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「もう、信じられない!」

 はそう叫ぶと、グラスをカウンターに叩きつけた。グラスの底に残っていた酒が跳ね、その雫がカウンターを濡らす。

「少し落ち着きなよ、全く騒がしいったらないね」

 お登勢がカウンター越しにつまみを出しながらそう言った。

 厚揚げと茄子の揚げびたしだ。温かい湯気にたっぷりの鰹節が揺れている。は割り箸を取ると、厚揚げを半分に割り、その上に茄子と鰹節をのせたっぷりの出汁を含ませて口に含んだ。熱い出汁のうまみが口いっぱいに広がり、鰹節の風味と茄子のぽってりした味わいにしみじみとする。そこに辛口の日本酒を流し込むとたまらなくて、は大きなため息をつく。

 お登勢は苦笑いをしながら、空いたグラスに酒を注ぎ足してくれた。

「ありがとうございます。すいません、大声出したりして」
「女ひとりでスナックなんて、私が若いころには考えられなかったもんだけどね」
「はしたないと思います?」
「いいや、商売が助かるよ」

 そう言うお登勢は、たくましい商売人の顔でにやりと笑った。だてに女ひとりで店を経営しているわけではないのだ。きっと、人生の酸いも甘いも味わい尽くしているのに違いない。

 は、銀時との間にあったこと全てを、お登勢に話してしまった。自分ひとりの胸の内にはとても留めておけなかったし、第三者からの客観的な意見を聞いてもみたかった。それにふさわしい人物を考えたとき、の頭にはお登勢の顔しか浮かばなかった。お登勢なら、の知らない銀時のことを何か知っているに違いない。その胸を借りたかった。

「銀さんってば、本当に酷いと思いません?」

 が少しずつ酒をあおりながら尋ねると、お登勢は小さく肩をすくめた。

「あいつの酷さは今に始まったことじゃないだろ」
「それはそうなんですけど……」
「噂はあちこちでよく聞くよ。素行の悪いことで有名な真選組隊士は、どうやら隊の副長らしいってさ。銀時のことを知っている人間ならみんなあいつの仕業だと思っているだろうよ」
「そんなに悪名高いんですね」
「はっきり言えばね。人相の悪い奴らと一緒にいたところを見たとか、賭博場で姿を見かけたって話もあった。まぁどれも嘘か真か分からない話だけどさ」
「私も隊服のまま酔い潰れて帰ってきたところを見たことはあります。でも、後の話は任務のひとつだと思いますけど」
「そうなのかい?」
「詳しくは分かりませんけど、ありそうなことだとは思います」
「あんたがそう思っていても、世間はそうは思わないよ。仮にも幕府直属の武装警察、しかもその幹部が隊服のまま酒を飲み歩いたあげくに賭博に興じるなんて、税金を何に使ってるんだって怒りを買っても文句は言えないだろう」
「それは、そうですけど……」

 は自分が叱られたような気持ちになって、しゅんと肩を落とした。

 銀時の素行を正すチャンスはたくさんあったはずだ。けれど、にそれはできなかった。自分の力不足が原因だとしか思えなかった。もしここに松陽がいたらきっと、笑顔を添えたげんこつひとつで言うことを聞かせられただろう。銀時が素直に話を聞く相手は結局のところ松陽しかいないのだろうか。

 は期待を込めてお登勢を見つめた。

「あの、不躾なお願いだとは重々分かっているんですけれど、お登勢さんから、銀さんに話してもらうわけにはいきませんか? 誤解を与えるような振る舞いを改めるようにって」

 お登勢は首を横に振って苦笑いした。

「あたしの言うことを素直に聞くほど可愛げのある奴だと思うかい?」
「ないんですか?」
「あんたの言うことの方が、あいつの耳にはいい薬になると思うけどね」
「そんなことありません。もう、暖簾に腕押しというか、馬の耳に念仏というか、それを絵に描いたようなありさまでもうどうしたらいいか……」
「どうしてあんたはそこまであいつを気に掛けるんだい?」
「幼馴染なんですから当然です」
「なんだ、てっきり惚れてるのかと思ったのに」
「そんなんじゃありません。銀さんとはもう、本当に小さな頃からの付き合いなんです。そんなこと考えたこともないです」
「そうかい」

 お登勢はそれで納得したのかしないのか、意味ありげな視線を寄越して笑った。それ以上詮索されたくなくて、はわざと話題を変える。

「ところで、お登勢さんと銀さんはいつからの付き合いなんですか? やっぱり、銀さんが飲みに来たのが最初ですか?」

 お登勢は意外そうに目を丸くした。

「聞いてないのかい?」
「はい、実はお登勢さんに会ってることも銀さんにはまだ話してなくて」
「それくらい本人に聞けばいいだろうに」
「すいません、なんだか話しにくくて。よければ教えてもらえませんか?」

 お登勢は店の中をぐるりと見やる。今日は客は少なく、その全員がテレビの野球中継に見入っている。体を前のめりにして食い入るようにテレビを見つめていて、あまりこちらに関心はなさそうだった。新しいお客が来そうな気配もない。

 お登勢は酒瓶とグラスを持ってカウンターの外に出てくると、の隣に腰を下ろし、ライターをかちりと鳴らして煙草に火を点けた。晴天という銘柄の煙草は独特な匂いがして、はつい土方の吸うマヨボロの匂いを連想して比べてしまう。

「大した話じゃないんだけどね」

 と、お登勢は静かに語り出した。

「いつだったかの雪の日にね、あいつは私の旦那の墓にもたれて座り込んでたんだよ。本当に寒い日で、しんしんと降り続いている雪が世界中の音を吸っちまったみたいに静かな日だった。墓参りはせめて雪が止んだらにしようかとも思ったんだけれど、まぁ年寄りの気まぐれでね。墓にまんじゅうを備えて手を合わせていたら墓石が口をききやがったんだ」
「銀さんですね。なんて言ったんですか?」
「そのまんじゅう食っていいか? ってさ」

 は思わず咳き込んだ。

「銀さんってばもう……」
「ぼろぼろのなりしててね、あんな雪の日だっていうのに上着も着てなかった。体中傷だらけで、ずいぶん長い間満足に食べてなかったように見えたよ」
「それで、食べさせたんですが? おまんじゅう」
「これは旦那のもんだから旦那に聞きなと言ってやったよ。そしたらあいつはものも言わずに食い始めた。旦那はなんて言ってたのかと尋ねたら、あいつはなんて言ったと思う?」
「なんですか?」
「死人が口をきくかってさ」

 お登勢は思い出し笑いをしてくっくと喉を鳴らす。が、はあんぐりと口を開けてものも言えなかった。供え物のまんじゅうを食べておいてその言い草はあんまりだ。松陽が知ったらげんこつひとつではすまないだろう。

「あの、銀さんが失礼なことをしてすいませんでした」

 はいてもたってもいられず膝に手をついて頭を下げたが、お登勢は意外そうだった。

「なんであんたが謝るんだい?」
「だって、銀さんはきっと謝ってないでしょうから」
「別に今更怒っていやしないよ。それに、他人のしたことに勝手に責任を感じて簡単に頭なんか下げるもんじゃないよ」
「でも」
「いいから、顔を上げな」

 お登勢の皺だらけの手がの顎を捕らえる。促されるがまま顔を上げたは、その手の冷たさに身が引き締まる思いがした。カウンターの裏側で冷たい水に手を浸しながら働いていた証拠だ。皺が寄った皮膚に覆われた指は驚くほど細い。けれど、優しくの頬を撫でる手の仕草は不思議と温かかった。

 お登勢は目を細めて優しく笑った。

「そんな申し訳なさそうな顔するもんじゃないよ。きれいな顔が台無しだ。こういう時は、あいつは本当に馬鹿な男だねって笑い飛ばしてやればいいんだよ」
「そういうものでしょうか?」
「あんな男のためにお前みたいなべっぴんさんがほいほい頭下げることないよ」
「お世辞はやめてください」
「年寄りの言うことは素直に聞いておくもんだよ」

 納得はできなかったが、お登勢の言うことは確かにもっともだ。
 は苦労して、無理やり口角を上げてみた。

「……銀さんって、本当に馬鹿ですよね」

 お登勢は、それでいいと言わんばかりに大きく頷いた。

しばらく、ふたりは沈黙した。お登勢はゆっくりと煙草を味わい、はつまみを味わいながらゆっくりを酒を楽しんだ。ほどよく酔いが回って気分がよくなったころ、ふいにお登勢が呟いた。

「浪士組結成の噂を聞いた時、行ってみればと勧めたのは、実はあたしさ」
「そうなんですか!?」

 はつい大声を出してしまって、慌てて口元を押さえた。お登勢はにやりと笑うと、粋な仕草で煙草を指で挟んだ。

「そんなに意外かい?」
「いえ、あの、あの銀さんが人の言うことを素直に聞くタイプとは思えなくて……」
「まぁね、最初は、幕府の犬になるなんて冗談じゃないって、聞く耳も持たなかった。けど、あいつにはね、向いてるじゃないかとあたしは思ったんだよ。ふらふらしてると思えば、面倒ごとに頭突っ込んで、自分の身も顧みずに他人の大事なものを護る。そんなことばっかり繰り返していてね。見ていられなくなるほど痛々しい姿さらしていることもあった。だから、そんなに人の大事なもんを護りたいなら、そのための立場を得ることも意味のあることだと言ってやったのさ。他人のものばかり大事にして自分を護ることを知らないあいつに、仲間ができればいいかもしれないとも思った。
 まぁ、あたしの言うことに影響されたのかどうかは知らないけどね、それからしばらくして、あの黒い隊服を着てこの店に顔を見せた時は、まぁ驚いたよ。あんなに嫌がっていたのにどういう風の吹きまわしかと思った。でもまぁ、あいつなりに考えて選んだ道なんだろうさ」

 お登勢は長く煙を吐き出し、その余韻を味わうように目を伏せる。痩せた頬、細い首には筋が浮いていて、手首も骨と皮だけでできているように細い。黒い着物に赤い紅がよく映え、その体全体からなんともいえない貫禄が感じられた。

 その言葉ひとつひとつが、の胸に重く響いた。

「まぁ、相手に話してほしけりゃ、まずは自分から話さなけりゃね」
「え?」
「年寄りの戯言さ。聞き流しとくれ」

 そうはいっても、何かとても大事なことを言われたような気がして、がもう一度尋ねようとした時だった。

 がらり、と軽快な音を立てて店のガラス戸が開いた。
 暖簾を押して顔を見せたのは土方で、は思わず咳き込んだ。

「真選組だ。邪魔するぞ」

 土方はきちんと隊服を着こんでいて帯刀している。開いたままのガラス戸越しに、パトカーの赤い提灯の灯りが見えた。市中巡回の最中らしい。

「いらっしゃい。好きなところ座っとくれ」

 と、お登勢がカウンターから立ち上がりながら言うが、土方は手を上げてそれを断った。

「飲みに来たわけじゃねぇんだ。あいつ来てねぇか?」
「あいつって誰だい?」
「真選組副長、坂田銀時だ。この店の常連だと聞いたんだが」
「見ての通り、今夜は来てないよ」

 土方は狭い店内を見回し、その目をカウンターで小さくなっているのところで止めた。

「なんだ、お前も来てたのか」
「あ、はい、まぁ……」

 は土方と目を合わせることができなかった。女ひとりでスナックのカウンターに座って寂しく酒を飲んでいただなどと知られたら土方にどう思われるだろう、それに心を捕らわれて他に何も考えられなくなる。一気に酔いが回ってしまったようになって頬が熱い。

? 大丈夫か?」

 と、気遣ってくれる声にすら満足に答えられなかった。
 そこへお登勢が余計なことを言ってくれる。

「酔いが回っちまったんだろう。よかったらあんた、この子を送ってってくれないかい? どうせ帰るところは一緒だろ」

 は思わず腰を浮かせて大声を出した。

「大丈夫です! ひとりで帰れます!」
「この辺りを女ひとりで歩くのは物騒だと前にも言っただろう。いいから一緒に帰りな」
「でも、土方さんは見回り中なんですから……!」
「もう夜勤の連中と交代したからかまいやしねぇぞ」
「でも、銀さんを探してたんじゃ?」
「どこ探しても見つからねぇし、今夜はもういいよ」

 はお登勢と土方の顔を交互に見やる。二対一の多数決、の負けは決していた。
 はやるせない思いをぶつけるように、勘定をテーブルに叩きつけた。









20191216