毎日欠かさずの様子を見に行くことは、土方の大切な習慣になっていたが、あんなことがあった翌日はさすがに足が重かった。けれど、松本の助手にも釘を刺されたばかりだし、に何かあった時、裸を見てしまったことが気まずくて見舞いをさぼったという理由で責任逃れをするわけにはいかない。

 土方はその日の午後、仕事の合間を見計らって離れへ向かった。

、入るぞ」

 きちんと返事が聞こえてから、障子を引く。ところが、布団の中は空だった。視線を巡らせれば、縁側からかすかな声が聞こえた。離れの雨戸が開いているのを見るのは久しぶりだ。

 は縁側に座って、腰をひねるようにしてこちらを振り返っていた。

「起きてて平気なのか?」
「風が気持ち良かったので」
「そうか」

 が座る位置を少し横にずれたので、土方は招かれるように縁側に座る。

 縁側の目の前には屯所の外壁が迫っている。庭と呼べるほどの空間もないが、手入れはされていて、鉢植えがいくつか並んでいた。土方が名前を知らない黄色い花が蕾をつけ、青々とした葉が茂っている。

「これ、お前が育ててんのか?」

 土方が尋ねると、は小さく頷いた。

「はい」
「なんて花だ?」
「花じゃないですよ。ミニトマトと、シソです」
「え、そうなのか?」
「はい。世話をさぼっちゃったので心配していたんですけど、なんとか元気に育ってくれて」
「まさか食事に使おうとしてたんじゃねぇだろうな?」
「そうできたらいいと思ってましたけど」

 はちょんと肩をすくめた。

 土方はポケットから煙草を取り出しながら、横目でを盗み見る。寝巻の上に上着を一枚羽織っていて、縁側から降ろした裸足のつま先が地面に届かずにふらふらしている。黒い髪がたっぷりと肩に落ちかかって、寝込んでいる間にずいぶん伸びてしまったようだ。顔色は青白く、その輪郭が空気に溶けてしまいそうに儚い。

「昨日は、すいませんでした」

 何を謝られたのか分からなくて、土方は首を傾げた。

「何の話だ?」
「あの、お見苦しいものをお見せしてしまったので……」

 脳裏にの白い胸の残像が蘇って、土方の頬にさっと赤みが差す。

「いや、あれは、お前が謝ることじゃねぇだろ」
「そんなことは」
「俺が悪かったんだ。すまなかった」

 は肩身が狭そうに俯いた。照れ臭いのだろう。土方も腹の底が落ち着かなくてもぞもぞした。なんとか話題を変えたい。

 あぁ、そうだ。伝えなければいけないことがあったじゃないか。

「昨日な、非番だったから街の定食屋に行ったんだ。女将が心配してたぞ。お前が最近顔を見せねぇって」
「……そうでしたか」
「元気になったら、挨拶にでも行ってやれよな」
「そうですね」

 なんだか、はっきりしない物言いだ。
 はシソの鉢植えを見るともなしに眺めている。眼差しに力はなく、膝の上に置かれた手は手のひらを上にして投げ出してあった。一体、何を考えているのだろうか、表情からは読み取れなかった。

「この間渡した土産、見てみたか?」
「お土産、ですか?」
「松平のとっつぁんと、あそこの屋敷の女中からもらってきたやつだよ」
「……あぁ」

 土方は首を巡らせて部屋を振り返ってみた。部屋の隅の影の中に、土方が届けた風呂敷と紙袋が並んで置いてある。手をつけた様子はなく、わずかに埃を被ってさえいるようだ。

「……すいません」

 と、はかすれるような声で言った。

「心配してもらえるのはありがたいんですけれど、今は、気持ちが向かなくて……」
「そうか」
「どうでもいいって、本当に思っているわけじゃないんです」
「分かった、分かったから。もういい」

 の肩が、わずかに下がる。ほんの少し話をしただけなのに、疲労感が強い。

 普段のならこういうとき、御礼の手紙でも書くか、買い物のついでに顔を出したりするだろう。そういう細やかな気遣いのできる女だ。それもできないくらい、心も体も打ちのめされているのかと思うと、可哀想で仕方がなかった。

「松平のとっつぁんには俺から礼を言っておくし、定食屋にもうまいこと言っておく。お前は何も気にしないでゆっくりしてろ」
「……はい」
「なんか、欲しいもんとかあるか?」
「欲しいもの、ですか?」
「何でもいいぞ。食い物でも、着物でも」
「そんな、申し訳ないです」
「遠慮することない。部屋にこもりっきりなんだから、何か気晴らしをしろよ」

 は考え込むように口を噤む。答えを急かしてはいけないと思って、土方はじっと待った。
 目の前を雀の番いが飛び交い、正門の方から隊士の威勢のいい声が響いてくる。心地良い風に植木鉢の花と葉がそよそよ揺れる。煙草が短く鳴ったので、新しいものに火を着ける。

 が口を開いたのは、土方が煙草を一本吸い終わってからだった。

「……すいません。何も思いつかないです」
「そうか。まぁ、なんか思いついたら言えよな」
「はい」

 ふと、どこからか風に吹かれて紋白蝶がひらひらと舞って来た。不安定な軌道を描く蝶は、疲れた翅を休めるようにの膝頭にとまった。

 蝶は死者の魂がこの世にあらわれた姿なのだという話を、土方は聞いたことがあった。墓場を飛ぶ黒揚羽蝶などは特にそう呼ばれるらしい。

 ここに現れたのは小さな紋白蝶だけれど、その翅の白さからは、銀時の白に近い銀色の髪を連想せざるを得なかった。まるで、を元気づけるために、銀時が蝶の形に姿を変えて現世に舞い戻って来たようだ。そんな想像をしたくなるほど、蝶はの膝の上に長くとまった。

 は蝶を見下ろしたまま、身動きひとつしない。

 その横顔に、土方はすっかり目を奪われてしまった。魂が抜けてしまったようなぼんやりとした瞳、青白い肌、薄い唇が乾いていて痛々しい。以前と比べるとすっかり痩せこけて、触れるだけでぽきんと折れてしまいそうに儚い。

 どうにかして元気付けてやりたいと思う。けれど思いつくことと言えば、欲しいものはないかと尋ねてやるくらいで、そんなことしかできない自分の無力さが嫌になる。

 松本医師なら、専門的な知識を総動員して体のケアをしてやることができる。けれど土方はそのどちらでもない。そもそも、がこんな目に遭っているのは土方の行動に原因があるわけで、そんな自分がを支えようだなんだおこがましいし、いっそ無謀なのかもしれない。

 だって、恨みを持った男に頼りたくは無いだろう。

 ふと、その時、雲間から一筋の光が射した。夕暮れが近づいた空から淡い橙色を含んだ太陽の光がスポットライトのように地上に注ぐ。天使の階段とも呼ばれる光だ。その光が逆光になって、の輪郭を優しく照らす。世界との体の境目が滲むように見え、その眩しさに土方は目をすがめた。

 神の祝福のようにに光が降り注ぐ。何かの奇跡でも見ているような気分になって胸が高鳴る。

 紋白蝶が、の膝の上から飛び上がった。

「あぁ、行っちゃった」

 と、はひとり言を言った。

 視線は蝶を追って宙をさ迷う。

 土方はの横顔を見つめたまま、膝の上で拳を握った。

 弱気になってなどいられない。約束したではないか。どんな方法を使っても、を守るのだと。













20200427