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今夜は月のない夜、新月である。
昔ならばこんな夜は奇襲にうってつけとされていた。闇に紛れて身を隠しやすいからだ。けれど、天人がもたらした技術のおかげで身を隠せるほどの闇は、少なくともこの江戸の街にはもうほとんど残っていない。江戸の中心にそびえたつターミナルのおかげで街は十分に明るいのだ。
土方は今夜、天人の技術によって命拾いをした。
「派手にやりましたね」
と、わずかにひきつった声で言うのは原田だ。その足元には、3人の男が転がっている。着物は裂けて赤い血に濡れ、すでに息はない。土方はパトカーを挟んで反対側に立っている。煙草に火を着けて一服してから、足元を見渡した。こちら側には5人の男が息絶えていた。
「パトロール中に襲ってくるとは、大した度胸だ」
パトカーの後ろに回り込んだ原田は大きな体をかがめて唸った。
「やっぱり、パンクさせられてます」
「スペアはあるよな?」
「はい。すぐ替えます」
「頼む」
土方はタイヤ交換を原田に任せ、携帯電話で屯所に応援を要請した。現場検証をし、遺体を回収しなければならない。
応援が到着するまでにできることは少ないが、土方は自分が斬り殺した浪士を見分して回った。詳しく調べなければ確かなことは言えないが、おそらく、桂小太郎の一味の者だろう。桂は浪士の中でも過激派で知られている。真選組のパトカーを襲おうとする者など他にいるまい。
土方は道端にしゃがみこんで絶命した浪士を見下ろした。光を失った瞳が夜空を睨むようにかっと見開かれている。この瞳が最後に映したのは土方の振るった刀の切っ先だ。攘夷浪士を斬ることが土方の役目であり仕事だ。そこに迷いはない。
けれど、胸の奥を爪でひっかくような違和感が土方を戸惑わせた。この浪士は死んだ。このことを知ったら、泣いて悲しむ誰かがきっといるだろう。それを想像すると、否応なしに
の顔が脳裏に浮かんだ。8人もの浪士を原田とふたりで返り討ちにしたというのに、ちっとも気分が晴れない。
土方は浪士の目元に指を添えると、そっと瞼を閉じてやった。そして、合掌する。攘夷浪士は敵だが、仏になってしまえば敵も味方もない。
その時、土方の背後からひそかな声がかかった。
「土方さん。大丈夫ですか?」
振り返れば、すぐそばに男がひとり立っていた。町人風の身なりで、立ち姿が少し傾いでいる。よく見ると右足に体重がかかっておらず、どうやら足が悪いらしい。逆光で顔がよく分からず目を細めた土方に、男は苦笑いをして前髪をかき上げて見せた。
「僕です。井村です」
「あぁ、なんだ、お前か」
井村とは顔見知りだ。小さな居酒屋を営んでいて、土方も何度か飲みに行ったことがある。
「お前の店はこの辺りだったか」
「はい。お気づきかもしれませんが、浪士がふたり、路地を逃げました」
井村は右の方を指差した。灯りの届かない狭く暗い路地が続いている。
「追いますか?」
と、井村が言う。
土方は首を横に振って答えた。
「いや、今更追いつけねぇよ。ほっとけ」
「そうですか。お怪我は?」
「大したことはない」
「良かったです」
「騒がしくして悪かったな」
「いいえ、そんな」
「この辺りの住人には迷惑かける」
「大丈夫です。皆、心得ていますから」
「そうか」
土方が古い友人にするように井村の肩を叩くと、井村は照れ臭そうに苦笑いした。
土方は道の端に寄り、懐から煙草を取り出して火を着ける。応援が到着するまでの一服だ。原田はパトカーのそばに跪き、レバーを押して車体を持ち上げている。静かな夜にぎこぎこという金属音が少しやかましい。
「土方さん」
と、井村が右足を引きずりながら、土方の隣に立った。
「近頃、あまりお店に見えませんね」
「悪いな。まぁまぁ忙しいんだ。落ち着いたらまた寄らせてもらう」
「お忙しいのは、もしかして
さんが原因ですか?」
土方は思わず眉間に皺を寄せる。どうして井村が
の名を口にするのだろう?
井村は意味ありげな目をして土方を見る。視線をさっと走らせ、あたりに人がいないことを確認してさらに声を潜めた。
「まことしやかに噂になっているんです。真選組で雇われていた家政婦は、実は攘夷派が送り込んだ間者で、正体が露見したために屯所に監禁されているって」
「はぁ? なんだそのしょーもないデマは?」
目を丸くした土方に、井村はほっとしたように肩を撫で下ろして見せた。
「あぁ、良かった。やっぱりデマなんですね」
「当たり前だ。そんな話、誰から聞いたんだ?」
「店の客が話していました。ひとりふたりではなかったので、気になってたんです」
土方は指に煙草を挟んだまま前髪をかき上げて悪態をつく。まさかそんな噂が出回っているとは考えてもみなかった。銀時の脱走を助けたという罪状は公にはなっていない。誰かが憶測でものを言っているのだろう。ひどい話だ。
「きっと、時期も悪かったんでしょう。少し前に、攘夷浪士の一斉検挙がありましたよね。あれ以来、
さんが姿を見せなくなったと皆が話してます」
「皆って誰だよ?」
「八百屋の旦那、団子屋の女将、肉屋の大将、配達業者、近所の子ども達……。いろいろですよ。
さんはよく街に馴染んでいらっしゃいましたから。それで、本当のところは?
さんは大丈夫なんですか?」
「……実を言うと、つい最近まで寝込んでたんだ。ちょっと体壊してな」
「そうなんですか? 具合は?」
「まだ出歩けるほどじゃねぇけどな、……まぁ順調だよ」
これは、あながち嘘ではない。
近頃、
は自分の手で食事を取るようになった。粥をひと口飲み込むのにも苦労する有様で、それすら嘔吐してしまうことも多いらしいが、自力で栄養を取ろうとする意志を持つようになっただけでも大きな前進だ。まだひとりで布団から起き上がることもままならないし、思い出したように涙を流してはめそめそしている。
けれど、
はそれでも生きようとしている。これを順調と言わずしてなんといえばいい。
「お見舞いに行ければいいんですが……」
井村は苦笑いしながらそう言う。
土方も笑って、井村の肩を軽く小突いた。
「お前を屯所に来させるわけに行かねぇだろ」
「それはもちろん分かっています。でもせめて、何か力が付くようなものを届けさせてください」
「なんでそこまでする? あいつに何か恩でもあるのか?」
「大したことじゃありません。ただ、友人が病に臥せっていたら、自分のできることで手助けをしたいと思うのは当然のことです」
土方は
の人脈の広さに改めて感じ入って、ため息を吐いた。屯所の食堂や庭で仕事をしている時以外の
の姿を、土方はほとんど知らない。休みの日に何をしているか、何を見て、何に心を動かし、誰とどんな話をしてどんな交流を持っているか。知る由もないことだ。
それはほんの少し、寂しいことのように思えた。
「なぁ、井村。お前……」
言いかけた時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。井村は慌てて身をひるがえすと、「では、また」と言って、右足を引きずりながら路地裏に姿を消した。
20200406