真選組のかかりつけの医師は、松本亮順という頭の禿げ上がった中年の男である。でっぷりとした腹がどこか狸を連想させて、その穏やかな人柄もあって隊士の間では狸先生と呼ばれて慕われていた。

 その日、土方が離れへ向かうと、ちょうど松本医師が出てくるところだった。

「あぁ、これは土方さん。お勤めご苦労様です」

 眩しい頭頂部を見せるようにお辞儀をした松本に、土方も軽く会釈をしてこたえた。

「先生もご苦労様です。本当に助かります」

 今日は往診の日ではなかった。のために、わざわざ忙しい時間の合間を縫ってきてくれたのだ。

 松本はゆったりと首を振りながら微笑んだ。

「いいえ、自分の用の合間に少し寄っただけですから。今、助手に点滴を打たせてます」
「恩に着ます」
「まだ、食事はとらないようですね」

 土方は苦い顔をして頷く。松本は土方の心配をくみ取ったように深く頷いて見せた。

「お話だけは聞かせていただきましたが、まぁ、無理もないでしょうなぁ」
「……私もそう思います」
「親しかったのですか? その亡くなられた隊士の方と彼女は」
「幼馴染で、家族のようなものだったと聞いています」
「そうでしたか。それは、お辛いでしょうなぁ」

 松本は離れの閉じたガラス戸を見やって目を細める。そのどこか親しみ深いまなざしに、土方は松本の仕事の奥深さを思った。医師ならば、人の死も、それに苦しむ残された者の姿も数えきれないほど見てきたことだろう。

「何も話さないんですよ、あいつは」

 と、土方はため息混じりに言った。

「ほう?」
「俺が何を言っても、返事もしません。一体何を考えているやらさっぱりで」
「それでは、土方さんもお辛いですね」
「俺は別に……」
「お顔に書いてありますよ」

 土方は口元を隠すようにして頬を撫でる。どんな顔をしているか分からないが、触れたところの筋肉が強張っているような気がした。

 松本は深い笑みを浮かべて言った。

「こんな話をご存じですか? 昔、ひとりの女が子どもを亡くしたのです。けれども彼女はそれを受け入れられず、この子を助けてくれ、生き返らせてくれと仏に頼みました。仏はこう言いました。一度も死者の出ていない家から芥子の実を五粒もらってこい、そうすれば子どもを助けてやることができる、と。女は町中の家を訪ねまわりました。芥子の実は得やすかった。けれど、一度も死者の出ていない家は一軒も見つからなかった。仏は、そうして人の世の理を説きます。人は皆、必ず死ぬものです。女はそれでやっと子供の死を受け入れることができ、子どもを荼毘にふした」

 土方は眉をしかめた。

「医者が説法か?」
「とある経にある物語です」
「何が言いたい?」
「どんなに親しいものと死に別れたとしても、必ず立ち直ることができる。人間には本来その力がきちんと備わっているということです」

 土方は離れの方を見やる。今のの様子を見ていると、とても松本の言葉を信じる気にはなれなかった。

 土方の気持ちを察したのか、松本はさらに言う。

「この話にはまだ続きがあるんですよ」
「へぇ、どんな?」
「仏は最後に、女にこう言うのです。人は誰でも必ず死ぬ、その理は絶対である。だからこそ、お互いを慈しみ合い、支え合うことがこの世を生きる術である」

 松本は元気づけるように土方の腕をぽんと叩いた。

「土方さんが、支えてあげてください」



 離れに入ると、閉じた障子の向こうから声がした。

「お食事はやっぱり喉を通りませんか?」

 耳なじみのない声は、松本医師の助手だろう。
 それに答える声は、まるでため息のように小さな声だった。

「どうしても口に入らなくて」
「何か、食べたいものはありますか? 何でもいいですよ、お菓子でもジュースでも」
「……すいません」
「それじゃ、飴はどうですか? 舐めてみます?」

 ビニールの包装紙をがさがさ鳴らす音がして、助手が飴玉の包装紙を解いたのが分かる。少しの間の後、聞こえてきたのはのすすり泣きだった。

「どうしました? 美味しくなかったですか?」
「いえ、そうじゃなくて……。銀さんもこの飴、好きだったなと思って……」
「そうだったんですか。それじゃ、彼の分までしっかり味わわなくちゃ」

 この雰囲気の中に入っていくのは気が引けて、土方は上がり框に腰を下ろして待った。

 しばらくすると、障子を引いて助手が出てきた。白い医療服を着ていて、布巾をひっかけたたらいを持っていた。

「あぁ、いらしてたんですか」
「今、話せそうか?」

 助手は障子の間に頭を突っ込んで言った。

さん、副長さんがいらしてますよ」

 声は聞こえなかったが、何か合図があったらしい。助手は土方のために障子を大きく開き、自分はそのまま外に出ていった。

 部屋に入ると、は上半身を起こして起き上がっていた。左腕に点滴の針が差してあり、水滴が規則正しい速さで落ちている。唇に細く白い棒を咥えていて、何かと思えばそれは棒つき飴だった。はまだ大きなそれを口から出すと、フィルムにくるんで盆の上に置いた。盆には水差しが置いてあったが、あまり減っている様子はなかった。

 土方はの姿を見て、眉をしかめる。この短い間にずいぶんやつれてしまった。青白い顔、頬はこけ、点滴の後が残る腕が痛々しいほど細い。寝巻きは簡素な浴衣で、帯を巻いた腰が驚くほど細かった。もともと恰幅のいい方ではなかったが、今はかわいそうなほど痩せこけていた。

「具合はどうだ?」

 返事があるかどうか半信半疑だったが、土方は言った。

「どうもありません」

 の答えは素っ気なく、土方とは目も合わせようとしながった。それでも会話が成り立ったことに、土方はひとまずほっとする。

「どうもねぇってことねぇだろ」
「平気です。私のことは放っておいてください」
「そういうわけにいくか」
「どうしてですか?」

 土方は慎重に言葉を選んだ。

「お前は、銀時の逃亡を手助けした容疑者だからな」
「それは誤解だって言ってるじゃありませんか」
「じゃぁなんであの晩、あんなに遅くまで厨房に居残ってた?」
「気になることがあったから、山崎くんを待ってたんです」
「山崎はお前と何も約束はしていないと言っている」
「約束したとは言ってません。ただ、山崎くんは言ったんです。あの日、私の尾行は終わるって。そうすれば話せることもあるって」
「何の話だ?」
「土方さんが私を見張るように命令したその理由です!」

 は箍が外れたように大声を出すなり、くらりと前のめりに倒れた。土方はとっさにその肩を抱えたが、よほど土方に触れられたくないのか体をよじって逃れようとする。ろくに食事も取っていない病人に土方が力負けするわけもなく、はあっという間に息を切らせた。

 それでもなお腕を振りあげるの手を、土方は力付くで掴んだ。

「暴れるな!  点滴はずれちまうだろうが!」
「離してください!」
「なら、俺の言うことを聞け!」

 やがてはくたびれたように体の力を抜き、全力疾走でもした後のように息を切らせながらうなだれてしまう。土方はがすっかり諦めたのを見定めてから手を離し、左腕をよく確認した。幸い、点滴の針ははずれていなかった。

 土方は無意識に、布団の上に投げ出されたの手を握った。

「お前に見張りを付けたのは、攘夷浪士が真選組に潜入している可能性があると分かったからだ。荒木田と三倉の件はお前も覚えているだろう。特にお前は荒木田に好かれてたな。一緒にいるところを見ている隊士が大勢いる」

 はわずかに顔を上げたが、土方の方は見なかった。

「あの一件が最後であればいいと思ってはいたが、そう期待通りにいくとも俺は思っていなかった。だからお前を護衛させるために、山崎に命令したんだ。女だと侮ってつけこんでくるやつがいないとも限らないからな」
「じゃぁ、山崎くんの言ったことはどういう意味だったんですか?」
「あの日は、松平公主催の宴の日だったな。その席で、攘夷党の間者を一掃したんだ。酔ったふりをして騙してな」
「それと銀さんとどういう関係があるんです?」
「それはこっちが知りたい。だからお前に聞いてる」
「そんなの、私にも分かりません」

 は顔をそらして土方に背を向けた。背中を支える土方の腕を振り払う力は残っていないが、今ある精一杯の力で反抗したいという拒絶の気持ちが全身から伝わってきて、土方はぐっと唇を噛んだ。

 土方が握った手を、は決して握り返さなかった。












20200217