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おきざりの糸、ちぎれた記憶 「土方くん、この猫知らない? ピンクのリボンかけてる三毛猫なんだけど?」 「知らねぇ」 昼日中のことだった。迷い猫を探していた銀時と、パトカーで市中巡回中だった土方は、町中で鉢合わせてそれぞれ足を止めた。いつもならばお互いに顔など見たくもない相手同士だったけれど、今日はそれぞれ腹に一物抱えていたからそうはいかなかった。 「「ちょっと、ツラ貸せよ」」 と言って、馴染みの定食屋に腰を落ち着けた。店主が亡くなってから女将がひとりで切り盛りしている小さな定食屋は、昼時を過ぎて客足はまばらだった。 「この間、に会ったぞ。あの怪我、そちらさんとしてはどう責任とってくれるわけ?」 宇治金時丼を頬張りながら、銀時が言うと、土方はマヨ丼をかき込みながら平然と答えた。 「治療費は全額沖田の給料から天引きになるし、怪我が治るまでは休暇取らせることにしてる」 「そうじゃなくて、慰謝料払う気はないのかって聞いてんだよ」 「がいらねぇって言うからだ。ていうか、お前はの保護者かなんかなのか? いちいち口挟むんじゃねぇよ」 「誰が保護者だ。俺はまっとうな人間として、あいつの代わりに当然の権利を主張してやってんだよ」 「余計なお世話だ。それに、の怪我っていやぁな、お前だって心当たりの一つや二つあるんじゃねぇの?」 「あぁ? 何の話だ?」 土方は鋭い眼差しで銀時を睨みつけた。 「女のくせに、顔に傷が残ってても平気そうな顔してやがるぜ。ガキの頃に付いた傷だとか言ってたけどな」 「もしかして、こめかみの傷の話か?」 銀時は箸を止めて問うた。土方は口にものを詰め込んだままくぐもった声で相槌を打つ。 「あいつ、お前にも話したのか?」 「聞いたよ。だから何だよ?」 「なんて話してた?」 「缶蹴りしてたときにって話か?」 「それ以外にはなんか言ってたか?」 「聞いてねぇ。何だよ? むしろ昔のことに関しちゃお前の方が詳しいんじゃねぇの?」 銀時は眉間にしわを寄せてむっつりと黙り込んだ。土方はそれを尻目に、持参したマヨネーズを丼に絞る。 「何か言いたいことでもあんのか?」 「……気になることはあるけどな」 「何だよ?」 が土方にもこめかみの傷の話をしたというのなら、本当には覚えていないのだろう。の記憶の中では、缶蹴りの最中に転んで敷石に頭をぶつけてできた傷ということになっている。 銀時の知る事実を土方に話したところで、どうなるだろう。が忘れて、それだけのことしか土方に話していないのなら銀時がでしゃばることではないのかもしれない。 けれど、銀時は納得がいかなかった。忘れられていることに、腹が立っていた。だから、心を決めて口火を切った。 が14歳になると、年下の子ども達の面倒をよくみる気立てのいい娘に成長していた。松陽の仕事を手伝って書きものをすることもあったし、貧しい家の子どもに食事を振舞ったり、遊び相手になってやったり、銀時と高杉が手合わせをした時に裂いた着物を繕ったり、桂の勉強を手伝って本を読んだりと、毎日何かと忙しく過ごしていた。男の子に意地悪されて松陽の背中に隠れていた弱虫なは、いつの間にか姿を消していた。それは、松陽の言うように、なりのやり方で自分自身と戦い、そして勝ち得た姿だった。銀時が寺子屋をさぼれば叱りつけることもできるようになったし、町の荒くれ者に無茶な喧嘩をふっかけられて、大怪我をしながら勝利をおさめた高杉を怒鳴りつけることもできたし、人妻への叶わぬ恋に身をやつした桂を慰めることもできるようになっていた。 松下村塾の塾生たちは、松陽を中心にしてうまくやっていた。賑やかで騒がしく、貧しいけれども日々は穏やかに過ぎていた。 を養女にしたいという夫婦が現れたのはこの頃だ。 その夫婦は長年連れ添ったものの子どもがなく、先祖代々営む商家の後継が必要だった。店の従業員に優秀な男がいて、店そのものはその男に継がせようと考えているのだが、どこの馬の骨とも分からない娘を嫁にと連れてこられたら、自分たちの立つ瀬がなくなってしまう。なら、養女を迎えて結婚させればいい。そんな考えのようだった。ここにいい年頃の娘がいると風の噂に聞いて松陽に会いに来たらしい。 松陽はそれを聞いて、に事情を全て説明してから、その夫婦に会わせた。はじめは一言二言挨拶を交わしただけだったけれど、それ以来、夫婦はしょっちゅうに会いにやってきた。特に奥方が熱心だった。子どもを産めないことを随分気に病んでいたらしく、養女としてでも子どもを迎えられたらどんなにか幸せだろうと涙ながらに話した。のこともとても気に入ったようで、会いにくるたびに花や菓子を土産に渡し、ぜひうちに来て欲しい、不自由はさせないし、あなたにも私を本当に母親だと思って欲しいと熱心に訴えた。 はそのたび、困ったように笑った。 松下村塾の中にもが養女になるかもしれないという噂は広まっていた。も松陽も隠さなかったからだ。 「行くのか?」 ある日、高杉は思い切ってに聞いた。は寺子屋の片隅で雑巾を縫っていて、その隣では銀時が刀を抱えたまま涎を垂らして眠っていた。 「まだ、分からないわ」 雑巾を縫う手を止めずに、は答えた。 高杉は眉を寄せ、面白くなさそうにを睨んだ。月日が経って弱虫ながいなくなっても、高杉はを快くは思えずにいた。は弱虫ではなくなっても、甘ったれだったからだ。 「迷ってんのかよ?」 「そりゃ、迷うわよ」 「いい話じゃねぇか。人の良さそうな連中だし、あの商家、結構景気もいいらしいぞ。その上結婚相手まで用意されてるなんて、文句のつけようがねぇよ」 高杉は嫌味に笑いながら言った。そう、嫌味だった。突然現れた人のいい夫婦、いかにもを大切にしてくれそうな穏やかで優しい夫婦だった。に家族という居場所を与え、その上未来の夫まで準備されている。そんなうまい話があるものかと頭の片隅で考えながら、幸せの切符を手に入れたが、高杉は気に食わなかったし、面白くなかった。 「俺みたいな悪ガキには、天地がひっくり返ってもやって来ない話だろうぜ」 「そんなことないわよ。高杉くんだって、剣には滅法強いじゃない。近いうちに、どこかの武家の用心棒にでもスカウトされるかもしれないわよ」 「俺は誰かに仕えるなんざまっぴらごめんだよ」 「そういうと思った」 は高杉の顔を見ずに、じっと自分の手元を見下ろして、綺麗に揃った雑巾の縫い目を指でなぞっている。浮かない顔をしていた。幸せの糸口を掴んだというのに、はちっとも嬉しそうではなかった。それが、高杉の神経を逆なでた。 「お前は贅沢なやつだな。こんなにいい条件出されてもまだ不満なのか?」 「高杉くんは、私が養女になるほうがいいって思ってるみたいね」 「それが一番賢い選択だろ」 その高杉の言葉を聞いて、はやっと高杉を見た。強い意志を持った、射るような目だった。その視線に、高杉は狼狽した。 「私の気持ちも知らないで、勝手なことを言わないで」 「何を怒ってんだよ? 俺は当然のことを言ったまでだ」 「確かに、正論はそうでしょうね。でも、ここにはまだ小さい子どももいるし、私になついてくれている子もいるの。昨日も、行かないでって泣かれたわ。そんな子を残していくって考えるだけで辛いのよ」 「自分の面倒見てくれるやつがいなくなりゃそりゃ困るだろうな」 高杉の言いように、は声を荒げた。 「よくそんなことが言えるわね!」 高杉はの剣幕に気圧されながらも、動じていないふりをして視線をそらす。本当は、そんなことを言いたいわけじゃなかった。を慕っている子どもが大勢いることは、高杉にだって分かっていた。けれど、にとっては養女に出て家族を手に入れ、居場所を手に入れることの方がずっと重要なことのはずだ。高杉は、には幸せになって欲しかった。けれどそれを伝える方法が分からなかった。 「じゃぁなにか? お前はこんなにいい話を蹴って、ここに残ろうっていうのか? 松陽は根無し草だ。金もねぇ。近頃じゃ幕府のお役人連中に目ぇつけられてるような怪しげな私塾だぞ」 「それを言うなら高杉くんだって条件は一緒でしょ!」 「俺には剣がある!」 はぐっと黙り込んで高杉を睨む。そして、力なく肩を落とした。絶望にも似た、影を背負った表情を浮かべて。 「……男の子はいいわね。そうやって身を立てる術があって。女の子はそうはいかないもの」 思いがけないことを言われて、高杉は面食らった。はどこか遠くを見つめるような目をして、じっと部屋の片隅の暗がりを睨んでいた。 「女の幸せは結婚だってみんな言うけど、本当にそうかしら? 私がもし養女になって、商家の跡取りと結婚したら、それが幸せなの? そんなの分からないわ。結婚してからの方が人生長いわよね、その間に辛いことや悲しいことが起こらないって保証は何もないじゃない。私は、私の幸せは、自分で選んで決めたい」 「……お前の幸せって、なんだよ?」 高杉がそう問いかけると、は眠る銀時の横顔を見た。 高杉の腹の底から湧いてきたものは、一体何だっただろう。熱く、どろどろとして、真っ黒で、生臭い匂いのする感情だった。高杉はそれを持て余して、感情に任せて駆け出した。縁側から草履を引っ掛けるとき、植木の影で聞き耳を立てていたらしい桂と目が合ったけれど、桂は知らんぷりをして高杉とは逆の方向に姿を消した。 高杉はただただ、真っ直ぐに走り続けた。 部屋に取り残されたは、再び雑巾を縫う手を動かして、ひとりごとのように呟いた。 「私、どうしたらいいのかしら? ねぇ、銀さん」 狸寝入りをしていた銀時は、にはばればれだと分かっていたけれど、の悩みに的確な答えを返せるわけがなかったので、だんまりを決め込んでわざとらしいいびきをかいてごまかした。 20150601 |