16



















 銀時が先頭に立ち、ふたりで医務室へ向かう。

 真選組には常駐の医師はいない。週に一度か二度、通いの医師がやってきて怪我をした隊士や体調のすぐれない隊士の診察をしてくれることになっている。今日はその日ではないので、医務室はしんと静まり返っていた。

 銀時は手近な椅子に座る。
 は薬品棚から救急箱と消毒液、包帯や湿布を取り出して、銀時の前に椅子を持ってきて座った。

「よろしくお願いしまーす」

 と、気の抜けた声で言って、銀時は耳の穴をほじる。

 何事もなかったような顔をしている銀時を信じられない気持ちで見つめながら、は銀時の怪我の様子を見て眉をしかめた。

 道着の胸元が真一文字に裂けていて、胸板にも赤い線が一本走っている。土方の振るった真剣が胸元をかすめたのだ。間一髪、ぎりぎりのところでなんとか避けたようだが、心臓の真上を狙った太刀筋に土方の本気が感じられた。腕にも似たような傷がいくつか見える。おそらく、足首も痛めているはずだ。医務室まで歩いてくる間、ほんのわずかに右足を引きずっていたのをは見逃さなかった。そして極めつけはその頬だ。まるで腐ったリンゴのように赤黒く腫れ上がっていて、唇の端が切れて血が滲んでいる。殴られた痕だ。

「まったく、何が手合わせよ」

 救急箱から取り出した脱脂綿に消毒液を含ませて傷口に押し当てると、染みるのだろうか、銀時が小さく唸った。

「おい、もっと優しくできねぇのかよ?」
「どれも大した傷じゃないわよ。これくらい我慢しなさい」
「冷てぇな」

 銀時は吐き出すようにそういうと、鋭く舌打ちをする。
 はそれに物おじせず、きっぱりと問うた。

「どうしてこんなことになったの?」
「別に、ただ稽古してただけだ」
「ただの稽古でこんなことになるはずないでしょ」
「なっちまったんだからしょうがねぇだろ」
「私闘は局中法度のはずでしょ。こんなことして、ただで済むと思ってるの?」
「それを言うなら向こうも同じだろ」
「けど、銀さんは日頃の行いが悪すぎるわよ。どんな噂されてるか知ってる? もっとよく考えて行動しないとどういうことになるか……。銀さんもちゃんと分かってるでしょ?」
「お説教なんか聞きたくねぇよ」

 投げやりにそう言ってそっぽを向いた銀時に腹が立って、は銀時の右足を踏みつけた。痛めている方の足だ、銀時はものすごい悲鳴を上げて頭をのけぞらせた。

「いだだだだだだだだだ!! 何すんだよてめぇ!! こっちは怪我人だぞ!?」
「それが手当てしてもらう人の態度なの?」
「お前が口うるさいことうだうだうだうだ言うからだろうが!! 痛いって!! 足退けろよ!!」
「なら、何か言うことあるんじゃない?」
「ごめんなさい!! 俺が悪うございました!! お願いですからこの足をどけてください神様仏様様!!」
「分かればいいのよ」

 はそっと足の力を抜くと、銀時は額に脂汗をかきながら激しく肩を上下してした。それでは少し得意になって、顎を上げて背筋を伸ばす。銀時の手をとって膝の上にのせ、傷を消毒して絆創膏を貼っていく。

 銀時の白い肌は、近くで見ると古傷でいっぱいだった。太刀傷だろうか、見ただけでは分からなかったが、銀時がこれまでにどんな凄惨な戦いの中に身を置いてきたのかを想像するには十分だった。腕一本にこれほどの傷痕が残っているならば、それ以外の場所にはもっとたくさんの痕が残っているに違いない。

 胸が締め付けられて、はかすれた声で言った。

「お願いだから、自分を痛めつけるようなことはもうしないで。任務ならまだしも、仲間どうしてやり合って怪我するなんて馬鹿な真似しないでよ」

 銀時はちらりとの顔を伺うと、斜め下に視線を落としてわずかに唇を噛む。何かに迷っているような表情に見えた。は腕の傷にガーゼを当ててやりながら、銀時が何を考えているのかを想像した。

 土方のことだろうか。それとももっと別のことだろうか。

 今、何を考えてるの?

 そう口からこぼれそうになるのを、は歯を食いしばってこらえた。銀時のことだ、何を聞いてもどうせのらりくらりとかわされてしまうのに決まっている。いつもそうだ。銀時に真っ向から立ち向かって、が勝てた試しはない。

 ふと、の脳裏にお登勢の顔が浮かんだ。なぜ今? と自分に問いかける。思い出したのは、お登勢が何気なく漏らしたひとことだ。

――相手に話してほしけりゃ、まずは自分から話さなけりゃね

 は手当ての手を止めると、袖の下に手を入れて中を探った。

「何してんだよ?」
「これ」

 は取り出したものを銀時の目の前に突き出した。マッチ箱だ。パッケージには【スナックお登勢】と古めかしい文字で印刷されている。銀時はそれを受け取って、手のひらの中で転がした。カラカラと、子どもあやすおもちゃのような小気味のいい音が鳴る。

 は銀時の腕に包帯を巻きながら言った。

「ごめんね、銀さんのポケットから勝手に取って、ずっと持ってたの。お登勢さんにも会った」

 銀時は驚かなかった。

「女ひとりでスナックなんか行ったりして、やべぇことになったらどうすんだよ」
「お登勢さんが助けてくれたわ。いい人ね。いろんな話聞かせてくれた」
「そうかよ」
「銀さんがどうして真選組に入ったのかもね」
「へぇ」
「怒らないの? 私、勝手に銀さんのこと嗅ぎまわってたのよ」
「別に、大した話なんか何もなかっただろ」
「そんなことない。知れてよかった」

 銀時はマッチ箱を懐の中にしまった。

 は銀時の襟を開いて、傷口に消毒液を塗っていく。幸い、出血は止まっていた。厚い胸板にはまだわずかに汗が滲んでいて、それが乾いていくときのすえた匂いがの鼻先をかすめた。

 銀時がまだ毛も生えそろわない子どもだった頃のことを知っているから、がっしりとたくましい男の体に成長した銀時をこんなに間近で見るとどぎまぎしてしまう。

 呼吸に合わせて上下する胸板は、昔よくその胸を借りて眠った松陽のことを思い起こさせた。何度も甘えさせてもらった胸だ。思い出すと懐かしくてたまらなくなって、鼻の奥がつんとした。甘酸っぱくて切ないほど愛おしい気持ちがせりあがってきてどうしようもなくなりそうで、はなんとか理性を保つのに必死だった。

ちゃんさ、あいつとどういう仲なんだよ?」

 ふと、囁くような小さな声で銀時が言った。
 は銀時と目を合わさずに答えた。

「あいつって、土方さんのこと?」
「他に誰かいんのかよ?」
「ねぇ、もしかして、この怪我の原因ってそれなの?」
「なんでそう思う?」
「だって、今そんな話するんだもの。そうなの?」

 銀時は答えずにむっと口をつぐんだ。それが何よりも問いかけを肯定しているように思えて、は銀時の胸を叩いてせがんだ。

「私と土方さんが噂になってるからね?」
「なんだ、知ってたのか」
「知ってるわよ。あんなの根も葉もないただの噂よ。そんなのに踊らされて、あんな馬鹿なことしたっていうの?」
「馬鹿とは何だ、馬鹿とは」
「……私のこと心配してくれたのね」

 銀時は口をつぐんで答えない。の考えが当たっていたとしても、そうだとは口が裂けても言わないだろう。

ちゃんはあいつのことどう思ってんの? 好きなの?」
「そう言ったら銀さんはどうするの?」
「そうだな、お前をかっさらってここから逃げるか」
「えぇ? そんなのありえない!」

 はつい大声で笑ってしまった。そんなことは考えもつかなかったし、ずっとを避けていた銀時がまさかそんなことを言うとは夢に思わなかった。大口を開けて笑うを見やって、銀時は苦いものを噛んだような顔をして笑った。

「脱走は局中法度よ。そんなことしたらふたりともおしまいね」
「だろうな」
「なら、言わないわ。今私に好きな人はいない。だから、もう喧嘩はやめてね」
「あぁ、分かった。そうする」
「心配してくれて、ありがとう」

 胸の傷にガーゼを押し当てたとき、指先が銀時の胸板に触れる。銀時の体がかすかに震えて、は慌てて謝った。

「ごめん。私の手、冷たいでしょ」

 銀時は全く気にしていないような顔をして、静かに言う。

「平気だって、これくらい」
「痛かったら言って」
「さっき俺の足を踏んずけたのは誰だよ」
「それはそれ、これはこれよ」
「都合のいい奴」
「この道着、繕ってあげるから後で持ってきてね」
「分かった……」

 ふと、銀時の体が傾ぐ。どうしたのかと見上げた瞬間、銀時がの手を掴んだ。

「なんだ、お前も怪我してんじゃん」

 見ると、の右手の甲に血が滲んでいた。銀時に飛びついて倒れ込んだ時に砂利で擦ったのだ。大した傷ではなかったが、今の今までそれに気づいていなかったことには驚いて目を見開いた。

 銀時がの手を自分の目の高さまで持ち上げる。まじまじと傷口を見やったと思うと、赤い舌を見せてべろりと舐めた。人肌より少し熱く濡れた舌が傷をねぶった瞬間、肌の上を電気が走ったようになって思わず指先が強張った。

「これくらい、舐めときゃ治るだろ」

 の気も知らず、銀時は平然とそう言った。
 子どもの頃とちっとも変わらない口調で。

 銀時は松陽と出会う前、戦場で死体の食料を漁って食いつないで生きてきた。まるで野良犬のように、たったひとりで生きてきたのだ。だからちょっとやそっとの怪我は文字通り舐めて治してきたらしく、松陽と出会ってようやく人間らしい生活を送るようになってもその癖は直らなかった。まだ小さい頃、が転んで手のひらを怪我した時も同じことをして、痛みに涙を浮かべるを慰めてくれた。

「もう、子どもじゃないんだから……」

 は苦笑いをして腕を引く。けれど、銀時はその手を離さなかった。優しく目を細めて、の手を見つめる。そして、指先を温めるようにそっと手のひらで包んでくれた。

「手が冷たい奴は、心があったかいんだっけ?」
「さっきは私のこと冷たい奴って」
「っていうか、なんか、お前の手しょっぺぇんだけど。なんだこれ?」
「あぁ、さっきまで塩むすび作ってたから。お塩が残ってるのかも」

 きっと、道場での騒ぎを聞きつけて、手を洗う間も惜しんで慌てて外に飛び出してきたせいだ。

 銀時は開いている方の手で腹をさすりながらうそぶく。

「おむすびあるなら食いてぇな。体使って腹減ったわ」

 はつい声を出して笑ってしまった。それにつられて、銀時も口元を緩める。銀時の笑った顔を見るのが久しぶりで、それが嬉しくてはますます笑った。

 銀時はその間も、ずっとの手を握ったままでいた。

「ねぇ、今度一緒に、お登勢さんのところに行かない? 私、銀さんとふたりでお酒を飲みたいの」

 銀時は切ない顔をして頷いた。

「まぁ、そのうちな」











20200120