真選組屯所の敷地の外れには、小さな離れがある。住み込みの家政婦として働いているの住まいである。

 背の低い生垣で囲まれた離れの入口に隊士がひとり立っていて、土方の顔を見ると軽く会釈をした。

「異常は?」
「ありません」

 土方はひとり戸口の前に立つと、鍵のかかっていないガラス戸を引いた。土間で靴を脱いで上がり框に上がり、閉じた障子の前で立ち止まってひと呼吸を置いてから、静かに言う。

。入るぞ」

 返答はなかったが取手に指を引っ掛けて障子を引く。真昼だというのに部屋の中は薄暗い。雨戸も障子も閉め切ってあって、空気がこもった匂いがする。布団がひと組延べてあって、掛布団の縁から黒い髪だけが見えていた。

 枕元に、土鍋と水差しと湯呑みがある。蓋を開けてみれば、赤い梅干しが乗ったお粥がすっかり冷めていた。

「ちゃんと食えと言ってるだろうが」

 が寝込んで食事を摂らなくなってから、もう1週間が経とうとしていた。銀時が隊を脱走した日から数えて同じ日数である。

 は答えず、身動きもしない。
 土方は腰から刀を鞘ごと引き抜くと、布団のそばに腰を下ろして言った。

「今日も医者に来てもらうから、ちゃんと診察を受けろよ。それから、点滴もな」

 食事を摂らないので、点滴で栄養をまかなっているはそれすら拒否することがあると、土方は報告を受けていた。

 胎児のように膝を抱えて丸くなっているのが、布団の膨らみの形から分かる。布団の足元の方が少しめくれあがっていたので、皺を伸ばして整えてやると、はわずかに身じろぎをした。

 土方は手を伸ばしての髪に触れようとしたが、その指が毛先に触れるか触れないかのところで、強い拒絶の言葉が飛んできた。

「触らないでください」

 起きていたのか、土方はそう思って空気を掴むように拳を握った。

 起きていたなら返事ぐらいしろ。
 ちゃんと飯を食え。
 体の具合はどうだ。

 そんな言葉が喉元まで出かかったが、土方は努めて冷静を装って言った。

「何か話す気になったか?」
 はだんまりを決め込んだらしくうんともすんとも言わない。しばらく粘ってみたがが折れる様子はなく、土方は渋々と腰を上げた。

「また明日来る」

 離れを出て、見張りの隊士に会釈をし、玄関から屯所に戻る。時間を確認すると、予定の時間を10分ほど回っていた。急ぎ足で会議室に向かうと、もうメンツはすっかり揃っていた。

「すまん、遅くなった」
ちゃの様子はどうだった?」

 腕組みをして背筋を伸ばした近藤が気遣わしげに言う。

「相変わらずだ」

 土方はやれやれと首を横に振りながら答えた。

「飯も食わんのか?」
「あぁ。医者に点滴は入れてもらってるんだが」
「お医者はなんて言ってるんですかぃ?」

 と言ったのは、風船ガムを噛んでいる沖田だ。

「ショックが大きかっただろうから、今はとにかくそっとしておけ、だとよ」
「でも、もうそろそろ話はできるようになったんでしょう?」

 土方が首を振ると、沖田はいっそ尊敬するとでも言うように眉を上げて目を回す。

「そんな状態じゃ、いつまで持ちますかね」
「沖田さん、いくらなんでもそんな言い方はないでしょう」

 原田が諌めたが、沖田は聞く耳を持たない。はじけて口の周りにくっついた風船ガムを指で丸めてまた口の中に放り込む。

 土方は沖田を睨んですごんだ。

「総悟、会議中だ。態度に気をつけろ」
「女にかまけて10分も遅刻してくる奴に言われたくありませんね」
「あぁ? 今なんつった?」
「理由の如何に拘わらず集合に遅れる者は士道不覚悟で切腹。それを定めたのは他でもない土方さんのはずだ。これは俺が副長の座に就く日も近そうですねぃ」
「事実確認のための尋問だ。てめぇの妄想で馬鹿なこと抜かすんじゃねぇ」
「確か、妄りに婦女と交わる者は士道不覚悟で切腹、っていう項目もありましたっけね?」
「てめぇ……!」
「まぁ、落ち着け、総悟。トシも座れ」

 と、上座に座って煙草を吹かしているのは松平だ。土方は促されて、近藤の隣に腰を下ろす。テーブルの端には、ぐっと唇を噛んで怒ったような顔した山崎が書類束を前にしてじっと座っていた。

「だいたいの話は聞いたがなぁ」

 松平はテーブルの上の報告書をぱちんっと指で弾いて言った。

「マッチ箱と日付の覚え書きだけじゃ、証拠としては弱いな」

 が銀時の脱走を助けた、その証拠のことである。マッチ箱には銀時とふたりの指紋が残っていてその店はふたりの行きつけだったことから、そこで落ち合い江戸を出る算段だったと報告書にはまとめていたが、それはまだ推測の域を出ていない。

 土方は言う。

「それは分かっている。事実を明らかにするためにもあいつに自白させなきゃならねぇ。今はまだ難しいがいずれ必ず吐かせる」

 松平は眉間に深い皺を刻んで難しい顔をした。

「まぁ、隊の自浄って意味ではそれも大事なことだろうが」

 沖田が口を挟んだ。

「でも、肝心の脱走者はもう死んじまってるんですよ? 今更そこまでしてさんを尋問する意味はあるんですか?」
「何が起きたのかを正確に記録しておくことに意味がある。再発防止のためにも必要なことだ」
「それについては俺も同感だな」

 土方の肩を持って、近藤がきっぱりと言った。

「真選組隊士は、元々はただの浪人だ。侍であるために、他の誰より侍らしい振舞を求められるのは当然のこと。今後の隊士の士気のためにも、脱走した詳しい経緯を残しておくことは必要なことだ」

 土方の意見には賛成できないにしても、近藤の意見には従う。沖田は納得したよなしないような顔をしてひとつ頷くと、それ以上は何も言わなかった。

 松平は全員の顔を見回して悠然と煙草を吹かし、どこかあきらめたような顔をして言った。

「お前らがそうしたいなら、お前らの責任で好きにやりな。ただし、本来の役割を忘れるな。真選組は特別武装警察。攘夷浪士の取り締まりが最も重要な任務だ。自分たちのことにばかりかまけてそれを疎かにするようじゃ、お前らに存在価値はねぇぞ」
「分かってるよ、とっつぁん」

 近藤は頼もしく笑った。

 それから少し込み入った話をして、会議はお開きになった。
 会議室を出ていく直前、松平は思い出したように土方を振り返った。

「そういやトシ。ちゃんはお前の女なのか?」

 土方は険しい目をして松平を睨み返す。その剣幕は、ちょうどそばに立っていた原田がぎょっとして目を見張るほどだった。

「それがなんだ?」
「いや、俺の記憶違いかもしれないんだがな、ちゃんは確かお前とはなんの関係もないと言っていた気がするんだ。お前ら、本当にできてるのか?」

 ふたりは睨み合った。ほんの数秒間のことだったが、その瞬間ふたりの間に流れた空気は凍てついた針のようだった。その空気に怖気づいた原田がヒイッと声を上げたことを土方は聞き逃さなかったが、無視した。

「あいつがあんたにどう言ったかは知らねぇが、あいつは俺の女だ」

松平は土方の態度を見定めるように瞬きをすると、けだるい仕草で煙草に火を着ける。

「それなら、かまいやしねぇが、女にかまけて任務を疎かにするなよ」
「何度も言うな。分かってる」
「ならいい」












20200210