18
銀時の評判は、今や最悪だった。
賭博場に出入りしている、勤務時間中に飲酒し、悪い連中とつるんでいる、そんな噂は前からもあったが、隊士達の面前で土方とやり合ったことで決定的になってしまった。
食事の時間も、食堂の隅でひとりぽつんと座っている。以前は銀時を慕う若い隊士達に囲まれて賑やかに食事を楽しんでいたのに、今は隊士達は遠巻きに銀時の姿を見るばかりで、まるで腫れ物に触るような扱いだ。
「坂田副長、土方副長とやり合って打ち負かされたんだろ?」
「ショックだよな。俺、実力でなら銀時さんの方が上だと思ってたよ」
「俺も。しかも女中の
さんに助けられたって、そんな情けない話あるかってんだよ。なんか、がっかりだ」
「あの噂も、もしかしたら本当なのかもな」
「噂って?」
「お前知らねぇの? 坂田副長が裏で攘夷浪士とつるんでるって噂だよ」
「これまで業績を上げてこれたのも、攘夷浪士に内通者がいるからって話だ。内通者が坂田副長に浪士を売ってたってことらしいぜ」
「確かに、そう考えれば銀時さんの検挙率の高さも納得できるよな」
「代わりに金でも受け取ってたのかもな」
「俺、銀時さんのこと尊敬してたのになぁ。なんかショックだ」
が近くにいるとも知らず、自動販売機の前でたむろしていた隊士達はそう言って落胆していた。
銀時のどんな悪評を耳にしても、もはや落ち込んだり、動揺したりしない自分が悲しかった。慣れというものは恐ろしいものだ。銀時が窮地に立たされているというのに、あんなことがあったからには当然のことだと、どこかで納得してしまっている。なんとか銀時を助けたいと思っているのに、銀時を悪く言う隊士達に反論することもできない自分が情けなかった。
はその日、松平への定期報告を終えて屯所に戻る道すがら、気晴らしに繁華街に足を向けた。騒がしい人ごみの中に身を置くと気がまぎれるような気がする。少しの間だけでも、辛い現実から目をそらしたかった。
目的もなくふらふらする。店先のガラス越しに美しく陳列された簪を見るともなしに眺めていると、そのガラスの端にどこかで見たことのあるような人の影がさっとよぎった。すぐに振り返ってみたけれど、もうそこに人影はない。もしかしすると顔見知りだったのだろうか。それならば声くらいかけてくれても良さそうなものなのに。
少し考えて、
ははっとした。
人影は、文字通り影のようだった。いつもそこにあるのに、誰も気に留めない暗い存在。いつの間にかそこにいて、いつの間にか消えている。そんな存在に、ひとりだけ心当たりがあった。
人ごみをかき分けて駆け出す。目を凝らして、その面影を探すと思いのほかすぐに見つかった。
その人は、人ごみを避けて道を一本外れ、路地裏に入り込む。後を追うと、あっという間に繁華街の喧騒は遠のいた。少し湿った地面を草履を蹴り上げて進む。ぺたぺたと、自分の足音がうるさい。そのせいで気が急いて、息が上がる。
やがて、たどり着いた曲がり角で、その人の背中がガラス戸の中に消えるのが見えた。息を切らせて駆けて行ってみれば、そこは昔ながらの小さな旅籠だった。看板は古びていて、今も営業しているのかどうか不安になるほど暗く薄汚れている。
迷ったが、
は思い切ってその扉を引き開けた。
入ってすぐの帳場に座っている女将の前に、男がひとり立っている。腰には黒い鞘が見え、後ろ姿は見慣れない浪人風だった。が、振り向いたその顔は
がよく知っている男のものだった。
「え、
さん? どうしてここに?」
山崎はそう言って目を丸くした。
が案内された宿の一室の散らかりようは、それは見事なものだった。部屋の隅に寝乱れた布団がひと組敷きっぱなしになっている。万年床になっているのだろう、埃っぽくてぺしゃんこだ。その周りには整理されていない帳面が山積みで、ささくれ立った畳の上には弁当の空き箱や菓子パンの袋、使用済みの割り箸なんかが無造作に放置されていてかすかに臭った。
「すいません、散らかってって」
山崎は申し訳なさそうな顔をしてゴミを避け、そこに継ぎ接ぎだらけの座布団を置いた。
は手で埃を払ってからそこに正座し、ぐるりと部屋を見回した。
「掃除してあげたいわ」
山崎はへらりと笑う。その額には、冷や汗がじわりと滲んでいた。
「だめですよ。そんなことされちゃ、ここに
さんが来たってばれちまいます」
「ばれたらいけないの?」
「土方さんに叱られます。尾行がばれただけでもなんて言われるか」
「私の後をつけてたのね」
「はい」
「いつから?」
「……」
「土方さんに言われて、ずっと私のそばにいてくれたことあったわよね。それに、1週間の皿洗いの罰則も、あれは私のそばにいるための口実だったの?」
山崎は正座をした膝に手を着くと、
に向かって深々と頭を下げた。
「すいません。その通りです」
「私、何かしたのかしら?」
「申し訳ありませんが、詳しいことは言えません」
「どうして?」
「どうしてもです」
「でも、部屋に通してくれたってことは、少しは話してくれるつもりはあるんでしょう?」
「答えられることなら」
顔を上げて上目遣いになる山崎を見やって、
は困ってしまった。ここまで来たものの、何をするべきなのか何も考えていなかった。何を言うべきか、聞くべきなのか、混乱して考えがまとまらない。
頭の片隅に浮かんだことを言葉にしてみる。
「山崎くん、言ったわよね。もう私を騙すようなことしたくないって」
「はい、言いました」
銀時と土方がやりあった日、山崎は何かを言いかけていた。その後に起きたことに心を捕らわれてずっと忘れてしまっていた。
「あの話は、つまりこういうことなの? 私をこっそりつけていたことを、打ち明けようとしてくれたの?」
「そうです」
それにしては、「騙す」と言う言葉はしっくりこないような気がした。なんとなく違和感がある。けれどそれをうまく言葉にできず、
は口ごもった。
見かねた山崎が口を開く。
「誤解しないでいただきたいんですが、これは
さんのためにやっていることなんです。決して、
さんを疑っているとか、そういうことではないんです」
「じゃぁどういう理由なの?」
「話せません」
「銀さんのこと? 土方さんに何か考えがあってのことなの?」
「すいません、本当に勘弁してください」
は疲れたため息をついて頭を抱えた。こんな聞き方をしたって山崎が話してくれるわけはない。山崎は土方が信頼を置く優秀な監察なのだ。ただの家政婦になにを言われたって屁でもないだろう。
無駄な悪足掻きをしているような気がして、ひどく惨めな気持ちがした。ここで山崎を問い詰めたところで何にもならない。こんなことをしても何ひとつ銀時のためにはならないのだ。ほとほと馬鹿らしくて嫌になる。自分はこんなにも無力だ。
「
さんが心配になる気持ちは分かります。不安にさせて本当にすいません」
山崎はもう一度深く頭を下げると、体を前に乗り出して声を潜めた。
「ただ、これだけはお伝えできます。次の寅の日、尾行はその日で終わります」
「そうなの?」
「はい。確かに」
「どうして? その日に何かあるの?」
「何がとは言えませんが」
は壁にかかっているカレンダーを見やって日付を確かめた。次の寅の日まではあと12日。長いような短いような、待ち遠しいようなそうでないような。何か薄ら寒いような気持ちがする。
「その日になれば、きっといろいろなことをお話しできると思います。どうかその日まで耐えてください」
は山崎の頭を見下ろした。変装のつもりだろうか、首の後ろで結わいた髪がうさぎの尻尾のように丸くなっている。それが見えるほど深く頭を下げているのだ。そこに山崎の誠意を感じ取れたような気がして、
は渋々と頷いた。
「分かったわ。その日になったら、きっと話してね」
「はい」
は懐から懐紙を取り出すと、巾着から紅筆を取り出してその日付を書きつけた。忘れる気はなかったが、この事実を書き留めてきちんと形に残しておかないと砂のように手のひらからさらさらとこぼれていってしまいそうに思えた。
山崎はその懐紙をふたつに折って胸元にしまうところを、山崎はじっと見ていた。
「ひとつだけ、お願いがあるの」
「何でしょう」
「銀さんが傷つくようなことだけは、しないでほしい。それだけはどうか……」
山崎は目を伏せるような仕草で小さく頷いた。
20200127