ちゃんが寝込んで、もう2週間か」

 と、近藤が腕組みをしながら唸るように言った。
 パトカーの後部座席、近藤の隣に座っている土方は、窓の外を眺めながら曖昧に相槌を打った。

「そうだな」
「医者はなんて言ってるんだ?」
「本人の気力次第だとよ。精神的な問題だからな、まずは自分で飯を食う気にならないと始まらん」
「そうか。何か、俺達にしてやれることがあればいいんだがな……」

 近藤は心から心配そうに考え込む。頭を使うのはあまり得意ではない局長だが、人一倍情に厚い男だ。普段ならば、こんな風に言ってくれる近藤を頼もしく感じられるものだが、今回ばかりは土方も安易に期待はできなかった。

「あいつの願いは銀時なんだ。俺達には何もできねぇよ」

 土方は投げやりに言い返すと、近藤は真剣なまなざしで土方を睨んだ。

「トシ、お前毎日ちゃんの様子を見に行ってるんだろう? 何かちゃんの助けになりそうなことに心当たりはないのか?」
「……どうだかな」

 土方は、あの晩の出来事を誰にも話せずにいた。一番付き合いの長い近藤にも、なぜか言えなかった。

 食事をとらない、呼吸も満足にしない。が自分の身をないがしろにする様を誰にも知られたくなかった。そんなことを本人のいないところでべらべらしゃべることは、たとえ近藤が相手でも道理に反するような気がした。

 いろいろなことを想像した。にとって銀時はどんな存在だったのか。

「同じ寺子屋でお世話になってたんですよ。先生がとてもいい方で、身寄りのない子どもの面倒を見てくれてたんです。私も銀さんも小さい頃からお世話になって」

 がそう話していたことを覚えている。過ぎた日々を懐かしく思い出すように、穏やかな微笑みを浮かべていた。そんなに小さな頃からの付き合いなのかと内心驚いたものだ。家族とも呼べる間柄だったのかもしれない。土方も、近藤や沖田とは家族同然に同じ釜の飯を食べて育った。幼馴染と言えば聞こえはいいが、腐れ縁だ。と銀時も同じなのだろう。

 もし近藤や沖田を失ったら、自分はどうするだろうと考えてみる。想像力を働かせてみたが、明確なイメージは湧いてこなかった。そもそも、ふたりとも殺しても死ななそうな化け物じみた人物なのだ。そう簡単に命を落とすとは思えない。

 それを言うなら銀時もそうだった。太刀筋はめちゃくちゃだが、恒道館道場で一番の腕前を持ち、神童と謳われた沖田との手合わせでも勝敗は五分だった。けれどそれはあくまでも道場剣法の内でのことで、実践ともなれば誰も予想のできない身ごなしで瞬く間に敵を斬って捨てた。

 一体どこでそんな戦い方を覚えたのかと尋ねたことがある。
 銀時は不敵に笑いながらこう言った。

「鬼のように強い男に、鍛えられたことがあるんだ」

 もしかすると、ふたりを育てたのはその人物なのかもしれない。

 ともあれ、銀時だって人並み以上の剣の腕を持っていたのだ。そんな男が易々と殺されるとはも想像すらしなかったのだろう。

 現実はいつだって想像を超える。土方が想像できない現実の向こう側にはいて、その深い闇の中にひとり沈みかけているのだ。

 攘夷戦争が勃発したことで、と銀時は離ればなれになってしまったのだという。そして、十数年越しに真選組の結成と同時に再会した。互いの生死も定かでない状況で生き別れ、ふいにこんな場所で再会できるとは思いもしなかっただろうし、がどれほど喜んだかは想像するに難くない。

 たったひとり人生の荒波を泳ぎ抜いてきた中で、まるで奇跡のように昔馴染みと再会できたこと。一緒に飯を食い、くだらないことを言って笑い合い、酒を酌み交わし昔話に花を咲かせる。それはにとって、一体どれほど大きな希望だっただろう。

「まぁ、外野がなにかするよりは、トシがそばについていてやるのが一番かもしれないな」
「は? なんでだよ?」

 近藤の言葉に、土方はつい本音でそう返してしまった。
 近藤は意外そうに目をぱちくりしながら答えた。

「そりゃ、恋人にそばにいてもらえれば心強いはずだろうが」
「あぁ、まぁ、そりゃそうだろうがな……」

ごにょごよと言葉尻を濁した土方を、近藤は不思議そうに見つめている。その疑いのかけらもない眼差しにいたたまれなくなって、土方はつい本当のことを漏らしてしまった。

「その話なんだがな。実は、違うんだ」
「違うって何がだ?」
「あいつとは付き合ってない。俺の女だっていうのは嘘だ」
「え!? そうなの!?」
「っていうか、振られた」
「トシが振られただぁ!? なんだそれ!? 夢の話か!?」
「違ぇよ、誰がわざわざ夢で振られた話なんかする?」

 土方はうんざりと言うと、近藤は唇をわなわな震わせた。何もそこまで驚くこともないだろうに、面倒な気分になる。だが、言ってしまった以上はきちんと説明しておかねばならない。土方は重い口を開いた。

「嘘を吐いていたのは悪かった。けど、あぁでも言わないとを屯所に留めておけないような気がしてな」
「もしかして、銀時のことと何か関係があるのか? 逃亡の手助けをした容疑について尋問していると言っていたものな」
「そんなのはただの方便だ。あの状態じゃ病院に放り込まれてもおかしくなかっただろう。どうしてもあいつを屯所から離したくなかったんだ」
「何のために?」
「……」
「トシ、この期に及んで隠すなよ」

 土方は、運転席でハンドルを握っている山崎の後姿を見やった。表情は伺えないが、しっかり聞き耳を立てているように見えた。山崎は優秀な監察だ。きっとひと言も聞き漏らしはしないだろう。

「あいつは、攘夷浪士に目をつけられてるかもしれない」

 土方は慎重に言葉を選んで言った。

「何? それはどういうことなんだ?」
「俺が独自に集めた情報だ。三倉と荒木田の件は覚えているだろう? あの時みたいに、かよわい女とみてつけ込んで、真選組の情報を掴もうとする輩がいないとも限らん」
「山崎がちゃんの護衛に当たっていたことがあったな。あれは、隊内の間者からちゃんを遠ざけるためだったろう? 屯所の外にもその可能性があるということか?」
「俺の考えではな」
「だが、それを言い出したらきりがないんじゃないか? 奴らは江戸中のどこにでも潜んでいる。それを取り締まるのが俺達の任務だ。そのためにちゃんの自由を奪うというのはいかがなもんだ?」
「だが、あいつは今寝込んで動けないんだ。入院なんかさせたら満足に警備もできやしない。屯所の中に置いといた方がよっぽど安全だ」
「よく分からないんだが、どうしてちゃんが目をつけられていると思う? 根拠があるならきちんと説明してくれ」
「……それについては、ちゃんと調べがついたら話す。悪いがそれまで待ってくれ」
「そうか。分かった」

 それきり近藤が黙り込んだので、土方も口を噤んだ。

 車のエンジン音と、対向車とすれ違う騒音、パトカーの無線が時折耳障りな電子音を聞かせる。信号に捕まって、山崎が静かにブレーキを踏む。サイドブレーキをかけてハンドルから手を放す。

「トシとちゃんは……」

 ふと、近藤が独り言のように呟いた。

「何だよ?」
「いや、本当に仲のいい恋人同士だと思ってたんだよ。俺だけじゃない、隊士みんなそうだ」

 なぜ近藤が残念そうな顔をするのか、土方には分からなかった。

「そう見えてたんなら、まぁ、よかったよ」
「? どういう意味だ?」
「仲良さそうに見せてたのはわざとだよ」
「なんでそんなことを?」
「隊の風紀を守るためだ。あいつが隊士にどんな目で見られてるか気づいてたか? あのまま放っておいたらどうなってたか分かったもんじゃなかった」

 近藤は顎に手を当てて考え込む。

「そうか、ちゃんが副長の女なら、おいそれと手を出そうとする奴もいなくなるって計算か」
「そういうことだ」
「っていうことは、何か? そもそもトシは、ちゃんのことを好きでもなんでもなかったっていうことなのか?」
「まぁな」
「そうか、そうだったのか……」

 近藤はそういうと、がっくりと肩を落としてしまった。まるで自分がに振られたような落ち込みようで、土方は思わず目を丸くする。

「なんで近藤さんが落ち込むんだよ?」
「いや、すまん。その通りだな。けど、俺は嬉しかったんだよ。トシがちゃんと幸せそうにしてるのがさ。本当に、ちゃんのことは好きでもなんでもなかったのか? とてもそんな風には見えなかったぞ」

 近藤は笑顔を浮かべてはいたけれど、どこか物悲しげだった。土方との交際を心から祝福してくれていたのだろう。もしくは、土方の芝居にまんまと騙されていたことが悔しいのだろうか。そう考えるとほんの少し良心が痛む。

「話さなくて悪かったな」
「いや、いいんだ。トシの考えはよく分かったよ。ひとりで背負わせて悪かったな」
「これくらい大したことじゃない。あいつが寝込んでる間は守りやすいし、まぁ、もうしばらく様子を見るしかねぇな」
「あの、副長。ひとついいですか?」

 と、山崎が言った。

「なんだ?」

 信号が青に変わる。山崎はサイドブレーキを外し、ギアを変えてアクセルを踏んでから口火を切った。

さんは、土方さんが嘘を吐いていたとは考えていないと思います。そのことで悩んでいましたから」
「お前に悩み相談でもしたのか?」
「副長が、自分のことを良く言うようにおっしゃったので、そのようにしただけです。さんは、困っていました」

 土方はハンドルを握る山崎を睨みつける。に自分を意識させるため、山崎に協力を命じたことは事実だ。山崎だけが、土方の行動の真意を知っていた。つまり、の真意に最も近い場所にいるのも山崎ということだ。

 山崎は言いにくそうに唇を噛む。

さんは、物事をよく見ている方です。報告書にも書きましたが、僕は尾行に気づかれました、恥ずかしい話ですが……。僕の上司は土方さんだとさんも知っていますから、土方さんが何かを考えていることは気づいていたはずです」

 近藤が顔色を伺うようにこちらを見ていることに気づいたが、土方はそれを無視して、じっと前方を睨みつけたままでいた。

「僕の想像ですが、さんは土方さんに裏切られたと感じているんじゃないでしょうか。あれだけ口説いて、気のあるふりをしていたのに、今は銀時さんの脱走ほう助の罪を着せて離れに閉じ込めてるんですから」

 バックミラー越しに山崎が土方を見る。

 土方は目を閉じて、その恨みがましい視線をやり過ごした。













20200316