13
その月の寅の日、
は松平の屋敷に出向いた。
いつもと同じ部屋に通され、顔なじみの女中が用意してくれた茶を味わいながら、約束の時間より少し遅れてやってきた松平と話をした。
馬之助と三倉が死んだ本当の理由を、松平が知らなかったことが
には少し意外だった。世間体を護るためにふたりの死因をごまかしたのだ。その世間の中に松平も含まれているとは考えもしなかった。てっきり、幕府の評判を落とさないために上の人間も一枚噛んでいると思っていた。
この件についての首謀者は局長である近藤だということだろうか。けれどその考えはしっくりこない。近藤はあの率直な豪胆さで隊士の信頼を得ている。世間の目から失態を隠すような、陰湿な計画を立てるような人物ではない。どちらかというと、そういうことを考えそうなのは土方の方だ。土方は頭が切れる。真選組の鉄の掟と呼ばれる局中法度の草案を作り、それはほぼそのまま採択された。何か考えが合って、松平には本当の経緯を伏せているのだと感じられた。
はその考えを、松平には言えなかった。
確証のない話だし、土方が話していないことを勝手に話してしまっていいものかどうか判断ができなかった。馬之助が攘夷党の間者であることも、知っていながら誰にも話せなかった。気づかないうちに、ずいぶんと秘密主義になってしまったものだ。
そこにわずかな罪悪感が付きまとっていることに、
はひっそりと戦慄する。松平が定期的に
を屋敷に呼ぶのは、こういう情報を仕入れるためなのではないか? そんな疑問が頭の隅をかすめる。
そもそも、警察庁長官という立場のある人間が、ただの家政婦を屋敷に呼びつけて話を聞くなんてこと自体がおかしいことなのかもしれない。そもそも松平と
との間には縁もゆかりもない。
が屋敷に来るたびに高級な和菓子を持たせるなんて、それだけのことをする旨味があるからだ。
そう考えると目の前に座って煙草を吹かしている松平が急に恐ろしく思えて、
は肩を強張らせた。
「ところで、
ちゃんよぉ」
と、深みのある低い声を出した松平は、何か探るような眼をして
を見やった。
「はい」
「
ちゃんを真選組に送ったのはこの俺だ。だから、もしも何か気になることでもあれば、俺ァできるだけ相談に乗ってやりてぇと思ってるんだよ」
「そんな、松平様のお手をわずらわせるようなことは、とても申し訳ないです」
「そう遠慮することはないさ。俺と
ちゃんの仲なんだから」
「はぁ」
「本当に、困っていることはないか? 俺の耳に入れておきてぇこととか。小さなことでも構いやしねぇんだぞ」
は手のひらに汗が滲むのを感じて、膝のあたりでこっそり手を拭う。
もしかすると予想は当たっていたのかもしれない。どうしたものだろう、本当のことを話してしまったら真選組に不利益が出るということはないだろうか。土方が隠していることを自分がばらしてしまったら、土方は一体どういう目にあうだろう。
土方には恩がある。屯所で殺しがあった晩に助けてもらったことや、スナックお登勢からの屯所までの道中を送ってもらったこと。小さなことだけれど、恩を仇で返すような真似はしたくなかった。
「
ちゃんが言わねぇなら、俺から聞こうか」
「え?」
もしかすると、もうばれているのだろうか。
は背中に冷や汗が落ちるのを感じてますます体を強張らせる。
松平は深く煙を吸って吐き出した後、もったいぶって言った。
「お前、トシといい仲だっていうのは本当なのか?」
「……はぁ?」
松平に対してとんでもない声を出してしまった。
はすぐに姿勢を正して畳に指を付いた。
「あ、あの、大変失礼しました。あんまり驚いたものでつい……」
「驚かせたんなら悪いな。ちょいと噂を小耳にはさんで気になったもんでよ。そうなのかい?」
「いいえ、とても親切にしていただいていますけれど、そういうことでは決して」
「なんだ。そいつは悪かったな」
そう言った松平は、なぜか少し残念そうだった。
「けどな、あんな男ばっかりの職場にお前さんを放り込んじまったことには、俺も責任を感じてるんだ。もしもそこでいい相手に巡り合えたんなら、俺ァ嬉しいよ。そうなったら俺はお前さんを応援するからな。遠慮なくいってくれよ」
「……ありがたいことです。本当にいたみいります」
深く下げた頭を上げてみれば、サングラスの向こうの目を優しく細めて
を見つめる松平の顔があった。
純粋に心配を寄せてくれた松平に対して、なんて浅ましくて意地汚いことを考えてしまったんだろう。自己嫌悪につぶれそうになって、
は畳に額をこすりつけるようにして再び頭を下げた。
手土産をもらって家路につく。今日は松平の田舎からわざわざ取り寄せたらしい和菓子を持たせてくれた。見たことのない美しい和菓子を片手に心が浮き立つのを止められず、冷や汗をかくほど動揺したさっきまでの自分は一体何だったのか、その変わり身の早さに自分で自分が分からなくなる。それでもひとまず危うい局面は乗り切ったような気がして、
の気分は晴れやかだった。
結局、肝心なことは何も言えなかった。言いたくなかった。土方への恩を感じているからという理由がなくとも、きっと自分は口を噤んだだろうと思えた。
馬之助が攘夷党の間者であると告げ口して昔馴染みを売るなんてことはできなかった。それと同じように、土方が何か企んでいるようだと松平に告げ口することはできない。
土方に悪い、という気持ちも大きかった。土方は
のこともさることながら、銀時のことをよく気に留めてくれている。
に銀時をよく見ているようにと言ったこともその証だと思う。ともすると孤立しがちな銀時にとって、土方は頼もしい存在だ。顔を合わせれば口喧嘩ばかりしていて仲がいいとは口が裂けても言えないけれど、裏を返せば、銀時と喧嘩ができる人間は土方くらいしかいないのだ。
銀時にとって土方はとても貴重な存在だと思う。
は土方に感謝していた。どんな形であれ、銀時をひとりぼっちにしないでいてくれることがありがたかった。それは、口八丁手八丁を使わないと銀時とふたりで話もできない
とは大きな違いだった。
「あ、
さん、お帰りなさい」
屯所にたどり着くと、門の警備に立つ隊士が笑顔で迎えてくれた。
「ただいま戻りました。お仕事ご苦労様です」
がそう労うと、ふたりの隊士は丁寧に頭を下げる。
そういえば、近頃は隊士達の態度もずいぶん変わった。食事の前に手を洗えって来なさいと言えば面倒くさそうな顔で渋っていた隊士が、今や出先から戻るだけで丁寧に頭を下げてくれる。近藤を筆頭にして、真選組隊士達はよく鍛えられ、そして礼儀正しくなった。浪人をかき集めて作った集団だとはもはや思えない。
はふと、思う。
土方と
の仲が噂になっていると松平は言った。松平の耳に入るような噂は隊士達の耳にも入っているのではないか? 隊士達の
に対する態度が変わったのは、
が土方の女だという認識があるからなのではないか?
「よぉ」
「わぁ!」
悲鳴を上げて文字通り飛び上がった
は、危うく和菓子の包みを取り落としそうになる。土方はとっさに手を伸ばしてそれを受け止めてくれた。
「なんだよ、でかい声出すなよな」
「すいません。もう、驚かせないでください」
「悪い、そんなつもりはなかったんだがな」
風呂敷を抱え直して改めて見ると、土方は黒い着流し姿だった。帯刀もしていない。
「今日はお休みですか?」
「まぁな。お前は? どっか出かけてたのか?」
「はい」
松平様のところに、と続けようとして、
はつい口をつぐむ。なんとなく、言いづらかった。
「……ちょっと、買い物に」
と、
はとっさに小さな嘘をついた。
土方は何も気づいていないような、平然とした表情を崩さなかった。
「そうか」
「土方さんはこれからお出かけですか?」
「あぁ、久ぶりの休みだし、羽伸ばしてくる」
「そうですか。ごゆっくりなさってください」
「お前、まだ仕事か?」
「いいえ、今日はもう」
「なら、一緒に飯でもどうだ?」
「え?」
の胸がどきりと高鳴る。手に力が入ってしまって、和菓子の包みをぎゅっと握りしめてしまう。動揺に気づかれたくない。とっさに取り繕うとしたけれど、どうしていいか分からず、無意味に頬に手を当ててしまう。触れたところがかすかに熱い。
土方は懐から煙草を取り出しながら言う。
「いつも苦労かけてるしな。たまにはおごってやるぞ」
「いえ、でもそんな……。それにちょっと細々とやりたいこともあるので……」
「都合悪いんなら別に構わねぇけど。まぁ、気が向いたら来いよ。俺はたぶん梅屋って店で飲んでるから」
「はぁ、それじゃ気が向いたら伺います」
煙草に火をつけ咥えながら、土方は軽く手を上げて踵を返す。
「待ってるからな」
そう捨てぜりふを残し、その背中に
は軽く頭を下げた。
顔を上げると、廊下の向こうを隊士達が連れ立って歩いていくのが見えた。きっと土方とふたりでいるところを見られただろう。話も聞かれたかもしれない。
これでは、あんな噂が流れたことに文句も言えない。
「……全く。どういうつもり……」
は額に手を当てて、誰にも聞こえないようにため息をついた。
20191222