ありがとう ごめんね







沖田はその日、攘夷志士がとある旅館に潜んでいるという情報を得て、一番隊の隊士を引き連れて真夜中のかぶき町の路地裏にいた。

頃合いを見計らって旅館に踏み込み、客室で派手な斬り合いになった。頭数だけ見れば、真選組に分があった。

真選組に恐れをなして、こっそりと裏口から逃げ出した攘夷志士を追って、沖田は旅館を飛び出した。薄暗く狭い路地は行き止まりになっていて、追い詰められた男は沖田に手も足も出ず切り倒された。なんだこの程度か、と沖田が早々に刀を鞘に収めた時、地面に這いつくばった男が最後の悪あがきをした。懐に忍ばせていた短刀を沖田の背中目掛けて投げたのだ。沖田は振り向きざまに鞘を振って短刀を払いのけ、それを拾い上げると男の喉元をかききった。

「手間かけさせやがって」

沖田は吐き捨てるように呟いた。

隊士が沖田の後を追ってくる足音を背中で聞きながら、ふと弱々しい鳴き声を聞いて、沖田は事切れた男の体を蹴飛ばした。男の体の下敷きになっていたのは、血に汚れた子猫だった。首にリボンのようなものが巻いてあったけれど、血に染まってしまって元の色は分からない。しゃがみこんで体に手を当てると、まだかすかに息があるようだ。

「沖田隊長? どうかしたんすか?」

隊士達には、沖田がぼろ雑巾のようになった攘夷志士の前にしゃがみこんでなにやらごそごそやっているように見えた。

沖田は手のひらに納まるほど小さな子猫の首根っこを掴んで持ち上げ、しぶしぶため息をついた。

「……手間、かけさせやがって」

沖田はそう言って、無造作に隊服の上着を脱いで子猫を包み込み、そのまま屯所に連れて帰った。「さんに怪我させても平気な顔してるくせになぜ子猫1匹に情けをかけるのか」と、隊士達は複雑な顔をしてその後ろ姿を見送った。

「元いた場所に捨ててこい」

案の定、土方がいい顔をするはずはなく、沖田は血で汚れた隊服を抱えて唇を尖らせた。

「そんなことしたら、動物愛護団体に訴えられっちまいますぜ? 土方さん」

「黙れ。野良猫なんざその辺りに腐る程いんだろうが。なんで今日に限って拾ってくんだよ?」

「ちゃんと面倒見ますよ、山崎あたりが」

名前を呼ばれた山崎が、嫌そうな顔をして「え? 俺?」とごちた。土方はそれなら自分に迷惑はかからないな、と考えたけれど、そもそも屯所で猫を飼うなんて非常識なことが許されるかと思い直して首を振った。

「駄目だ。どうせ拾ってくるなら警察犬にでもなりそうな犬を拾ってこいよ」

「何を拾ってきたんですか?」

ふと、どこから聞いていたのか、が姿を現した。頬の絆創膏も手首の包帯は相変わらずだったけれど、表情は穏やかで顔色も良い。

。お前、まだ起きてたのか?」

時刻は深夜の12時を過ぎていた。土方がそう聞くと、はにこりと笑って答えた。

「台所を片付けてたんですよ。あら、猫?」

は沖田の腕の中を覗き込んで目を丸くした。猫はぴくりとひげを揺らしたきり動かず、どうやらかなり弱っているように見えた。

「良かったら、私がお世話しましょうか?」

の申し出に、土方は声を荒げて反対した。

「今、こいつに捨ててこいって話をしてんだよっ!」

「そんなことしたら、動物愛護団体に訴えられちゃいますよ」

「野良猫なんざその辺りに腐る程いんだろうが、って何回言わせんだよ!」

「ちゃんと里親を探せばいいでしょう」

「そんな手で猫の面倒なんか見れんのか?」

「大丈夫です。時間だけはたくさんありますから」

土方はなおも反対しようと口を開いたけれど、は全く耳を貸さず、沖田の腕の中の子猫に手を伸ばした。

「預かってもいい?」

「はい、お願いしやす」

にそう聞かれて、沖田は隊服ごと子猫を差し出した。は着物の袖が汚れるのも構わず受け取って、沖田に向かってにこりと笑った。

が眠っているところに沖田が見舞いに行ったことは誰も知らない。だから、沖田はいまだにに謝っていないということになっていて、土方にはそれに苛立っていたけれど、が沖田に何も言わないから黙っていた。

土方は「付き合ってられるか、勝手にしろ」と捨て台詞を吐いてどこかへ行ってしまった。

は台所で湯を沸かしてきて、子猫の体の汚れを綺麗に拭き取った。片手をうまく使えないので時間はかかったけれどさすがに手際がよく、みるみるうちに綺麗になった子猫は三毛だった。

沖田はなんとなくその場を離れがたくて、部屋の隅に座ってがあれこれ子猫の世話を焼くさまを眺めていた。

「どこで拾ってきたの? この子」

「攘夷志士の下敷きになってたんですよ。それだけ痩せているところ見ると、餌が手に入らなくて力尽きたんでしょうね」

「まだ小さいものね。母猫はどうしたのかしら」

「生まれた子猫を持て余して捨てられたってのも考えられますよ」

沖田は泥と血に汚れているズボンの裾を眺めながら答えた。着物に着替えた方がいいような気もしたけれど億劫で、せめてスカーフを外してシャツのボタンを二つ三つ外してやり過ごす。

はどこから持ってきたのか、スポイトで子猫に水を飲ませてやりながら、体を温めてやるようにタオルで包んで膝の上に乗せている。子猫は心地よさそうに目を閉じて、時折ひげをぴくりと動かした。

は沖田に何も言わない。頬と手首の傷を負ったことを責めることもないし、謝らないことも責めない。と沖田が顔を合わせて話をするのはあれ以来初めてだというのに、何事もなかったかのような顔をしている。

「そういえば、銀さんが迷い猫を探してたわね。ピンクのリボンをつけてるらしいんだけど、これだけ汚れてちゃもう色が分からないわ」

子猫の首についていたリボンは汚れが落ちなかったので、外して捨ててしまっていた。

「それじゃ、明日にでも万事屋に届けますよ」

沖田がそう言うと、は首を傾げて言った。

「沖田くんが飼いたいから拾ってきたんじゃないの?」

思いがけないことを言われて、沖田は面食らった。

「別にそういうつもりはありやせんでしたねぇ」

「じゃぁどうして拾ってきちゃったの?」

「俺が斬った攘夷志士の下敷きになっちまってたんで、悪ぃことしたなぁと思ったんですよ……」

沖田はそう答えながら、腹の底から気まずい気持ちが湧いてきて言葉尻を濁した。

そう思ったことは嘘ではないし、罪もない子猫の命を不本意にも危険にさらしてしまったことに対する罪悪感があるというのも本当だ。けれど、には怪我をさせているのに罪悪感もなく、謝罪もしていないのだ。と子猫を天秤にかけて、子猫が乗った皿の方が確実に重く下がっているような気がして、それはいくらなんでも非常識なことに思えた。

は「ふぅん、そう」と曖昧に頷いた。

沖田がに謝らない理由は、とにもかくにも土方にある。土方の部屋を爆破してやろうとしたのも、土方から副長の座を奪うという名目のもとにしたことで、いつもの悪ふざけだ。部屋にがいたことは偶然だったし、そうだったら土方がをかばわないでどうすると思うのも本心だ。隊士達から白い目で見られようが、そんなことは沖田にとってはどうでも良かった。気がかりがあるとすれば、がそのことについて一言も言わず、怒りもしないことだった。

「最近ね、昔のことを思い出したのよ」

黙りこくっている沖田に向かって、が静かに言った。

「昔のことですか?」

「そう。私、子どもの頃にも顔に怪我をしたことがあってね。その時のこと、これまですっかり忘れてたのよ」

沖田はぽかんとして、の横顔を見やった。は何がおかしいのか、喉をくつくつと鳴らして笑っていた。

「それはそんなに面白い話なんでぇ?」

「ううん、違うの。ただね、あのことを思い出せたのは、こんな風に怪我をしたからだなって思ったら、沖田くんにお礼を言いたくなっちゃってね」

沖田は嫌そうに眉をひそめた。自分のせいで怪我をした相手に礼を言われるだなんて思ってもいなかったから、居心地の悪い気持ちになった。

「怒るならまだしも、礼を言うってのは筋が違うんじゃねぇですか?」

「そうかもね。でも、言いたかったのよ。ありがとうね」

沖田は返す言葉が見つからなかったので、問い返した。

「子どもの頃は、なんで怪我したんですか?」

「簡潔に言うと、刀傷なの」

「斬られたんでぇ? さんが?」

「あんまり愉快な話じゃないんだけどね、私が襲われてるところを助けてくれた人がいたんだけど、刀を扱いなれてなかったからか、手が滑ったんだと思うわ」

「俺だったらそんな失敗はしないです」

「ふふっ。きっとそうね」

は明るく笑ってそう言った。

が襲われた、とは具体的にどういうことなのか沖田には分からなかったし、それを深く掘り下げようとも思わなかった。一度は忘れてしまったことなのだから、きっと辛い記憶なのだろう。

けれど、は笑っている。血に汚れた隊服にくるまれた子猫を顔色ひとつ変えずに抱きかかえ、襲われたとか、刀傷を負ったとか、平気な顔で笑い話にして、血まみれになって屯所に帰ってくる隊士達を怖がるどころか動揺ひとつせず迎えて、沖田や土方は人の命を奪って生きていると知っていても、何でもないことのように笑っている。

は強い。いや、そんな言葉で表すには不十分なほど、の強さは底が知れない。

沖田は薄ら寒いものを感じて目を細めた。

「……さんって、ちょっとどうかしてるんじゃないですか?」

「まぁ。沖田くんにだけは言われたくないわ」

はからりと笑った。

それから、沖田とは朝方まで寝ずに子猫の面倒を見たけれど、子猫は既に回復の見込みもないほど衰弱していたらしく、朝日が昇る頃には呼吸が止まった。は、無表情に子猫の亡骸を見下ろす沖田の頭を撫で、清潔な白い木綿の布で子猫の体を包んで沖田にそれを抱かせてやった。

2人そろって万事屋に子猫の亡骸を運んだら、依頼主と意気投合していた神楽が沖田を子猫の敵と勘違いして喧嘩になり、万事屋の玄関が半壊した。銀時が「喧嘩すんなら外でやれ糞餓鬼どもぉぉおお!!」と怒鳴って二人を追い出したものの、街中で騒ぎを起こされてもかなわないので、定春の散歩ついでに2人の決闘の立会いをすることにする。人気のない川原で刀と番傘を交わらせている神楽と沖田を眺めながら、銀時は鼻くそを弾き飛ばした。

「銀さん、あのね。ひとつ謝りたいことがあるの」

は言った。

「あぁ? 何だよ、改まって」

は銀時に微笑みかけ、自分のこめかみのあたりを指先でつついて見せた。銀時はきょとんと目を見張り、が言わんとしていることを理解すると、表情を強ばらせた。

「忘れてて、ごめんね」

「思い出したのか?」

「そうなの」

「なんで急に? なんかあったのか?」

「よく分からないんだけど、ふいにね。思い出したの」

銀時は不安そうにの顔色を伺った。あんなことを思い出して、がどんな思いでいるか探るような目をしていた。

「そんな顔しなくても、私は大丈夫よ」

「本当か? 無理してんじゃねぇの?」

「うん。自分でも不思議なんだけど、案外そんなものなのかもしれないわ」

神楽と沖田が汚い言葉で罵り合っている声を聞きながら、は定春の真っ白な毛並みを撫でる。定春は神楽の戦いの行方を見守りながら、興奮して今にも走り出してしまいそうにそわそわしている。

「銀さんには、嫌な思いさせちゃったね」

「あぁ?」

「だって、面白くなさそうな顔してたじゃない。あの時はてっきり、お金がないあまりに苛々してるのかと思ってたんだけど、私があのこと忘れていたから怒ってたのよね?」

「……お前、もしかしてそれ誰かに聞いたのか?」

「そういうわけじゃないけど。銀さん、このこと誰かに話したの?」

銀時は言葉に詰まって、ごまかすように目線をそらした。

「あぁ。……ヅラにな」

「ふぅん、桂くんはなんて?」

「お前がそれを忘れて幸せならいいんじゃねぇかってさ」

「そう。それじゃ銀さんは? 私が忘れてたこと、どう思ってる?」

銀時は唇を尖らせ、遠くを睨む。

神楽が振るった傘が川面を叩き、派手な水しぶきが上がって沖田の刀を濡らす。その切っ先が水を弾いて、水しぶきがガラスの破片のようにきらきらと輝いた。

を川に突き落としてつまらなさそうに目を細めていた男の顔を思い出して、銀時はぐっと拳を握り締めた。

「お前が忘れちまったのかと思ったんだよ。高杉のことを」

銀時の声は静かで、風にさらわれて今にも消えてしまいそうだった。は銀時の頼りない背中を見つめて、その声にじっと耳をすませた。

「あいつがお前を守ったんだ。それを覚えてて欲しいとか、恩着せがましいことをあいつが考えてるとは思わねぇけど、お前があいつのこと忘れてるのは、恩知らずなんじゃねぇのかって思っただけだ」

「そうね」

「けど、忘れた方が幸せならそれでいいんだ。ただでさえ、今お前は真選組の人間なんだし、俺たちとの繋がりなんて断ち切ったほうがこれから生きやすいだろ」

「そんなこと言わないで」

「俺も高杉もそれを恨んだりするほど心の狭い人間じゃねぇ。だから、いいんだ」

「それじゃぁ、どうして銀さんは怒ってるの?」

神楽と沖田の喧嘩は勢いを増して、川べりに人だかりが出来ていた。誰かが通報したのか、パトカーのサイレンが聞こえる。その音にかき消されそうな声で、銀時は呟いた。

「この世であいつの気持ちを一番分かってるのは、俺だからだよ」

川べりに急停車したパトカーから、土方と原田が降りてきた。そこで喧嘩をしている2人の顔を見て心底嫌そうな顔をし、と銀時の存在に気がつくとさらに嫌そうな顔をした。

原田はパトカーの無線に向かって何が叫んでいる。土方は何をするでもなく煙草を口に加えると、銀時とのそばまでやってきて煙を吐いた。

「何やってんだ?」

「見てのとおりだよ。定春の散歩だ」

「そうじゃねぇよ、あっちの餓鬼の方だ」

「子猫の仇討ちだそうですよ」

「猫? 今朝のあれか?」

「えぇ、死んじゃったんです。弱ってたみたいで」

「濡れ衣じゃねぇか」

「餓鬼の喧嘩だろ。好きにさせとけよ」

「仕事もしねぇで何やってんだか」

神楽と沖田の、獣のような咆哮が響いている。喧嘩は白熱していつ終わるのか見当もつかず、川原に集まった人だかりはどんどん大きくなっていく。我慢ができなくなったのか、定春が一声吠えて神楽の元に駆けていった。

。お前昨日寝てねぇんだろ? 大丈夫か?」

「えぇ。平気です」

「寝てねぇの? なんで?」

「沖田に猫の世話押し付けられたんだよ」

「なんだ。俺はてっきりまた2人で熱い夜を過ごしたのかと」

「うるっせぇ、ど変態野郎。妄想してんじゃねぇよ」

「別に妄想なんかしてねぇしぃ? いろんなもんだだもれさせてるそっちが悪ぃんだろ。嫌だね、腐っても警察の人間が女の前でこんな気の抜けた顔しちゃってさぁ?」

「いつ誰がそんな顔したよ!? だいたい、お前はこの間っから何かとそういうことに絡みやがって何様のつもりなんだよ!?」

「そういうこと?」

聞き捨てならない単語を拾って、はつい口を挟んでしまう。銀時と土方はぎくりと口元を引きつらせた。

「それ、なんの話ですか?」

言い訳を探して視線をそらす銀時と土方を交互に睨みつけて、は両手を腰に当てた。

「銀さん、そういえばさっきあのこと誰かに話したって言ってたわね?」

「いいい言ってねぇよ!」

「言ったわよ。それ、桂くんだけの話じゃなかったのね?」

「ちちち違うって! お前が傷痕のことこいつに話したっていうから! だから俺はてっきり……!」

「土方さんはいつから知ってたんですか?」

土方は冷や汗をかきながら煙草の灰をぼたぼたとこぼした。

「べべべ別にいつだっていいだろうが! お前、結局思い出したんだろ?」

「どうして私が思い出したこと知ってるんですか? それはまだ銀さんと沖田くんにしか話してないのに……。まさか立ち聞きしてたんですか?」

「たまたま聞こえてきただけだ! わざとじゃねぇ!」

「信じられない! 私があのこと思い出すのにどれだけ苦しい思いしたと思ってるんですか!? 私が忘れてることをいいことに2人で何をこそこそ話してたんですか!?」 

「違う! 誤解だ! 俺はただお前を心配して……!」

「嘘よ! 銀さんって昔からいつもそうじゃない! あのときだってひどいこと言ってたって桂くんが教えてくれたもの! それで私がどれだけ傷ついたと思ってるのよ!?」

「っていうか、お前今桂って言ったか!? 指名手配中の攘夷志士と繋がってるんってんなら今ここで逮捕すんぞおらぁ!!」

「はぁ!? 話を逸らさないでください!」

神楽と沖田の決闘を見物していた川原の野次馬は、いつのまにか男女3人の痴話喧嘩に興味を移していて、それは夕方のローカルニュースに取り上げられるほどの小さな小さな事件になった。






20150622