桂小太郎は、世間を騒がず過激派攘夷志士のひとりである。真選組も重要人物としてマークしていて、その行方を追い続けている。

 そして、にとって銀時と同じ昔馴染みでもあった。松下村塾で共に暮らし学んだ、大切な仲間である。攘夷戦争の影響で離ればなれになるまでは松陽の元で本当の兄妹のように暮らしていた。けれど、あれから長い年月が経ち、は幕府直轄の組織・真選組の家政婦、そして桂は数々の攘夷浪士を束ねる首領。完全に真逆の立場に納まっている。

 どうしてこんなことになってしまったのか、その理由はには分らない。きっと原因はひとつではなく、誰かが悪かったわけでもないのだ。ただ、運命がふたりをそれぞれの道に導いた。それだけのことが、にはただ寂しかった。家政婦と攘夷党の首領、立場がまるで変ってしまった。一緒に野山を駆け回って男も女もなくじゃれ合ったあの頃にはもう戻れない。それは時の流れを誰にも止められないように、どうしようもないことだ。

 そして、が感じる寂しさには、一抹の不安が付きまとっている。

「おい」
「きゃっ!」

 物思いにふけっていたところを声をかけられて、は思わず悲鳴を上げた。手元が狂って、抱えていた布巾の山を取り落としてしまう。振り返れば、以上に驚いた顔をした土方がすぐそばに立っていた。

「なんだよ、脅かしやがって」
「すいません」
「そんなぼーっとして、どうかしたのか?」
「いいえ、何でも」
「疲れがたまってるんじゃないのか? ちゃんと休んでるのか?」
「お気遣いいただいて、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です」

 土方は膝を折って廊下に散らばった布巾を集めてくれる。は慌てて床に膝をついた。

「あぁっ、私が拾いますから!」
「手伝うって」
「副長ともあろう方がそんなことしないでください!」

 は土方が拾おうとした布巾を横取りするように奪い取った。布巾をつかみ損ねた手を見下ろして、土方は口をへの字に曲げる。そしてじっとりとを睨むと深いため息をついた。

「お前な、人を布巾も拾えねぇような能無しだとでも思ってんのか?」

 は手を止めずに土方を睨み返す。

「そんなことは言ってません。立場をわきまえてほしいだけです」
「立場って、俺ぁそんなに偉い人間じゃねぇんだけどな」
「何を謙遜していらっしゃるんですか、もう」

 結局土方は、一枚だけ拾った布巾を、が拾った布巾の山の一番上に重ねた。

 土方が何かを言いたそうな顔をしているような気がして、は眉を上げて小首を傾げた。

「どうかしましたか?」
「何か俺に話すことないか?」

 そう聞かれて、の脳裏に馬之助の顔が浮かんだ。土方の眼差しはの胸の内を見透かすように鋭く、は思わず目を伏せて布巾を抱えた腕に力を込める。

 桂の命令で真選組に入隊したという馬之助。つまり攘夷党のスパイなのだ。その目的は、銀時を桂の元に連れていくことだという。いくら何でもこの事実を土方に伝える気にはなれなかった。そんなことをしたら、銀時や馬之助がどんな目に合うか分からない。攘夷浪士であることを隠して入隊したと露見すれば、その場で切って捨てられてもおかしくはないのだ。

 けれど、は土方から銀時のことをよく見ているようにと頼まれている。そこには、銀時の周りで不審な動きを察知したならばそれを報告するようにとの意味も含まれているのではないだろうか。土方が今問いただそうとしていることは、もしかするとそういうことなのかもしれない。けれど、土方が馬之助の企みに気づいているとは限らないし、がそれを知ってしまったがために、勝手に不安を感じているだけなのかもしれない。

 判断しかねたまま、はしどろもどろに口を開いた。

「いえ、特に土方さんのお耳に入れるようなことは……」
「そうか。この間、銀時がまたやらかしたって聞いたんだが、お前は知らなかったか?」
「え?」
「隊服のまま酔いつぶれて帰ってきたんだよ」
「あぁ、そのことですか」
「なんだ、知ってたんなら教えろよな。あいつを見とけって言っただろ、ちゃんんと報告しろよ」

 は内心ほっとした。隊服のまま飲み歩いていて良いことはないけれど、攘夷浪士が屯所に潜り込んでいることと比べれば全く大した問題ではないように思えた。

「いくらなんでも、屯所の外まで見張っていられるわけないじゃありませんか」

 は苦笑いをして、軽く頭を下げた。

「でも、すみませんでした」
「まぁ、お前が忙しいのも分かってるがな。急に隊士が増えて大変だろ。困ったことがあったらなんでも言えよ」
「困ったことなんて、そんな。皆さんよくしてくださっています」
「ならいいんだがな。近頃入った新しい連中の中には気性の荒っぽい奴もいる。俺も気を付けてはいるが、全員に目が行き届くわけじゃねぇからな」

 は内心ほっとした。土方が聞きたかったことは、が心配していたことではなかったらしい。

「そういえば聞きましたよ、局中法度のこと。みだりに婦女と交際するなとかなんとかって」

 は苦笑いをして言った。
 土方は煙草を口に咥えて火をつけながら「あぁ」と唸った。

「まぁ、一応な」
「ちょっと大袈裟な気もしますけれど」
「大袈裟なもんかよ。お前は連中を直接見てねぇからそんなことが言えるんだ」
「あら、もう何度もお話ししてますよ。皆さん元気がよくて、頼もしい限りですね」
「お前の前じゃ猫かぶってんだよ」
「私の前でしおらしくしてなんの意味があるんですか?」
「そうだな、例えば食堂で飯をサービスしてもらえるとか思ってるかもな」
「ふふっ、そうだとしたら、かわいい」

 は抱えた布巾に口元を隠すようにして笑った。

 土方は顔をそらして煙草の煙を吐く。その視線の先がにわかに騒がしくなったと思ったら、会議室の扉がすらりと開いた。肩の力を抜いて笑い合いながら隊士達が扉から吐き出されてくる。長い会議がひと段落したようだ。

「私、そろそろ行きます」

 が背筋を正しながら言うと、土方は物足りないような顔をしてを見つめた。

「もうか?」

 その眼差しに込められた意味を判断しかねて、は曖昧に笑ってうそぶく。

「私といるところを見られたら、局中法度に障るって思われてしまうかもしれませんよ?」

 は、土方はきっと呆れるだろうと想像していた。「何を下らないことを言ってんだ」と、唾を吐きかけるような顔をして声を荒げるかと思った。ところがの予想に反して、土方は笑った。その呼吸に合わせて、煙草の煙がふわっと丸い形を描いて宙に消える。

「そう思いたい奴には思わせとけばいい」
「は?」

 虚を突かれたの顔を覗き込んで、土方はにやりと目を細める。その眼差し。の胸の内を見透かしたような眼をするくせに、自分の考えは決して読ませない不敵な眼差しに、は言葉を失った。そして、土方がわざとの顔に向けて吐きかけた煙に咽た。けほけほと咳き込んで涙ぐむを、土方は横目で見やった。

「冗談だ」
「もう、からかわないでください」

 誰かに見られてはいないだろうかと、は隊士達を盗み見る。幸い、こちらに注意を向けている隊士はいないようだ。安心したのもつかの間、その隊士の中に銀時と馬之助の姿を見つけて、の心臓が跳ねた。

 銀時より少し背丈の低い馬之助が、銀時を見上げるような姿勢で話しかけている。距離があってふたりの表情までは分からない。こんなに人の多い場所で、まさか肝心の話をしているとは思えなかったけれど、は焦りと不安に襲われてどうにかなりそうだった。

 ふと、銀時と目が合ったような気がした。

 とっさに目を反らしたは、自分を見下ろしている土方の視線にぶつかって、逃げるように頭を下げた。

「あの、これで失礼します」
「おぉ、お疲れ」

 その次の寅の日、はいつも通り松平の屋敷を訪れ屯所の様子を報告した。散々迷った挙句、結局松平にも銀時と馬之助のことは話すことができなかった。







20191124