていなかったのか、橋本が明らかにうろたえた。
それを見た近藤は、ほんの少し眉を下げて笑顔のような表情を浮かべて見せた。
「お前は、銀時のことを尊敬してたんだな」
「……それは」
「お前がよく銀時と手合わせしてたこと、覚えてるぞ。銀時からなかなか一本取れなくて、教えを請おうとしていたな。銀時は面倒くさがっていつも逃げちまってたみたいだが」
橋本は眉間に皺を寄せて俯いた。
「一度、教えとも言えない助言をもらったことがあります」
「どんな助言だ?」
「己の正しいと信じた道を貫けと」
「あいつの言いそうなことだな」
「僕は、あの女をこのまま生かしておくことは、真選組の正義に背くことだと思います。それが僕が信じた道です」
「銀時の教えを守ってるんだな。なぁ、橋本。ひとつ教えてくれ」
近藤は、橋本が顔を上げて自分の目を捕らえるのを見て、はっきりと言った。
「銀時だったら、病で寝込んでいる女を襲うなんてこと、すると思うか?」
橋本の表情がはっきりと陰った。
「それは……!」
「よく考えろ。銀時ならどうすると思う?」
「……銀時さんなら、そんなことはしません、きっと」
「俺達は、幕府に忠義を誓っている。田舎から身ひとつで出てきた俺達を拾ってもらった恩に報いるためだ。だがな、揺るぎない忠義を誓ったとしても、時には、俺達に平気で唾を吐くようないけ好かない相手を護らなきゃならねぇ時もあるんだ。尊敬して慕っていた人間の仇を、護ってやらなきゃならねぇことがあるんだ。腹を立てて当然だ。気に食わなくて当たり前だ。だからな、橋本。味わった屈辱を、悔しさを、忘れるな。しっかり胸に刻め。そして、考えろ。考え続けろ。教えを請うた相手に恥じない生き方をしろ。銀時はきっと、お前を見てるぞ」
近藤の演説を聞いている間に、橋本の目にみるみる涙が浮かんだ。それは頬を伝ってぼろぼろとこぼれ、真一文字に引き結んだ唇を濡らす。こらえきれなくなったように嗚咽を漏らした橋本の肩を、近藤は力強く叩いた。
「近藤さんらしいですね」
山崎が感嘆のため息をもらしながら呟いた。
詳しく取り調べをした結果、
が攘夷党の間者であるという噂の大元も、橋本であることが判明した。世間にそう思い込ませることで、隊士が
を斬ったことに正当性を持たせたかったそうだ。用意周到なことである。
「すぐに片がついて良かったよ」
と、近藤は言った。
土方は苦い顔をして煙草のフィルターを噛む。
「すまなかったな、手間かけさせて」
「なんで、トシが謝るんだ?」
「元はと言えば、
の処遇を決めたのは俺だからな。それに納得しない隊士がいるってことに、想像力が及ばなかった」
「何言ってるんだ。それは俺だって賛成したんだ。ひとりで背負いこむなよ!」
豪快に笑う近藤に背中を叩かれ、その瞬間、煙が変なところに入ってしまう。思わずげほげほと咽た土方を、近藤はますます笑った。
「なぁ、トシ。銀時はいい奴だったよな」
近藤は唐突に言った。
「そうか? 最後までいけすかねぇ腹の立つ奴だったと思うがな」
「だが、橋本みたいに銀時を慕って、頼っていた隊士は大勢いる。確かに素行は悪かったし、誤解を与える行動は目に余るほどだったが、魂の芯とでもいうのかな、一番大事なところだけは決して曲げない男だった」
「どうしたんだ? 突然そんなこと言い出して」
「橋本の話を聞いていたらいろいろ思い出しちまってな」
銀時を粛清すると決めた時、近藤の判断は早かった。ためらいもなく、真選組結成時から苦楽を分け合った仲間に対して、いっそ非道と言える判断を下した。けれど、本心ではどう感じていたんだろう。
一緒に酒を飲んで馬鹿騒ぎをした、協力して攘夷浪士を討ち取った、会議が終わった後、茶を飲みながらくだらない世間話をした。そんな些細な記憶は、忘れようとしても忘れらない。
誰にでも二面性がある。粛清を受けた銀時は、法度を破った罪人として後世にその名を残すだろう。けれど、善人とは言いきれないまでも、人間的に良い一面が全くなかったわけではない。橋本のような隊士がいることがその証拠だ。
「なぁ、トシ」
「なんだ?」
「死んでいった奴らに恥じない、真選組でありたいな」
近藤の決意に、土方は心から同意して頷いた。
「そうだな」
土方は考える。
自分のせいでずたずたに傷つけた女を、銀時ならどうするだろうか。どんな方法を取るにせよ、決して女の前から逃げ出すことはしないだろう。
「なぁ、近藤さん。
の看護に誰かつけるって話だけど。やっぱり、俺がやる。行き届かねぇことは分かってるけど、それが銀時に対する責任だと思うんだ」
そう言うと、近藤はいつも通り頼もしく笑ってくれた。
20200430