15
「山崎くん、本当にこんなことしてていいの?」
塩むすびを握りながら、
は流しで皿を洗っている山崎の背中に向かって言った。隊士全員の腹がきちんと膨れるように毎朝炊き上げる白米は、必ずそれなりの量、余る。
はそれを全て塩むすびにして、自分の昼食にしたり、激務をこなしてへとへとになった隊士への差し入れにしたりしている。
「こんなことと言っても、土方さんの命令ですから、仕方ありません」
と、山崎は苦笑いをしながら、泡の付いた手を振った。
が聞いたのは、何か仕事でミスをして、その罰として一週間の皿洗いを言いつけられたのだそうだ。土方にも「山崎はちゃんとやっているか?」と直接確認されたのでその通りなのだろうが、悪さをしてお仕置きを受ける子どもを連想させられて、
は妙な気持がした。浪士から恐れられる真選組隊士がワイシャツの袖をまくってせっせと皿洗いをしている様は、笑ってはいけないと分かっていても口元が緩んでしまう。
は唇を噛んで笑いをこらえながら、テンポよく手のひらで塩むすびを転がした。
「なんなら、こっそり任務に戻ってもいいのよ。土方さんには私からうまく言っておくから」
「だめですよ、土方さんには何してもばれますって。そうしたらもっと重い罰を受けることになります」
「あら、私を信用できないっていうのね?」
「そういうわけじゃありませんけど、もしもばれたら
さんだって叱られますよ」
「別に、土方さんに叱られるのは怖くないわよ」
「そうなんですか? 俺は嫌だなぁ。土方副長、ただでさえ顔が怖いから」
「怖い?」
「怖いですよ。
さんは怖くないんですか?」
「そうねぇ」
は土方の顔を思い浮かべて、つい口元が緩むのを感じて顔を伏せた。しまりのない顔で笑う
を、振り返った山崎は呆気にとられたような顔をして見やった。
「そんなこと一度も思ったことないわ」
「本当ですか?」
「えぇ」
「土方さん、女性には甘いんですかね?」
「私が真選組隊士じゃないから、じゃない? ただの家政婦だもの、そんなに厳しくする必要もないでしょうし」
「
さん、土方さんと仲がいいですよね」
「そう?」
「ふたりで食事に行ったりするんでしょう?」
「一度だけよ。山崎くんも食事くらい行ったことあるでしょ」
「僕と
さんじゃ意味が違いますよ」
「そうかしら」
「そうですよ」
食い下がってくる山崎を、
は微笑みでいなして黙々と手を動かした。
と土方が特別な間柄にあると、一番近くで土方を見ている山崎すら思っている。土方は山崎に自分のことをどんな風に話しているのだろう。気にはなったけれど、それを口にするのはなんだかためらわれた。土方にどう思われているのかを気にしていると思われては噂に拍車がかかるような気がする。山崎は監察という仕事柄口が堅いことで知られているが、
はそれをなんとなく信用できないでいた。根拠はなかった。
「仕事の話をしただけよ」
「
さんが言うならそうなんでしょうけど」
「何?」
「土方さんは
さんのこと好きだと思います」
は手のひらの中のおむすびをぎゅっと握りしめた。変に力が入ってしまって、見ると指の形がくっきりと残ってしまっている。山崎には聞こえないようにため息をついて、握りの硬くなってしまったおむすびの形を整える。
「まさか」
吐き捨てるように言った
に、山崎は食い下がった。
「本当ですって!
さんだって分かってるはずですよ」
「何を?」
「土方さんが
さんを見るときの目ですよ。鬼と恐れられているあの副長が、あんなに優しそうな目をするのは
さんにだけです」
「私が女だからでしょ。男所帯にひとりの女だから、心配して目をかけてくれてるだけよ」
「
さん、土方さんのことが嫌いなんですか?」
「そこまでのこと言ってないけど」
「それじゃ、他に惚れた男がいるとか、ですか?」
「山崎くんってば、どうしてそんなこと気にするの? まるで尋問受けてるみたいだわ」
は無理に笑い飛ばそうとして、それが失敗したことをすぐに悟った。なんとか口元を笑みの形にすることは成功したけれど、唇の端がわずかに引きつってしまったのが嫌でも分かる。山崎が背を向けていてくれることが唯一の救いだった。
「すいません、しつこく聞いて」
「いいけど」
「僕は、
さんに感謝してるんです。だから本当に幸せになってほしいと思ってるんです」
「急にどうしたの?」
山崎はシンクの中から手を上げると、両手を泡だらけにしたままくるりと振り返って
と向き合った。おかしなほど深刻な顔をしていて、心なしか顔色も悪いように見える。ぐっと食いしばった唇がかすかに震えたかと思うと、何かに怯えるような顔をしてきっと
を見つめてきた。
「
さん。僕がまだ金髪のモヒカンで、すげぇ感じ悪くしてた時も全然ビビってくれなくて、はじめのうちは正直言って腹立ちました。でも、俺が髪を黒く染めて、ヒゲも剃って、眉毛剃るのやめた時、「お前は誰だ?」って、聞かなかったのは
さんだけです。「山崎の奴最近見ないな」とか「脱走したんじゃねぇ?」とか自分の目の前で言われて、俺ってそんなに地味かって落ち込んでた時も、
さんはちゃんと名前を呼んで挨拶してくれました。嬉しかったです」
山崎は泡まみれの両手を震えるほど強く握りしめると、睨むように
を強く見つめた。
「だから、
さんを騙すようなことはもうしたくないんです」
「だますって、どういうこと?」
「土方さんは」
と、その時だった。廊下をどたどたとかける音が聞こえてきたかと思うと、それに乗って隊士達の声が届く。切羽詰まったような騒々しい気配がして、次の瞬間厨房の扉が勢いよく開いた。顔を見せたのは、道着に身を包んだ隊士だ。名前を田代という。
「あ、
さん! 局長を見てませんか?」
道場からここまで走ってきたのだろうか、息が上がっていて額に汗をかいている。表情は固く強張っていて、その緊張感が強く伝わってきた。
は濡れた手をおしぼりで拭いながら答えた。
「見てないけれど、どうしたの? 何があったの?」
「副長が、大変なんです!」
山崎が言う。
「副長って、どっちの?」
「ふたりが、です! 稽古中に手合わせしてたんですが、熱が入っちゃって、誰にも止められなくて!」
は山崎と目を見合わせた。土方と銀時は犬猿の仲でしょっちゅう口喧嘩をしているが、誰にも止められないほど激しい手合わせとは聞いたことがなかった。隊士の慌てようからもそれが尋常でないことが分かる。
「局長室には?」
「植田が行きました!」
「急ぐように言って。場所は? 道場?」
「はい、え、
さん!?」
は田代の制止の声を無視して駆け出した。手はまだ濡れたままで、袖をたすき掛けにしたままだった。廊下から中庭に降りて植木を突っ切る。その方が屋根の下を通って行くよりも早い。
道場の前庭には砂利が敷き詰めてあり、広場のようになっている。そこに駆けつけた
の目に飛び込んできたのは、真剣を手にした土方と木刀を手にした銀時が激しく打ち合っている姿だった。
目にも止まらぬ速さで交差する真剣と木刀、砂利を踏みしめるたびに耳障りで鋭利な音が立つ。どういうからくりなのか、木刀で真剣を受け止めて弾き返す銀時の鋭い眼差しは、
が今まで見たこともないほど強く紅く光っている。まるで親の仇を討とうとでもいうような強い憎しみが、その太刀筋からも伝わってきた。真剣を使って銀時より有利に立っているはずの土方は、それでも余裕な表情は微塵も見せずに容赦なく銀時の急所を狙っている。
これは命の取り合いだ。手合わせに熱が入って止められなくなった、その域はとっくに超えていた。
「あ、
さん!」
隊士に声をかけられて、
ははっとした。十番隊の加納だ。よく見れば、道場の外や広場の周りに隊士達が集まっていた。ふたりを止められず、手をこまねていて見ていることしかできないらしい。
「何があったの?」
は刀を打ち合うふたりから目をそらさずに言った。
「それが、よく分からないんです。乱取りの稽古が終わったら、上座にいたふたりが立ち上がって、手合わせをすると言い出して。沖田隊長が「副長同士の手合わせは滅多に見られるもんじゃない。よく見て勉強しろ」と言うので、みんなで見させてもらっていたんです。はじめは普通に打ち合ってたんですが、だんだん激しくなって、坂田副長の剣が土方副長の木刀を折ったんです。それで土方副長が切れたみたいになって、取っ組み合いがはじまって、ふたりで暴れまわって外に転げ出ちまって、あの真剣は通りがかった隊士の腰から土方副長が抜いたんです」
「どうして誰も止めないの?」
「無理ですよ、あのふたりに剣の腕で勝てるのは沖田隊長くらいしかいません」
「沖田くんはどこ?」
「あそこに」
指差された方を見ると、沖田は道場の入り口に背を預けて立っていた。にやにや笑う口元を手のひらで覆うようにしながら、楽しそうにふたりの戦いを見物していて、あれでは頼りにはならないだろう。隊士達が近藤局長を探して駆けずり回るわけだ。
と、その時。
銀時の体ががくりとかしいだ。砂利に足を取られて滑ったのだ。辛うじて真剣を弾いていなしたものの、体制がくずれる。土方はそれを見逃さず、真剣の柄で銀時の手を打った。その拍子に木刀がはたき落とされ、得物を失った銀時は砂利に片膝をついてしまう。白く光る真剣が、銀時の喉を狙う。それが
には分かった。何かを考えるより先に、体が動いていた。加納が止めたような気がしたが、かまわなかった。
足が勝手に走り出す。
手を伸ばす。
守らなくちゃ。
それだけで頭がいっぱいになる。
銀色。
光を浴びて白く透明に光る。
淡く優しい光で視界がいっぱいになる。
何が起きたのか、何をしたのか、自分でも分からなかった。
気付いた時には、銀時の頭を抱え込むようにして砂利の広場に倒れていた。
「おい、何してる?」
頭上から土方の声が降ってきて、
はそれで我に帰った。体を起こせば、目の前に銀時の顔があった。
の影の中で赤く光る瞳が、今は驚きにぽかんと見開かれている。
の手の下で、荒い呼吸に合わせて銀時の胸が上下していた。
は銀時の瞳を見つめたまま答えた。
「それはこっちのせりふです。何をしてるんですか?」
「お前には関係ない。どけ」
「刀を納めてください」
「どけと言っている」
「嫌です」
の手のひらに、銀時の鼓動が響いていた。
何を考えているのか、銀時は身動きせずにじっと
を見ている。
何か言ってほしかった。すがるように銀時の着物の襟を掴む。
その手を銀時の大きな手が包み込むように握ったかと思うと、なだめるような手つきでそっと
の手を着物から外した。
「おい! 何事だ!?」
雷が落ちるような声がした。
振り返ると、隊士達の人垣が割れて近藤が姿を見せた。普段は穏やかな近藤が、見たこともない厳しい顔で土方と銀時、そして
を睨む。その言葉は短かった。
「トシ、刀を納めろ。一緒に来い。銀時は、
ちゃんに怪我の手当てをしてもらえ」
ふたりは何も言わずに素直に従った。
土方は真剣を人垣の中に紛れていた隊士に返し、近藤の後を付いていく。
銀時は自分が先に立ち上がると、
が立ち上がるのに手を貸してくれた。
「頼む」
そう言った銀時の手のひらから、砂利がいくつかぱらぱらと零れ落ちた。
20200114